二度ある事は三度ある
四月二日、まるで冬に戻ったような寒い日になった、この頃少し暖かくなっていただけに、油断して薄着で出かけた人達は後悔しながら震えていた。
街を行く人々は影に入らないよう陽向を求めて歩いており、その様はまさに人生の縮図といえるものである。
今日は月曜日である。
大抵の人々が休み明け特有の重い気分で出勤大洪水の中、ほとんど全員戦争絵画の中の市民みたいな顔で会社に向かっている、。
そして、そんな出勤ラッシュに一切馴染みがない汚いビルの二階の依頼屋には『準備中』と書かれた小さな看板が掛けられ、なんだか物悲しい雰囲気を放っていた、依頼屋は決まった休みは無いものの、たり不在である事は多い、そんな場合は何かしらの看板が掛かっているので他の店を訪ねるしかない、のであるが。
二階までの階段を軽々昇ってきた厳めしい顔付きの老人はそんな看板はお構いなしにドアを開けた。
「開いてへんやないか……」
老人こと笠山武春。
そこそこの数ある依頼屋を取り仕切る、いわボスである。
七十近いクセにスーツを着込み、背筋をしゃんと伸ばして、一切くたびれたように見えない、むしろ後ろ姿だけを見れば猫背気味のリカルドよりも若く見えないこともない事はない。
武春は風呂敷に包まれた箱を一旦地面に置き、ポケットから合い鍵を取り出していたって普通に扉を開けた。
部屋の中は物音ひとつせず電気もついていない、二人がどうしているか大体想像がつく。
迷いなく寝室に向かう、やはり気持ちよさそうに眠っているではないか。
早起きなリカルドならこの時間でも起きているだろうと見越して来たのだが見当違いだったようだ。
しかし起きて貰わなければ困る、武春は黙ってカーテンを開けた、ビルの谷間にあるこの部屋には開けたところでそれほど光は入って来ず期待していた効果はなかった。
「おい、起き」
それほど大きな声ではなかったのだが、リカルドは驚くような速さで飛び起きた。
「な……なんですか……」
リカルドは驚いていない風装っているものの、額からは汗が流れている。
「おはよう、すまんな朝早ように」
武春はその様子に内心吹き出しそうになりながら言った
「……おはようございます」
だが取り乱したのも一瞬で挨拶する頃にはいつもの調子に戻っていた。
「そうや、コーヒーでもいれたろか?」
「いや、自分でいれますよ、そっちでお休みください、いろいろありますから」
リカルドはリビングを指差した。
「そうさせてもらおか」
「仕事でございますか?」
「ああ、そうや、お前まだガラケーか」
「柄毛? なんですかそれ」
リカルドは押入れから顔だけ覗かせた。
「携帯や、スマフォにせんのか」
「しませんよ、この前旅掛に触らしてもらいましたけど使いにくいですよ」
「そうかな、そんなことないで」
と言いながら武春は携帯をいじった、ハイテクじじいである。
「なんか映画みたいでおもろいやろ」
「面白いだけじゃだめなんですよ」
リカルドはもう着替えを終わらせて言った。
「そうか」
リカルドはその後ぐずる為広をたたき起こしリビングで待つ武春の前に座らせた。
「お待たせしてすいません」
「待ってへんよ」
この間三分である。
「なにか問題ですか」
「あぁ、いや、そんなたいしたこと事ちゃうけどな、この荷物を依頼人に返して欲しいだけや」
「これですか……」
リカルドは机の上に置かれた風呂敷に目をやった。
大きさは湯沸かしポットぐらいである。
「ほんまは山本の仕事やけども、行けん言うとる、ワシもちょっと芝居を見に行かなあかん」
武春は意味あり気に微笑んだ。
「そうですか、分かりました」
とりあえずホッと一息をついた、ボスがわざわざ訪ねてくるとは、大切な用事かと勘違いしてしまった、大切な事に変わりはないが。
