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疑わない者は論外だが信じ切る者は怪物だ

 夢宮学園とは夢宮翼が創立した人類の要塞。

 つまり元から存在したものではない。

 ゆえにこの世界で生きる人類全員が所属しているわけでなく、学園の外で自由気ままに過ごす人もおり、中には在籍しているが不良生徒よろしく全く通っていない生徒もいた。

「満足したか? 鈴蘭留也すずらん とめや君?」

 御神楽の前で這いつくばっている生徒。

 生徒会書記――鈴蘭留也も在籍しつつも学園にほとんどいない不良生徒の一人であった。

「お前がか?」

 御神楽の刀技にさらされ、全身切り傷を作ろうとも鈴蘭はまだやる気の様だ。

 眼を爛々光らせている。

 鈴蘭留也を一言で表せば野生児。

 髪を自然なままに任せ、顔にも生傷が絶えない。

 ボロボロな制服で隠れているが、その身体も傷で覆われているだろう。

 素材は良いのだから静かに佇んでいれば絵になるのだが、残念なことに鈴蘭は本能のまま動く生徒であり、とてもじゃないが机仕事など出来そうになかった。

 では何故彼を御神楽が誘ったのだろうか。

 張本人である御神楽は悩ましげに髪の毛を弄りながら。

「君を生徒会に入れる条件ゆえに生徒会に出席する必要はない。たが、僕が与えた役目ぐらいは果たしてくれ」

 そう答えを述べる。

 御神楽が鈴蘭を生徒会に入れた理由はその自由度の高さ。

 常日頃から学園の外で鬼と死闘を繰り広げている鈴蘭はその武力の高さもさることながら、学内でのしがらみが一切ない。

 自由度だけで言うなら生徒一である鈴蘭の存在に御神楽は目を付け、何も繋がりがないゆえに出来ることを任せるために生徒会へ入会させた。

 無論鈴蘭もすんなりと入会したわけではない。

 だから御神楽は条件を付けた。

 曰く、自らと戦い、負けたら命令を取り消すと。

 夢宮学園の生徒は基本会長の要請に逆らうと厳罰のためそれを受諾。

 そして完膚なきまでに叩きのめした。

「さて、力比べも満足したようだし、粟生君の護衛を頼むぞ」

 鈴蘭の業務は、高い自由度を生かした仕事全般。

 生徒会が出張らなければならないが、何も御神楽が出る必要もない件を任せるのが鈴蘭留也であった。

「くそ、いつもいつも俺を顎で使いやがって」

 血反吐を吐いた鈴蘭は唸る。

「俺はお前の犬じゃねえぞ」

 外の世界で生きてきた鈴蘭にとって小間使いに等しい仕事など屈辱以外の何物でもないだろう。

「嫌なら勝てばよい」

 鈴蘭も香苗と同じく自ら口にした約束を守るタイプ。

「まあ、今の鈴蘭君だと永遠に不可能だけどな」

 御神楽はそう不敵に笑う。

 断っておくが鈴蘭は一対一で鬼を殺せる実力を持っている。

 何の助けも無い、荒野に等しい世界で生き抜いてきた鈴蘭を、何故学園内で過ごしてきた御神楽が苦も無く倒せるのだろうかか。

「僕を負かしたかったら少なくとも十回は死ぬのだな」

 御神楽の肢体はほとんど傷がない。

 何故かというと、御神楽は自身の肉体改造が失敗するとその度にリセットしてきたから。

 この世界では、死なない限り傷は残り続ける半面それまでに鍛えた筋力も残る。

 逆を言うと、死んだら一から鍛え直しになる。

「理想的なスタイルを手に入れるまで僕は相当死んだぞ?」

 しかし、間違って付けた筋力も落としてくる利点もある。

 ゆえに御神楽はこの体形に合った筋肉の付け方と使う獲物の試行錯誤を繰り返した結果、一撃必殺を主とする、刀を使うスタイルを確立していた。

 そして鈴蘭は絶対量は大きいが効率の悪い筋肉のまま。

 原始人対特殊部隊のような対決であるがゆえ、御神楽が勝つのも頷けた。


「お疲れ、鈴蘭君」

 日も落ちた夜。

 校舎の外で待ち受けていたのは片手を上げた御神楽だった。

「何か飲むか?」

 御神楽は右手にある自動販売機を指差す。

「これぐらい奢ろう」

「いらねえ」

