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その一 黒永月夜は海の夢を見る

 ―(有賀陽平)―


「――夢?」

「うん、黒永さんはどんな夢を見る?」

 クリスマスも正月も終わった一月下旬のある日。

 二年生もそろそろ終わり、来年度からは三年生だ。

 でも相変わらず、俺は放課後の黒永さんの実験を手伝っていた。

 以前と同じ、普段どおりの日常。

 この一年で変わったことはたくさんあるが、この放課後の時間だけは最初と変わらず同じままだ。

 彼女は既存の実験の結果を確かめるために、その一つ一つを丁寧に行い、結果に対して考察していく。

 俺はそんな彼女を手伝い、時には意見も言ったりする。

 彼女曰く「俺みたいな視点からの意見というのは、新しい発見を生み出す源になることがあるから」だそうだ。

 今日も予想外のことが起こることなく実験が終わり、一通り器具を片付け終わった後、俺と黒永さんはテーブルに座り少し休憩をしていた。

 まだ下校時刻には少し時間があったので、俺はふと上のようなことを口にしてみた。



 俺が以前よく見ていた、“褐色フラスコの夢”。

 あれを見ていなかったら、もしかすると今頃黒永さんはここにいなかったかもしれない。

 だから、俺はあの夢には感謝している。

 けれど、月日が経つと、どうしてあんな夢を見たのかやはり不思議に思えてきたのだ。

 前に黒永さんに言ったとき、彼女はこんなことを言っていた。

『私たちが生きるこの現実も、もしかしたら誰かが見ている夢なのかもしれないのよ』

 それが正しいなら、俺が見たあの夢も誰かの現実だったか、その誰かは黒永さんだったのだろうか。

 そんな考えても答えが出ない疑問が少し前から俺の中でくすぶっていた。

 だから、その疑問に対しての何かヒントが欲しくて、彼女にそんな質問をぶつけてみた。



 彼女はすぐには答えなかった。

 そこそこ悩んでいるようだが、もしかして夢を見たことがないと言うのだろうか。

 数秒経過して、黒永さんはようやく口を開いた。

「……電気羊の夢なら」

「えっ?」

 それはどういう意味なのだろうか。

 俺が何も言わないからか、彼女は続ける。

「“アンドロイドは電気羊の夢を見る”のだから、私も見るの」

 ますます意味が分からない。

 というか、“アンドロイドは電気羊の夢を見る”って、たしか数十年前の名作SFのタイトルだった気がする。

 とすれば、今のは彼女なりのジョークだったのかもしれない。

「もし私が実はアンドロイドだったとしたら、面白いと思わない?」

 どうやら、彼女は俺の疑問に真面目に答える気はないのかもしれない。

 だけど、彼女が冗談を口にすることはめったにないので、俺はその話題に乗ることにした。

「作られた人間ってこと?」

「私はよく天才と言われるから、実は機械によるものなら、面白いじゃない」

 俺としては黒永さんは生身の人間であって欲しいが、仮にそうだと思って真面目に想像する。

 成長するゴム製の肉体、思考する電気回路、そして多少のことでは壊れない頑丈さ。

 その全てが今の工業技術では再現できやしないだろうから、仮定が事実ならば相当すごいことである。

 そして、俺ですら思いつけるそれらの事柄が意味することが一つある。

「……そうだとすれば、人は自分たちを超える人間を作り出せるってことになるね」

 事実、黒永さんはある点では不器用だが、学術的には天才だ。

 俺は何度もそれを体験しているし、世間も彼女の能力を評価し、天才というレッテルを貼っている。

「けれど、黒永さんのような性格の思考回路って、作る方も難しいね」

「回路というより、私という人格はただのプログラム。所詮は0と1の集合でしかないわ」

 人間のような複雑な考えをする生物を、二進法で表すには一体どれだけの容量が必要となるのだろう。

 1テラバイトではとてもじゃないけど足りるはずがないし、その上の1ペタ(1000テラ)バイトでもきっと足りないだろう。

「だから、私はここにいるようでいないわ」

「……目の前にいる黒永さんは偽者ってこと?」

 少し考えてみたけれど、何を言わんとしているのかよく分からなかったので、俺は月並みなことを言ってみる。

 黒永さんは最初から俺が理解できるとは思っていなかったからか、肩を落とすような仕草はせず、むしろ当然と言った具合に続けた。

「今有賀が見ている私の体はただの機械でしょう。で、その心ともいえるプログラムには当然ながらマスターデータが存在する。それの在り処は研究所のコンピュータ内にあるということよ」

