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他人と同じことをして個性が出ると思うのか?

「……何……で?」

 呆然とした様子で生徒は己の胸を見やる。

 夕日に照らされた屋上。

 右肩口と左足の付け根からおびただしい量の血を流している生徒は心臓のすぐ近くまで突き付けられた刃を凝視している。

 この刀の持ち主が少しでも動かせば忽ちのうちに刃は男の心臓を貫くであろう。

 抵抗する手段を全て奪われた生徒は己に刃を突き付けている少年を見て涙を流す。

「御神楽さん、貴方は長年つき従ってきた僕にこんな仕打ちをするのですか」

 その生徒は今でも信じられないのだろう。

 何かの間違いだと言わんばかりに首を振って嗚咽を漏らす。

「……」

 刀を突き付けている御神楽と呼ばれた生徒は無表情。

 喜怒哀楽全ての感情を体現し、また、押し込んでいるかの様に能面のような顔である。

 少年は少女といっても差し支えないその肢体を持ち、童顔の顔から小動物を連想させる。

 これで上目使いを使おうものなら例え男であっても何かに目覚めるであろう。

 が、断言できる。

 この生徒はどんな状況であろうとそんな媚を売るような真似はしない。

 その瞳に宿りし光は揺るぎなく、そして老年の様な奥深さを放っている。

 その少年の名は御神楽圭一。

 可愛がられる側より可愛がる側に立つ少年であった。

「……君は僕の部下だった」

 少年は冷静さを装って語りかける。

「だから最後の望みをかけてこの場所で説得したのだが」

 無意味に終わってしまったな。

 と、御神楽は天井を仰ぎ見る。

 御神楽は戦いたくなかった。

 出来れば説得し、事態を穏便に済ませたかった。

 しかし、現実は無情でありこうして叩き伏せる形でしか決着がつかなかった。

「夢宮翼ならこんな醜態を晒さなかっただろうな」

 あの快活な天使なら互いにとって円満な形で終わらせたと御神楽は思う。

「またあの女のことですか!」

 夢宮翼の言葉が御神楽の口から出た途端、その生徒は態度を豹変させる。

「いつもいつも! どんな時もあの女が優先! 僕のことなど見向きもしない! 何が良いんですか? 御神楽さんは騙されているんですよ! あの――」

 生徒はその先の言葉を紡ぐことが出来なかった。

 それより先に、生徒と戦うことすら躊躇っていた御神楽が生徒の心臓に刃を突き刺したから。

 その速さは条件反射と言うべきだろう。

 突き刺す瞬間、御神楽の瞳は氷のように冷たかった。

「……確かにこの世界は地獄だ」

 話題を切り替えるように、刀を振って血を払った御神楽は半身だけ生徒に向ける。

「望まなくとも自我があり続ける、記憶を消すことすら許されないこの世界。まさしく地獄だな」

 すると何処からともなく冷たい風が男に向かって吹いてきた。

 風に包まれた男は見る見るうちに傷が塞がり、あっという間に御神楽と戦う前の状態となる。

 ご覧の通り、この世界は特殊である。

 “死”という概念がない。

 どれだけの大けがを負っても死ぬことはなく、焼こうが砕こうが忽ちの内に元の形へと再生する。

 意識もそうであり、耐えがたいほどの苦痛によって自我が崩壊しようともすぐさま正気へと戻される。

 しかもこの世界には大小様々な多数の鬼がおり、自分達を見つけては殴り、擂り潰して苦痛を与えてくる。

 が、そこまでされても死なないため、鬼の折檻を受けていない期間は怠惰な生活に戻る。

 苦痛と怠惰の繰り返し。

 その頃の記憶を思い出した御神楽は思わず苦い顔を作る。

 御神楽自身他の皆と変わりなく絶望の日々をただ過ごしていた。

「その地獄を寂光土へ変えようと奮闘したのが夢宮翼だろうが」

 遥かな昔。

 この世界に一人の救世主が降り立った。

 名を夢宮翼。

 別の世界から訪れたと宣言した翼はこう御神楽達に呼びかけた。

 この世界を極楽へ変えようと。

 そしてその通り、翼はこの世界を変えた。

