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第二話 その瞳に映る黒

 ―(有賀陽平)―


 夕暮れの第二化学実験室にいるのは、二人だけ。

 奥のテーブルに座る黒永さんと、彼女の側に立つ俺の二人だけだ。

 彼女は俺のことを見ているが、その瞳は名前のように黒く冷たい。

 何を考えているのか、その目からは何も分からない。

 俺は彼女の思考を読み取ろうと、その瞳を見つめる。

 女の子の、それも彼女のように綺麗な人の顔を見るのは恥ずかしいが、それでも見つめていた。

 日が沈み、赤い光が教室に届かなくなってもそれは続いた。

 どちらも何も言わないまま時間だけが過ぎていく。

 俺は、その沈黙に耐え切れず、言葉を発した――。


 目が開く。

 見慣れた天井が視界に入る。

 携帯のアラームが鳴っている。

 俺はその耳障りな音を発する携帯を掴むため、仕方なく体を起こす。

 机の上に置かれた赤色の携帯を手にすると、すぐに音を止める。

 時刻は午前七時。

 俺は部屋のカーテンを開けると、手を上にして体を伸ばした。

 窓から入ってくる太陽の日差しは眩しいけれど暖かく、自然と目が覚めてくる。

「う~ん、今日の天気は晴れか」

 雲は多少あるものの、真っ青な空は五月晴れという言葉がふさわしい。

 夏になれば嫌われる傾向にある太陽も、春ならばまだ人気者でいられる。

 早速、この青空の下に飛び出したい衝動に駆られるが、まずは朝の準備をしなければならない。

 髪がぼさぼさじゃないのを確認して、制服に着替える。

 鞄の中には今日使う予定の教科書があるのか確認する。

「よし、下に降りるか」

 俺は鞄を持って一階に向かった。


「あ、(よう)ちゃん、おはよう」

「ああ、おはようさん」

 一階のダイニングに入ると、丁度朝食の準備をしていた母さんが声をかけてくる。

 俺もそれに答えると、テーブルに座り、鞄を下に置いた。

 向かいには父さんも座っており、新聞紙を広げてコーヒーを飲んでいた。

「父さん、おはよう」

「ああ」

 熱心に新聞を読んでいるためか生返事だったが、俺は気にせずテレビをつけた。

 朝のニュース番組の大半はバラエティを含んでいるため、俺はニュースしかやらない番組にした。

 前者のでも良かったけれど、今日はなぜかそんな気分にはなれなかった。

 いかにもお堅い男性ニュースキャスターが、手元にある原稿を読み上げていた。

「――次のニュースです、昨日午後、西(さい)(きょう)市議会で路上喫煙禁止条例を制定しました」

「とうとう、禁止となったか」

 喫煙者でもある父さんがぼそっと呟いた。

 彼は家では家族の迷惑になると言って、いつも外で吸っていたのだ。

 これからは更に吸う場所に困ることになるだろう。


 “西(さい)(きょう)市”は人口百万人近く政令指定都市で、美しが丘区、(しん)(りょく)区、(ひがし)西(さい)(きょう)区など多くの地区から成り立つ大きな市だ。

