推敲を繰り返すことによって人は強くなるんだなこれが
「あら?」
「うん?」
生徒会室へ続く廊下での出来事。
偶然ばったりと出会う二人の女子生徒がいた。
この辺りは生徒会の許可がなければ立ち入れない特別フロア。
ゆえにこの二人は生徒会関係者だと推測できる、が。
「やれやれ、朝から変な物を見ちゃったわ」
「これはこちらのセリフよ。今日一日はロクなことがないわね」
との会話が分かる通り、二人の仲はあまりよろしくない。
互いが互いを罵り合い、貶めようとする犬猿の仲。
同じ生徒会役員という括りから見れば相応しくないだろうが、この二人の背後を知るとやむえなかった。
「あんたみたいに済ました顔で命令だけする生徒は大嫌いなのよ」
そう見下すのは第三学年、新開地真紅。
黒流を彷彿させる黒髪を腰まで伸ばし、モデルの様なスレンダーな体型。
八頭身という長身を持つ彼女の瞳は燃えるように爛々と輝いている。
「やれやれ、何であいつはあんたを入れたのか」
真紅は顎に手を当てて嘆息する。
「そう遠くない未来、生徒会は始めて不信任案が可決されるわね。誰かさんのせいで」
憂いに満ちた表情から心底そう抱いていることが手に取るように分かった。
「それはこちらの言葉ですよ?」
溜息を吐かれた女子生徒は人形めいた美貌に血管を浮かび上がらせる。
真紅に罵倒された女子生徒の名は第三学年、有馬口聖蘭。
日本人形を彷彿させる肩口で切り揃えられた髪は光沢を放っている。
涼しげな眼もとに超然とした佇まいはまるで全てを見通す神のよう。
身長こそ真紅より頭二つ分低いが、そのハンディを補うほどのカリスマ性が彼女から感じられた。
「貴女が生徒を扇動しなければ理想へ多いに前進できたのですが」
「はっ、何を言ってんだか」
聖蘭の言葉を真紅は鼻で笑う。
「私がやらなくとも誰かがやっていたわ、何せあんたは間違っていたから」
「……何を根拠に?」
「そりゃあ決まってるでしょ?」
静かな、しかし威圧感のある詰問に真紅は傲岸に見下ろしながら。
「今の立場を見れば分かるでしょ? 元生徒会長――有馬口聖蘭?」
「っ」
ギリリと聖蘭は鬼人の如き表情で歯軋りする。
そう、有馬口聖蘭は御神楽会長を作り出した張本人。
夢宮学園の歴史に残るであろう改革――それが善か悪かはともかく断行した聖蘭。
生徒会長でなくなったとしてもその威光はほとんど衰えない。
今でさえ深い色を湛えた彼女に見つめられると大部分の生徒は心酔してしまった。
で、そんな聖蘭に正面切って物申せる生徒というのは。
「それは貴女もでしょう? 元第二生徒会長――新開地真紅?」
学年制度こそが格差の元凶だと訴え、第一学年も第三学年を解体し、共通学年という新たな概念の建設を掲げる生徒会を立ち上げた真紅であった。
御神楽圭一は軋轢を生み易い性格なのだが、その仕事ぶりは生徒の間でも評価が高い。
第二学年の生徒が少ないとはいえ、風紀委員会がバックについているのに何故生徒が御神楽を非難するかといえば、大半の理由がこの人事ゆえ。
つまり前生徒会長と第二生徒会長を副会長として傘下に加えたことが問題。
生徒の総意は学園を混乱させたこの二人、もしくは一方に懲罰を与えるのを期待していたのだが、御神楽はそれをせず逆に擁護してしまった。
「夢宮翼の理想を叶えるのにこの二人は必要不可欠だ」
さらに御神楽は生徒に対してこの一点張りの説明。
夢宮学園の生徒が怒るのも無理はなかった。
しかし、そこまでのリスクを取って二人を迎えたのだが、残念なことにリターンは低いようだ。
「? どこに行くのですか?」
真紅は踵を返したのを聖蘭が見咎める。
「生徒会で仕事があるのでしょ?」
「その予定だったんだけどね」