「これなんですか?」
「なんや言うとったかな……骨董品や、なんか高いの、壺やったかもしらん」
そして返事も待たず鍵を差し出した。
「ワシの車使ってくれ、電車やタクシーやったら不便やろ」
リカルドはそれを受け取りポケットにしまう。
「ありがとうございます、いいんですか?お出かけされるんじゃ」
「京都まで運転すんのはしんどいわ」
そこまでは楽しそうに言っていたが、最後に一言だけ笑わずに付け加えた。
「ぶつけるなや、戻ってきたばっかりや」
「も・・・・・・もちろんです」
朝飯を食べ諸事を済ませると急いで表へ飛び出した。
痛む身体と眠たさと、二人は気分が乗らない顔をして階段を下りる、リカルドは最後の一段を注意しがら降りな為広に壺を押し付けた、為広は思いの外の重さに一瞬よろけた。
「重た……でもあれですね、割のいい仕事ですよね、こんなん持ってくだけで八万だなんて」
「馬鹿野郎、もし盗品だってみろ八万じゃやっすいもんだ、山本が取ってきた仕事だろ、ロクなもんじゃない、呪いの壺かもよ」
「呪いですか……まさか……」
為広は風呂敷に包まれたそのものに思いを馳せた、そんなことを聞けば何か禍々しい物が入っているのではと密かに期待してしまう。
「なんかあれじゃないですか、あれですよね、怖いですね」
しかし言いたいことが見つからなず、出てくるのは抽象的な事だった。
「なんだよ、いいから早よ乗れ早く帰りたいですわもう」
「んー……」
為広は何か言いたげだったが素直に車に乗り込んだ。
「運転久し振りだ……」
その割に迷いなくクラッチを握った。
「大丈夫なんですかぁ?」
さっきの腹いせか食い気味に言った。
「俺運転上手いからなあ」
「そんな風に見えません」
「別に……ぶつけなきゃいいんだろ」
一瞬自信がないのかと思わせたがエンストさせるような事もなく、入り組んだ路地の中案外迷う事なく目的地に到着した。
リカルドは誉める所などない屑人間ではあるが、方向感覚だけは優れている。
言い訳できるよう道端に車を止め、マンションの階段を昇った、そしてきちんと住所を確認しインターホンを押した。
壺の持ち主、多賀谷研一はみるからに胡散臭い二人に眉をひそめたものの、持ってきた物が分かるなり、偏屈そうな顔を玩具屋に来た子供のように輝かせた。
「もう二度と目会えへんかと……」
研一は為広からほとんど奪い取るようにして風呂敷包を受け取り、抱きしめた、二人がいなければキスでもしていただろう。
「一応中身だけ確認をしていただいてよろしいですか、高価な物だと弁証とかもありますのでね」
リカルドが忠告すると、多賀谷は動きを止め。
「そうですね……」
と壺を靴箱の上に置いた。
「ああ、どうぞ、上がってください」
「失礼します」
二人は断って中に入った、玄関にも物は多かったが、リビングにはもっと大量の物が飾られていた、皿やらカップやら、よく分からない人形、グチャグチャの絵まである。
美術品とかの収集家らしい。
「素晴らしいでしょ」
多賀谷は自分の部屋を嬉しそうに眺め回した。
美しい、確かにそうかもしれない価値が分からなくても、これだけの数が揃ええられればそれなりに圧倒される物がある、とにかく呪いの壺ではなさそうだ。
「ええ、そうですね」
リカルドは適当に返事をしてソファーに腰掛けた。
「これは特にいい物で北宋の……」
「手を動かしてくれ」
「あー……すいません」
手袋をして、箱を開けた。
どうやら傷はなかったようである、パッと顔を晴らした。
「奇跡だっ、盗まれた時は本当にどうなる事かと……」
途中で言葉を区切って箱に直した。
「警察に、頼んでも帰って来ないんですよ……特に、この、手の物は……一度手から離れるとね……」
