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財を失いし男

 四月一日の夜、月が綺麗ですね、と思わず呟いてしまうような曇りの無い夜空である。

 しかし、月は少し雲が掛かっていた方が綺麗に見える、と私は思う。

 神戸市中央区の汚いビルの二階にある依頼屋社長、リカルドは非常に腹を立てていた。

 理由は浮気調査に行った相棒の為広が約束の時間を過ぎても帰ってこない事、そしてもう一つは帰りについでにやろうとしていた金の回収が思った程上手くいかなかったなどあるが、それは大したことではないと考えていた。

「十万……」

 正確には、大したことではないと思いこもうとしていたが、それは土台無理な話だった、食い物と金の恨みは何とやら。

 為広の話に戻ろう、まぁ帰ってこないだけなら仕事だから仕方がない、彼は寛大な心で許すつもりだった。

 だとすれば何故怒っているか、理由は単純明白である、何時間経っても連絡すら寄越さないし、連絡しても出ることすらしないことだ。

 しっかり者の為広の事、大きな問題があったからではないと考えておきたいが、時たま姉譲りの天然っぷりを披露するのでこれだけ連絡がないとやはり心配である。

 時刻は午後八時を過ぎた、時計の秒針だけが一生懸命静かな部屋に活気を取り戻そうとただ一本奮闘している。

 手持ち無沙汰になったリカルドは部屋の中を歩き回る、その時、机の上に置いてあった携帯が震えた。

「……メール」

 ようやく相棒の事思い出し、携帯を拾い確認したが、為広からでもないし返事をするような必要もないメールだ、リカルドは舌打ちして黒い携帯をソファーの上に放り投げた。

「あんのクソガキは何やってやがる……」

 不満げに言葉を吐き捨て自分の身体を肘掛け椅子に沈めた、時間は過ぎていく、次時計を眺めると九時をとうに過ぎているではないか。

「おーっす」

 誰かが訪ねて来たようだ。

 為広でないことは声を聞かずとも理解できる。

 扉をゆっくり開けて入ってきたのは若い女性である、キリッとした凛々しい顔つきだが、ふんわりした黒髪が歩く度にフワフワ揺れてなんともアンバランスな魅力を醸し出している。