 苦痛を与えてくる鬼を撃退するために戦う意義を与えた。

 怠惰を克服するために学び続ける大切さを教えた。

 そしてその二つを永遠に持続させるために要塞を建設した。

「夢宮翼は素晴らしい人物だった」

 遥かな時が過ぎ去った今でも御神楽は昨日の出来事のようにに思い起こすことが出来る。

 何も出来ない彼女だったが、皆をやる気にさせることだけは誰にも負けなかった翼。

 例え誰一人耳を貸さなくとも、粘り強く説得を続けた彼女。

 その彼女の奮闘の結果、御神楽達のいる場所が確立されている。

 それがこの夢宮学園。

 鬼と時から人類を守るべく建設された人類の要塞。

 ここで過ごす生徒達は鬼の討伐や夢宮翼のいた世界へどうすれば行けるのかと日々研鑽を続けている。

「夢宮翼のおかげで人類は今の平和がある」

 昔は鬼の暴力にただ泣くだけしかなかったが今は抵抗する手段がある。

 もし鬼がこの夢宮学園の領域内に侵入すれば難なく撃退できるだろう。

 そして、翼がどうやってこの世界へやってきたのかという原理も僅かながら掴めてきた。

 このまま研究が進めば別の世界に渡ることが可能になるかもしれない。

 本当に、翼が降臨するまでは考えられなかった考えである。

 だが、しかし。

 それだけの功績を残した夢宮翼は夢宮学園が建設されたと同時に姿を消す。

 御神楽達は必死に彼女を捜索したが見つからなかった。

 ゆえに非常に不本意だが彼女は役目を終えて元の世界へ帰ったのだと結論づけた。

 当然御神楽達はその事実に打ちひしがれたものの、ここで戸惑っていては翼が悲しむと考えて奮起する。

 御神楽達は彼女の功績を永遠に残そうと誓い、この要塞を夢宮の姓を付け、夢宮学園と命名した。

「再生したか」

 豹変という言葉が相応しいほど御神楽は先程までの人間らしい表情を消し、機械の様な冷淡な仮面を被る。

「お前は無力な人間となった」

 何度も言うがこの世界には“死”がない。

 が、死ぬと全てが元通りとなり、これまで培ってきた力が失われる。

 御神楽の見る限り、単体で鬼を相手出来るほど相当な力量を持っていたがそれも消えた。

 つまり今の生徒は赤子同然なのである。

「この学園から出ていくか、それともしばらく侮蔑と嘲笑の針の筵で過ごすか好きな方を選べ」

 強制追放はしない。

 それは夢宮翼の遺訓である。

 来るものは拒まず、去る者は追わず。

 本人の意思を限りなく尊重するのがこの夢宮学園の基本方針であった。

 温すぎるかもしれないが、この世界には別れがないから当然かもしれない。

 否定しようと追放しようと死なないんだから何時かは目に入ってしまう。

 結局はどちらか一方が負けを認めるまで永遠に続く決闘なのだ。

「田尾路朗也、二度と会うことはないだろう」

 力を失い、信頼を失った田尾路。

 その後の学園生活の辛さは想像を絶する。

 誰かに唆されて勝手に勘違いした挙句、自爆するような輩など耐え切れるはずもない。

 近い将来、原野に戻って鬼と時に脅かされる日々に戻るだろう。

「御神楽さん! 待って下さい!」

「……」

 田尾路は御神楽の元部下だが彼はもう歯牙にもかけない。

 夢宮学園を悪く言うのは個人の自由ゆえに良い。

 破壊しようと考える願望も百歩譲って眼を瞑ろう。

 だが、夢宮翼を誹謗したとなると話は別だ。

 そのことが口を突いて出た瞬間、御神楽の中で冥が己の元部下や知己の仲だという繋がりは消え失せ、ただの障害物と化した。

 御神楽圭一。

 彼は基本的に相手の意見を尊重する是々非々の人間だが、夢宮翼を中傷したものを許さない性質である。

「何か言ってください!」

 田尾路が何事か喚くが御神楽は振り向きすらしない。

 今の御神楽の頭の中はこの事態をどう報告書に纏めようか考えていたからだ。

 たった一人残された田尾寺はしばらくその場で喚き続けていた。


 夢宮学園とは夢宮翼が構想した人類の都市であり要塞である。

