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依頼屋の日常

 依頼屋、と聞けばどんな商売か大体の方が理解できるだろう。

 名前の通り依頼を受ければ犬の散歩、ゴミ捨てみたいな小さな面倒から逃亡の手伝いのような大きな厄介まで、それ相応の対価を支払えばどんな仕事でもお値段程度にこなしてくれる困った庶民の味方なのである。

 このお話は兵庫県神戸市で暗躍していない依頼屋について赤裸々に綴っていくだけの物語である。





 四月一日、神戸市沿岸部は長い間留まっていた曇をようやく追い払い、久し振りに快晴と堂々宣言できる天気になっていた。

 神戸市中央区、登山にはちょうどいい高さの六甲山系の山々と大阪湾に挟まれた文字通り神戸いや兵庫県の中心といえる街である、異人館やポートタワー、南京町のような観光地も中央区に密集しており神戸旅行といえばもう大体中央区だ、中央区でないなら有馬温泉だろう。

 それ以外は本当になんにもない。

 世は春休みである、ただでさえ人通りの多い元町は更に人でごった返し、歩くのは非常に困難だ。

 街を歩く顔ぶれは非常に豊富で、観光客地元民、はたまたこの日曜日に働く人達、多種多様だ。

 そんな人の中でも、高架沿いを歩く男と同じ目的で来ているのはこの街の中でほんの数人だけではないだろうか。

 皺のないスーツに身を包んでいる姿は銀行員などのキッチリした職業を想像させられる。

 この男の名は福原と言い、二十年以上仕事のみに邁進してきた仕事人間である。

 少々程度のいい高校を出て有名な大学を卒業、そこそこ恵まれている会社に就職して、生活に困らない額を給料として受け取り、ギャンブルもせず酒も飲まず煙草も吸わず、クソがついても腹が立たない程真面目に生活してきた。