「こんばんは~晩御飯ご馳走になりに来ました~」

 お気楽そうに微笑む女性は柊匡子、別の場所で依頼屋を営む二十五歳児である。

 リカルドとは同郷の幼なじみという間柄で、何だかんだで二十五年間、つまりいものところ人生のほとんどを一緒に過ごしてきた長い付き合いなのである。

「よく来たな」

「怒ってんの?」

 長い付き合いだからなのか、よほど不機嫌な顔をしていたかりなのか、リカルドの顔を見た瞬間に心を読み取ってしまった。

「……お前はエスパーか」

「マ……マチルドさん……」

 匡子は良く分からないボケを噛ますと愉快そうに笑った。

「ウフフ……白い悪魔になれるかも……」

「髪型だけな」

「あんなチリチリじゃないし、為広ちゃんは?」

「仕事だ、帰って来ん」

 ヒラヒラ手を振って窓の外を眺めた、ちょうどおっさんが道端に嘔吐している。

「飯だったっけ」

「そうそう」

 匡子はソファーにダイビングした。

「はぁ~ウチもソファー欲しいな……あの木の椅子寝れないし」

「買えばいいじゃん金なんか使う事ないだろ」

「使ってないつもりでも減っていくのよ、女の子だから」

「なぁにが女の子だ、もう充分大人だろ」

「二りゅ……二十八までは女の子よ」

「そっからババアか?」

「ちゃうちゃう、大人の女性になるの」

 匡子は悪戯っ子のような無邪気な笑顔を浮かべた。

「見た目だけな……」

「ウッフッフ、見た目は大人、精神子供、その名は依頼屋匡子!」

「自覚あんなら成長しろ」

「そのうちね」

「馬鹿かお前は」

 リカルドは立ち上がって食事の用意を始めた、匡子は身体だけ起こして尋ねる。

「今日は何?」

「ロールキャベツ、あと味噌汁」

「いいね、和洋折衷っぷりが、私なら絶対一緒に食べないけど」

「手伝う気はないのか」

「ないね~」

 匡子は再びソファーに突っ伏した、リカルドは匡子の背後に忍び寄った。

「働かざる者食うべからずっつう言葉があるんだぜえ!」

 うつ伏せ状態の匡子のこめかみに固く握った自分ゲンコツを両側からぐりぐり押し付けた。

「いたっ!いたいっ」

 悲鳴を上げながらも立ち上がろうとしない、横暴な奴である。

「手伝うか」

「嫌だ、イッテっ!」

 もう一度強く押すと、流石に我慢出来なかったのか起き上がった。

「もー準備ぐらいしてくれたっていいじゃない」

 こめかみをさすりながらぼやく、何故か楽しそうである。

「ここはレストランじゃないんだよ、箸と皿出せ、飯は自分で入れろよ」

「ロールキャベツのお皿?」

「そう、汁気あるから底深めなやつ取ってくれ」

「オッケー」

 返事だけ真面目にし食器棚をあさりる。

「今日槙原どうだった、真面目に仕事してたか」

「親戚の葬式で休みます、だって」

「またか」

「ね、困っちゃう」

 自分の部下の話にも関わらず他人ごとのように呟いた、リカルドは頭を抱えた。

「あいつの親戚は結婚するたびに死んでいくのか」

「言われなくてもわかってます、でもあの子のやる気次第でしょ、部外者がとやかく言うことじゃないわ、はい、持ってきましたわ」

 どう考えても話を終わらせたがっている匡子は笑顔で皿を差し出した。

「何を……ふざけんな」

 匡子が持ってきたのはサラダ用の巨大なボウルである、やることがいちいち小学生レベルだ。

「入れてやるけど、絶対残すなよ」

「あら~冗談よ、冗談、こんなに食べれないわ」

「やることがいちいちしょうもないんだよ、はい、変えてこい」

「オッケーオッケー、待ってて」

 匡子は笑いながら食器棚にボウルを戻した、このふざけたやり取りの所為で怒るのも馬鹿らしくなってしまった。

「今度は真面目に持ってきましたよ」「ありがと、あぁ思い出した、明石のおじさんがお前に会いたがってたぞ」

「知ってる知ってる、今度花見あるじゃん、そん時行くから」

「そうか……今年は明石だったか……結構遠いんじゃないか?」

「遠いねぇ……まぁ車借りたらいいし……」

「そうだな、あっ、そんなら呑めないぞ」

「ウソ!そうか……えーどうしよ、運転して貰うか……」

「我慢するって選択肢は無いんだな」

「当たり前でしょ、でもタクシーはなぁ、高いし……待ってて貰うのは悪いしねぇ」

「ボスの車って直ってるんだっけ」

「知らない知らないそんな事、早く入れて」

「あぁ……すまん」

 リカルドは匡子の持ってきた皿に温めたロールキャベツを入れてやり、自分は肘掛け椅子に座った。

「眠いな」

「寝てないの?」

「寝てるけど」

「ゲームしすぎじゃないの」

「……だろうな、目が疲れてるのかも、病院行ったら直してもらえるかね」

 リカルドは眉間を抑えた、目を強くつむると目の痛みが少しだけマシになる気がするのだ。

「そういえばツナマヨって旨いよね」

「は?」

 自分の目の疲れの話はどこに行ったのか。

「いや、ごめんごめん、今日食べたんだけどさ……」

「ああ」

「なに、興味無いの」

「あんまり、でも聞いてる」

「いや、それでコンビニのおにぎりって美味しいなー的なことを思ったの」

「コンビニおにぎりって食べたことないんだよな」