 ここに住む人間は全員が生徒という身分であり、学園を管理する役職でも委員会や部活といった名前に置き換えられている。

 生徒達の階級も第一学年が最低で第三学年が最も上。

 カースト制度よろしく、支配階級と被支配階級が形成されていた。

 どうしてそうなっているのかは提唱した夢宮翼に聞く他ないが、当の本人はすでにいないので知る由もない。

 しかし、珍妙な制度であっても御神楽達この世界に生きる者にとっては特段困らず、問題無いのなら存続させておこうという考えによって現在でも続いている制度であった。

 そして、夢宮学園生徒会。

 それは夢宮学園における最高決定機関。

 生徒会は学園の方針を決め、各委員会や部活が決めた内容の最終診断を下す権限を持っていた。

「はあ……」

 その生徒会の中でもトップを務める生徒会長、御神楽圭一。

 形式上は任期十年の、第八十八代生徒会長。

 夢宮学園の最高実力者。

 最も偉いはずなのだが、御神楽は何故か肩を落として疲れた顔をしていた。

「また追い返されたよ」

 御神楽は周りに聞こえないよう配慮しながら愚痴をこぼす。

「怒りは理解できるが、それを僕にぶつけられてもね」

 御神楽としては夢宮翼の偉大さを伝える心躍る仕事が待ち構えていると予想していたが現実は全然違った。

 来る日も来る日も部活や委員会から出された書類に決裁印を押すという仕事。

 御神楽としてはその内容を全て把握したいが、それを行うだけの時間や頭がない。

 なので今の御神楽は全自動判押し機と化していた。

 だが、「最初だから」と納得する御神楽ではない。

 膨大な量の仕事を終わらせ後、御神楽はそれで終わりとせずに個人の活動を行う。

 その個人の活動とは一般生徒が抱いている不満を直接伺うというもの。

 教室だろうが部室だろうがお構いなし。

 果ては外の本屋やゲームセンターにまで足を延ばして生徒と会う。

 そこまでする理由は今後のため。

 今はまだ仕事をやらされている立場だが、慣れてくれば徐々に主従関係が逆転するだろう。

 仕事を完全に支配下へと置いた時、御神楽がやりたかったことができる。

 その時のために今は情報収集を兼ねた挨拶回りというのは的を得た戦略だろう。

 が、えてして現実は予想通りに行かないもの。

 会う生徒会う生徒から怒鳴られ批判され挙句の果てには反逆される毎日。

 心身ともに疲れ果てた後でのこの仕打ちは誰だって心が折れそうになるだろう。

 何故ここまで生徒が選出した御神楽を嫌っているのかというと。

「……どれだけ前生徒会長は皆に恨まれていたのか」

 御神楽はまたも舌打ちを行う。

 それは前生徒会長が遺した負の遺産が余りに酷かったからである。

 前の生徒会長は完全実力主義を敷き、第三学年あるいは有力な団体に対しては手厚い支援を行ったが、半面第一学年や意に弱小団体に関しては一片の慈悲すら与えなかった。

 メリットとして夢宮翼の理想に大分近づけたものの、その代償として生徒間での差が拡大。

 第一学年が全生徒の四分の三を占め、第二学年が十分の一以下という極端なピラミッドの形成。

 挙句の果てには第二生徒会まで新設される事態にまでなっていた。

「何と言うか、しんどいなあ」

 その格差を是正し、元のピラミッドを復元させるために生徒会長として期待されたのが風紀委員会所属、第二学年御神楽圭一。

 御神楽の所属する風紀委員は公明正大を標榜し、生徒からの信頼も厚い組織の一つ。

 そして数ある立候補者の中でも是々非々に関しては定評のある御神楽が他の立候補者、前生徒会長をも押しのけて選ばれた。

 だが、この選挙に関しては順風満帆ではなく、逆に混迷を極めた。

 御神楽の立候補の動機が夢宮学園内の格差を是正するというのなら問題はなかった。

 しかし、御神楽の立候補動機は夢宮翼こそが自分達を苦しめる諸悪の根源だと誹謗する生徒が増えてきたのでそれを何とかしたいからというもの。

 格差是正は御神楽にとってどうでも良い匙にすぎないと明言してしまった。

 それゆえに生徒は御神楽に投票するべきどうか悩みに悩む。