 だが、御神楽の申し出を却下する鈴蘭。

 顰め面のまま彼は続けて。

「何で自販機の様な訳の分かんねえ代物がこの学園に溢れてんだ?」

「まあねえ……」

 鈴蘭の指摘に御神楽は苦笑する。

「そこは夢宮翼に聞かないと分からないよな」

 制服しかり、缶ジュースしかりそういった品物は全て夢宮翼が発案したものである。

 だからこの夢宮学園は何故このような物があるのか説明できない代物が多々あった。

「ともかく、僕としては君と話したいのだが良いかな?」

 御神楽のそんな申し出に鈴蘭はつばを吐きながら。

「飯、奢れ」

 と、注文した。

「一杯喰うぞ」

 そう付け加えることも忘れない。

「まあ、いいさ」

 御神楽は二つ返事で了解する。

「金が余っているから問題ないな」

 生徒会長としての業務が多忙すぎるので、使う暇がない御神楽である。

「けっ、嫌味な奴」

 如何にも“自分は頑張っています“とアピールする御神楽に鈴蘭はそう毒を吐いた。


「しっかし、悔しいよなあ」

 大盛りラーメンを啜りながら鈴蘭はぼやく。

「御神楽の連れ――確か田尾路とやらが裏切ったから少しは動揺していると思ったんだけどなあ。お前、全然変わってなかったぞ」

 鈴蘭が勝負を仕掛けてきたのはそんな出来事があったかららしい。

「君は本当に抜け目がないな」

 御神楽は唐揚げ定食を前に嘆息し、そして。

「昔から」

 とんでもない事実をサラリと述べた。

 実は御神楽圭一と鈴蘭留也は旧知の仲である。

 と、言っても夢宮翼を通して知り合ったのだが、知り合いは知り合い、互いの性癖や嗜好についてもある程度知っていた。

 この事実も御神楽が数ある不良生徒の中でも鈴蘭を指名した要因。

 ただ、翼がいた頃は協力し合って彼女を助けていたが翼の失踪によって袂を分かった。

 別れたことについては御神楽も鈴蘭も非があるとは思っていない。

 活動的な鈴蘭と内向的な御神楽とではそりなど合うはずもなく、協力できないのならば共にいる意味など無い。

 むしろ反目し合って互いの力を相殺するよりかはましな選択だと二人は考えていた。

「はーい、追加のチャーハンに餃子、エビチリに肉まんだよー」

「おお、来たぜ」

 売り子の呼び声に反応する鈴蘭。

 どうやら一人で全部食べるつもりのよう。

「相変わらず良く食うな」

 ちなみに全て大盛りであった。

「「……」」

 互いに沈黙が続く。

 鈴蘭は飯を食うのに一生懸命なためであり、御神楽は食事中に喋るのを好まないため。

 ガヤガヤとうるさい食堂のこの一角だけ不思議な沈黙が満たされていた。

「田尾路が裏切ったらしいな」

 ほとんどの皿を空にした鈴蘭は続ける。

「まさかあいつがねえ。御神楽はよほど酷い裏切りをしたのか?」

「僕としてはそんなつもりは全くない」

 すでに食べ終え、お冷やで喉を潤した御神楽が答える。

「ただ、田尾寺君の力では生徒会役員として僕の理想を叶えるのに不可能だと伝えただけだ」

 御神楽としてはそれ以上の他意などない。

 これから先も生徒同士として私的な関係を継続させていくつもりだった。

「だが、田尾寺君は納得しなかった」

 生徒会に入れなかったのが縁の切れ目だといわんばかりに御神楽の元を去り、そして妨害を始めた。

「千年近く共にいたのに、何故こうなってしまったんだろうな?」

 御神楽は田尾路について相当深く熟知していたつもりだった。

 これぐらいで裏切るのならもっと早くに切れているはずだ。

 なのに何故重要なこの時に別れてしまったのか。

「考えても仕方のない問いだと理解しているんだが」

 すでに終わってしまった事実。

 考える必要などないのに御神楽は考えてしまう。

「後悔しているところ悪いけどな」

 鈴蘭が愚痴を垂れる御神楽を半眼で見やりながら。

「その割には容赦無かったよな?」

 裏切った田尾路に対し御神楽が行った制裁とは一度殺してリセットさせた後、彼の悪行を公布委員会を通して夢宮学園に流布をした。