 東京都に接している市の一つでもあり、全国的にも有名な都市である。

 俺が住んでいるここ、“東西京区”は最も東京に近い区として今も発展し続けている。


「ご飯できたわよ」

 母さんがテーブルの上を準備をしていく。

 俺の前にトースト二枚、スクランブルエッグに焼いたベーコン、ポテトサラダが並べられる。

「いただきます」

 俺と父さんは揃って食べ始める。

 それを見て、母さんもトーストにかじりついた。

「この際だから、喫煙なんて止めたら?」

 食べ始めて少ししてから、母さんが父さんにそう言い出した。

 父さんはテレビで野球の試合の結果を見ていて、少し反応が遅れた。

「あぁ、聞いていたのか、さっきの」

「体にも悪いし、お財布にも悪いのよ?」

「う、わ、分かってはいるんだけどねぇ」

 母さんの正論に父さんはタジタジしている。

 もう少し、その様子を見ていたいけれど、そろそろ出発しないとバスに遅れる可能性がある。

「ごちそうさま、行ってきます」

 俺はそう言うと、下に置いていた鞄を手に席を立った。


「間に合った」

 最寄のバス停からバスに乗ると、俺はいつものように席に座る。

 東西京駅に向かう方面のバスはかなり混雑しているが、俺が乗るこのバスは駅とは反対の方向に向かう。

 ようするに、サラリーマンなどの通勤者が全くいないのである。

 また、バス通学をする学生は数多くいるものの、この時間――七時半にこのバスに乗る学生はほとんどいない。

 およそ十分ほど乗っていれば、二つバス停を過ぎて“東西京高校前”に着くが、この時間が至福の時と言っても過言ではない。

 なぜなら、ちょっとだけ色々なことから解放されるからだ。

 勉強、遊び、親、友人、先生――。

 そう言ったことを忘れ、一人になれる時間がこのバスの中では得られるのだ。

 もっとも、それはまだ学生が少ない時間のバスだからこそなのだが。


 学校に着くと、俺はホームルームクラスのB組教室に鞄を置き、いつものように図書館に向かう。

 三年生の受験勉強のためという名目で朝の七時半から開いている図書館なので、朝の暇を潰すのには丁度良いのだ。

 このおかげで、朝早くに出かけても俺は退屈しないですむ。

 今日は何を読もうかと、本棚を見ているとふと一人の黒髪の少年が目に入る。

 学ランをしっかり着こなし、その立ち居振る舞いには落ち着きが感じられる。

 その雰囲気は多分、あの新太郎では決して持つことはできないだろう。

 俺は背後から近づくと、彼の肩を叩いた。

「おはようさん、綾人(あやと)