対する真紅は振り向かず、手をヒラヒラさせながら。
「興が削がれちゃった。今日は休むわ」
どうやら真紅は聖蘭と鉢合わせした事実にテンションを大幅に下げたらしい。
自分勝手と言えばそれまでだが、これが真紅の持ち味でもあった。
「なら、私もそうしましょう」
張り合う意図なのか聖蘭がそう宣言する。
「今日中にやらなければならない用件があったのを忘れていました」
表向きはそう述べるものの、本当の理由は真紅とそう変わらない。
ただ、聖蘭からすると、自分は生徒会で辛い目に遭っているのに真紅は休んでいるという事実が許せないと微妙に理由が違うのだが。
本人達の思惑はどうあれ休むことは二人の決定事項。
二人はこれ以上言葉を交わらすことも無く、その場を後にした。
「――新開地君と有馬口君は今日も休みか」
時刻は進み、真夜中の生徒会室。
一人残って仕事を行っていた御神楽はポツリとそう呟いた。
第八十八代生徒会役員の顔ぶれはこうである。
生徒会長 御神楽圭一。
生徒会庶務 粟生香苗。
生徒会書記 鈴蘭留也。
この三人は生徒会の顔として日々動きまわっているため、彼等を生徒会の一員として見なす生徒は多い。
が。
副生徒会長 新開地真紅。
副生徒会長 有馬口聖蘭。
この二人はとてもじゃないが生徒会役員でないと考えるだろう。
何せ生徒会に顔を出すこと自体が珍しく、さらに両方が顔を合わせば二人とも帰る。
生徒会役員というよりも、捲土重来を狙う君主という表現に近い存在であった。
この事態に御神楽はただ傍観を決め込んでいるわけでない。
むしろ深刻に捉えている者の一人である。
ゆえに御神楽は何故あの二人が生徒会役員として動かないのか悩み、そしてついにその疑問を鈴蘭と香苗に打ち明けた。。
「そりゃあ、お前、舐められてんだぜ」
三人しかいない生徒会室の中。
眠たそうに瞼をこすった鈴蘭はそう意見を述べる。
「どう見てもお前より両副会長の方が格上だ。誰だって格下の人間に従おうとは思わねえだろう」
「身も蓋もない結論をありがとう」
乱暴だが正論の鈴蘭の言に御神楽は頬を引き攣らせながらも肯定する。
通常の者ならば格下の人間に自分を使ってもらおうなんて考えないだろう。
「そこは認めよう」
あの二人に対し、御神楽が勝っている点といえば夢宮翼に対する想いのみ。
カリスマ性、政治力、知力等その他の要素では完膚なきまでに敗北を喫していた。
「だからどうすれば良いのだろうか」
両副会長の、しかも第三学年が不在というのは生徒会の体裁としてよろしくない。
そして、それ以上に重要なのは御神楽の悲願達成の日が遠のくどころか不可能となる。
詰まる所、真紅と聖蘭が御神楽に協力してくれなければ、彼が生徒会長をやる意味がなかった。
「どうすれば良いのやら」
夢宮翼の偉大さと功績については他の誰よりも語れる自信があるのだが、あの二人は他の能力が優れているがゆえに、関心はしても感服することはあるまい。
勝って力を示す手段もあるが、第三学年の中でもトップクラスの実力を持つあの二人に追いつくだけでも、途方もない時間が必要なことは明白。
間違っても十年では足りず、しかも二人に勝つことを熱中したあまり生徒会が転覆するようなことがあれば本末転倒も良い所だろう。
「難題だな……」
御神楽のその呟きが、取り組む課題の大きさを表していた。
「ん~とね、会長」
ここで恐る恐る香苗が手を挙げる。
「こう言うのは何だけど、まだ二人のことを構うのは時期尚早なんじゃないのかなあ?」
「? どうしてだ?」
御神楽は香苗の言葉の真意が分からず首を傾げる。
御神楽からすれば、生徒会役員全員が揃っていないのは由々しき事態。