 それでなくとも御神楽の所属する第二学年は現在少数派ゆえに味方は少なく逆に敵は多い。

 しかも彼は元来実力を持って語る仕事人タイプゆえに軋轢を生み易い。

 加えて御神楽は基本的に是々非々な半面、夢宮翼の悪口を言う生徒を問答無用でねじ伏せる。

 最高権力を握らせるには一抹の不安が残る。

 最悪の場合、御神楽を生徒会長に据えるという選択肢は夢宮学園を崩壊させる可能性があった。

「さてと、生徒会室に戻って報告書でも書くか」

 だが、その危険を冒してでも御神楽を生徒会長に推した夢宮学園の総意。

 御神楽はまさか自分が選ばれるとは思っていなかったが、それでも皆が期待した以上応えられる範囲で結果を示そうと考えている。

「頑張りますか」

 だから御神楽圭一は明日もまた嫌な仕事を片付けていた。


 夢宮学園の生徒会室は学園内において二番目に良い場所で設置されている。

 一番良い場所は創立者夢宮翼の専用部屋。

 つまり学園内で最も偉いのは夢宮翼だという意思の表れでもあった。

「おっかえりー」

 帰還した御神楽を出迎えるのはノートを広げて鉛筆回しをしていた生徒会庶務――粟生香苗あお かなえ

 ショートカットの髪に勝気な瞳とボーイッシュな顔立ちだが、その雰囲気はピエロの如く掴みようがない。

 その肢体も出るところは出ているが、取り立てて注目するほどではない。

 詰まる所、粟生香苗という生徒はどのような分類で括るべきか非常に困る類なのである。

 その点ではあらゆる意味で分かり易い御神楽と正反対といったところか。

「どうだったー? 裏切り者の説得は?」

 香苗は悪戯っぽい笑みを浮かべながら聞いてくる。

 この反応は恐らく答えそのものよりも御神楽がどのような表情で答えるのかに興味を持っているのだろう。

 意地の悪い質問である。

「予想通りだったな」

 御神楽は肩を竦めてそう返す。

 予想通りというのは香苗の希望に沿った解決方法。

 香苗は端から田尾寺に対する説得が失敗に終わると踏んでいた。

「あー、それは残念だねえ」

「わざとらしいぞ粟生君」

 大仰に天を仰いだ香苗に御神楽は呆れた声を出す。

「そもそも田尾路君がどうなろうと君には関係ないだろうが」

 香苗と田尾路の間に繋がりはない。

 ゆえに説得に成功しても香苗には何の得にもならないのである。

「いやいや、関係あるよ」

 とんでもないといわんばかりに香苗は首を振り、そして。

「生徒会長の百面相が拝める」

 反応に困る言葉を口にした。

「……そうですかい」

 何を返しても意味がないと判断した御神楽は首を竦めるだけで終わらし、サッサと生徒会長席へと腰を下ろした。

「粟生君、一つ聞いて良いか?」

 シャーペンを動かす手を止めず御神楽が問う。

「んー?」

 やや気乗りしないまでも意見を述べるほどに注目していると判断した御神楽は先を続ける。

「仮定の話だが、君が田尾路君を説得に向かったら事態は違っていたのか?」

 御神楽の後悔。

 それは元部下である冥を切り捨てる形で終わってしまったこと。

 口が上手く、人心を読むのも得意な香苗なら説得に成功したのではと御神楽は問うが。

「無理だって」

 香苗は無情にも一言で否定する。

「だって田尾路が最も望んでいる要求は絶対に応えられなかったんでしょ?」

「ああ」

 御神楽は肯定する。

「田尾路君は……生徒会役員入りを希望していた」

 実は田尾路。

 御神楽に対して生徒会役員入りを希望していた。

 それは応えられないと御神楽は常日頃から否定していたが、彼はそれを冗談だと受け取っていた。

 御神楽は冗談を好まない性格だ。

 しかもそれが重要案件となるとますます磨きがかかる。

 そこを田尾路は読み違える。

 長年共にいたという過信が判断を狂わせる。

 その結果、御神楽にとっても田尾路にとっても最悪な結末を迎える羽目となった。

「本当にあれで良かったのー?」

 香苗はにんまりと笑う。

 最悪の結末を防ぐ方法はあった。

