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久しぶりに会った遠距離恋愛中の彼氏がいつの間にか勇者になってました

作者: 文月 ふな
掲載日:2026/05/23

「聞いてくれ、美咲(みさき)! 俺勇者になって世界を救ったんだ!」


 二か月ぶりに会った遠距離恋愛中の彼氏が、開口一番そうのたまった。

 よれよれのスウェットにぼさぼさの髪で何言ってるんだろうこの人。ついに壊れたか。


 彼氏の彰人(あきと)とは大学時代から付き合っている。お互い就職後もなんやかんやと続いていて、かれこれ付き合いは五年になる。

 それでもこの一年は彰人が転勤になって遠距離恋愛になってしまい、頻繁に会えるわけではなくなっていた。


 社会人同士の遠距離恋愛はなかなか難しいものだ。幸いお互い土日休みの仕事ではあるけど、毎日の激務で疲れ切ってしまい、土日にどちらかが会いに行くだけの気力が残らない。特に彰人の就職先はサービス残業当たり前の超ブラック。遠距離が始まった当初は毎月交互に会いに行こうねと約束していたけど、結局次第に間隔があいていき、今日はやっと二か月ぶりにわたしが彰人に会いに来ることができた。


 なんかおかしいとは思っていた。これまでは一応メッセージを送れば時間はかかっても返信が来ていたのに、昨日の夜から既読すらつかず全くの無反応。金曜の夜だからいつも以上に残業させられて帰宅後気絶するように寝てるんだろうと予想をつけて、とりあえず早朝の電車に乗って彰人の転勤先までやって来て。駅でも一度メッセージを送ったもののやっぱり未読のまま。仕方なく直接彰人のアパートにやってきたのだ。

 インターホンを鳴らして、これにも反応がなかったらどうしようかと思っていたけど、どうやら生きてはいたらしい。少し経ってドタバタと騒々しい足音がして玄関が開けられたと思ったら、開口一番がこの中二病発言。


「……とりあえず中入ろうか?」

 玄関開けっ放しで中二病発言はまずいと思う。もしご近所さんに聞かれたらヒソヒソされてしまうかもしれない。いや彰人アパートには寝に帰るだけだから気にする余裕なんてないかもしれないけど。


 妙に目をキラッキラさせている彰人を部屋の中に押し戻し、わたしも一緒に玄関内へ入る。扉はしっかり閉めておいた。


 大学時代からずっと使っているよれよれのスウェット。忙しすぎて掃除がままならないのか、あちこちにゴミ袋が放置されている六畳の部屋。前回来た時とそう変わりはない。

 慣れない土地での毎日の気が狂いそうなほどの残業。上司の叱責。時に強要される休日出勤。

 もともと彰人はゲームとかアニメが好きな、決して陽キャとは呼べないタイプだ。なんとか採用された企業で踏ん張って働いて、地方転勤を命じられても逆らわず、転勤先ではそれまで以上の残業漬けの日々。総合して導き出される結論はただひとつ。

 ついに壊れて自分が勇者だとかいう中二病極まりない妄想に取りつかれたに違いない。


「彰人。彰人が真面目に頑張ってるのは知ってる。でも耐えることだけが美徳じゃないよ。悪いことは言わないから、転職しよう?」

 

 わたしたちが通っていた大学は、レベル的には中の中。買い手市場と言われていても、やっぱり大学のレベルが高くないと内定を勝ち取るのは簡単ではなかった。結局わたしも彰人も第一志望の企業には入れず、数社受けた中でやっと内定を貰えた企業に就職した。第一志望の企業と比べると待遇は下がるし、やりたかった仕事かと言われるとそうとも言い切れない。とりあえずちゃんと就職して自活していく為には、お互いそこしかなかったというのが正しい。


 わたしの就職先も残業多めで働きやすいとは言い難い環境だけど、彰人のそれは比ではない。毎月60時間を超える残業。そのうち半分くらいはサービス残業だ。当然休日のサービス出勤もしばしば。今時サービス残業やらサービス出勤やらさせる会社なんてあるのかと思ったけど、残念ながら実際にあるんだから仕方ない。