 匡子はわざとらしいぐらいに驚いて見せた。

「うわ~……ケンちゃん人生の九割り損してるわ……」

「ツナマヨの旨さが人生なのか……」

 安い人生である。

「なんで食べないの」

 匡子はずいっと身体を伸ばした。

「身体に悪そうだからさ、なんか、色々入ってそうだし」

「あーそうやけどぉ、ツナマヨ食って死んだ人なんて聞いた事ないでしょ、それだけしか食わないとかしなけりゃ大丈夫だって」

 なんでも程々にしておけば問題ない、しかし程々でもダメな物もある、注意しなければならない。

「まぁそうだろうな、食って死ぬようなもん作んのは暗殺者かどっかの国ぐらいか……」

「一回食べてみな、美味しさの余りほっぺが地獄に落ちるから」

「駄目じゃねぇか」

「良い意味で」

「良い意味の地獄ってなんだよ……」

 リカルドは一欠伸して目を閉じた、普段はこんな時間に眠たくなる事は無いのだが、今日は無性に惰眠をむさぼりたい気分である、しかし。

「いやぁやっぱりケンちゃんの料理は旨いですなぁ」

 リカルドが眠たくなって来たのに気づいた匡子は声量を上げた。

「たまには自分で作ったらいいだろ物臭ババアめ……」

「ちゃんと対価は渡してんじゃん」

「いや、そうゆう意味じゃない」

「じゃあどうゆう意味よ」

「料理やら家事やらさ、そんなん自分で出来るようになった方が為になるだろ」

「まあね」

 匡子は案外すんなり納得した。

「なら私とケンちゃんが結婚すれば全て丸く収まっ」

「するわけない」

 きっぱり拒否した。

「そうだよね~」

 彼女は特に気にする様子もなく箸を進める。

「あ、いただきますって言うの忘れてた、いただきます」

「今日は失敗したんだ、塩からくないか」

「うんにゃ、全然旨いよ」

「……だよな」

 そう答えると思っていたが、リカルドはつまらなさそうに頬杖をついた。

「そうだ、ひじき炊いたから取ってきてやる」

「いらん」

「こっちは旨いぞ」

 彼女の言葉は耳に入らなかったように振る舞いながら冷蔵庫からタッパーを取り出した。

「ひじき嫌いやもん」

「知ってるよそんな事、だから言ってるんだ、嫌いなもんでも無理して食べな、身体にいいもんなんだから」

「分かってるけど、嫌いな物無理して食べる方が身体に悪いって」

「屁理屈言うな、カップめんやらフライドチキンの方がよっぽど悪いわ、一口でもいいから食べとけ

 小学生の口喧嘩のような幼稚な会話である。

「も~……母ちゃんみたいな事言わんとってや……」

 今回は負けを認めた匡子が自分の前に置かれたひじきの煮物を恨めしそうに見つめた。

「いいレストランだろ、お客さんの健康まで考えてくれてよ」

「余計なお世話ね……」

 そんなほのぼのとした時間でも、仕事は待ってくれない、開けっ放しになったドアの前に今にもぶっ倒れそう青い顔したサラリーマンが立ちすくしていた。

「いらっしゃい」

「あら、ちょっとどいときまーす……」

 匡子は食事途中の器を掴んでリカルドと席を交代した。

 めんどうな事このうえないが仕方がない、とりあえず立ち上がってその死にそうな男をソファーに促す。

「どうしました……」

「財布を無くして……」


 途中男が絶望的とでもいうかのように呟いた、そんなに大したこと事ではないとも思われるが、もしかしたらおろしたての給料でも入っていたのかもしれない。

「とりあえず座ってください、財布無くされた、それを探して欲しい、ですね」

「はい……そうです、絶対に見つけないと困るんですよ」

 やはりいくらなんでも財布一つでこの様は大袈裟過ぎる気がする何か秘密があるのかもしれないがそれは依頼人の都合である、聞くことは社訓に背く事になる。

「とりあえず話でも聞きましょうか」

「警察行った方がいいんじゃない?金取られんで」

 匡子はふてくされたような顔して前髪をクルクル弄る、遊びが邪魔されて不機嫌らしい。

「交番に行ったんですけど見つからなかったんですよ……捜してくれませんか?」

 依頼人は子犬のように潤んだ目でリカルドを仰いだ、女でも充分に気持ち悪いが、男だともっと気味が悪い、その潤んだ視線を避けるようにしながら頷いた。

「コイツの言う事は気にしないでください、探しますとも勿論」

「あっ、ありがとうございますぅ」

 少し気味が悪い男だが、報酬を貰えるのであれば何の問題ない、早速話を聞く。

「どの辺で落としたんですか?」

「……近くなのは……絶対ですけど……」

「…………」

 要は分からないということではないか、社会人的な答えである。

「もうないかもね」

 匡子は冷やかして味噌汁を飲んだ。

「お前は黙ってろ、どんな財布なんですか?なんか、ついてるとか、ありませんかね」

「茶色の長財布です……何もついてない……」

 そんな財布世の中には五万とある、リカルドは長くなる、とこの時確信した。





 三宮はあまり広くない、だが相手が小さな財布となると、散らかった部屋で米粒を探すようなものである、三人はひとまず依頼人の会社があるという東通り商店街に向かい、捜索を開始した。