 誰からも馬鹿にされる事はなかったが面白くない奴だ、友達も多くはない、ぶっちゃけ少ない、趣味もないので困ることはないが。

 そんな欠点という欠点が見当たらない彼だが、一つ困った癖がある。

 それは自分以外の人間を見下している事である、おそらくこれが友達が少ない一番の理由であろう。

 街を行くアホ面の女(福原視点)や競馬狂いらしいオッサン(福原視点)達一人一人に軽蔑するような視線を浴びせ掛け、自分はこんなクズとは違うんだと言わんばかりである。

 上を見上げるより下を蹴りつける方が楽に自尊心を保てる、それが成功する者としない者の違いなのだろう、どちらが良いかは言わずもがな。

 福原は何の変哲もない汚いビルの前で足を止め、地図を広げた。

 高学歴の彼はビルの建ち並ぶこの元町で迷っていた、部下の手書き地図を見直すのも何度目か分かったものではない。

低学歴しかいないような繁華街に来ること自体彼にとって屈辱なのである、しかし、高学歴が通う街とはどんな所なのだろうか。

 彼は頭を整理する事にした。

 迷ったのは仕方がないと納得していた、元町に仕事以外でほとんど来る事はないしなにより要領の悪い部下が書いたせいでもある、どこか間違っていてもおかしくない。

 キョロキョロと威圧気味に辺りを見回した、しかし周りには同じような形をしたビルがやたらと並んでいるだけ、それに案内すらない建物も多い。

 再び歩いたが、見つからない何十分辺りをさまよっただろうか、焦りで額から嫌な汗が流れ出てくるほどである。

 だが、どれだけ困ろうと人に聞こうという発想にはいたらないのはある意味徹底していて清々しい。

 人と話すのが苦手で道を聞けないという方は多いだろうが、彼の場合人に頼るのが許せないだけだ。

 上を見上げたり左を見たりと忙しい福原にワンカップに赤ら顔のよくその辺にいるオッサンが笑顔で声をかけてきた。

「なにしてんねん」

可愛らしい笑顔であるが福原の一番毛嫌いしている人種でもある。

「……いえ、なにも」

 彼は仮面のように固まった表情でそっぽを向いた。

「なんもない事ないやろ、ほら見してみ」

 御節介オッサンに言葉無しで意志など通じる訳がなかった。

 図々しく福原にすり寄って地図を覗き込んだ、一瞬隠そうと奮闘するが、以外な握力で強引に手繰り寄せられた。

「何や地図か?」

 顔の近くで口を開かれるとキツい酒の臭いが酒に弱い福原を容赦なく襲った。

「依頼屋、リカルドんとこか、そこやで、そこにあるがな」

 朗らかに笑っているオッサンに対して福原は無表情である、決して酒の臭いの所為だけではないだろう。

「どこ見とんねん、そこや後ろや」

 酔っているのか震える腕を一所懸命伸ばし福原の真後ろに建っていた小汚いビルを指差した。

 そこはさっきから何度も見てたが、案内の看板も何も無いの外から見るとただのなにもないビルなのだ気付くわけがない。

 外見は分からない、しかし地図にはビルの名前までしっかり書かれているのである。

「なんで分からへんねん、地図持ってんのに」

 オッサンは他人を見下したりはしない、だがその代わり正直者だった。

 自分の気持ちを隠すことなく素直な気持ちをさらけ出しただけであるが、福原にとっては顔に泥を塗られるどころではない屈辱なのである。

 メラメラと湧き上がる怒りを必死で押さえつけながら地図をオッサンの手から引き剥がした。

 そして礼を言うどころか唾を吐くような勢いで教えられたビルに足を向ける、そこだと分かった以上は行くしかあるまい。

「おいっ、そこ危ないからな」

 何の躊躇も感じさせずビルに入る福原にオッサンは叫んだが、聞こえる訳もない、他の事で頭が一杯だった。

 足を踏み入れたビルの中は見た目と同じように薄汚く薄暗い、電灯がチカチカと点滅している様はホラーゲームの導入みたいな雰囲気だ。

 中にあった案内板には依頼屋二階とある、ここで間違いないらしい、オッサンの存在は忘れる事にした。

 怒れる福原は階段に足をかけた、そして見事に段を踏み外し角で顔面を強打した。

「クゥ……」

 オッサンの気を付けろというのはこの事だったのだろう、しかし聞いてさえいなかった福原は目尻に涙を溜めて立ち上がった、激痛にうめく事しかできない。

 もしも人前でこんな醜態を見せてしまえば憤死していただろう。

 ひどく打ったが、鼻血などは出ていないらしい、汚れがついていないか確認して自分の躓いたところに目を凝らした、コンクリートの階段に何かで抉られたような穴が開いている。

 何事も無かった風を装い、二階へ上がる階段を今度はしっかり踏みしめて上がりきると『依頼屋』とテープで書かれたドアが目の前に現れた、服についた汚れを払い落としてからその扉を引き開ける。