 そんな激務な会社で働き続けて壊れないわけがなかったのだ。


「俺頑張って魔王倒してきたんだよ! いやー、マジでびっくりしたわ。終電でアパート帰ってなんとか風呂だけは入ってさあ寝るかってタイミングで床が光ってさあ。アニメみたいな魔法陣が浮かび上がって、気が付いたらめっちゃRPGって感じの神殿にいたんだよ。で、いきなり『世界を救ってください勇者様』とか言われて。何これ何てラノベ? って思うじゃん。でもマジなんだよね。そっからあれよあれよと聖剣渡されて勇者パーティーが結成されていざ魔王城へ出発させられてさ。あ、勇者パーティーっていうのは俺と魔法使いと戦士の三人なんだけどさ。普通こういうのって四人パーティーが一般的じゃん? でもなんか魔法使いがめっちゃ優秀な奴で、こいつだけで回復魔法まで使いこなせるから、じゃあ三人でいいかってことになったらしいんだよ。実際めちゃめちゃ頼もしくて優秀でさぁ、魔王城までの道中の魔物とかほとんどこいつ一人で倒してくれて。じゃあ魔王も魔法使いだけで倒せるんじゃね? って思ったんだけど、魔王だけは勇者が使う聖剣じゃないと倒せないんだってさ。なんか、聖剣に秘められてる浄化の力で浄化しないと魔王はすぐ復活しちゃうらしいんだよ。それはやっぱ困るよなってことで、聖剣を使える勇者を異世界から呼んだってことらしいわ。最初俺が勇者とか言われてわけわかんなかったけど、実際聖剣使えるのは俺だけだったし、やっぱ俺勇者なんだーって。で、そっから魔物に襲われてる村とか助けながら魔王城目指して旅が始まったんだけど、これが結構大変でさ。こっちの魔物倒したら次はあっち、みたいな感じで西へ東へ大移動だよ。一応少しずつ魔王城に近づいてはいるのに、なかなか辿り着けなくてさぁ。結局最後の方は邪魔くさい魔物たちにぶち切れた魔法使いが広範囲の消滅魔法使って周辺の魔物一気に消し飛ばして、やっと魔王城に辿り着けたんだ。討伐に出発してからここまでで軽く半年はかかったぜ。魔法使いさまさまだよ、ほんと。魔法使いが小物を消滅させてくれてたから、魔王城の中にもあんまり魔物はいなくてさぁ。その代わり魔王の側近たちが四人残ってたけど、ここまで全然活躍できなかった戦士が張り切っちゃって、結局魔法使いと戦士だけで二人瞬殺させてくれて。戦士もマジで強いんだよ。残りの二人は俺も一緒になって慣れない剣振り回しながら倒してさ。いやー戦ったのなんて初めてだったけど、倒せて良かったよ。魔王と戦う前の練習にもなったし。で、ついに真打魔王登場よ。魔王っていっても普通に人型でさ、でもめっちゃ禍々しいの。なんつーか、本能的に恐怖を感じるような感じ? 世界の澱を凝縮させた存在って言ってたから、禍々しいのは当たり前らしいけど。こいつを聖剣で浄化しないと、魔王の中に凝縮された澱が世界に放出されて世界が滅びるんだってさ。異世界のことだから俺には関係ないと言えば関係ないんだけど、でも俺にしか出来ないとか言われたらなんとか手伝ってあげたいって思うじゃん? 最強魔法使いと戦士っていう心強い味方もいるし、なんか”俺ならやれる!”みたいな気持ちになってさ。怖さよりも勇気が勝ったっていうか。実際側近二人は俺も一緒に倒したわけだし。そこから魔法使いと戦士と阿吽の呼吸で攻撃を繰り広げつつ、魔王の反撃を躱しながら隙を見て俺も攻撃を仕掛けたんだけど、なかなか手強くて。結局どれくらいの時間戦ってたんだろう? 気持ち的には丸一日以上戦ってたような気がするけど、多分せいぜい三十分くらいだったんだろうな。さすがに持久戦になると魔王もだんだん消耗してきて、魔法使いが奥義の魔法を使って、戦士が一気に間合いを詰めてスタンさせて、その瞬間を逃さず俺が聖剣でとどめをさして、ついに魔王を浄化することに成功したんだ。そしたら魔王城の周りの瘴気も一気に晴れて、消耗してたはずの魔力も回復しててさ。魔法使いの転移魔法で神殿に戻ったら、もうそこら中お祭り騒ぎ。世界が救われたわけだから、そりゃお祭りにもなるよな。みんな俺たち勇者パーティーにめちゃめちゃ感謝してくれて。なんか、よその世界のことなんだけど、頑張って良かったなぁって。で、王様に褒美は何がいいかって訊かれたから、美咲がこっち来るっていう約束をほったらかして半年も勇者やってたわけだからさ、できれば俺があっちの世界に行ったのと同じ時間の元の世界に戻してほしいって頼んでみたんだ。そしたらさすがに同じ時間は無理らしくて、半日くらい経過しちゃうってことでさ。それくらいなら大丈夫だから帰りたいって頼んで、ついさっきこっちに戻って来たところだったんだよ。ちょうど美咲が来る直前に戻って来られてよかった!」