 御神楽が妥協して田尾路の生徒会入りを認めれば良かった。

 それがお互いが傷つかない無難な解決策だっただろう。

 しかし。

「残念だが田尾寺君の持つ能力は必要とされなかった」

 御神楽にとって必要なのは夢宮翼の偉大さを皆に伝えるための能力を持つ生徒。

 長年共にいた事実を持つ生徒ではない。

「粟生君の様な人が欲しい」

 粟生香苗の長所。

 それは交渉力の高さ。

 己の真意を掴ませず、相手の思惑を見破る。

 果ては頭の切り替えも早い。

 これから先に待ち受けていることを鑑みると香苗は何としてでも手中に収めておかなければならない人材。

 それゆえ御神楽は長年つき従っていた部下の田尾路の席に、ほとんど面識もない粟生香苗を座らせた。

「うーん、それは告白って取っても良いかなー?」

 香苗はわざとらしくしなを作って体をくねくねさせる。

「……」

 反応することすら馬鹿らしいと感じた御神楽は書類に目を落とし、香苗の存在を完全無視した。

「んもう! ツンデレなんだからー!」

 この対応は香苗も予想していたのだろう。

 対してダメージを受けた様子も無く棚からファイルを一冊取り出した。

「けれどさー、会長って変な人だよね」

 仕事中、香苗がそう口火を切る。

「どうしてボクなんか生徒会に入れたのー? 嫌われ者のボクをさー」

 香苗の言う通り、彼女の性格上深く付き合いたいと思う生徒は少数派である。

 香苗は自他共に認める変人である。

 なのに何故香苗を生徒会に入れたのか気になっていた。

「粟生君は交渉事が得意だろ?」

 手を止めずに御神楽は続ける。

「あははー、ボクより上は何人もいるよー?」

 実際その通りである。

 粟生香苗には素質があるものの、唯一ではない。

 それこそ総合評価でも個別評価でも香苗より上を言いっている生徒は何人もいた。

「その生徒達は確かに粟生君より能力が高い」

 驚くべきことに御神楽はその事実を否定せず、むしろ肯定の意を示す。

「うーん……そうはっきり明言されるとねー」

 香苗の顔が引き攣るが、御神楽は全く考慮せずに続ける。

「だが、その生徒達は根本的な部分――信頼に置いて粟生君より下だ」

 信頼。

 それは確実に事を為すか否か。

 出来ないものを出来ないと拒否することは構わないが、背伸びして出来ると宣言されるのは困る。

「田尾寺君の件でも君はハッキリと無理だと宣告しただろう。それが出来る生徒が欲しい」

 無理なものは無理。

 おためごかしや誤魔化しなど必要ない。

 人柄はともかく仕事に関しては一片の嘘すら混ぜないでほしかった。

「アハハ―、飼い被り過ぎだよー」

 ばつが悪いのか頬を掻きながら反論する香苗。

「ボクが裏切ったらどうするのー?」

 事実、御神楽は香苗の性格を掴み切れていない。

 香苗の真意が分からない以上、何時か出し抜かれるのではないかと彼女は警告するが。

「粟生君、僕が風紀委員に所属していたという事実を忘れていないか?」

 御神楽は視線すら上げずに続ける。

「失礼ながら君についての資料は読ませてもらった」

 表面上こそ粟生香苗という生徒は不真面目でり信用できない。

 しかし、彼女の奥底はストイックであり、一度宣言した言葉を翻すことはほとんどなく、あったとしても深い代償を償う様戒められていた。

「確か君が組織に所属しないのは五百年前の償いが原因だろ?」

 御神楽や他の生徒にとっては取るに足らない違反だが、それでも香苗は己に課したルールに従い組織を離れ、今後五百年間フリーで過ごす責を負った。

「って! 会長! そんな事実まで調べ上げたの?」

 珍しく香苗が顔を真っ赤にしていきり立つ。

 どうやら彼女にとって知られたくない過去の様だ。

「まあな、部下の身辺状況は知っておくべきだろう」

 が、御神楽は悪びれずサラッと答える。

「僕は風紀委員会に所属していたからな。何から何まで調べないと気が済まない」