早急に解決するべき課題だと考えている、が。
「だって私達三人だけでも十分だし」
確かに香苗の言う通り、生徒会が発足してもう半年になるが、主だって支障は出ていない。
御神楽が全生徒会の仕事を行い。
香苗はそのサポート。
そして鈴蘭は御神楽の手を煩わせるまでもない案件を片付ける。
生徒からの不満もこれといってきかず、極論を言えば、これで十分回っているのだ。
「だがなぁ……」
仕事が回る、回らないの次元の話ではない。
あの二人がいなければ御神楽が生徒会長になった意味がない事実が問題なのである。
生徒会長になりたいがため、御神楽は生徒会長になったわけではない。
御神楽会長でしか出来ない事柄があるゆえになったのだ。
「会長の言い分は分かるよー」
気のない返事で香苗は御神楽に相槌を打った後。
「けど、あの二人を仲間に加える前にやるべきことがあると思うんだけどなー?」
「何だそれは?」
御神楽の問いかけに香苗は時計を指差しながら。
「とりあえず会長は仕事を定時に終わらせてからの話だね」
「確かに、その意見には俺も賛成だな」
時計が指し示す時刻は午後十一時。
定時から五時間以上過ぎている。
「遅すぎ、もっと早く終わらせてよ」
「……」
半年間生徒会長としてやってきたせいか、仕事についてはコツを掴めてきた。
「今日は早く終わった方だが」
日付が変わる前に仕事を終わらすなど十日に一度あれば良い方である。
「“たまに”じゃないのー。“毎日“が基本ー!」
御神楽の言い分に香苗がブンブンと唸る。
「どこの委員会がここまで長く残っているの? 断言しても良い、今、一番働いているのは私達生徒会だよー!」
それは事実ゆえに御神楽は沈黙する。
「会長? 比べるわけじゃないけど、あの二人は会長以上の仕事を抱えながら、別の仕事にも手を付けていたんだよ?」
「……」
その事実に御神楽は沈黙するしかない。
確かに前生徒会長の有馬口聖蘭は定時には確実に仕事を終わらせていた。
そして余った時間を自分が主催する研究会の活動に充てる。
一日で二日分働く生活を送る日々。
そして聖蘭だけでなく、真紅も似たような毎日を過ごしていた。
それも御神楽と同じ、半年の期間で。
やる気や能力といった次元の話じゃない。
根本的な部分でそのその二人と御神楽は大きく違っていた。
「少なくとも、話はそれからだねー」
香苗はそう締め括り。
「その通りだぜ、最低限仕事は早く終わらせようぜ」
鈴蘭も賛同の意示す。
「納得がいかない」
御神楽としては到底許容できる結論ではない。
何故仕事を早く終わらせることがあの二人を仲間に引き入れることに繋がるのか。
いくら早く終わらせようが、それはあくまで生徒会長としての域を出ない。
御神楽が望むのは生徒会長の上。
御神楽会長として動く時に必要だから、何としてでも二人を加えたいのだった。
「現在でも回ってるから良いじゃん?」
「そうそう、不安材料をわざわざ組み込む必要なんてどこにもないぜ?」
香苗と鈴蘭は聞く耳を持たなかった。
会議の結果として、両副会長に構うのは御神楽の仕事がもっと早く終わってからということになる。
御神楽としては意義がありありだったが、意見を変えない以上話し合っても意味がない。
御神楽は悶々とした思いを抱えたまま会議はお開きとなった。
「……どうしようか」
一人生徒会室に残った御神楽は今後の方針を考える。
御神楽にとってあの二人を加えることは必須事項、避けては通れない壁。
ゆえに必死になって考えるのだが、無情なことに良い知恵は全然思い浮かばない。
同じ思考を何度も繰り返すだけに終わってしまっている。
それもそのはずだろう。
何せ御神楽はこれまで格上の相手を従えた経験がないのだから。