 事実上学園からの追放。

 温情も何も無い冷酷な処遇だった。

「僕は風紀委員会に所属した理由はな」

 御神楽はそっけなく答える。

「組織人が手心を加えた結果、個人どころか組織、果ては学園全体に迷惑がかかってしまう場面を何度も見てきたからだ」

 当人達はやむにやまれぬ事情があったかもしれないが、公の立場の生徒が私情を持ち込むなど言語道断。

「風紀委員会が公正に判断しなくなった時代は本当に酷かった」

 御神楽は遠い眼を浮かべる。

 学園から離れていた鈴蘭に分かるはずもないが、ずっと学園に所属していた御神楽は数多の動乱を潜り抜けてきた。

 風紀委員が治安の維持を放棄した動乱もその経験に含まれている。

「他の何よりも、風紀委員会だけは公明正大に判断しなければならないんだ」

 それが御神楽が風紀委員会に所属した理由。

 他の委員会は数あれど、風紀委員会がおかしくなるとそれが周囲に与える影響は半端無く大きい。

 それゆえ遥か昔の御神楽は風紀委員会へと入り、内からおかしくならないよう厳しく監視した。

「風紀委員会の信念を生徒会にまで持ち込むのはおかしくないか?」

 鈴蘭がそう突っ込むがもちろん御神楽は聞かずに先を続ける。

「罪は罪として裁かなければならない。でないと田尾寺君のためにもならない」

 だから関係が深かった田尾寺であろうと御神楽は法に則り処罰を下す。

 もちろん私人としてどうにもならないと判断したゆえである。

「ふーん……」

 御神楽の決意は鈴蘭に届いたのだろうか。

 ついていけないとばかりに肉まんを口に放り込んだ鈴蘭の表情から分かるはずも無かった。


「さて、と鈴蘭君。お疲れのところ悪いがもう一つ仕事を頼まれてくれるか?」

「……」

 御神楽のトーンを抑えた声音に鈴蘭は無言。

 これを肯定だと捉えた御神楽は先を続ける。

「副会長の二人が険悪な中だということを知っているな?」

「……」

「僕と鈴蘭君のようにそり合わないのは人間の性ゆえ仕方ない。貶め合うのも百歩譲って黙認しよう。だがな、非人道的な手段を使っての争いは止めるべきだと思わないか?」

 気の合う仲良ししかいないのならどれだけ楽だろう。

 だが、そんなのは絵空事でしかなく、生徒の数だけ信念や価値観がある。

 それゆえどこかで妥協しなければならないが、中には妥協できない場面も登場する。

 それを抑えろとは言わない。

 攻撃するなともいわない。

 夢宮翼を絶対と位置づけている御神楽にそんなことを言う資格はない。

 だが、謀略や策略で貶めてまで自分の正義を主張しては駄目だろう。

 風紀委員会に身を置いてきた御神楽は非道徳的な手段を駆使した生徒の末路を嫌というほど見ている。

「夢宮翼も同意見だった」

 翼自身、己の価値観を受け入れられない人がいることを認めていた。

 しかし、それでも翼はそのような人種に対しても非道徳的な策を用いることはなく道徳的な対話を続けた。

「何時か分かってくれる。何故なら、幸せになりたくない人などいないのだから」

 罵倒されたにも関わらず翼は笑って御神楽達にそう語っていたのを彼は今でも覚えていた。

「で、俺に何をしろと?」

 過去にふけっていた御神楽を鈴蘭は現実へと引き戻す。

 所狭しと並んでいた料理の皿はすでに空となっていた。

「ああ、済まない」

 コホンと咳払いを一つして御神楽は気分を切り替える。

「副会長が良からぬ動きをしているらしい」

 部活や委員会を回って得た情報の一つを御神楽は切り出す。

「恐らくもう一人の副会長の立場を危うくさせるためだろう」

 役職から分かる通り、三笠副会長と箕谷副会長は生徒会役員である。

 だが、二人は犬猿の仲。

 二人とも如何に互いを貶めようか日夜暗闘を繰り広げている。

「道徳的なら問題ないが、恐らくいや必ずえげつない手段を使っているだろう。だから鈴蘭君、生徒会書記という肩書なら結構奥まで立ち入れる。三笠副会長の謀略を阻止してくれ」