 廊下には洋食屋のような匂いが漂っている、腹が膨れている今は不愉快だった。

 扉の閉まった奥の部屋から銃声とともに若い男の歓声が響いてきた。

「うぇ……なんで当たんの……」

 そのあと女性とも男性ともつかないうめき声が漏れた。

「なんだ……?」

 訝しみ居間のドアをそっと開けると、何のことは無い金髪の若い男と黒髪の青年が昼間からゲームを楽しんでいる所だった。

「じゃあ押すぞ、準備は」

 金髪の男がうんざりした様子で呟いた。

「同じ徹は踏まないぞ」

「オッケーです」

「よーし、押したっ」

 ゲームの中でベルが鳴った、二人共楽しんでいるようで福原に気づく様子がない、そこで大きな咳払いをすると金髪の男が振り返った。

 見るからに性格が悪そうな金髪は品定めするように福原の容姿を眺め。

「いらっしゃいませぇ」

 と何故かアパレルショップの店員のような裏声で福原を迎え入れた。

 短い金髪に悪い目つき、極めつけは特にない、オッサンは確かにリカルドと言っていたが、どう見てもリカルドと呼ばれるような男にはまったく見えないのである。

「ああ、ちょっと待っててくれ、すぐ終わるから」

 金髪の男は低い声で唸って再びテレビに目を戻した、客がいるのになんという態度だ、福原はもう一度咳払いで注意を向けようとした。

「すいません、もう少し待ってくださいね」

 黒髪の青年は申し訳無さそうに頭を下げた、リカルドよりはまともだと思われるがこの青年も結局はゲームの方が大事なようだ。

 容姿も声も男か女か分からない。

「死んだ!」

 リカルドが叫ぶ。

「えぇっ、あ、チャージャー……」

 画面が血だらけになる。

「全、滅だー……」

「いつの間にやられてたんですか……」

「挨拶してる時、もー……やっぱエキスパは無理か、為広、お客さん来たからお片付けしておけ」

「……了解しました……いらっしゃいませ」

 為広と呼ばれた青年はもう一度頭を下げるとせっせとゲーム機を片付け始めた。

「失礼しました、申し訳ありません、お待たせしまして」

「いえ、別に」

 心中、全く別にではないが、変なことを言って機嫌を損ねられても困る、福原は大人だった。

 そんな心中を知ってか知らずかリカルドは部屋の真ん中に置かれたソファーに腰掛けた。

「どうぞ座って」

「失礼します」

 福原はスマートに腰掛けた。

「ここの依頼屋の社長、リカルドです、よろしく、今日はどういったご用で」

 金髪の男、リカルドは不自然な笑みを浮かべた。

「……妻の浮気の証拠が欲しいんです」

「浮気ぃ、奥さんのね、本物の嫁さんですか?」

「偽物といゆうのはあるんですか……」

「本物ね」

 リカルドは福原の言葉を無視して机の上に散らばっていたメモ用紙に何かを素早く書き残して一回頷いた。

「写真? 物証?」

「どちらの方が重要ですか」

「どっちも一緒よ」

「……できる方でお願いします、報酬はどれくらいでしょうか」

「まぁ焦らずに、ゆったりお話しましょうよ、お名前は」

「時間がないんです、これを……」

 リカルドはカバンを探る福原の動きを遮った。

「まぁまぁ……ちゃんと話聞かないと失敗するかもしれないでしょ、お名前は?」

「分かりました、福原と申します」

 あまりにも無礼な態度に渋りながらも答える。

「福原さんね、普通に福原でいいの漢字は?」

「は?普通?」

「幸福の福に原っぱの原でいいのか?」

「そうです」

「はいよ、奥さんの名前は」

 福原は答えなかった、その代わりに得意げな表情で紙の束を差し出す。

「何」

 リカルドは首を傾げて受け取る、そんな小さな反応でも福原は自尊心を回復できた。

「説明すると時間がかかるんで書いてきたんです」

「用意周到だな、どれ」

 リカルドは福原自慢の資料スラスラと捲って、内容を適当に見ていったが、別になんの事はない、名前と住所と、それくらいである。

「…………書いてない事聞いてくぞ」

「まだありますか」

「大事な事は見えない事でしょ、結婚生活は何年だ」

「書いてありますが」

 リカルドは一瞬だけ紙に目を落とす。

「ほんとだ、六年ね、あーんー奥さんはどんな方、性格的には」

「答えないといけませんか」

「いいや、全然、黙秘でもいいけど」

 そう言われても何か答えなければいけない空気である。

「……少し自由……ワガママですが……」

「アンタは、自分を自分でどう思ってます?」

「は……いや、なんの意味が……」

「意味が無いと思うなら別にいいけど?」

 いやらしい顔をしている、結局答えさせないつもりはないようである。

「別に普通だと思いますが」

「何が、性格?顔?」

「……」

 これは悪意しかない、黙秘権を行使する事にした、リカルドはニヤニヤとした笑顔を消し飛ばして不満そうに唸った。

「あ、そう、じゃあ奥さんの好きな食べ物は」

「知りませんね」

「興味は」

「何にです」

「奥さんの好きな物気になってる物、とかそうゆう」

「ありませんよ、あまり干渉していませんから」

「家でどれぐらい話するんですかね」

「ほとんどしません」

「する時はどんな」

「する時、別になんでもありません子供の事とか……」

「子供は可愛いですかね」

「どういった意味ですか」

「愛情があるかどうか、とか」

「それはありますよ」

「ああ、そうですよね、すっごく当たり前のことを聞いてしまいました」

 リカルドは今までの話をおおざっぱにメモし今までの雰囲気を一蹴して真面目な表情に戻った。

「離婚を考えての依頼か、それともただの脅しか、どっちでしょうか、調査方法が違いますので決めておいてください」

 隈だらけの目を細めた。

「…………」

 長い間沈黙が流れた、焼きそばが作れるくらい長い間。

「難しく考える必要はな……」

「別れます」

 福原はリカルドの言葉を遮り、断固とした決意を露わにした。

「……そうですか……」

 福原は何か言われるのかと覚悟したが今度は満面の笑みである。

「決めた事に良いも悪いもありませんからねぇ、後がどうなるかでございます、じゃあ必要な事は聞きました、全身全霊をもって別れさせますので、今日の所はお帰りください、もし何かあれば連絡します」