「会社に置いてきたとかないの」

 しゃがんで探す二人を横目に、匡子が言った。

「行ってみましたけどありませんでした……」

「道順に探すしかないだろとりあえず」

「それしか無いですか……」

 人通りの多い道を見て依頼人は早くも気力を失いかけていた。

「まぁまぁ、元気出しいな、見つからんかったら新しいの買ったらええやん」

 それを見た匡子が適当に励ました。

「そ……そうですね」

 どうやら、そうは思っていないようだ、道端のガムをジッと直視し始めた。

「早く探せ馬鹿ども」

「はい……」

「匡子、何ぼーっとしてんだ」

「だって今日スカートだもん、捲れちゃうじゃん」

「お前のパンツ見ても誰も喜びませんー」

「何よ、その言い方、失礼ね…」

 匡子は反抗的な眼差しでリカルドを睨みつけると、きっちり見えないようにして腰を下ろした。

 姿勢を低くして道の隅々まで目をこらしていくのだが、これがなかなか骨の折れる作業である、しばらく探していると一軒の居酒屋にぶつかった。

「あっ、ここでちょっとだけ飲みました」

「あぁ、え、それで何」

 疲れてきた所為か返事がおざなりである。

「俺が払った……と思うんですよ」

「なら……」

 リカルドが言おうとした言葉を匡子がそのまま声に出した。

「こっから先にしかないって事?」

「そうですね」

「はぁ、もう」

 匡子は苦々しい表情でへたり込んでしまった。

「無駄じゃん」

 たかだか数百メートル先の居酒屋にたどり着くまでに既に三十分、先が思いやられる。

「はぁーもうっ!」

 今度は

「……まぁここより後ろには無いんだから、それが分かっただけラッキーだろ」


 もっともではあるが、何か癪に触る口調である、三人は再び捜索を再開した。

 中腰で作業している時に、猿になりたいと思うのは私だけではないだろう、あの体勢で疲れないなんて反則である。

「あったー?」

 もっとしばらく、匡子はすっかり飽きた様子である、流石のリカルドも二時間半近い作業でだいぶ口数が減ってきている。

「無いよ」

「やーねーもう」

「ない……」

 依頼人の面はますます青くなっていく、このままいくと地球人類の奴隷化か死かを選ばせる男になりそうである。

「……まぁまだまだ時間はあるしさ」

「そうそうげ、元気出して」 慌てて励ます。

「そう簡単には見つかんないよ」

「ゴミしかないな……あっ十円」

「なんでこんなとこで落とすんよ……あっあった」

 匡子も拾った、そして前を見ると、もう一枚、今度五十円が無造作に落ちていた。

「ヘンゼルとグレーテルやん、金持ち版」

「金持ちは小銭なんか使わんだろ」

「そうか……」

「百万単位で落としていくからな、金持ちは」

「拾って迷わせてやろうか」

「それはダメだ可哀想だ、変わりにお花を植えてやるんだ、一本の花の温かみを……」

「かっこいい」

 疲れてきたのか、訳の分からない会話が始まった。

「いいから探しましょうよ……」

 そんな二人に依頼人が半ベソで突っ込んだ。

 夜十一時を過ぎた頃、精神的にも体力的にも限界が訪れていた。

「この辺は大体探したぞ、あとどこ行った」

 依頼人は首を傾げた、大体めぼしい場所は探してしまっている。

「財布いくら入ってんだ?」

「十万くらい」

「あーそれなら取られてるかもなぁ……」

「ですよね……」

 人間は、ここまで悲しそうな表情を出せる物なのか今の依頼人はそんな顔をしている。

「ま、まぁまだ完璧に探した訳じゃないし、元気出せよ」

「はい……」




 それから、再び数時間、もう深夜と書いても差し支えない時間である、電車は走らず、人通りもめっきり減った。

「もう……ダメだ」

 ゴミ箱の裏を調べていた依頼人が沈痛な呻き声を上げた。

「……気い落とすなよ、見落としたとこあるかもしれないし」

 あまりフォローになっていない言葉である、すると依頼人は地面のシミを見つめたまま動きを止めた。

 リカルドからは横顔しか伺えないが目に涙が浮かんでいるのが分かった。

「大切な物が入ってるんです」

 突然依頼人が語り出した、正直な所どうでもいいが、聞かなければいけない流れだ。

 テレビならば哀愁漂うBGMが流れ出すだろう、そんな雰囲気だった、いや、流れなくてもいい、人の足音、普段はやかましく感じる車のエンジン音さえ、今は不思議と悲しげな音色を奏でているようだ。