 これが鈴蘭の裏の仕事。

 推測や伝聞で動けない生徒会長の御神楽に代わり、自由度の高い書記の鈴蘭が動く。

 多数――生存も含めての役割をこなすオールラウンダーな役割は昔から一人で生きてきた鈴蘭が適任だった。

 これも御神楽が鈴蘭を生徒会に入れた目的である。

 だが、ここで一つ問題がある。

「毎回思うんだが、何故そんな面倒くさい役職を付けるんだ?」

 効率と成功率を考えるなら鈴蘭を生徒会に入れず、フリーで動かした方が良い。

 その方が余計な警戒を抱かれず、万が一失敗した時も鈴蘭が勝手にやったことで片付く。

 そのことに御神楽が気付かないはずがないだろう。

「鈴蘭君……」

 鈴蘭の疑問に御神楽は重い口を開く。

「鈴蘭君に課された仕事は生徒会のためだ。ならば失敗の責任も生徒会が負うべきだろう」

 もし鈴蘭自身のためなら生徒会役員になどせず、勝手にやらせる。

 もし御神楽のためなら彼個人が負う。

 生徒会のためならその責は生徒会が負うべきだというのが御神楽の考えである。

「それにな、君が生徒会役員ならば僕はそう変な命令が出来ないだろ?」

 御神楽は悪戯っぽくそう述べる。

 鈴蘭は御神楽が勧誘した生徒会役員である。

 その責任が御神楽自身を戒め、非道徳的な手段を取らせることを躊躇わせる。

 鈴蘭を生徒会役員にしたのは生徒会長である己への戒めのためだった。

「……相変わらず変な奴だよ、お前は」

 しばらくの沈黙の後、鈴蘭はポツリと呟いた。


「あー! こんなところにいたー!」

 しんみりとした空気を破るけたたましい音。

「もう鈴蘭さん! 私を置き去りになんて酷いですよ!」

 プンスカと怒るのは先程まで護衛していた粟生香苗。

 肩を怒らせて二人の元へ近付く。

「げっ」

 すると鈴蘭は嫌な物を見たといわんばかりに顔を顰める。

「ん? どうした粟生君?」

 そして動揺する素振りすらない御神楽は香苗に目をやる。

 鈴蘭を助ける目的も含まれているのだろう。

 さりげなく鈴蘭と香苗との間に立っていた。

「鈴蘭君のことだから君を安全な寮まで送り届けたはずだが」

 御神楽の言葉通り、鈴蘭は口は悪いが香苗と同じく仕事は完ぺきにこなす人物である。

 御神楽の不利益を被る行動を取るとは思えない。

「だからですよ!」

 香苗はズビシっと御神楽を指差す。

「鈴蘭さんは私を送り届けたらサッサと消えてしまったんですよ!」

「何か悪いことなのか?」

「その通りです! 折角おやつを用意したのに!」

 どうやら香苗はあの後鈴蘭とお茶することを目論んでいたらしい。

 が、予想に反して鈴蘭は一直線に帰ってしまったと。

「……また痴話げんかか」

 御神楽は嘆息を零す。

 何故かは知らんが香苗は鈴蘭に対して結構御執着のようである。

 事あるごとに鈴蘭に接近し、あわよくば既成事実を作ろうとする。

「なあ、どうして粟生君はそこまで鈴蘭に拘んだ?」

 そう御神楽が問い正してみたところ。

「鈴蘭さんってすっごく魅力的なんですよ。近くにいるとヒリヒリするんです」

 香苗ははじける笑顔を浮かべながらそう返した。

 まあ、鈴蘭は常に命を危機に晒す場所へ身を置いていたから、野性味が溢れ出るのは当然か。

 交渉役といった一言一句が命取りとなる仕事を生業にしている香苗からすれば、その空気を思い出して疼くのだろう。

「ちなみに僕はどうなんだ?」

 冗談めかして御神楽がそう聞くと香苗は済ました顔をして。

「ん~、会長って堅物だからパス。けど、安定しているからお友達として付き合って欲しいな」

 御神楽は香苗の中だと安全綱の役割を持っているらしい。