一般に人の知恵というのは己の経験をもとに導き出される。
ゆえに全く経験していない御神楽が思い浮かぶはずがなかった。
「こういう時は夢宮翼様の知恵を拝借するか」
御神楽は机の中からある手帳を取り出す。
それはくたびれ、ボロボロになっている粗末な手帳。
しかし、御神楽にとっては何物にも代えがたい宝物。
何せこの手帳には夢宮翼がいた頃、心に残った台詞を書き留めているのだから。
夢宮翼。
真紅や聖蘭といった天才たちだけでない。
貴賎問わず、万人から信頼された唯一の人物。
彼女の特徴は唯一の取り柄は頑固なまでの一途な想い。
たったそれだけの長所で、至高の存在となった。
「では、よろしくお願いします」
手帳に一礼した御神楽は白手を嵌めた手で開く。
しばらく手帳の捲る音だけが響く厳粛な時が続いた。
「ありがとうございました」
深夜三時。
白手を外した御神楽は手帳に向かって一礼する。
かなりの時間集中していたのに、御神楽の顔に疲れなど浮かんで無い。
それどころか晴れやかな表情をしていることから、彼にとって何かしらの収穫があったのだろう。
人前では絶対に見せない純粋な微笑みすら浮かべている。
「さて、もう一度二人に相談するか」
背伸びをした御神楽は今日の予定を確認してそう呟く。
最近の二人なら今日も生徒会に来るだろう。
なあに、大した時間は取らせない。
反論がなければものの五分で終わる。
と、御神楽は己の考えたアイディアに会心の笑みを浮かべ、少しばかり仮眠を取った。
「許す」
「はあ?」
御神楽の言葉を聞いた真紅の答えがこれ。
旧第二生徒会室で相対する御神楽と真紅。
そして今は、表面は真紅の私的な溜まり場と化している教室であった。
「何を許すっていうのよ」
真紅の疑問は最もだろう。
先日、当然御神楽の使いだと名乗る鈴蘭留也とやらがここを訪れて伝言を持ってきた。
「御神楽が新開地真紅と二人きりで話したいそうだ」
真紅の取り巻きから浴びせられる圧迫など物ともせず、そう嘯く鈴蘭。
味方がいない状況であそこまで居直れるのは肝が据わっている。
伊達に外の世界で生き延びてきただけではないと真紅は内心感心したのを覚えている。
御神楽の言葉を無碍にするのは簡単だが、それをすると鈴蘭の顔を潰すため癪だが要求通りにしてやろうと真紅は考え、現在に至っていた。
「言葉通りの意味だ」
御神楽は悪びれる様子も無く繰り返す。
「生徒会の件も含め、今までの君の行いは無かったことにする。何人足りとも君を非難する生徒は僕が許さない」
「だから副生徒会長として参加しろと?」
「察しが良いな、その通りだ」
狙っているのか、それとも天然なのか。
真紅の敵意たっぷりの笑顔に御神楽は素で応じた。
二人の間に落ちる沈黙。
互いの息遣いすら聞こえてきそうな静寂を先に破るのは。
「――っ、アハハハハハハハハ!!」
新開地真紅だった。
綺麗な顔を思いっきり歪ませて爆笑する。
「新開地く――」
「誰が君付けしろといった? 第二学年?」
御神楽が何かを言いたそうに口を開いたが、それより先に真紅が制する。
「鈴蘭とやらを顎で使うあんたが気になってこうして場を設けたのだけど、どうやら無駄になったようね」
真紅が御神楽の提案に応じたのは、鈴蘭留也の態度に関心を持った故。
ああいった鎖につながれることを嫌う自由人を扱う御神楽圭一がどこまで変わったのかと期待していたが、残念なことに裏切られてしまったようだ。
「半年前、目的のために長年連れ添ってきた取り巻きを排除した時、興味を持ったわ」
「田尾寺君のことか?」
親友を取り巻きの一人と括られ、不快感を口にする御神楽だが真紅は一笑に付す。