 あ、ダメだ。本格的に壊れてる。やばい、涙出そう。いくらわたしも忙しかったからとはいえ、もっと早くに異変に気づいてあげればよかった。

 最近は忙しくてなかなか会えなかったけど、それでもわたしはちゃんと彰人が好きだ。決してモテるタイプではないしオタク気味だけど、誠実で優しい彰人が好き。そうじゃなきゃ遠距離恋愛になってまで続けてない。

 離れている間にこんな風になるくらいなら、転勤の話が出た時にもっと強く反対して転職を勧めるべきだったんだ。


「美咲? 泣いてるの? そうだよな、俺の巻き戻った半年を抜きにしても、二か月ぶりだもんな。忙しくてこっちから会いに行けなくてごめんな?」

「……会えなかったのはそりゃ寂しかったけど、でも、それよりも、会えなかった間に彰人がこんなに変わっちゃったから……」

 こぼれそうになる涙を堪えながら、首を振る。会えなかったのは確かに寂しかった。でもそんなことよりも壊れる前に何もしてあげられなかったことがただただ辛い。


「確かにだいぶ変わったかも。半年も旅して魔王を倒してきたからな。俺、今ならなんでもできる気がする」

「じゃあとりあえず転職サイトに登録しよう?」

「なんで転職?」


 きょとんと、全く不可解な言葉を聞いたみたいに彰人が首を傾げる。ああ、もう完全に会社に調教されきっているんだ。会社を辞めるなんて考えもつかないくらい、洗脳されてしまっている。こうなると自発的にそこから逃げることはきっと難しい。


「毎月60時間の残業をして休日出勤もして、きっと彰人は疲れてると思うんだ。このまま今の仕事を続けて、その、体とか心とか壊しちゃったら元も子もないと思うの。そうなる前に転職した方がいいんじゃないかなって」

 勇者うんぬんの話には触れず、なんとか転職する方向に誘導できないかと試みる。心を病んで妄想の世界に囚われてしまっている人に対して、多分その妄想を否定するのは得策ではないと思う。ここは「そうだよね、あなたの言うことは正しいよね」という姿勢を崩さず、寄り添いながらさりげなく軌道修正を促す方が良いだろう。”これから先体調を崩したら心配だから”というスタンスでの発言なら、もしかしたら考えが変わるかもしれない。


「確かに残業はしんどいけど、この半年勇者として旅をしてきて、俺も結構体力ついたと思うんだ。前よりも強くなったし。でも、美咲に心配させちゃってるんだよな……。大丈夫だよ、美咲。俺は残業で倒れるほど柔じゃないないから。心配してくれてありがとう」

 ダメだ。反対方向にポジティブになっちゃってる。これはもう無理なのかもしれない……。

 俯くわたしに、彰人が少しおろおろしているのが分かる。そうだよね。彰人からしたら、わたしが一方的に心配して勝手に落ち込んでいるようにしか見えないのだろうから。

「……」

「美咲、本当に大丈夫なんだ。本当に今の俺は前よりも強くなったから。出来ることも増えたし……。あ、実は俺、あっちの世界で魔法が使えるようになったんだよ。一緒に旅してた魔法使いに教えてもらってさ。勇者だからか魔法の素質はあったみたいで、旅の間に一通りの魔法は使えるようになったんだ。えっと、例えば、そうだな……ファイア」

 少し早口にそう言って、彰人は人差し指を立ててなんともベタな呪文を唱えた。ついそちらに目をやると、直後、指先にライターみたいな火が灯った。

「え、何その手品。いつの間に練習したの」

 しまった。ついびっくりして「手品」って言っちゃった。これじゃ勇者うんぬんの話を信じてないことを気づかれてしまう。

「あれー……。やっぱこっちの世界は魔素が少ないから威力が弱いなぁ……」

 あ、それどころじゃなくて全然気づいてなさそう。よかった。……よかった、のか?


 彰人は何度か「ファイア」と言いながら指先に火を灯し、首を傾げている。本当はもっと大きな火が出る予定だったらしいけど、アパートの中で大きな火はやめた方が良いと思うよ?

