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第三夜

第三夜


「私、意外です。身分の高い方は自分でこういう事はしないものと思っていました」

 例によっていつもの仏頂面で料理をしているルークを見て、少女は目を丸くしてこう言った。

 ルークはその言葉に視線を向けるだけで答えるでもなく黙々と料理を作った。

 一般的な貴族は身の回りの事など自分でやったりはしない。だから、彼女が驚くのも尤もな話だった。

 少女がこの廃城に住むようになったのは昨日の事だ。実に優秀な門番である処のロンによると住み込みで働く侍女だそうだ。名前をアイナと言った。

 この廃城にはルークしか住んでいなかった。彼が幽閉された当初、当然の如く身の回りの世話をする侍女やら使用人がいたわけだが、早々にルークは追い出したのだ。

 門番ですら常駐ではない。本来、ルークは幽閉されているのだからそれはあり得ない話なのだが週に一度だけ食料や物資を運ぶために登城し、詰め所にある日誌に七日分の『異常なし』を書き込むとその横にある小さな小袋を嬉しそうに懐にしまうと帰ってしまう。ルークの懐柔の結果である。この門番はルークにとっても実に都合がよい人物であった。故に優秀なのだ。

 ルークは自分の弱点になりうる事を嫌った。故に一人でいる事を選んだ。

 夜、外で鍛錬するのは襲われやすい夜間にあえて襲わせるためであったし、何よりまだ経験知不足の彼には室内の空間を有効に使われる方が厄介であったからだ。自分で料理するのもそうだ。毒殺の危険から逃れるためであった。

「でも、それは私の仕事です」

 そう言ってアイナはにこりと笑うとルークが別の食材を取ろうと鍋から離れた隙を見てカマドの前に立ってしまう。そして、そこを死守する。

 対してルークは「貴様……」と言いかけて言葉を止めた。アイナにキッと睨まれたからだ。もちろん、それに気圧された訳ではない。

 彼は食卓の椅子に乱暴に座るとチッと舌打ちをした。昨日のやり取りにうんざりしていたからだ。


「……と言うわけでして、この娘がお側に仕える事に……ヒッ」

 使用人を追い出した経緯を知っているロンはルークの鋭い眼光に射すくめられてその場を逃げるように後にした。

 残されたのは少年と少女。

 身に纏うエプロンドレスこそ新品のようであったが汚らしい少女だった。生まれてから切った事があるのかどうか疑わしい長い髪はボサボサだったし、頬は痩せこけていて手のひらは皸でひどい有様だった。だから彼がそう感じたのは仕方のない話であった。

 ルークは少女を一瞥すると「あの男と共に去れ」とだけ冷たく言い放つと城へと消えていった。ルークにとってはそれで終わりのはずだった。

 そして夜。

 ルークがいつものように鍛錬のために庭に出ると帰ったはずの少女が出会った時のまま、つまり立ったままで彼が冷たい言葉をはなった場所に佇んでいるではないか。

「貴様は馬鹿か?」

「そうかもしれません」

 そう言ってニコリと、いや、儚げに笑った少女にルークは苛立った。彼女はかすかに震えていた。夜とは言え、気温は低くなかった。つまり、それは数時間ずっとそのままでいたという事を意味していた。

「俺は『帰れ』と言ったのだ。何故、ここにいる?」

「ここが私の帰る場所ですから」

 ルークは再び苛立った。

 庶民とは貴族の言葉に従うものだ。それが摂理であるのにこの少女は逆らった。そこに苛立つのだ。

いや、違う。そう言って見せたこの小娘の目に苛立つのだ。微笑んでいる癖に空虚なその瞳に苛立つのだ!

「その剣で私を殺すのですか?」

 そう言われてルークはハッとする。苛立ちのあまり抜刀していたようだ。

「そうだな。ここに来る途中で噂を聞かなかったか?」

 ルークはにやりと笑うと剣を上段に構えた。脅せば逃げだすだろう。彼はそう思っていた。

「はい。ここには人殺しの好きな狂った貴族が住んでいるそうです」

「恐ろしくはなかったのか?」

「はい。でも……、私のような者にはチャンスだったのです。殿下は私を見てどう思われますか?」

「まともに育てられたとは思えん。恐らくは孤児の類であろう」

 こう言いながら聡明なルークは自らの苛立ちの理由に気がついた。そうか、この娘は……。

「お優しいのですね。その通りです。殿下は飢えた事はありますか? 夜の寒さで眠れなかった事はありますか?」

 ルークは答えなかった。

「私にはチャンスだったのです。上手くすれば職と食事にありつけるのです。私が美しければ花街で働く事もできたでしょう。私が男なら力仕事もできたでしょう。私がこんな痩せっぽちでなければ……」

「もう、よい」

「つまり、私にとって飢えて死ぬ事と殺される事は同じなのです。いえ、むしろ……」

「もうよいと言っている! ならば俺がお前の望みを叶えてやる」

 ルークは苛立ちを隠そうともしなかった。

 同情はできる。金をくれてやって帰す事も出来た。しかし、それは問題の解決にはならないし、自分にはこの娘を守ってやる余力も、ましてや義理もない。

「はい、せめて痛みを感じる間もなく一想いにお願いします」

 そう言い祈るように両膝を着いた少女を見てルークは思う。自分は弱い。強くあらねばならぬ者が弱いからこうなる。弱者は更なる弱者を生む。

「済まぬが、俺の腕では一想いにとはいかぬ。許せ」

「それは困ります。苦しいのであれば……」

 キョトンとした顔でそう抜かした少女にルークは面を喰らった。

 と、同時に……。

「分かった。それまではここにいろ」

 こう言って苦笑した。


 彼は気づいてしまったのだ。自分の新たな弱さに。

 しかし、それは弱さではないのだが、それに気づくには少年は潔癖過ぎた。


「……で、これがお前の仕事なのか?」

「はい!」

 彼としては嫌みのつもりであったのだが彼女の満面の笑みから察するにアイナには通じなかったようだ。あるいはこういう形の刺客なのだろうか?

 ルークがそう疑ってしまうのも無理のない話であった。確か自分はホワイトシチューを作っていたはずだ。それが何故、黒い? 明らかに焦げすぎていた。

 しかも……。

「そして、貴様はそれなのか?」

 彼が米神を引くつかせながらこう言ったのに対して「使用人が主人と同じものを食べるわけにはいけませんから」なんてシレっといいながらハムとチーズを挟んだパンを実に美味そうに食っているのだから困ったものだ。

 めんどくさい娘だ! ルークはそう思いつつも震える手つきで料理を口に運んでいるのだから案外いい奴なのかも知れなかった。

 いや、この場合は口に運ぶたびにスプーンを持つ指が震えていっている、が正解か?

「料理は初めてなものでお口に会いましたか?」

「うむ、よく分かった。貴様は二度と調理場に立つな」

「でも、殿下。それが私の仕事ですし……。それを禁じられるとなると……」

「ええい、分かった。分かった!」

 アイナが空虚な目をしてこんな事を言い出すものだからルークとしてはこう言わざるを得ない。


――しまった。こいつは策士だ!

 珍しく彼はこう後悔するも『時、既に遅し』であった。


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