第六夜
第六夜
男は思う。
――この少年はとんだほら吹きだ。
自分は先代より王に仕えてきたベテランだ。人生の多くの時間を修練と荒事に費やしてきた。その過程で同じ道を歩む多くの仲間や部下を失った。しかし、自分は生きている。つまり、その中でも自分は実に優秀だったのだ。自分には才能があり、努力と経験で培ってきた実力と、それを裏付ける実績がある。だからこそ主は自分にこの任を与えたのだ。
――なのに!
たった十数年生きただけのこの少年は自分より強い、と言った。
――ありえない!
認めよう。確かに彼には自分が恐れを覚えるほどの才気があり、それを支える意志の力がある。後十年もすればあるいは……。これは侮辱だ。自分と、これまでに費やしてきた時間に対する侮辱に他ならない。ならば、許すわけにいかない……。
――この小僧はほら吹きだ。お灸をすえてやる必要がある。
「おい!」
男はルークの声にハッとした。
「聞いているのか? 俺より弱い者にこの任務は務まらぬと言ったのだ。よって貴様の任務は終わったのだ。よって――」
「お待ちなさい!」
情けない話だ。と、男は自虐した。ルークを遮った言葉は震えたかもしれないし、恐らく今の自分は引きつった顔をしているだろう。
「何を以て殿下は自分より強いと仰るか?」
この言葉に対してルークは苦笑した。先ほど反省したばかりなのにな、と。アイナを除けば兄以外の人間と碌に会話をした事がないのがどうもいけない。言葉とは実に難しいものだ。
「何を根拠にそう仰られるか!」
彼の苦笑の意味を履き違えた男は更に激昂する。
「ふむ、気が進まぬが仕方がないか……。先ほど屈辱を味わっていたと言ったな? 俺はそれと同時に貴様に感謝もしているのだ。よく、今まで俺を守ってくれた、と……。その礼として試合をしようではないか」
彼の提案は男にとって願ってもないものだった。幽閉中とはいえ本来、家臣である自分が王族に剣を向けることなど許される事ではない。これでこの小僧にお灸をすえる事ができるのだ。だから、男は「望むところです」と、短く答えた。
「そうだ、これは試合なのだ。決して殺し合いではない。生憎と木剣の持ち合わせがないのでな。真剣を使う事にしよう。相手の剣を落とすか、剣を突き付けた方を勝者とするが、それで構わぬか?」
「――御意」
男が答えると、お互いに対峙した。
間合いは3メートルほど両者は剣を抜くと正眼に構えた。
「ああ、そうだ。俺が勝てば、先ほどの頼みを聞いてもらう。後付けとか言われても困るからな。それでよいか?」
「――御意」
男は再び短く答えた。ふん、負けた時の条件を言わなかったが、それはそれで構わない。自分はこの小僧の鼻っ柱を折れればそれで十分だ。
「――それと、アイナ!」
こう言われてアイナは肩をビクッと震わせた。彼女が居ても立ってもいられなくなり外に出たのは二人が対峙した時とほぼ同じだった。彼女は何か弁明せねば、と言葉を発しようとしたがそれはルークによって遮られる事となる。
「夜の外出は禁じているはずだ。――フンッ、まあいい。今夜だけは特別に俺の元に居る事を許そうではないか。今宵はもう危険などないからな」
「――こちらの方は?」
「ん? ああ、こいつは先生だ。俺の剣の先生。そういう事にしておけ。そして、今から試合をする。よって、アイナよ。見学は許すが一切の言葉を発するなよ」
そう言われてしまうとアイナとしては「はい」と答えるしかなくなる。対して男は苦笑すると「そろそろ、よろしいかな?」と尋ね両者は再び対峙した。
――一刀だ。ただの一刀で決める。
それでこそ、この夢見がちな小僧に現実を教えられるというものだ。二合目はない。ただの一振りでルークの剣を叩き落とす。
男が上段に構えると、ルークは剣を腰の鞘に戻し前傾姿勢をとった。
――なるほど。居合か……ならば……。
男は上段に構えたまま間合いまでゆっくりと詰め寄ると、気と同時に剣を振るった。いや、正しくは気を放った後に剣を振るった。