「私……嫁がいるんです……」

 依頼人は地面から顔を上げ、空を見上げた。

「会えないけど……ずっと元気を貰ってました」

 雲はなくとも、暗い夜、まるで依頼人の心を映しているように感じられそうだ。

「写真、見て……毎日……そうするとツラい事も乗り越えられる気がして、いや、乗り越えられてきたんです」

 空を見るのに耐えられなくなったか、作り物の灯りに視線を落とした。

「依頼人……感傷に浸るのはいいけどよ探そうぜ」

 依頼人は一瞬で現実に引き戻された。

 そして一時間後。

「見つかりませんっ大佐ァッ!」

 匡子は突然甲高い叫び声を上げた。

 見た目とは裏腹にわりかしアグレッシブな彼女はこんな地味な作業が大嫌いである。

「見つからへん……」

 そして今度は低い声で呟いた。

「うるさいなお前は……」

「疲れたんやからしょうがないっしょ、同じとこ何回もさぁ」

 今で三往復目である、もう希望はほぼ無いが、依頼人の手前そんな事は言えない。

 しかし探す時間が増えれば報酬も増えるので構わないのだが、匡子はそんな風に思わないようだ。

「休憩しよーや~」

 吐き気を催す程甘ったるい声で言った。

「勝手に……」

 何故だろう、身体はやる気満々なのに、心は真逆だった。

「そうだな、一回休憩しよう、あんま根詰めてちゃなぁ、依頼人休憩しよう」

「はっ、はい」

 返事はしたが、探す手は止めようとする気配はない。

 その写真とやらは自分の身体よりも大切なものらしい。

「あーもー疲れた」

「そうねー眠たか」

「盗られてるな……」

「間違いないわ、そんな口が裂けてもいえないけどさぁ」

 必死で探す依頼人の背中を匡子はなんとも言い難い目で流した。

「……

 そして、その目は依頼人の尻ポケットに向けられた。

「なにあれ」

 依頼人の尻ポケットには今にも落ちそうに揺れている茶色の細長い物体が入っていた。

 リカルドはしばし言葉を失ったあと、一言一言噛みしめるように言った。「なんだろアレ、お前いつから気付いてた?」

「今」

「今かー……」

 また沈黙が流れた。

「念のためだ」

「オッケーいいよ」

 二人は同時に立ち上がり、重い足取りで依頼人の肩を叩いた。

「依頼人」

「はい? なんですか?」 

「ケツのあの、ポケットのそれなんだ?」

 素直に質問するのがはばかられたため回りくどい説明になった。

「えっ?」

 しかし意味は伝わる依頼人はポカンと尻を見やった。

「あぁっ!!」

 そして上擦った叫び声を上げ、ポケットから茶色の細長い物体を取り出した。

 依頼人は驚愕した様子でその物体を掲げ、二人を交互に眺めた。

「ありました……」

 一番恐れていた言葉が依頼人の口から飛び出した、予想はしていたが、やはり落胆は隠せない、この三時間ほど全く無駄な動きをしていた事になる。

「はぁぁー……」

 リカルドと匡子は息ぴったりに今日一番のため息をついた。

「マジか……」

「まっまさかこんなとこにあると思わんかったんでっ、ほんまにすんません」

 周りの目が痛い。

「すいませんほんまに」

 依頼人はペコペコ頭を下げ続けた、何かこっちが悪いような気がしてくる。

「お礼の方はいくらぐらいで……」

 早速見つけた財布を開いた。

「どうする、匡子」

 そんな様子を見ているとお礼を貰うのも悪い気がした。

「……ビール一本ぐらいでいいんじゃない、なんか悪いしね」

「いいならいいが……はぁ」

「じゃあ買ってきますっ」

 依頼人は駆け足で近くのコンビニに駆けていった。

 二人は顔を見合わせ。

「なんかカツアゲみたいになってないか」

「仕事自体がカツアゲみたいなもんじゃん、まぁ終わったー」

 匡子は大きく伸びをした。

「もの凄い疲れた」

「見つかって良かった」