 リカルドは嬉しそうに言った。

「やっていただけるんですか」

「話聞いたから、やらないと、代金は後払い、失敗すりゃ、失敗なんかしないけどタダだから、ヘッヘッヘ……」

 本当に嬉しそうである。

「分かりました、お願いします」

 屈辱だが、頭を下げた、こんな奴らにでも頼らなければ自分は何もできない、今まで完璧な人間だと自負していたが、そんな事はなかったのだ。

「ああ、頑張りますよ」

 リカルドは喉を鳴らして立ち上がり、ドアを開けた。

「どうぞ、お気をつけて」

 福原はもう一度頭を下げた、二回も頭を下げたことがあるのは取引相手と上司くらいである。

「絶対に大丈夫なんですね」

「ああ大丈夫大丈夫、急いでんだろ、とっとと帰れ」

 こんな暴言、普段なら色をなしてキレるのだが、今は不思議と全く気にならなかった。





 四月最初の依頼は家庭を引き裂くことになった。

 最近、離婚という言葉をよく聴く気がする。

 メディアでは円満離婚やらなんやらと、柔らかい言葉で離婚を奨励しているが、残念ながら良いことの訳がない。

 結婚は化粧品ではない、合わなかったら替えましょう、なんて軽く扱える問題にしてはならないのである。

 だがどうしてもというときには我慢する必要はまったくない。

 