「やれやれ、会長に対して酷い言い草だ」

 御神楽はそう苦笑するが、内心はそれほど怒っていない。

 むしろ予想通りの答えが返ってきたので多少満足していた。

「さてと、お邪魔虫みたいだから僕は退散するか」

 食べ終えたトレイを手に取った御神楽は歩を進める。

「じゃあな鈴蘭君、粟生君。付き合うのは良いが節度を保てよ」

「って、おい。ちょっと待てよ」

 鈴蘭が慌てた声を上げるが御神楽は立ち止まらない。

 謹厳実直で空気が読めないと後ろ指を指される御神楽だが、さすがにこの時は弁えていた。

 が……。

「会長ー、逃げないで下さいよー」

 香苗はがっしりと御神楽の腕を掴む。

「主役が抜けちゃあ舞台は成り立ちませんよー?」

「何の舞台だよ……」

 御神楽の呟きは鈴蘭の思いも代弁しているだろう。

「決まっているじゃないですかー、生徒会という舞台です」

 香苗の中だと御神楽、鈴蘭そして自分の三人が生徒会を動かしているという自負があるらしい。

「おいおい、粟生君、両副会長を忘れているぞ」

 御神楽はそう忠告するも。

「あの二人って、全然会長のために動いていないでしょ? だからカウントしない」

「まあねえ……」

 ここで御神楽が沈黙するのは、香苗の指摘に反論できないからである。

 正直な話、御神楽は両副会長の力を持て余していた。

「勝手に俺を入れるんじゃねえ!」

 ここで二人の関心が両副会長から鈴蘭に戻る。

 鈴蘭は怒りを滾らせながら。

「俺もお前のために動いてはいねえぞ!」

 どうやら鈴蘭は大層気分を害したらしい。

 御神楽と香苗に反論の機会を与えず、大股で去って行った。

「あちゃー、やってしまいましたねー」

 テヘペロと。

 香苗は舌を出して頭をこつんと叩く。

 その態度からあまり堪えていないようである。

「じゃあ会長ー、私は鈴蘭さんのフォローに入りますので、今回はごめんなさいー」

 鈴蘭のことにかかりっきりになるため御神楽と共にいることが出来ないと。

「ああ、分かった」

 御神楽としてもそれで良かったため一つ頷き、その場を後にする。

「鈴蘭さんー、待って下さいー」

 御神楽は香苗のそんな声が聞こえた気がした。



 鈴蘭は夢を見ている。

 それは素晴らしい夢。

 あれほど会いたいと渇望していた夢宮翼がすぐ前を歩いていた。

 おかっぱ頭のちんちくりん体型の夢宮翼。

 その背からは間違っても覇気など感じず、むしろ愛おしさが込み上げてくる。

 なのに成し遂げた業績は前人未到の、この世界に住む自分達に希望を与えた。

 そんな夢宮翼は振り向かずに鈴蘭に語りかける。

「どうして私を抜こうとしないの?」

 翼の歩幅は鈴蘭より小さい。

 ゆえに気を抜けば置いていってしまうだろう。

「何で抜く必要があるんだよ?」

 訳が分からないとばかりに鈴蘭は頭を掻く。

「俺はお前に心底惚れている。抜いてしまえばお前の姿が見れなくなるだろうが」

「ふうん……」

 鈴蘭の答えに翼はどう思ったのだろうか。

 後ろ手を汲み、頭を僅かに揺らす翼の真意など後方にいる鈴蘭に分かるはずもない。

 今、翼はどんな表情をしているのだろうか

 気にならないわけでもないが、それでも追い抜いてまで見ようと思わなかった。

「鈴蘭も、有馬口も、粟生さえも、誰も私の前を歩こうとしないんだね」

 鈴蘭は周りを見渡す。

 どこから湧いてきたのか、いつの間にか鈴蘭の周辺には多くの者がおり、自分と同じく翼を付き従っていた。

 何万何十万、下手すれば何億もの生徒が前を歩く翼一人に付き従って歩く光景。

 翼には先導者も同伴者もおらず、ただ一人前を歩く。