 小声で挨拶すると、綾人は声を出さずに頭を下げる。

 周りから見れば、その彼の態度に少し苛立ちさえ覚えるかもしれない。

 だが、俺はそんなとき、周りの人間にこそ怒りを感じるだろう。

 なぜなら、彼――(しま)()綾人(あやと)はしゃべることが出来ないのだから。

 正確に言えば、発声障害を患っているのだ。


 それは今から二年前のことだ。

 ここ東西京高校の受験も終わり、結果を待つだけとなった雪が積もったとある日。

 車が一台、雪によってスリップをして、事故を起こした。

 スリップした先には、交差点で信号待ちをしていた綾人がいた。

 当然、綾人はすぐに救急車によって病院へと運ばれた。

 幸いなことに、骨折こそしていたものの、命に関わるような大怪我はなかった。

 しかし、喉に大怪我を負った綾人は発声に関係のある神経を損傷し、声が出にくくなってしまった。

 話しを聴いた俺が入院した綾人を見舞いに行ったとき、あいつはかなり悲惨な状態だった。

 一言で表せば、以前の明るさが全くなかったのだ。

 今までできたことができない苦しさは、俺には分からない。

 しかし、それでもあいつは自分の運命を呪わず、何とか乗り切ろうとしていた。

 東西京高校の入学式、綾人は最初こそ奇異な視線を向けられていたが、あいつが普通に振舞っているから徐々にそんなこともなくなっていった。


 そして、今、綾人は図書委員として本の整理をしているようだった。

「何かオススメの本はあるか?」

 俺がそう聞くと、綾人は持っていた本の中から一冊だけ俺に渡してきた。

 それは、ニクラ・プレスキルという物理学者が書いた“楽しい物理~力学編~”だった。

 しかし、パラパラと中を見ると、ほとんどのページは文字ばかりの文章で埋め尽くされている。

 どうやら、和訳した文章のため、ガチガチの専門書のような文体になったらしかった。

 なぜ綾人はこれを俺に勧めるのだろうか。

 俺のその疑問を敏感に察知したらしい綾人は、ポケットから紙とペンを取り出す。

 もちろん、声が出にくいため、今の彼のコミュニケーションの手段はもっぱら筆談となっている。

 サラサラと書いた文を俺に見せる。

『それを読むだけでも、高校の物理がどんなものか分かるよ』

 その文を見て俺は思い出した。

 四月の終わりごろに、物理が難解すぎて意味が分からないと綾人にしゃべっていたことを。

 俺がそう愚痴ったから、綾人はこのゴールデンウィーク中、本を探していたに違いない。

 そう思うと、俺は綾人に対して感謝の気持ちが込みあがってきた。

 たとえこの本が難しくても、きっと読破してみせる。

 俺の決意が伝わったからなのかは分からないが、綾人は右手の親指を立てていた。

「サンキュー、綾人」

 俺はそう言うと、借りる手続きをとって、教室に戻った。


 ホームルーム開始が八時半なので、俺は先ほど綾人から勧められた本を読むことにする。

 さっき感じた印象どおり、文章自体は変な日本語が混じっていたりするものの、内容は高校生向けになっていた。

 坂を転げ落ちるボールの説明とか、放物線運動を描くボールのこととか……。

 へーとか、ほーとか思いながら読んでいると、後ろから肩に手を置く奴がいた。

「よっす、おはよう」

「おはようさん……新太郎、お前昨日はあれからどうしたんだ?」

 手を置いたのが新太郎であることを確認すると、俺は早速昨日のことを問いただす。

 新太郎は少し目を泳がせるものの、俺の質問に答える。

「ま、まぁ、そのまま帰ったよ」

「俺は昨日、岸山先生に会って聞いたんだ。そしたら、アイツ、提出日は昨日じゃなくて今日だと言ったんだ」

「それが、どうしたんだ」

「お前、そのこと知っていたんだろ?」

 ギクリという言葉が新太郎の背後に映っているかのように、彼は動揺していた。

 その様子から間違いなく新太郎はそのことを知っていたのだと確信が持てた。

 俺は新太郎を睨む、本気で怒っているような視線で。

「あ、あは、あはははは……」

 新太郎は最早笑うしかないようだった。


 結局、新太郎が今日の昼飯を奢るということで決着がついた。

 奴は散々、俺のせいじゃないとわめいていたのだが。

「ちぇ、今月は結構ピンチなのに」

「お前……まだ七日だろ」

「ゴールデンウィーク中のナンパで浪費しすぎたんだ」

 そんなことを言い合いながら、俺たちは食堂にやってきた。

 我が校の食堂は一度に三百人は入れるようになっている。

 それでも、一学年で平均二百人の東西京高校では、昼休みは大体席が埋まってしまう。