 納得がいかなかったのか、彰人は空のグラスをシンク横の水切りカゴから取り出し、今度は掌をかざして「ウォーター」と呟いた。と、どこかにペットボトルでも仕込んでいるのか、かざした掌からグラスの中にちょろちょろと水が注がれる。どうやら火だけじゃなくて水の手品まで練習していたらしい。忘年会まではまだあと二か月以上あるが、今のうちから宴会芸の練習しているのかもしれない。


「……勇者ってなんでもできるんだね?」

 すごいすごーい。とりあえずここは褒めておこう。少なくともこの手品をマスターする為に努力したであろうことは事実なので。

 ぱちぱち、と手を叩くが、彰人はやっぱり「やっぱり魔素が……」と不満そうだ。これも本来ならもっとたくさんの水が出る予定だったらしい。でもね彰人。水もあんまりたくさん出してしまうと掃除が大変だと思うよ?


 さてここで一旦考える。わたしの希望としては、早く勇者なんていう妄想から抜け出して以前の彰人に戻って欲しい。確かに彰人はオタク寄りではあったけれど、決して妄想と現実を混同するタイプではなかったから。その為にはやはり一番手っ取り早いのは、今の環境から引き離すことではないだろうか。


「……せっかく何でも出来るようになったんだから、いっそその能力を活かせる仕事に転職してみるっていうのはどうかな……?」

 手品が役に立つ職場だってあるかもしれない。一縷の望みをかけて訊いてみる。

「うーん……でもこっちに魔物も魔王もいないし……。正直今の威力だとあんまり役立てられそうな仕事は思いつかないな……。そもそも俺が勇者やってたなんて言っても美咲以外は信じてくれなそう」

 うん、わたしも信じてないけどね?

 完全に妄想に取りつかれているのかと思いきや、どうやら妙に冷静な部分も残っているらしい。なんと厄介な。これじゃ絶対に心療内科になんて連れていくことはできないだろう。診断書を貰って休職させるのも手だと思ったのに。


 うんうんと頭を抱えるわたしを見て、なにやら彰人も考え込んでいる。次はなんだ。精霊でも召喚する気か。


「……美咲」

「なに?」

「俺、あっちで旅してる間に思ったことがあるんだ」

「うん?」

「魔王を倒して、それでもこっちに帰って来られなかったらどうしようって」

「うん」

「一緒に旅してた魔法使いが帰還魔法を使えるやつだったから、もちろん魔王を倒せばこっちの世界に帰れるようにしてくれるって言ってたんだけど。でも、魔法使いも必ず無事に生き残れるとは限らないじゃん。もし途中で魔法使いがやられたりしたら、俺はもう帰れないかもしれないって、不安だったんだ」

「なるほど」

「こっちに帰れなかったら、美咲にはもう会えないってことだろ。美咲が会いに来てくれるっていう約束をすっぽかして、それだけじゃなくて、そのまま消息不明ってことになるのかもしれないって……そう想像したら、めちゃめちゃ怖かった」

「うんうん」

「ただでさえ仕事が忙しくて俺から会いにいくのが難しい状況なのに、そのうえ消息不明ってなったらさ……きっと美咲は俺に愛想をつかすんじゃないかって、そう思ったんだ」

「なる……ほど……?」

「まあなんとか無事に戻って来られたわけだけど。で、さっきドア開けて美咲の顔見て美咲と話をして、美咲に会えてよかったなって、心の底からそう思ったんだよ」

「……うん」

「転職は正直今はまだ無理だ。こっちに帰ってきて、今、もっと頑張ろうって思ってる。もっと頑張れるって、自分に期待してる。だからもう少し頑張らせて欲しいんだ」

「……そっか」

「でも、転属願いは出そうと思う。少なくとも本社に戻れるように」

「え?」

「やっぱり美咲に会えないのは寂しいんだ。ビデオ通話もあるけど、そうじゃなくて、ちゃんと美咲の近くにいたいと思ったんだ。あっちで美咲に会えなかった間、俺にとって美咲がどれだけ大事なのか痛いほどわかった。今のままだとなかなか美咲に会えないから……せめて本社に戻って、もっと頻繁に会えるようにしたい。せっかく同じ世界にいるんだから」

「彰人……」

「それでももし転属願いが通らなかったら、その時は割り切って転職しようと思う。その……これから先のことも考えるなら、その方が良いかなって……」

 それって……。

「美咲。これからもずっと俺と一緒にいて欲しい」


 息が、止まるかと思った。彰人が真剣な目でじっと見て来るから。さっきまで勇者とか魔王とか言ってたくせに。なんなんだ? わざとか? わざと中二病みたいな発言してたのか? そんなところでサプライズなんていらないのに。