 その光景を端から見れば、翼が途方もない重圧を背負っているかをヒシヒシと感じることが出来ただろう。

 障害が立ちはだかろうとも鈴蘭達は翼に力を貸さず、声援を行うだけ。

 自分達は何もしていないのに、翼が少しでも不利になると不安げな声を上げる。

 それどころか、後ろから翼の足を引っ張ろうとしてくる人物まで現れる始末であった。

 鈴蘭達も自分達が翼の重荷になっている事実を直感的に理解している。

 が、それでも己の方法を変えることが出来ないというジレンマに直面していた。

 そんなある時、信じられないことが起きた。

 あの翼が立ち止まり、それどころか鈴蘭達の方向を向いて微笑んだのだ。

「君達に素晴らしいものを上げるよ」

 そう前置きして渡される地図。

 地図の一枚一枚に書かれている内容が違い、千差万別の様相である。

「私の役目は終わった」

 そして翼は腰を降ろす。

「ここで君達の行く末を見守ることにするよ」

 その宣言に皆は驚くも、歩みを止めることが出来ない。

 歩く速度を弱めることは出来ても完全に止めることは不可能。

 何故なら、鈴蘭達この世界の住人は死ぬことが許されないのだから。

「私は何時でもここにいる」

 なんとかしてその場に留まろうと必死で足を止める努力を続ける鈴蘭達を翼は微笑みを向ける。

「だから、安心して自らの道を進んでね」

 その言葉を最後に翼は眼を閉じる。

「おい! ちょっと待て!」

 鈴蘭だけでなく、皆が口々に訳を聞くが、翼はもう眼を開けない。

 翼は座っているがゆえに、歩き続けなければならない鈴蘭達は一瞬でしか触れ合えない。

 鈴蘭はこの時ほど自らの足が憎たらしいと思ったことはなかった。

「くそっ!」

 が、鈴蘭はそれでも翼の傍にいようと進路方向を捻じ曲げる。

 翼を中心に、円を描く進路方向に変換した鈴蘭は翼と離ればなれになる未来を避けることが出来た。

「ふう……」

 安心した鈴蘭は周りを見渡す余裕が生まれる。

 そこには多くの者が色々な道を選んでいた。

 鈴蘭と同じく翼の周辺に留まった者。

 翼から貰った地図を破り捨て、あてもない放浪の旅を開始した者。

 地図を片手に進みながらも、いつの間にか変な方向へ進んでしまっている者。

 人の数だけ道はあるものの、鈴蘭の目には誰も正解していない様に見える。

 それは、無意識中に翼よりも自分が上だと思いこみ、地図よりも己の判断を選んでいるからだった。

「何をやっているのかねえ」

 思わず鈴蘭がそう皮肉気に笑ったのは仕方ないだろう。

 このまま誰一人正しい答えにあり付けず、路頭に迷い続けるのかと思いきや。

「お?」

 その中でただ一人、地図に絶対の信頼を置いて歩んでいる者がいた。

「何だ、あいつは?」

 目立つような輩でなかった。

 大多数の集団の中でひっそりと後についていっている印象しかない。

 なのにいつの間にか皆の先頭に立ち、旗を振って進んでいる。

 一見すると少年の様な容姿。

 小柄で華奢な肢体は翼を連想させる。

 そんな彼の名は。

「確か、御――」

 ここまで考えた鈴蘭の意識は急激にブラックアウトを行った。


「……寝ちまっていたか」

 ベンチに体を横たえていた鈴蘭は体を起こす。

「うー、くそ。大分寝ていたようだな」

 少し体を捻ってみるとポキポキとなる体。

 そこまで熟睡していた自分の迂闊さに鈴蘭は顔を顰めた。

 気分晴らしに何かを飲もうと思った鈴蘭はポケットを漁るが何も無い。

「っち、財布がねえ」

 一瞬取られたのかと焦ったが、すぐに思い直し、生徒会においてきたことに気付いた。

「やれやれ、サッサと用事を済ませるか」

 髪をバリバリと掻きながら鈴蘭は立ち上がる。