「名前なんてどうでも良い。肝心なことは、取り巻きを排除することによって“非情”を手に入れた。その感情は上に立つ者として必要不可欠よ。何せ蒙昧なる愚民を統括するには“恐怖”が必要不可欠だから」
「……」
真紅の美学に御神楽は顔を顰める。
御神楽が尊敬する夢宮翼は生徒を愚民と蔑むことはおろか、その行為自体を嫌悪していた。
なのに正面切って反抗されると、夢宮翼が汚されたような錯覚に陥る。
「あなた、今、私に嫌悪したわね」
ニヤリと真紅は唇を捲りあげる。
「もし、この台詞をあんたより格下の連中が言ったのならあなたはどうしてた? 間違いなく叱っていたわね。何せ御神楽圭一という存在は夢宮翼を誹謗する存在を許さないのだから」
「誤解を解いておくが、僕は誰であろうと叱るぞ。相手を見て態度を変える畜生じゃない」
強者にこび、弱者を虐げるのが畜生。
人の上に立つべきではない人物。
「フフフ、私が馬鹿にしたことを理解しながらも冷静に指摘。うん、生徒会長という器なことはあるわね。そして、一言付け加えておくわ。畜生が媚び諂うのは相手の肩書や能力といった上っ面よ。人間はその内奥の人間の輝きによって頭を下げる」
真紅と御神楽は後者の存在。
ゆえに御神楽がひれ伏すのは人間として当然のことらしい。
「まあ、畜生と人間との境については後日話すとして」
勝手に振っておきながら勝手に切り上げる真紅。
もしかすると御神楽を揺さぶらせるための挑発行為だったのかもしれない。
「話を戻すわ。格下相手を従えるには“非情“が必要不可欠。そして、あなたは取り巻きを切り捨てることによってそれを手に入れた。言っておくけどその行為は素晴らしいことよ。そうすることによって人は初めて人の上に立つ資格を持つ」
けどね。
と、真紅は目を細めて。
「それ以降、あなたは半年前から一ミリ足りとも成長していない、成長しないというのはどういうことか分かる? 劣化というのよ?」
時が求めるもの――それは変化。
その変化に応えられる者を強者と呼ぶ。
ゆえに停滞とは、時の要求に応えられていないゆえに弱者なのである。
「君は僕に何を求める?」
沈黙の後、御神楽はそう問う。
「僕は自分の努力の限り、努力してきた。変えるものは変え、残すものは残した」
これ以上は難しいのだが。
と、言外に御神楽はそう伝える。
「何で私が答えなきゃいけないの?」
呆れたっぷりの表情で真紅は嘲笑する。
「トップが部下に方針を尋ねる時点で、間違っていることを知りなさい」
トップとは、最終的な決断を下し、それに伴う全責任を負う立場。
ゆえに失敗が許される部下とは根本的に立場が異なり、見るべき視点も違う。
それは、脳が目に対して何処へ行こうか判断を任せる様なもので、そんなことをしても脳が満足する目的地へ辿り着けまい。
「これ以上私から言えることは何もない」
真紅はそう締め括る。
「私を従えさせたかったら、もっと己を磨いてきなさい。もっとも、私の上を行く事なんて不可能に近いけどね」
真紅の中でもう話は終わったようだ。
背を向け、その姿で退出を促す。
「まあ、もし何か私を瞠目させるようなことがあれば、あの鈴蘭とやらをよこしなさいね」
どうやら真紅は鈴蘭の存在を結構気に入ったようだ。
もし真紅が本格的に鈴蘭を欲しがったら、香苗と一悶着ありそうだなと御神楽は考えた。
断っておくが御神楽は会長、真紅は副生徒会長である。
立場的に鑑みると、真紅の行動は無礼以外の何物でもないのだが、彼女の身に宿る有り余る才能がそれを許容させている。
「……少し前、僕は夢宮翼の言葉を読み返していた」
その背中に御神楽は語りかける。
「あの御方の総合力は僕ですら劣るだろう。なのに君を始めとする多くの有能な生徒を統率していた。あの御方と僕は何が違うのだろう」