加賀谷の口調とにやけた顔から山本がどんな手を使って取り戻したのか大体想像がつく。
「まぁ、とにかく良かったですね」
「盗られたのは二回目なんです……もうに帰って来ないかと……山本さんにはもう三度も取り戻してもらって、山本さんは……」
「今日来られないとだけでございます」
「そうですか……お礼を言いたかったんですが、いつもこうで……」
「伝えておきますよ、自分で言いに行って貰っても構いませんが、あの人はほとんど家にいませんからね、いてもでませんし、んじゃ帰りますん、お代のほう……もう聞いてますか」
「はい」
加賀谷は机の奥からそこそこの厚みの封筒を引っ張り出した、リカルドは中身を確認の後しかと頷き。
「確かに、それじゃ、またよろしく……いや、出来れば二度とお会いしませんように」
「ありがとうございます」
依頼人は深々と頭を下げて見送った。
階段を降り、車に戻る道すがら、リカルドは上機嫌に笑っていた。
「ンッフッフッ……なんかうまいもんでも食いに行くかな」
「今日も適当にゲーム買いましょうよ」
「それはいいな‥…面白そうなやつ三つぐらい……な?」
リカルドはたまたま上を見上げた、なぜ上を見る必要があったのかは自分でもわからないが、見上げてしまった、その時目に映ったのは丸い何かがマンションから真っ逆様に落下する所だったのである。
「なんだ」
「え?」
為広も釣られて上を見上げたが、もうその場所から過ぎ去ったものを見ることはできなかった。
「何です」
「だあぁっあっ?」
セリフにし難い叫び声を上げてリカルドは走り出した、説明もなければ変わった様子もない。為広には起こった事がさっぱりわからないのである。
「嘘だろ!!」
「どうしたんですか、うわ……」
そのあとを負追った為広が見たものは肩を落とすリカルドと、リアガラスをぶち抜かれた武春のセダンだった。
「なんてこった!」
落ちてきたものはうす汚いガラスのようなもの『こんな傷前からありましたよ』などというお決まりのごまかしが通用する程度ではないとだけははっきり断言できる。
「なんてこった……」
まともな言葉が思いつかないまま呆然としていると為広が横からぬっと姿を表した。
「うわー……ひどいですね……」
「なんてこった‥…」
顔を手で覆ってこの世の終りのような悲痛な声で呻いている。
「別にリカルドさんが悪いわけじゃないですからね、落とした人に弁償してもらえばいいじゃないですか」
想像以上にショックを受けている様子である、いい気味だと為広はニヤニヤ笑った、日頃の行いのせいだ、だが言葉だけは優しくかける。
「そりゃそうだろ」
「あら」
顔を上げると、さっきの悲しさはどこへやらといった風なクソ生意気な顔をしていた。
「ったく……」
「とりあえずどっから飛んできたんでしょうか?」
「馬鹿か、飛んで来ただと、落ちてきたんだよ」
「そんな小さい間違いいいじゃないですか」
「うるせえ」
「そんな揚げ足とらなくてもいいでしょ……」
「シャラップ!!」
リカルドは為広の目の前で叫んだ。
「ちょっと……唾が飛びました」
「聖水じゃっ! 馬鹿、そのガラス、拾え」
「はぁ? はいはい、分かりましたよ」
為広は忌々しい上司の言うとおりに車のガラスを拾い上げようとしたが、リカルドはなぜかその手を払いのけた。
「違う、そっちじゃないそっちじゃなーい」
「なんですか」
「そっちぃっ」
自分で拾えるくらい近くで指をさした。
それは車のガラスとは違い、透明ではなかった、それは。
「……依頼人の……壺ですか?」
「どう見てもな、あの野郎せっかく届けてやったのにわざわざ投げ捨てやがった」
「そんな事しますかね」