「……まぁなでも、あれなら家帰ったら見つかったかも」

「家には帰れないでしょ、金無いのに」

「ああそうか、ならもっと早くに見つかったかもな」

 リカルドは頭をクシャクシャにして唸った。

「あっそうだ」

「なんだよ」

「写真見せて貰う?」

「写真?」

 リカルドはさっき依頼人が言った言葉を忘れていた、ではなく聞いてさえいなかった。

「依頼人がさぁ、財布ん中に大事な人の写真が入ってるって言ってたの」

「……なんと……それで探してたのか、怪しい薬でも入れてたのかと思ったぜ」

 失礼極まりない。

 そこに依頼人がビールを六本も抱えて走ってきた、どこからどう見ても、まごうことなくパシりである。

「買ってきました」

「あんま大声出さんといて」

「あっすいませんどうぞ」

「こんなにいっぱいか悪いね、しまった場所は覚えとけよ、ちゃんとさ」

「はい、すいません」

 また頭を下げた。

「もうええからさ、さっき言ってた写真見せてや」

 匡子が期待に満ちた表情で言う、依頼人は一度驚いた表情を見せたが、すぐに頷いた。

「勿論です」

 すぐに財布を開き、袋に入った写真を取り出した。

「どうぞ」

 目の前に掲げられた写真を見て、二人はポカンと口を開けるしかなかった。

「どうです、ミキミキっ! 可愛いでしょっ! 可愛い過ぎるでしょっ!」

 今までの間違って地獄に落とされた善人のような顔をしていた依頼人はどこへ行ったのか、恋する乙女の眼差しでせき立てる。

 写真、いや、アニメの美少女が写った紙は写真とは認められない、絵だ、依頼人はその嫁とやらの絵を公園で子供を見守る老人のような和やかな面もちで舐めまわした(目で)。

「ああ、ほんとによかった! もう無くなったどうしようかと、ミキミキー」

 依頼人は金髪の少女が描かれた絵に頬摺りしながら恍惚の様相だ。

 気持ち悪いという表現がこれほど似合う場面も少ないだろう、ゴキブリの方がまだ可愛げがある。

「……まぁ、よかったな、見つかって」

 リカルドの言葉からは感情が一切感じ取れない。

「はいっ、よかったです、ありがとうございますっ」

「じゃ気を付けて帰れよ……定期とかなくさんように」

「はい、気を付けます」

 依頼人は振り返って何度もお辞儀しながら去っていった、最後はどうあれ、一件落着である。

 一人の男が幸せを取り戻した、感謝より罵倒される方が多い毎日の所為か、笑顔でもなかなか嬉しいものだった。

 道の真ん中に取り残された二人はとりあえず顔を見合わせた。

「疲れたな……」

「なんか疲れも吹っ飛んじゃったけどね」

 匡子は眠たそうに言った。

「さぁさぁ、帰りましょうか、今日はもう限界だ、帰ったらすぐ寝よ」

 リカルドもまぶたを重くしているようで、欠伸をかみ殺して歩き出した。

「え~ビールは?」

 その後を追いながら匡子が言った。

「明日でもいいだろ」

「いやだ、だって高い方やで、高い方、依頼人奮発してくれた」

「我慢しとけよ……一人で飲んでも構わんだろ」

「一人で飲んでも楽しくないやん」

「子供かお前は」

 やたらと寄ってくる匡子を引き剥がしていると、大切な事を思い出した。

「為広忘れてた」

 大事な相棒の事をすっかり失念していた、一度携帯を確認しようとポケットを探ったが、携帯らしい感触はなく、少しだけ砂が入っていただけ。

「……あれ」

 リカルドは顔をしぶらせた。

「どないした?」

「携帯が無い……」

「はぁ?」

「お……落とした、いやまさか……」

 リカルドの顔はどんどん青ざめていく、匡子も事情を理解して肩を落とす。

 今日は眠れない夜になりそうだ。





 

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