 しかし、俺たちは埋まっている席の中から空いているテーブル席を探すようなことはしない。

 なぜなら、今日は――。

「綾人、ありがとう」

 そう、綾人が先に来て席を取っておいてくれたからだ。

 綾人のクラスであるC組は土曜日、早めに授業を終える先生が四時間目を担当している。

 その関係で、俺たちは綾人に席取りを任せているのだ。

『いつも世話になっているんだから、これぐらいは当然だよ』

「辛くなったら、いつでも相談してくれよ?」

 サラサラとメモ帳に字を書いて見せる綾人に新太郎はそう言った。

 あいつもあいつなりに綾人のことを想ってくれている。

 こんな関係がいつまでも続けばいいと俺は本気で思っている。

「ごっめーん、遅くなった!」

 そこにいつも一緒にいることが多い最後の一人――牧原さんが現れた。

 茶髪のショートカットが良く似合う可愛い子なのだが、こう見えても生徒会執行部の一員だ。

 昨日の授業でもあったが、当てられてもすぐに答えることが出来るほど成績も優秀である。

「気にすんな、オレらも今来たところだし」

 新太郎がそう言って、食券販売機に向かおうとする。

 俺と綾人、そして牧原さんはその後ろについていく形になった。

 そのとき、ふと入り口の方を見ると、女生徒が食堂の外へと出て行くのが見えた。

 後姿だったが、それは間違いなく黒永さんだった。

 顔が見えなくても、その美しさが良く分かった。

 いや、顔が見えない分、その姿がいかにバランスが取れているかが分かるのか。

 いつの間にか俺はほんの数秒、立ち止まっていた。

「陽平、どうした?」

 新太郎が声をかけるまで、俺はただ入り口の方に顔を向けて立っていた。


「――黒永、ねぇ」

 俺が立ち止まっていた理由を話すと、新太郎が嫌そうな顔をする。

 牧原さんも綾人も結構微妙な顔をしていた。

「確かに綺麗で美人だと思うけどさ、なんかとっつき難くないか?」

「そうね、天才だからって、なんか人のことをバカにしている感じがするわ」

 新太郎が言うと、牧原さんも同意した。

 ちなみに二人はカレーライスを頼んでいた。

 綾人は揚げ物がおかずの定食、俺はチャーシュー麺にした。

「綾人は同じクラスだから分かるだろ」

 新太郎がそう言うと、綾人はメモにこう記した。

『確かにクラスの誰ともしゃべらないし、行事も大体サボるから好きじゃない』

 東西京高校は珍しいことにクラス替え制度がないため、綾人は一年の頃から黒永さんとは同じクラスだ。

『クラスの女子によると、国語の授業なのにノートに英語のような外国語をサラサラ書いているらしい』

 うわーとか、えーとか新太郎たちは言っていた。


 “黒永月夜は天才である”というのが、東西京高校の生徒の一般的な認識である……らしい。

 というのも、俺は彼女と昨日まで一度も顔を合わせたことがなかったし、昨日まで興味がなかったからだ。

 それでも、同級生のささやく噂を耳にすることは何度かあった。

 しかし、その内容は全て、彼女は天才ゆえに奇人である、というものが全てだった。

 一つの例として、国語の試験で解答欄を白紙のままにして解答用紙を提出したという話がある。

 だが、その用紙の裏には俺たちでは到底分からない数式が羅列していたらしいのだ。

 そんなことをした理由は「試験中に思いついたから忘れないように書き留めておきたかった」からだそうだ。

 こんな話が星の数ほどあるものだから、彼女は変人であるという認識が強い。


 土曜日は授業自体が午前中で終わるので、放課後前に各自解散という流れである。

 新太郎は飯を食った後はサッカー部に行くし、牧原さんや綾人も仕事が忙しいらしく、今日は一緒には下校できないとのことだった。

 その代わり、新太郎と綾人と夕方の四時ごろに東西京駅前に集まって遊ぼうという約束を交わした。

 四時まで後三時間もあるので、とりあえず俺は家に帰ろうとした。

 しかし、教室でカバンを持ったとき、ふと、昨日のことが思い出された。

『明日の放課後』

 彼女――黒永さんはそう言っていた。

 来ても良いかと尋ねたのは俺なのだから、彼女に会いに行こうと思い、実験室に向かった。


 今度は間違えずに第二化学実験室の扉を開いた。

 正直いないのではと不安になったのだが、ちゃんとそこには黒永さんがいた。

 昨日と同じような実験を行っているようだった。

 改めて見てみると、やっぱり、彼女は綺麗だ。

 それにフラスコを眺めるその姿は楽しそうに見える。

 けれど、やっぱり寂しそうだと不思議と思ってしまう。

 どうしてだろうか。

「有賀陽平」

 名前を呼ばれて、ハッとした。