 福原が出て行った後すぐに、為広が眉を細めて資料に目を通すリカルドの横に座った。

「なに書いてあるんですか?」

「なんでもないよ、住所とか、年齢とか、しっかしメモする手間は省けた……」

 目を擦って為広に資料を投げ渡した。

「そうなんですかー」

「目え通しとけ」

「ほい」

 彼女は資料を手に取ってパラパラ捲った、別に何の感想も無かったらしく。

「奥さん気い強そうですね」

 資料に載っていた写真を見て至極どうでもいい感想を漏らした。

「ん? 写真なんてあったか」

「ありますよ、ほら」

 彼女が見せたページにはお肌の曲がり角を迎えたぐらいの性格のキツそうな女が写っていた、名前は福原緋菜とある。

「ほんとだな……」

「さっき見てたじゃないですか」

「そんな詳しく見てない、お前が覚えてくれるだろ」

「写真気づかないですかー」

 為広も適当にページをめくっていく。

「クソガキ、家どこって書いてある」

「西神ですね、ちょっと遠いです、ほんとになんも見てないですね」

「いいだろ、字ちっさいから読む気にならなかったんだ」

「今から行きますか?」

「行くよ、行かんと、仕事だ、もうせっかく遊べると思ったのに」

「準備してきます」

「……買い物していくか、いや邪魔になるか……まぁメシの心配はいらんし……」

 リカルドは静かに呟いた、仕事に一切関係ないことを。





 福原の自宅のある西神中央、どんな場所か説明すれば、一部は新興住宅街である、神戸のベットタウンのような所だ、そして大部分が畑。

 西区の住宅地は神戸でも比較的おかしな事が少ないかもしれないので住むのにはいい、交通も便利というほどではないがそれなりに通っているので困る事はない。

 新しい住宅街の中でもさらに新築の匂いが漂うエリア、その一角に建っている家が福原の物らしい。

 住所通りの場所には福原と表札かかった一軒家があった。

 変わった所はないがわりかしお洒落な建物だ、福原の趣味ではないような気がする。

「結構いい家ですよ、お金持ちですね」

 貧乏だった為広は僻みっぽい口調で言った。

「ホントだな」

 別に羨ましいとは感じなかったものの、綺麗な一軒家、もっと凄い豪邸に住んでいない限りなかなか良い家だ。

「どこで働いてんだっけ、福原は」

「大井商事ですって」

「ああそうか……んでどうする、俺は何も考えてない」

 頭をボサボサと掻いた。

「息子さんの知り合いの振りして見てきましょうか」

「息子いんの?」

「高校生ですって」

「……結婚六年じゃなかった、出来婚にしてもデカくね」

「連れ子ですよ」

「連れ子、嫁の?」

「ええ、そう書いてありましたよ、ちゃんと読んだんですか?」

 息子がいるという事が気になったのか、為広の言葉が気にくわなかったのか理由は分からないがリカルドは急に顔をしかめた。

「まぁいいや、行ってこい」

「はーい、行ってきます」

 意気込んだ様子で門をくぐり、インターホンを押した、するとすぐに写真の女が怪訝な顔で現れた。

 写真で見るよりワイドな気がする、写真写りがよかったのかそれとも古い写真だったのか経験の浅い為広にはまだ分からない。

「郁夫君帰ってますか?」

 喉の奥からどこから出ているのだろうと思うぐらい甘ったるい声を出した。

 緋菜は怪訝な面持ちで為広の全身を見つめた、初めて鏡を見たチンパンジーの如く。

「まだ帰ってへんよ」

「あっ…………そうなんですか…………」

 彼女は俯いて、健気に見えるように顔を上げた。

「あっあの帰ったら伝えてください、槙原ですって」

 わざとらしい演技だが、演技と知らなければ演技と思うまい、福原嫁は案外怪しむこともせず。

「ああ、ええけど」

「失礼しましたっ」

 人を騙すのには多少の勇気が必要である、リカルドは慣れているので釣りしてたらサメが掛かったなんてくだらないホラ話を信じ込ませる程度にサラッと嘘をつくが、根は一般人の為広は今も心臓が破裂しそうなぐらい緊張している。

 キョロキョロして怪しまれる前に素早く福原嫁の前から姿を消した。

「バッチリでしたか?」

 門の裏でこっそり隠れていたリカルドは上機嫌で手を叩いた。

「なかなか演技だったな、アホみたいだったぜ」

「恥ずかしいから止めてくださいよ」

「誰かいたか」

「靴は女物だけでした、隠されたらどうか分かりませんが、物音も無し、出てくる早さからしても一人ですよね、しばらくつけてみますか」

 為広は一気にまくし立てたがリカルドは冷静である。

「そうしたいけど春休みだろ今、ガキもいるときに男と会うかね、多感なお年頃だろ高校生なんて、しかも日曜日だし」

「確かにそうですね……」

「嫁はパートかなんかやってるか」

「えーっと…………」

 カバンから高速で資料を取り出した。

「はい、やってますね、倉庫仕分け」

「倉庫、ほんとかよ、給料は」

「書いてませんよ?」

「しまったそんな事全然考えてなかったなぁ……」

 言葉は悔しそうだが、表情はを見るとどうでもいいことらしい。

「時間は」

「十七時から二十二時までです、怪しいですね」

「確かに、これは最優先で調べないとなあ」

「しばらく待ってみます?」

「そうだな、いや、ここはじゃんけんでだな、負けたほうが残る」

「仕事なのに、罰ゲーム気分ですか」

「待つのは嫌だろ、危険でもない尾行は一人のほうがいいからな」

「まあいいですよ、じゃあいきますよ」

「さーいしょーは……」







 近くの公園のベンチに腰掛け、為広は鼻息こそ荒くしないものの手を振って気合いを入れ直した、試合に負けても勝負に勝てばいいのだ今月の給料を倍ぐらいにしてやらなければ。

 とはいうもののやることはない、今から動きがあるまで待ち続けるだけだ。

 本を読んだり携帯をいじったりしているとあっという間に四時過ぎになった。

 福原家の玄関が開き、ついに緋菜が姿を表した。

 男と会うには至極地味な格好をしている、全体的にヒラヒラ感が足りない、パートのおばちゃんのようである、話の通りならそれでいいのだが、少し残念だ。

 何はともあれ尾行、為広は尾行の仕事は嫌いではなかった、相手は誰であれ、自分が映画や小説に出て来る探偵になったみたいでとても気分がいいからだ。

 知り合いの浮気を見つけたようなゲスな顔で後ろをつけていく、案外にもバレないのである、普段から追いかけられている人ならいざ知らず一般人ならまさか自分がつけられているなど考える事すらないだろう。