正直な話、全ての面において夢宮翼は御神楽圭一に劣る。
なのに万人がその事実を責めず、むしろ彼女に足りないものを補おうと積極的に協力していた。
「その原因が少しわかった気がする」
聞く耳持たないといわんばかりの態度を取る真紅の背中に御神楽は語りかけ、そして。
「だから僕はしばらく夢宮学園を後にする」
「え?」
とんでもない爆弾発言をした。
「だから暫定生徒会長は君か有馬口君のどちらかになる。生徒会室に来なくとも良いが、有馬口君に何をされても文句は言うなよ?」
それじゃあな。
と、御神楽は大した理由を説明せずに出て行く。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
慌てた様子の真紅が御神楽に追いすがるのは当然だっただろう。
「これが僕の実力か」
田尾寺は己の力の無さに呆れ果てる。
夢宮学園を出てもう半年。
その間だけで、記憶にある数を上回る程鬼に殺された。
力を失ったとはいえ、田尾路は風紀委員として御神楽の下で薫陶を受けてきている。
なのに何故ここまで弱いのだろうと田尾路は地面に寝転びながら考えていた。
「まあ、その答えはすでに出ているけどね」
田尾路の心は理解している。
頑張る理由がないのだ。
目的のためなら、他人のためなら幾らでも努力できる田尾路だが、自分のためになると、同じ人間かという思うほど弱くなる。
己の存在意義を他人に委ねる本質。
それは誰かと似ている。
「御神楽さん、何故同類である僕を切ったのですか?」
御神楽圭一。
彼もまた田尾路と同じタイプの人間である。
振り返って鑑みれば、御神楽は一度として自分のために頑張った覚えはない。
一見自分のために見えようとも、突き詰めると他人のために行きあたっている。
御神楽は夢宮翼のため。
そして田尾路は御神楽のために頑張ってきた。
同族が傍にいることによって生まれる安心感。
御神楽も表面上ではうっとおしいと思いながらも、縁を切れなかったのはその魅力を断ち切れなかったこともあったのだろう。
ゆえに出会ってから半年前までの期間、傷をなめ合う野良犬の如く二人はいつも共にいたが、御神楽が生徒会長に立候補した時、彼は田尾路を切った。
「どうして……」
田尾路の知っている御神楽は、夢宮翼の存在が穢されていく事実に憂おうとも、自らが率先して行動を起こすような真似などしなかった。
生徒会長選挙があるなあ、とその程度を触れて終わりである。
なのに御神楽はそこで終わらせず、足を踏み出した。
「何があったのですか?」
影の作業場から光の舞台へと転身。
人目を避けるのが常な御神楽は敢えてその身を衆目に晒す。
彼を知っている者ならあり得ない。
一体何が御神楽をそこまで決心させたのだろう。
「分かりません、分かりませんよ」
ゴロリと田尾路は体を横に倒す。
この世界では餓死することはない。
つまり全く動かなくとも永遠に生きていけるのだ。
そのまま植物人間として地に這う選択肢もあるのだが、残念なことにそこまでの平穏をこの世界は与えてくれず、退屈さに耐え切れなくなれば歩くなりして暇を潰すのが常である。
「御神楽さん、教えてください」
それは誰に聞かせるまでもない独白。
ゆえに何も反応が返ってこないのが当然である。
「――教えろといってもな」
「っ!」
そう鷹を括っていたがため田尾路は驚く。
ありえない声、幻聴だと身構える。
「やれやれ、学園の外に出て、しかも目印さえない状態なのに、こう簡単に見つかるのは長年の付き合いゆえか?」
少年の様に甲高いのに不思議と聞く者を落ち着かせる声。