 風紀委員会は夢宮学園の治安を任されている以上、狡猾な悪を放置することは許されず誤認逮捕などもっての外。

 ゆえに御神楽だけでなく風紀委員会全体が情報に関してはどん欲だった。

「酷い! プライバシーの侵害だ!」

 御神楽の態度に香苗は益々目を見張る。

 交渉が生きがいの彼女にとって自身の情報が知られていることは己の存在意義の危機である。

「会長! 私! 次の仕事を決めました!」

「何だ、言ってみろ……まあ、大体予想がついているが」

「はい、生徒会役員として生徒の個人情報を厳守するよう法令を出します! 例えどんな組織であろうと!」

 生徒の全個人情報を担っている風紀委員を狙い撃ちにした法令である。

「断っておくがその動きは君がいなかった五百年の間に何度も持ち上がったぞ」

 情報を握られるなど誰にとっても好ましいことでない。

 ゆえに時の生徒会は何とか風紀委員を抑えようと数えきれないぐらい戦いを挑んだが全て失敗に終わっている。

 闇の勢力と常日頃から暗闘してきた風紀委員会。

 光の道を歩む生徒会の謀略など子供の児戯に等しかった。

「それは君が生徒会長になってからやってくれ」

 御神楽は苦笑しながらも香苗にそう忠告する。

「今の君は生徒会庶務。役割に相応しい仕事を頼む」

「分かってますよ! そんなことは!」

 香苗もそこら辺は弁えているのだろう。

 歯軋りしながらも机に座る。

 その潔い態度に御神楽は内心で警戒するが。

「……破ったら今度は二度と夢宮学園に戻れない……だから耐えましょう、粟生香苗」

 どうやら自分の定めた誓約のため従ったらしい。

 これなら大丈夫だと判断した御神楽は一つ頷き、書類作成の仕事へと戻った。

 だが、しかし。

「……風紀委員会宛に、と。生徒会に所属する粟生香苗が風紀委員会を規制しようと動いている。こちらで阻止するが、万が一を警戒し注意してほしい」

 香苗に見つからないよう風紀委員会への報告書の作成を忘れない。

 まだ御神楽は風紀委員会の組織から抜け切れていなかった。


「ん?」

 午後八時。

 日もすでに暮れ、長袖が欲しいと感じるこの時刻。

 生徒会室の前まで来た御神楽はまだ灯りが付いていることに眉をひそめた。

「誰かいるのか?」

 基本的に生徒会の業務は午前八時から午後五時まで。

 多少残業し、一、二時間ほど残ることはあるものの、三時間というのは珍しかった。

「あ、会長ー」

 御神楽の疑問は扉を開けたことで解決する。

 自分の席の引き出しを開け、何かを探している香苗の姿があったからだ。

「ちょっと忘れ物をしてしまいましてー」

 香苗ははにかみながら鎖上のブローチを掲げる。

「これがないと非常に困るんですよー」

 何が困るのか御神楽には知る由もないが、個人の実情に深く立ち入らないのが御神楽の信念だ。

 ゆえに軽く頷いただけで香苗から視線を外す。

「あれ? 何をしようとするんですかー?」

 会長席に座り、ファイル棚から分厚い書類の束を取り出した御神楽に聞く香苗。

 その質問に御神楽は顔を上げず。

「今日の仕事」

 簡潔にそう答える。

「朝から会議や査察、陳情伺いが続いてな。この時間になるまで解放されなかった」

 御神楽の職務は生徒会長。

 夢宮学園に関する重大なトラブルが発生した場合、何をおいても向かわなければならない。

「うえぇ、見るだけで気が重くなります」

 熟練だろうとこの量を終わらそうとすれば日をまたぐのは確実。

 ましてや仕事も完全に覚えていない新人の御神楽。

 徹夜決定だった。

「頑張って下さいねえ」

 が、御神楽は香苗の声援に首を振る。

「残念だが後一時間すればある部活が行う催しがある。一応冒頭だけは出席するから本格的に取り組めるのは十時を回るな」 

「ゲッ……」

 香苗は絶句する。

 徹夜どころか、どれだけ早く終わらそうが日は昇る。

 つまり御神楽は一睡すら出来そうになかった。

「まあ、仕方ない」

 そんな絶望的状況にも拘らず御神楽は淡々と書類に目を通していく。

「これも僕が招いた事態だ」