 頭の中には文句が渦巻くけど、でもそれ以上にただただ嬉しいと思ってしまった。

 なかなか会えない生活はわたしだってやっぱり寂しかった。普段は仕事の忙しさで寂しさなんて感じる余裕もないけど、夜になるとふと無性に会いたくなることもあって。できるならもっと近く、いつでも会える距離にいたいと思っていたのは、わたしだけじゃなかったんだ。

「うん……うん、わたしも、彰人と一緒にいたい」

 どうしよう。嬉しすぎて涙が出そう。勇者云々からのギャップのせいで、なおさら。

 うっかりこぼれそうになる涙を堪えて、頷く。彰人が大きく「はぁ~~」と息を吐きだした。

「良かった……そう思ってるの俺だけだったらどうしようかと思った……」

「そんなわけないじゃない」

「うん、美咲もきっとそう思ってくれてると思ってはいたけど。勇者やってなかったらこんなこと言う勇気出なかったかも」

「え、まだ勇者の話するの?」

「え?」

「え?」

 彰人がきょとんと首を傾げる。

 ……うん?

「勇者の話はサプライズの為の前振り……だよね……?」

「? 違うけど?」

「……」

 そっかぁ……前振りじゃないのかぁ……。

「……彰人。転属願いが通らなかった時の為に、早めに転職サイトに登録して求人情報を見ておくと良いんじゃないかな……?」

「確かにそれはありかも」

 よし、さっきより前向きな答えだ。この調子で転職を促す方向で行こう。


 その後は、転職に対して前向きに考え始めてくれた彰人といろんな転職サイトについて調べたり、食材の買い出しに行ったり、とりあえず久しぶりの一緒の時間を過ごした。勇者云々の妄想が抜けていないことに不安はあるものの、きっと少しずつ良い方向に変わっていくと信じよう。

 今日はこのまま彰人のアパートに泊まって、明日の昼過ぎの電車で戻る予定だ。そうするとまた次に会えるのは一か月、もしかしたら二か月後になるかもしれない。その前に目ぼしい求人情報を保存しておきたいところだ。


 一緒に作った夕食を二人で平らげた後、お風呂の順番でひと悶着あった。お客なんだからと先にわたしに入らせたい彰人と、疲れているだろうからと先に彰人に入らせたいわたし。結局じゃんけんで決めることになり、無事にわたしが勝利をおさめた。心も体も疲れ切っている彰人には少しでも早くお風呂で癒されて欲しい。

 彰人がお風呂に行っている間に、わたしはパソコンで転職情報をぽちぽち。最近は転職情報が多くて助かる。それでもキャリアとしては乏しいわたしたちのような社会人二年生が戦えそうな求人はそう多くない。


 そうこうしているうちに彰人がお風呂から上がり、入れ替わりでわたしもお風呂に入る。狭い湯舟に浸かると、ほっと体の力が抜ける。

 今日は怒涛の一日だった。それほど疲労が溜まっている自覚はなかったが、朝からの電車移動に始まり突然の勇者宣言、と思ったら予想だにしないプロポーズまがいの言葉……と目まぐるしい一日だったのだから、実際のところだいぶ疲れていたようだ。


 彰人の勇者云々の話については、一旦脇によけておくことにする。心配ではあるけれど、転職について前向きに考え始めてくれたのだから、きっと時間が経てば以前の彰人に戻るはずだ。今は焦ってもしょうがない。


 いつもより時間をかけて入浴を済ませ、ついでに湯舟のお湯を抜き掃除まで終えてから浴室を出る。パジャマ代わりのスウェットを着ると、彰人が待つ部屋へ戻った。彰人は開いたままだったノートパソコンを操作している。

「彰人、何かいい求人――」

 あった? と尋ねようとした瞬間。

 まばゆい光がわたしと彰人の周りに広がった。

「え?」

「美咲!」

 思わず下を見ると、わたしと彰人を囲むように何やら光の模様のようなものが浮かび上がっている。なにこれ?

 状況がつかめずにいると、彰人がわたしの腕を引き、抱きこんだ。

「あの時と同じ魔法陣だ」

 緊迫した様子で彰人が言う。

 え、なに、中二病の続き? これもわざわざ仕込んであるの?