 目の前の体は機械で、心はプログラム。

 機械が壊れても、プログラムのマスターデータがあれば、心そのものは何度でも復元できる。

 なら、彼女の心そのものはどこにあるのか。

 答えは簡単だ。

 目の前の機械の中ではなく、研究所のコンピュータ内だ。

「だから、黒永さんの心はここにあるけれど、その本体はここにはない?」

「そう、今あなたが見ている私は、私だけれども、私じゃないということになる訳」

 しかし、そうなると、目の前にいる黒永さんは誰なのかという問題が残る。

 目の前の黒永さんが“黒永月夜”として在るために、何が必要なのだろうか。

 ……哲学って、難しいな。

 そもそも、冗談から始まったこの話題が、いつの間にか哲学になっていることに今更ながらビックリする。

 黒永さんと話をしていると、時々こうしたいわゆる難しい話になっていることがしばしばある。

 高校生らしくはないけれど、これが俺と彼女の唯一無二の付き合い方だ。

「けど、電気羊を見る私はここにしかいないのかもしれないわね」

「ん?」

「“我思う故に我在り”という言葉は知ってる?」

 その言葉なら聞いたことがある。

 昔の哲学者が言った名言だ。

「私は考える、だから私はここにいる。当たり前だと思うでしょう」

「まぁ」

 人は知らない内に何かしらを考えている。

 思考することを止めることは出来やしない。

 俺はそう思うので、彼女の言葉にうなずいた。

「けれど、考えるということは想像以上に難しいことなのよ」

「難しい?」

「考えるということは、対象について自分がどう思っているかということを明確にすることでしょう? けれど、考えるための材料、つまり経験や知識がなければどうなる?」

「んー、思考がとっ散らかるか、関係ないことを考えそうかな?」

 というか、今も頭の中では彼女の言葉を理解しようとして、記憶や知識の引き出しを開けては中身を取り出す作業をしている。

 そのため、頭の中は混乱している状況だ。

 正直、黒永さんの話についていけているのか不安である。

「その通り。だからこそ人は勉強したり体験したりして、ちゃんと思考するための材料を得ているのよ。それで、そうやって実際に体験したり勉強したりしている私はここにいる私だけなのよ。けっしてマスターデータの方ではない」

 そう言い切った彼女の顔は初めて会ったあのときの横顔にそっくりだった。

 けれど、その顔は独りだったあの頃の横顔とは印象が異なって見える。

「だから、そうやって材料を得た私をマスターデータに反映させない限りは、“黒永月夜(わたし)”という存在はここにいる私ただ一人になるのよ」

「んー……だから電気羊の夢を見るような経験を積んだ黒永さんはここにいる黒永さんただ一人になるってことか」

 つまりはそう言うことだ。

 心がどこにあろうと体が機械であろうと、目の前にいる彼女は他の何でも誰でもない“黒永月夜(わたし)”であると。

 陳腐な結論と言えばその通りだ。

 しかし、こうして彼女と何かについて議論し合う(もっとも、俺はほとんど聞き手になってしまうが)のは楽しい。

 だから、その内容や結論などにあまり重きを置いていない。

 黒永さんと過ごせるこの時間が何よりも大事なのだから。

「そう言うことね。さて、そろそろ時間も遅くなってきたから、帰りましょう」

 そう言って、彼女はテーブルに置いていた鞄を手に取り、立ち上がる。

 それにつられるように、俺もまた鞄を手に立ち上がった。



 結局のところ、あの褐色フラスコの夢は俺の妄想だったのかもしれない。

 あるいは、彼女が言ったように誰かの、黒永さんの現実だったのかもしれない。

 帰り道、俺は夢のことを考えていた。

 けれど、もうそのことで悩むのは止めにしようと思った。

 考えても答えが出ないのは分かっていたことだし、他にも考えるべきことはたくさんある。

 それに――と、そこで俺は隣を歩く黒永さんを横目で見つつ思った。

 今は彼女が隣にいるこの幸せを大事にしたいから。

「どうしたの?」

 視線に気づいた黒永さんが訝しげに俺の顔を見ていた。

「いや、黒永さんがいてくれて嬉しいなぁって思ってただけ」

「……私も、有賀が隣にいてくれて嬉しいわ」

 彼女のその素直な言葉に、俺の心臓が鼓動する。

 どうして、黒永さんはそう俺の方が緊張してしまう言葉を平気で言えるのだろうか。

 本当に以前の彼女だったら、そっけなく一言で終わっていただろうに。

「あ、そうだ。今度、海に行きたいのだけど」

「海……今冬なのに?」

 まさか泳ぐために……じゃないと、思いたい。

「ええ、ちょっと波を見たくなったの」

「実験のため?」

「そうね」

 そして、すぐに違う話題になる。

 この唐突な切り替えの仕方は、黒永さんらしいと思ってしまう俺がいた。

 同時に、そんな彼女がやはり好きなんだとも。

「分かった、今度の休日に行こうか」

 こんな日々がずっと続いていくのだろう。

 俺はさっきまで夢について悩んでいたのが嘘のように、彼女とどこの海に行くかを相談し始めるのだった。


 終

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