「普通はな、嬉しすぎて気が狂ったんじゃないか」
さっき慌てていたのが数時間前のようである、だがまだ一分も経っていない。
「修理費ですね」
「ああ、それと精神的な苦痛に対する慰謝料も貰おう」
「それはどうでしょうね。くれるといいですけど」
しかし汚いドアを何度も叩いたが依頼人は出てこない。
「おいおい……」
リカルドは再び不機嫌になってきた。
「出かけたんスかね」
「んなわけねーだろ壺と愛し合ってたのに、散歩なら別だがな」
と唸って躊躇なくドアを引き開けた。
「開いてるな、加賀谷さーん、壺が落ちてきたんですけどっん……」
リカルドは言葉を失った。
「加賀谷さん?」
そして優しく名前を呼んだ。
たった数分で部屋の中はすっかり様変わりしていた、部屋の中にあったガラクタがすべてひっくり返ったかのような惨状だった。
もともと汚かった部屋は汚いを通り越しゴミ屋敷を彷彿させる程度にひどい。
ガラクタといっても価値はあるものばかり、その筋の人が見れば発狂するだろう、その前に加賀谷が発狂していても変ではない。
「なんだこりゃ……」
リカルドは言葉を失った、一瞬入った家を間違ったかと思った、しかし玄関先にあるだるまで加賀屋のへやであることを確認した。
「なかなかひどいですねー」
為広は気楽に言った。
「お前の家にそっくりだな」
リカルドはそんな為広をたしなめるために言う。
「僕の家にはゴミしかないですけどね」
「ああ……そうだったな」
から返事で奥に踏み行った。
ガラスの破片も散らばって危険そうなので靴を履いたまま廊下を歩く、なんだかアメリカ的だ。
どこの部屋も同様に散らかっており加賀屋の姿も見えない。
「いねえな……」
「戻ってこられるまで待ちましょうか」
「そうするか」
リカルドは椅子を引き寄せて座った。
「にしてもひどいな、お前の家みたいだ、臭いがないだけでこんなマシなんだな」
「怒りますよ、でもどうしたんですかねこの散らかしよう」
「なぁ」
その答えは誰が答える訳でもなく飛び込んで来た。
警察である、二人の警官が加賀谷の家に飛び込んできたのだ。
それも拳銃を持ったままである、二人は映画の登場人物のように手を挙げた。
「おっおい、ちょっと待て、何か、何かの間違いだ」
「おっ大人しくしろっ」
すこぶる緊張しているようだ、声は震え、ついでに全身も震えている。
「加賀谷さんを呼んでくれ、この家の住人だろ、知り合いなんだ」
「あっ?」
警官はどんな表情をしているのか説明できない。
「手錠でもなんでもしていけ、絶対逃げないから、とにかく加賀谷さんを呼んで、話をさせろ、説明するから」
「わかっ……分かった」
警官は容疑者であるはずの男の言葉に素直に従い二人に手錠をかけた。
「本当にかけんのかよ」
「かけろって言ったでしょ」
「いや……そうだが」
無駄な言い訳は騒ぎを大きくする、大人しく待つしかない。
警官はすぐに加賀谷を連れて戻ってきた。
するとリカルドが説明するまでもなく加賀谷が叫んだ。
「違いますよ」
「だから言っただろ」
「ホンマですか?」
「ええ、依頼屋の方ですよ……なんで手錠なんか」
「気にするな、やって欲しかっただけだ」
リカルドは冗談めかして言った、警官は少し困惑している。
「証拠も揃ったと言うわけで、離してくれるか、俺達も被害者なんだ」
「でもなぁ……参考人やし……」
煮え切らない返事だ、思わぬ大事件に右も左も分からないっと言った風がある。
「明らかに犯人じゃない奴を参考人にするのはいいがな、それで犯人を逃がしたらどうするっ、今なら捕まえられるかもしれないぜ、しかも君たちの手柄としてな」
話の分からない警官だが手柄と聞いて顔色を変えた。
「なるほど」