 と思う間も光は強くなっていき、思わず目を閉じる。こんなにまぶしい光を発していたら、窓から漏れた光で近所から苦情が来てしまうんじゃないだろうか。手品は常識の範囲内で頼みたい。


 ひときわ強い光が広がり、そして消える。彰人に抱きこまれたまま閉じていた目をゆっくり開いた。彰人に苦言を呈そうと口を開いて――固まった。


 わたしたちは彰人の六畳のアパートにいた、はずだ。それなのに開いた目に入ってきたのは、まるでRPGに出てきそうな神殿のような場所。プロジェクタで映し出した映像というには妙にリアルだ。リアル過ぎる。なんだこれは。

「どうして……」

 口を開いたままの間抜け面であろうわたしの横で、彰人が驚愕の声をあげた。

「ここは俺が以前呼び出された神殿だ」

「は? 何を言って――」

「勇者様! 聖女様!」

 いつまでも何を言っているのかと続けようとした非難の声は、突然第三者の声によって遮られた。


 そこで気づく。わたしたちがいる神殿らしき場所には、わたしたち以外にも数名の人物がいた。わたしと彰人がいるのが祭壇のような一段高くなっている場所。そして、一段低く広がっている礼拝所のような場所に、白いローブのような衣服をまとった人物がざっと十名ほど、床に膝を着いて手を組み合わせている。まるで何かに祈っている姿勢で、その視線が向かっているのは、一段高い場所にいるわたしたちだ。

 勇者。聖女。ファンタジーすぎる単語に頭がくらくらする。


「確かに俺はかつて勇者として魔王を討伐したが……これは一体どういう状況だ」

 状況に追いつけないわたしと違い、彰人は意外なほど落ち着いてローブ姿の人たちに状況の説明を求める。よれよれのスウェット姿のくせに。

「勇者様。かつて勇者様が魔王を討伐してから、五百年の時が経過しております。長い時を経て再度世界の澱が凝り、魔王復活の兆しがあり……今一度魔王の討伐に助力をいただきたく、勇者様の召喚をさせて頂きました次第にございます。しかしながら此度は勇者様だけでなく聖女様にも降臨いただけるとは……! 既に世界は救われたも同然です!!」

「聖女……だと……!?」

 あ、やめて彰人。キラッキラした目でわたしを見ないで。

「そうか……! 美咲は聖女だったんだ……!」

「ちがうよ?」

「俺と一緒に魔王を倒して世界を救おう!」

「むりだよ?」

「大丈夫、俺がついてる。俺は一度魔王を倒してるから、安心して任せて欲しい」

「聞いてる?」

「安心してくれ、みんな。魔王は勇者である俺と聖女である彼女が必ずや討伐してみせよう!」

 ダメだ聞いてない。高らかに宣言する彰人の言葉に、神殿内にいた十数名が「おおーっ!」と歓声を上げる。


 アパートの一室から突然変わった景色。突然現れた人々。決してわたしの妄想ではないと思う。多分。きっと。……違うよね? 実はわたしも転職した方が良いくらい追い詰められていた……?

 彰人と謎の白ローブ姿の人たちが盛り上がる横で、わたしはそっと自分の腕をつねった。

 うん。普通に痛い。

 勇者。

 聖女。

 まるで現実味なんてないけど、やっぱり現実なのか? 彰人が話していたのは妄想などではなく、本当のことだった?


 すんなり状況を受け入れられるほど開き直りきれていないわたしをよそに、彰人と白ローブたちからひときわ大きな歓声が上がる。見ると、彰人が白く輝く剣を掲げていた。彰人が言っていた聖剣とやらだろうか。


 状況にはついていけないし、正直今のこの状況がわたしの妄想ではないと断言できる根拠もない。勇者も聖女も、わたしの世界には存在しないものだ。スウェット姿の勇者と聖女なんて、なんだそれ。


 それでも。彰人がとても活き活きしているのは確かだ。アパートの部屋で勇者云々の話をしていた時よりも更に。だったら彰人が本当に勇者なのか、わたしが本当に聖女なのか、なんてどうでもいいんじゃないかな? と一瞬思ってしまったのは内緒だ。

 ああ、わたしも疲れてるのかもしれない。でも実際にわたしの目の前には見たこともない景色があって、聖剣を掲げて活き活きした彰人がいる。じゃあもうしょうがないよね?


 旅の間、今までよりも彰人と一緒にいられるし、異世界で勇者と聖女に転職したと思えばこれはこれでありなのかも? とわたしが完全に陥落するのは、まだほんの少しだけ先の話。


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