 御神楽が会長に立候補しなければ定時に帰れただろう。

 そして、全生徒の要望を伺いに行くと決めなければ仮眠ぐらいは取れただろう。

「だから仕方ない」

 全ては自分で招いた所業。

 不満など出るはずはなかった。

「? どうした? 粟生君」

 呆けるように己を見つめている香苗に気付いた御神楽は事情を聞く。

「忘れ物は見つかったのだろう?」

 香苗がここにいる理由はない。

 ならば無駄な時間を作らず、帰った方がいいのではと御神楽は促す。

「会長ー、一つ聞いて良いですか?」

「構わんぞ」

 御神楽の許可を受けた香苗は意を決した表情で口を開く。

「以前から勘付いていましたが会長が、生徒会室にいなかった日の記憶がありません」

「まあ、そうだろうな。何せ一日たりとも日付が変わる前に帰った記憶がないのだから」

 その言葉に絶句する香苗。

 思えば御神楽は誰よりも早く生徒会室に来ていた。

 当時は疑問に思わなかったが、誰よりも生徒会室に残っている彼が最初に訪れるのはおかしい。

 果たして御神楽にプライベートな時間はあるのだろうか。

 それどころか御神楽は寝ているのだろうか。

「どうしてそこまで頑張れるのですか?」

 香苗は続ける。

「会長がそこまで働く原動力は何なのでしょうか?」

 私的な時間は皆無。

 全て公的な時間に全てを捧げる生活。

 一体何がそこまで御神楽を駆り立てるのか。

「そうだな、理由を挙げるとすれば今の僕は“御神楽生徒会長”だからだ」

 御神楽は積まれた書類を叩きながら。

「この書類を含め、学園に根幹部分に関わる問題を判断していくのが生徒会長だ」

 生徒会長は学園の根幹部分に関わる書類の決裁を行い、また、それに匹敵する事態が起きれば急行する。

 生徒会長はそれらに決定を下す権利がある。

 生徒会長はそれらに関わる義務がある。

「これらの仕事をこなして、ようやく僕は生徒会長として皆から認められる」

 少なくとも現在の御神楽の役職は生徒会長。

 仕事をこなすのは当然である。

「しかし、ここで問題がある。今挙げた仕事を片付けていくのなら僕は単なる生徒会長だ」

 先程挙げたのは生徒会長としての仕事。

 それらをどれだけ上手にこなしても、生徒会長という枠組みから外れない。

 生徒会長の上に“御神楽“を付けるのはどうすれば良いか。

「その答えが夜九時から行われる会議への出席だ」

 夜九時から行われる会議は生徒会長として出席する義務はない。

 だが、夢宮翼の思想の復活を掲げる御神楽生徒会長ならば出席しなければならない。

「こうして初めて僕は御神楽生徒会長と名乗れる」

 御神楽生徒会長。

 それは御神楽圭一であって御神楽圭一でない。

 生徒会長であって生徒会長でない。

 化学反応を起こした分子の様に、元となった要素とは似て非なる存在である。

「さて、もうこんな時間か」

 時計を確認した御神楽は席を立つ。

「僕はもう行く。まだ生徒会室に残るつもりなら鍵を掛けておけよ」

 嫌味な様子を全く見せず、淡々と呟く御神楽。

 その自然な様子から気負いや謙遜といった見栄を全く持っていないのだろう。

 これで今日の御神楽と香苗の会話は終わり。

 明日まで二人は会えないと、思いきや。

「……会長の書類を貸して下さい」

 ポツリと香苗は呟く。

「例え決裁は出来なくとも分別は出来ます。会長が再び決済を行う時に多少見やすくしておきます」

「粟生君……」

 香苗の申し出に戸惑う御神楽。

 その行動の裏に何があるのかを考える御神楽だが。

「私は生徒会役員です」

 香苗は御神楽の思考を予測してそう答える。

「生徒会役員として会長の負担を減らそうとしているだけです」

 そこまで言われては御神楽も沈黙するしかない。

「無理はしなくて良いぞ」

 ゆえに御神楽はそう声掛けをするのが精一杯であった。

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