男子か女子か判別に悩む中性的な容姿を持ち、小動物の様な雰囲気を醸し出す中、ただ一点狼の如く揺るぎない瞳を持つ少年といえば。
「御神楽さん?」
「その通りだ、田尾路留也君」
御神楽圭一。
有言実行、御神楽は生徒会長の職を投げ出してまでも学園の外へ逃げた田尾路を追って来たのだった。
「「……」」
パチパチとたき火が爆ぜる様子を御神楽と田尾路は見つめる。
互いに無言。
二人とも互いに何かを言い出すのを待っている様子だった。
「ありがとう」
双方とも沈黙の理由を分かっていたが、それを打破する理由がない。
このままだと何日も過ぎ去って行きそうだったが、帰る当てがある御神楽の方が時間に不安を持っていたため、彼が口を開く。
「何も言わず、行動せずに学園から去ってくれて」
「……」
夢宮学園の中で最も御神楽のことを知っている生徒といえば田尾路を置いて他にない。
ゆえに田尾路が反対勢力に回ると、生徒会長としての業務に大きな支障が出てしまう恐れがあった。
「僕だって好き好んで御神楽さんを困らせたいわけじゃないですよ」
何でもないという風に田尾路は肩を竦める。
「ただ……あのままだと御神楽さんがどんどん壊れていく気がしまして」
田尾路は不安を口にする。
生徒会長に立候補し、そして当選した御神楽。
選挙は何があるか分からないゆえ、まぐれで当選してしまうことはあり得るかもしれない。
が、その後に続く十年の任期は実力が求められる。
「僕には無理をしているように見えました」
表舞台に出て、そして長年の盟友である田尾路を切った御神楽。
これまで培ってきた常識が通じないだけでなく、心を許せる側近もいない。
そんな状況に置かれた御神楽を田尾路は心配したのだった。
「せめて僕を生徒会に入れてくれれば良かったんですが」
田尾路は断言する。
御神楽をよく知っている自分がいれば、万策尽きて倒れかけようとも支えることが出来ると。
それ以前に、御神楽の手に余る様な事態が起きる様な真似などさせまい。
「けど、御神楽さんは僕を遠ざけた」
田尾路の心配を余所に御神楽は完全に手を切る。
しかも、追いすがってきたら、二度と反抗できないぐらい徹底的に。
「僕からすれば、苦しんでのたうちまわる御神楽さんを見たくなかったんですが」
と、ここで田尾路は御神楽の身体をジロジロと眺める。
この半年、筆舌にし難い苦労を舐め切ってきたのだろう。
恐らく、何度も逃げ出したい衝動に襲われたに違いない。
それぐらい御神楽にとっては畑違いであり、同時に会長の職がどれだけ重いのか理解できた。
「そんな懸念は杞憂に終わりましたね」
タハハ。
田尾路は申し訳なさそうに頭をかく。
御神楽はそれらを全て乗り越えた。
真紅は成長していないと言い放ったが、田尾路からすれば今の御神楽は自分を切った時と比べ、一回り、二周りどころでない。次元が違うとまで表現できるほど彼は強くなった。
「……いやあ、本当に御神楽さんは遠くに行っちゃったんですね」
田尾路の目に涙が浮かんでいるのは錯覚でないだろう。
「悔しいなあ、悔しいなあ、僕だけ変わらず、置いてけぼ――」
「僕から言わせてもらえればな」
ここで御神楽は重い口を開く。
「影で動いていたとはいえ、君が誰にも命令されず、行動するなんて僕にとっては驚きだった」
「っ!」
田尾路は自分でも気付いていなかった事実を指摘されて愕然とする。
「君は僕に対して本音を語ってくれた」
御神楽はたき火から視線を逸らさずに言葉を紡ぐ。
「だから僕も本音を語ろう。君が原因だと知った時、僕は何を思ったのかをな」
そして御神楽はポツリポツリと言葉を紡ぎ始めた。
10000文字という制約があるため、一つの場面に収まらないのは仕様です。