対してルークは剣気に反応して抜刀する。
男はニヤリとした。これでいい。自分の一振りは最高の出来であり。これで居合を逆に迎撃する形となる。経験の差が出たな。男はこんな事を考えていた。
二振りの剣が一つは横から、もう一つは一瞬だけ遅れて上からのぶつかり合い。金属が発する甲高く耳障りな音が起こった。これは明らかに上段有利のぶつかり合いである。後はこのまま力任せに剣を地面に叩きつけるだけだ。
「愚か者め。それはもう知っている!」
しかし、ルークはこう叫ぶと、切っ先を振り切るのではなく引っ込めた。
ぶつかり合う二つの刃は火花を散らす。横からの刃は上からの圧力から逃げるようにその身を滑らしていった。
ルークは刃の接触が終わると、そのまま踏みしめた足を軸として回転し上段の横腹を打ち男の剣を宙へと打ち上げる。
更に彼は逆足を軸として男の横に回り込むように再び回転する。そして、男の首筋で刃を止めた。
男の剣は円運動をしながらアイナの足元に刺さった。
「これは実戦ではない。ただの試合であり、余興でしかない。結果は気にするな」
ルークは何事もなかったかのように淡々とこう言うと剣を鞘に戻した。そして、アイナの元に刺さった剣の元へと歩んだ。
――化けものか!
男は何とかしびれの残る両手に視線を落とすと、事の結果に驚愕し、主がかつて自分に言った言葉――『ルークは嘘をついた事がない』――の意味を噛み締めていた。
――確かめねばならない。
男はそう感じた。かつて感じた自分の杞憂。主の最大の敵になりかねない存在。それが事実であれば自分の命を犠牲にしてでも彼を殺さなくてはならない。
「……殿下、私は負けました。故に貴方の頼みを聞き入れましょう。しかし、それをお受けするには一つ褒美を頂かなければいけません。それも先払いで――よろしいか?」
男の問いにルークは歩みを止めて「俺に出来る事ならば構わん」と短く答えた。
「……では、一つだけ私の質問に答えてください。貴方は我が主の――王の座を狙う気があるのでしょうか?」
男が絞り出すような声でこう言うと彼は笑った。
「貴様は実に見事な男だな。名は?」
「……グレッグ・スタンフィードと申します」
男は――グレッグは再び畏れを抱いた。どうやらルークはこれだけのやり取りで全てを察したらしい。
「グレッグよ、貴様は鳥頭のようだな。あいつがイカ臭い童貞野郎だとは言え、それはあり得ないのだよ。俺は先ほど言ったはずだ。人は一人では生きられぬ、と……。この言葉の意味が分かるか?」
男は答えない。ルークは男に視線を向けると続けた。
「人間一人の力なんぞたかが知れている。当然、こう言った意味もある。しかし、真の意味は違うのだ。人は絶望的な孤独に耐えられない。故に一人では生きられぬのだ。故に一人は他人を求めるのだ。友人を――理解者を得られないのであれば人は孤独に耐える事などできぬのだ。俺には分かるぞ。今、貴様が俺に恐怖している事が。それは何故か? それは貴様が俺を理解できぬからだ。しかし、それを無念に思う事などはない。俺は人間の主席と言っていいほどに優秀だからな」
ここで一度言葉を切るとルークは彼方を――故郷であるグリーンヒルドの方を向くと続けた。
「俺にとって、奴とはそういう存在なのだ。それは奴にとっても同じなのだろう。――今後、衝突する事は何度もあるだろう。しかし、故にお互い殺し合う事などはあり得ぬ事なのだ」
ルークの表情はとても穏やかで、安らぎに満ちていた。
その言葉を聞いた男は心底安堵し、アイナは絶望した。
叶わぬ事がない恋であれば、せめて彼の友人となり共にありたかった。それを否定されたのだ。それは彼の元しか行き場のない彼女にとって絶望的な孤独感をもたらしてしまったのだ。
そうだ、ルークは後二年でここを去ってしまう。そうしたら、自分は用済みだ。何も、誰も残らない。今更ながら自覚した。自分は焦がれているのだと。それほどまでに自分はルークに依存しているのだと……。
……だから、アイナはルークに刃を突き立てた。