「な、な、まずこれを離してくれよ、両手が塞がってたら押さえ込みもできないだろ」
警官は交番まで戻って鍵を取りに行った。
「あぁ、あと加賀谷さん、ちょっとばかりショッキングな話をしないといけないんだが……準備はいいか」
「なんですか?」
倒れた美術品を見て回って十分青い顔をした加賀谷は見るも無惨であった、しかし事実は変えられない。
リカルドは至って普通に言った。
「あの壺は落ちて割れちまった」
「なんやって!?」
加賀谷は漫画のように飛び上がった、そして昏絶せんばかりにその場に崩れた。
一人残された警官は何が何だか分からないだろう。
「そんな……」
「まぁまぁ……落ち着け……悲しいのは分かるが取り乱しちゃ駄目だ、今は犯人を見つけるのに命をかけようじゃないか」
「あぁ……」
「何か心当たりはないのか、自分が狙われるような」
「心当たり?あるわけない、泥棒は二回入られたけど、でもこんな荒らされたりせえへんかった……」
「犯人は見たか」
「ちゃんと見てない、トイレに行って戻ってきた時におった、最初君たちかなと思たけど声も違うし体格も違うし」
「なるほど、そいつらは何か言ってましたか」
「……探せと聞こえた、そのあとすぐ外へ出たよ、おっかなかった」
「……」
為広とリカルドは目を合わせた。
「どう思う」
「何か探してたんでしょうね」
「お前の考えを聞いたんだよ、問題は何を探してたかだ、加賀谷さん何か盗られたのは」
「探してる、だが今のところは何も無いが……」
「そうか……」
その言葉も不自然であった。
戻ってきた警官に鍵を外してもらい。
「とりあえず車に戻ろう」
「そうしましょう」
と掛け合ってリカルドと為広は破片だらけの車に戻った。
「あーあーこんなになっちゃって……怒られんのはいやなんだよ……」
ぶつくさ独り言を言いながら散らばった破片を片付けていたリカルドは車の下に落ちていた袋を見つけた、その袋で強盗犯の目的が大まかにではあるが判明した。
大判の漫画本ぐらいの大きさの四角い塊だ、どこからどう見ても警察密着スペシャルなどでお馴染みのあれである、この量があれば数千万は下らないだろう。
リカルドが持ったまま固まっているのに気づいて、為広はお化けでも見るような目で言った。
「うわ……けっ警察に……」
一瞬はそう考えたが、いつの間にか彼の頭では違うストーリーが出来上がっていた。
「いや、待て……それはやめよう」
「でも見つかったらどうするんですか、碌でもないことになりますよ」
為広の言葉にすぐに答えられなかった、まだ完璧に考えがまとまったわけではなかったのである。
「警察にも知り合いはいないことはないしな……弁護士もだ、だがヤクの売人の知り合いは少ない……」
「じゃあ売人に渡すんですか」
「タダじゃないさ」
リカルドは意地汚く笑った。
「警察にも、裏の奴らにもだ」
二人は車に乗り込んで壺を取り返した依頼屋、山本を訪ねた。
リカルド達のビルよりももっと海に近い場所にあり、大通りに面しているため常に車が通りかなりやかましい、おまけに下の階の住人が一体どうしたわけか耐え難い異臭を放っており、おちおち窓も開けていられないような状態だった。
為広は鼻を押さえながら階段を上がったせいか息が上がっているようだった。
「くっさいですよ」
「ほんとだよ、よくこんなところで生活できるもんだ、買い物に行くたびに地獄の門を通るのかよ……」
ドアの鍵は開いていた。
「山本さん、いますか」
玄関で名前を呼ぶと野太い声で返事が返ってきた。
「山本さん、事件なんですが」
「……警察に行ってくれ~」
気の抜ける返事だ、二人は靴を脱いで部屋に上がった。
山本は軍艦のプラモデルを組み立てている所で、外に負けず劣らずな悪臭漂っている、有機的な匂いでないだけ幾分かマシかもしれない。