 緋菜は何も思うことなく陽の暮れかけた道を歩いている。

 自家用車では無かったのでとにかく一安心だ、もしそうなら追いかけようがない。

「電車かな……」

 緋菜が向かう方向は駅ビルであるタクシーに乗る可能性もと考えたがそんな事はなく定期券で改札を抜けた。

 為広も超特急で一番安い切符を購入し、いとも簡単に同じ車両に乗り込んだ拍子抜けするくらい簡単なスニーキングミッションだ、ゲームのほうがずっと難しい。

「ふう……」

 とりあえず息をつく事ができた、ひとまず駅につくまでは動く事はない。

 長い間電車に揺られ、睡魔に絡まれていると緋菜が立ち上がった次の停車駅は三宮である、仕事の後すぐに帰れそうだ。

 急いで乗り越し精算機を通して緋菜の後ろから降りた。

 予期せぬ動きに備えたが、緋菜は居酒屋にそれも裏口に入っていく。

 情緒もヘッタクレもないただの居酒屋チェーンだ、それに従業員用の出入り口である、とても浮気の待ち合わせ場所には見えない。

 資料を取り出して確かめるが居酒屋で働いているという記述はない、怪しくなってきた、為広は目を輝かせる。

 しかし、そこからまた動きようはない髪型と上着を変えて店の外でぼーっと本など読みながら待っていると。

「多田ちゃん、多田ちゃんどないしたんや」

 耳に響くだみ声が自分の名を呼んだ。

 気づくと小さな男が為広の前に立ちふさがっていた、見るからに怪しい風体のこの男も別の場所で依頼屋を営む悪い奴だ。

「あー前田さんこんに……こんばんは」

 あまり好きではない男に出くわし、為広は少し表情を曇らせた、理由はないがとにかく好きになれないのである。

「仕事か」

 前田は黄色い目をギラギラさせて為広に語りかけた。

「ええ、開くのを待ってるんです」

「なんの仕事や」

 待っているといっただけで仕事と見抜くたまたまなのだろうか。

「浮気調査です、ここで働いてるかどうか調べないとだめなんですよ」

「ほーう……なら一緒に入ったろか、一人やったら入りにくいやろ、居酒屋なんか」

「ホントですか」

 渡りに船だ、居酒屋には少し入り辛いと感じていた所である。

「どこで飲むか迷っとったんや、長谷川!長谷川ぁ」

 機嫌のいい前田は大きすぎる声で通りに怒鳴った、もし呼んだ人物以外に長谷川さんがいたら飛び上がっていただろう。

「うるさいねんお前は……」

 歩いてきた男は結構な大男、だが前田とは正反対で、朗らかな笑顔を浮かべ優しいオッサンのオーラを漂わせている。

「多田ちゃんおんで」

「ん? ああ為広くんか、久しぶり」

 前田の横に立つと余計に大きさが強調される。

「お久しぶりです」

「美和ちゃんは今日は……」

「酒飲むんに連れていけんからな、ああ、ほんでなんや前田」

「飲むとこ決まったんや、多田ちゃんがな、そこの店に用事がある言いよるからついていこて」

「そうか、ならそうするか」

「おごったるからな、好きなもん」

 ちょうど店が開いた、三人は一番乗りである。

 店員に導かれるままに奥に案内され、そこでどうなるかと思われた緋菜の捜索は呆気なく終わる、カウンターで店の制服を着て頭を下げているではないか。

 席に案内され、店員が消えると前田が真面目なトーンで言った。

「おったかあ、探しとる奴は」

「いましたよ、じゃあ僕は……帰らせて……」

 為広が立ち上がろうとすると前田は強引にその肩を抑えた。

「んならお仕事終了やな、楽しもう!」

 前田はまだ素面なのかと疑いたくなるテンションで店員を呼んだ、その時に為広は今日は帰れないだろうと確信したのである。

 

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