 まだ日は暮れていないものの、このままボーっとしていても仕方ない。

 何をするかは財布を取り戻した後に考えることに決めた。


「ウイーッス、誰かいるか?」

 ノックもせず生徒会室の扉を開ける鈴蘭。

 これが香苗に見つかろうものなら説教確定なのだが、幸いなことに彼女の姿は見えない。

 最近生徒会室にいることが多くなった香苗と出会わないのは珍しいと思った鈴蘭だが。

「お?」

 もっと珍しい光景――御神楽がうたた寝をしていた。

「スー、スー」

 背もたれに体を預け、船をこぐ御神楽。

 疲れが溜まっているのだろう。

 鈴蘭が近くに寄っても起きる気配を見せなかった。

「危ねえなあ」

 自らの所業を棚に上げ、眠っている御神楽に呆れ果てる鈴蘭。

「今のお前なら簡単に殺せそうだな」

 御神楽が鈴蘭に出した条件。

 それは如何なる場合でも己に勝負を挑んでも良いというものである。

 その条件に照らし合わせれば、今は目的を叶える絶好の機会だった。

「やっちまうか」

 弱点は見逃さない、野獣の勘が働く鈴蘭は舌なめずりして拳を鳴らす。

 このまま御神楽の頭を粉砕しようと身構えたのだが。

「……夢宮……様」

「――っ」

 御神楽の口から洩れた寝言に鈴蘭は毒気を抜かれる。

 御神楽が翼のことを敬愛していたのは知っていたが、まさか夢まで“様”付けをするとは。

 己の夢に出てきた翼は恋人だった事実と比べ、鈴蘭は顔を顰める。

 翼に対する本気度が己の上をいっているようで腹立たしい。

 今すぐ拳を振り降ろしたいが、それをすると自分は完全に負けるだろう。

 御神楽の寝言を聞いてしまった今ではその想いが顕著である。

「……まあ、今回ばかりは大目に見てやるか」

 御神楽にとって不本意な形で決着を付けても意味がない。

 彼を完全に負かすためには、御神楽に完膚なきまでに敗北を植え付ける必要があった。

「何をやってんのかなあ?」

 このまま財布を取って生徒会室を後にしようと考えていた鈴蘭だが、御神楽が行っている書類に興味がわき、覗いてみる。

「おわあ……」

 小難しい漢字を小さな文字でびっしりと書かれた書類の山。

 鈴蘭ならば一枚で眠くなることは容易に想像できる。

「お、これは読めそうだな」

 半分以上が形式ばった書類だが、中には要望がストレートに書かれたのもある。

 誰誰が不当に利益を集めている。

 手柄を第三学年に横取りされた。

 といった、人間関係に起因する小さなイザコザが主。

 この類は委員会や部活といった仲介を通さず、直接御神楽の元に届けられたのだろう。

「御神楽もマメだよなあ」

 鈴蘭は知っている。

 こういった要望は待っていても来ず、直接出向かなければまずお目にかかれない。

 それが全体の半分に届こうという量なのだから、如何に御神楽が熱心に集めたのかが分かる。

 交渉事が得意でなく、型物の御神楽がここまで生徒達の要望を引き出せる。

 恐らく履き潰した靴は一足や二足でないだろう。

「しゃあねえな」

 これら書類に書かれている内容は、翼なら必ず解決したであろう中身。

 学園や生徒会、御神楽のために動くのは癪だが、翼の理想のためならまだ納得できる。

「これは貸しだぜ、会長さんよ」

 鈴蘭は御神楽の書類を何枚か持って扉へ向かう。

 このような案件なら鈴蘭の得意分野。

 鈴蘭は御神楽のことを好いていないが、夢宮翼のことは大切に想っている。

 ならばその想いが続く限り、鈴蘭は御神楽の味方をしてやろうと思った。

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