「おはようございます」
先輩にまず声を揃えて挨拶した。
山本は作業の手を止めて振り返った、顔は普通のオッサンとしかいいようがない、黄色い歯を出して、ボサボサの茶髪に伸びっぱなしの髭、土や泥だけでなく色んなもので汚れていそうなコートの中に汚いシャツ、それだけでこの男の全てが分かる、性格以外はまるでダメな男だ。
「なんや、誰かと思ったやんけ遊びに来たんか」
「違いますよ、事件だって言ったじゃないですか」
山本は笑顔をやめて仕事をするような真面目な顔になった、そして模型製作を再開した。
「あの……」
リカルドの言を手で遮った。
「大丈夫言わんでも大体予想つく」
怒っているような悲しんでいるような、棚に並んでいる模型に目をやった。
「俺がこの前間違ってメールを……」
「いや違います」
「えっ……なんやびっくりした、じゃあ何?」
決まらない人だ、ため息をついて今日のあらましを説明しだした。
「加賀谷さんの壺です、今日届けに行ったんですけど」
「そうなんや、兄さんに頼んどいたんやけど行けんかったんか」
「そうゆうことです、それで壺は届けたんですが俺らが帰った直後に家に強盗が入って、部屋をぐちゃぐちゃにしたあげく、壺をベランダから放り投げて壺とボスの車の窓ガラスを粉々にしてくれましたよ」
「何ぃ……」
山本は目をひん剥いて驚いた、大げさなほどである。
「苦労して見つけられたんですか」
「いや、たまたま見つけただけやけど……お前大丈夫か」
「なんですか」
「車壊して」
「そっちですか」
「壺なんか他人のもんやけど……車は武兄のやで」
「…………あんまり言わないでくださいよ、できたら忘れたいんで」
「知らんで知らんで……」
山本は肩を震わせた。
「ええ、そこなんですよ」
「なんや、まさか犯人探しを俺にて伝え言うんちゃうやろな」
「その通りです、実はその後で警察に捕まって……」
「なにい!」
山本はさっきの数倍大きな声を出した。
「もちろん誤認やんな」
「ええ、そりゃあそうですよ、で、厄介なことにその警察に犯人捕まえてくるから離してくれるかって言ってしまいましてね、今八方塞がりなんですよ」
「それはしゃあないな……」
最初はめんどくさそうに聞いていた山本だったが、話を聞くと少しだけ乗ってきたようだ。
「壺はどうやって取り返したんですか」
「なんでもない市場でみつけた」
「なんでもない市場? いくらでした」
「大体六千万」
「高っ!」
為広はいかにもな反応を見せた、リカルドはそれを横目で流して、山本に質問しようとした、ピンとくるものがあったのだが為広が遮った。
「どうやって取り返したんですか、そんな高いの、買えないですよね」
「……いやそんなもんあれやがな……」
「奪ったんですか」
「ヘヘヘ……人聞きの悪いなあ」
山本はバツが悪そうにはにかんだ。
「悪い事じゃないやろ、元々盗まれたもんを取り返した訳やからなぁ」
「今は善悪の話をしてるわけじゃないですよ、で後をつけられてたわけですね」
「うーん……それは油断したな」
相当悔しかったらしい、口をへの字に曲げた。
「でも言うてもその程度やろ、警察に任しとけばええのに」
「ただの窃盗団ならいいですがね」
「そうですよ、麻薬が出てきたんです」
リカルドはヘラヘラと笑いながら言った、たった一言で人はこれほど怯えるのか、山本は口をぽかんと開けて目を細める。
「麻薬?どうゆうことや」
明るい昼が暗い夜になったよである。
「割れた壺の中から、出てきました」
「……取引所か、どうりで高すぎると思った」
頷いて二人を交互に見た。
「やめとけ、な」
「やめませんよ、絶好のチャンスです」