 どうやら、考えながらボーっと彼女を見ていたらしい。

 黒永さんが俺を呼ばなければ、きっといつまでも見ていたに違いない。

「実験、見に来たんでしょ」

 昨日と変わらない冷たい、感情のこもっていない声だ。

 そして、相変わらずこっちを見ていない。

「え、あ、ああ」

 曖昧な返事をして、俺は彼女が座るテーブルに近づく。

 黒永さんは俺が座っても、こっちを見ようとしなかった。

「黒永さんはいつもここで実験をしているの?」

「ええ」

 質問をしてみるが、ただの一言で終わってしまった。

 けれど、彼女はそういう人間なんだと、俺は理解し始めていた。

「なんでそんな実験をしているのさ?」

「知りたいことがあるからよ。この実験で分かることは――」

「へぇ――」


 俺が質問をして、黒永さんが答える。

 そんなやり取りだけど、彼女と話が出来たことに内心喜びを隠せない。

「え?」

 だから、いつの間にか陽が沈みかけていたことに気づいたときには驚いた。

「有賀、あなたって、暇なのね」

 驚く俺の反応を見て、黒永さんがそう言った。

 相変わらず、実験器具に視線を向けたままだったけれども、彼女から何か言ってくるのは昨日から合わせて初めてだ。

「ん、まぁ、部活とかバイトとかしていないしね」

「そう。それで、私と会話してても、疲れるだけでしょ」

「え?」

 俺は彼女の発言に驚いていた。

「今すごく退屈そうな顔をしているわよ。退屈なら、帰ってもいいんだから」

 そう言って、左手で頬にかかっていた横髪をすくって耳にかけた。

 さらさらとしていそうな黒髪だった。

「そ、そんなことはない。退屈なわけがないさ」

「そうかしら?」

「だって、こうしておしゃべりしているじゃないか」

「私みたいなのと会話しても面白くないでしょ?」

「そんなことないよ、黒永さんは俺なんかより物知りだし、話を聞いていて感心することばっかりさ」

 ……違う。

 そんな、ちょっと難しいことじゃない。

「いや、俺は、ただ黒永さんと一緒にいたいだけなのかな?」

「どういうこと?」

「なんか、黒永さんのこと、放っておけないんだ。昨日から……」

 そう言ったとき、彼女は初めて――そう、本当に初めて俺の方に顔を向けた。

 澄んだ黒――どこまでも引き込まれそうな、綺麗な瞳を俺に向けていた。

 夢で見た冷たい瞳などにはない、人間らしい感情がそこにはあるように思えた。

 けれど、彼女が瞳をそらしたとき、その小さな口から予想外の言葉が出てきた。

「私に関わらないで」

 その人を突き放す冷たさに、一瞬、愕然とした。

「放っておいて欲しいわ、私のことは」

 目の前には無愛想な顔をした黒永さんがいる。

 どうして、そんなことを言うのか分からない。

 人間嫌いなのだろうか、男が嫌いなのか、はたまた何か理由があるのか。

 今の俺には何も分からない。

 けれど、そんな彼女のことを怒るつもりも嫌にもならなかった。

 むしろ、尚更放っておけなくなってしまった。

「……明後日も来ていいかな?」

 腕時計を見てみると、もうそろそろバス停に向かわなくてはいけない時間だった。

 彼女は俺の言うことが聞こえなかったように、髪を指先で少しいじりながら尋ねた。

「有賀、放っておいて欲しいって言ってるの」

「お願いだ、黒永さん。明後日、月曜日も来ていいかな?」

 彼女が頷くことを信じて、俺は願いを込めて言った。

 黒永さんはしばらく俺と窓の外を交互に見比べていた。

 今彼女は何を考えているのだろうか。

 分かるはずもない。

 他人の考えが読めるようになれば、言葉など不必要だ。

 読めないからこそ、こうやって人は言葉を用いて人と意思疎通を行うのだ。

 そんなことを考えていると、黒永さんはその瞳を俺に向けた。

 そのとき、言葉に出されなくても俺には分かった。

「いいわ」

 きっと、彼女は頷いてくれるのだ、と。

「あ、ありがとう!」

 俺はそれを聞くと急に嬉しくなった。

 カバンを手に持つと、俺は出口に向かった。

「じゃ、黒永さん、また月曜日に! バイバイ!」

 彼女が返事をしてくれるのを期待したが、声が聞こえないうちに扉が閉まってしまった。

 俺はこの嬉しい気分を廊下を走ることでなんとか抑えつけようとした。

 そうしなければ、叫びだしそうで怖かった。


 だけど、この気持ちをいつまでも持ち続けていたいと、俺は本気で思っていたのだ。


 第三話へ続く

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