「まあ待てや、そりゃ悪い奴を捕まえたといや、評判はええやな、でも、なあ、仕事が仕事や、普通の会社員とちゃうねん、死んだって特に気にかけんで、魚のエサか山の養分か分からんがそうなったらなんもできへんくなるやろ、なぁ」
山本の忠告はもっともであった、しかし。
「大丈夫です、今回だけは両方に恩を売るとっておきがある」
「何?」
リカルドは満面に笑みを含み拾った麻薬を取り出した。
「どうです、ばっちりじゃないですか」
「……おお……そうか」
山本も意を悟ったらしく、立ち上がった。
「それなら行くしかないな、善は急げや、ンフフフフ」
場所は大阪だった。
「まず主催者んとこに行く、そいつは知ってるかどうか知らんけど、尻尾は掴めるかもしれん」
「それなら情報屋使っても良かったんじゃ」
「足がつくやろ、助けるつもりでも信用するかい」
山本の言う事はもっともであった。
主催者を訪ねたが確かに何もしらないようであった、商品を持ってきたり品物を売ったりしたのは『田中骨董』という店らしい、三人は教えられた場所に向かった。
田中骨董は街にある普通の骨董屋だった、大きく、大きいだけの物がある。
甲冑やらなんやら、珍品ぞろいだ。
「こんにちは」
山本は朗らかに店主に声をかけた。
「いらっしゃい」
店主は至って普通のオジサンである。
「この前の展示会に出してましたよね」
「展示会?」
「ここって聞いたんですがね、ほら地図もありますし」
「いや、そんな事はしてないけどね」
山本が横槍を出した。
「ホントか、商業館のところだぜ、田中骨董、ほらな」
リカルドは案内を見せた、悪そうな男二人に脅しをかけられても店主は顔を逸らさなかった。
何度聞いても知らないの一点張りで、にっちもさっちもいかない、切り口を変えてみることにした。
「うーん……あの壺を探してんねんけどな……展示会で田中骨董ってとこが売っとったからここまできたんやけど」
「どんなやつですか」
「こんなやつ」
リカルドは先に用意していた写真を出した。
「持っとったんか」
「当たり前だろ」
店主はカウンターから身を乗り出してきた。
「ああ、うちの商品でしたけど、加賀谷さんって人に売りましたで」
「加賀谷さん?本当ですか?いや、確かにこれでしたよ、間違いない」
「うーん……加賀谷さん売りはったんかな……」
リカルドと山本は顔を見合った。
「なんともなさそうだな」
「ああ、そうやな……為広ちゃん暇そうやで」
「そんなことはどうでもいいでしょ、まずいぜえ、核爆弾持ったまま散歩なんかしたくないんだ……」
「一旦戻って別の手か」
「何も出来ずに? ああ、いいこと思いついた」
リカルドは山本から離れて、もう一度だけ店主に近寄った。
「、いま連絡したんですけど、どうやら空き巣にあったみたいでして」
「また……あの人は……」
店主は顔を渋らせた、信用していい相手か探っているらしい。
「……盗品市っちゅうのがありますけど……どうですか」
しぶしぶながら教えてくれた、
「そうか、そこなら」
「……これが住所で」
店主はスラスラとメモを書いた。
「今ぐらいの時間なら間に合うと思います、遅いから目的のもんは無くなってるかもしれません」
「ありがとう、それだけで十分だ、なんとしてでも手に入れないと」
恩を謝して骨董品を見る二人の肩を叩いた。
「盗品市ってのに行くぞ、って……何だそれ」
「これ可愛くないですか」
為広が見ていたのは大きなオルゴールだった、箱には赤い星とキリル文字が至る所に彫られている。
「可愛いか?何語だよこれ」
「ロシア語っぽいけど、読めんな、俺は簡単なのしか分からんで」
「どんな曲なんですかね」
「……話聞くだけじゃ悪いよな……」
また無駄な出費だ、リカルドはため息をついた。
思いもよらない土産物に気分は軽く、古臭い音楽に耳を傾けながら盗品市に向かった。
盗品市だと、聞かされなければ分からないだろうし、聞かされても信じられないだろう、それほどに自然な面構えだった、。
子供もいれば老人もいる、やはり人の目をごまかすのは人の目に限るという事なのだろう。
「見た事ある奴を探してくださいね、何か知ってるかもしれません」
「分かっとるわい、言われんでも」
大後輩のリカルドに分かりきったことを言われ、山本は少し拗ねたように周りを見た、人人人、探すのには骨が折れそうだ。
「おー……なかなかレアな物が金持ってこりゃよかった」
「でも盗品なんですよね」
「全部じゃないだろ、何か目当てがある奴はそれしか見にこないたろうし……いました?」
「あんまり急かさんでくれ、焦ってまう……」
山本はギョロギョロと商品ではなく人を見渡した。
「うーん似てるけどちゃうな……」
「おいおい、しっかりしてくれよ」
「無茶言うな……三日ぐらい前や……お……あいつは」
山本は人ごみを掻き分けて進んでいった。
山本が目を付けたのは全部の商品に売却済みの札がかかっている店だった、少し怪しい。
「おい、ちょっと話聞いてもええか」
ズカズカと踏み込んでいく。
「あ、すいません、全部売れてもうとるんですけど」
「いやいや、そうじゃない、前の市場に出してただろ」
「は?」
店員は空とぼけた。
「中道博覧会だったかなんか」
「ああ!なるほど!」
同業だと確信したのだろう、わざとらしく手を打った。
「いやいやお客様、今日はどのような御用でして」
「これを探してる」
すかさずリカルドが写真を出す。
「立ち話もなんだ、奥に行こうぜ、あんたらにとっても利益のある話かもしれないぜ」
「ハハ……中松、店番を頼むぞ」
店員は三人にひかれて奥まった所に来た。
「困ってるか?」
「何をです?」
まだ信用していないらしくきょうきょうと言った。
「安心しろやあ、別にたかりに来たわけやないで、リカルド、話つけぇ」
「分かってる、薬だ」
「薬……まさか……」
「壺の中に入ってた薬だ、ほんとはあの壺が欲しいだけだったんだが、この人が丸々持って来ちまったんだよ、そこは許して欲しい」
「あ……ああ!ああ、ああ」
店員は安心した様子でガクガクと首を振った。
「だが問題が起こった、壺を回収しにきた連中?連中か、強盗に入っちまった」
「そうやな……それがどうした……」
「実は薬はここにある、拾ってな」
「ホンマかっ!」
出した薬の袋に飛びつこうとした、リカルドはそれを抑えて。
「返してやるから、強盗に入った連中をサツに突き出せ、警察はただの物取りだと思ってる、できれば今日中にな自首でもなんでも、そうすればお前も俺も警察も、誰も損しない、ムショに入る奴は少し可哀想だがな、あんたにそれぐらいの決定権はあるのか?」
「ああ……そりゃ勿論」
「なら万事解決だ」
リカルドは意地汚く笑った。
「ホンマにそれだけでいいんか」
「勿論」
店員は汚く笑った、リカルドのよりも数倍汚く。
「その代わり旅掛ってやつに仕事をやってくれ」
「ホンマにあれでよかったんか」
帰りの車内、山本が切り出した。
「最高だったでしょ」
「ヤクはばらまかれる」
「そうですよ!」
為広が身を乗り出してきた。
「正義の味方になったつもりかよ、依頼を全うしたし、問題無しだ、そんなもん買うやつがわりいんですよ、まともなやつなら知りもしないんだ」
「…………うーん……」
「いつかやればいい、今は時期じゃない」
リカルドはそういってオルゴールのネジを回した。
陽気な音楽が流れる。
「武兄に車のことどう説明する?」
「…………逮捕されりゃよかった」