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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

聖女は逃げ出した

作者: 氷桜 零
掲載日:2026/02/06


わたしは聖女、と言うらしい。

名前はユフィーレ。

お父さんとお母さんがつけてくれた、大切な名前。

でも、誰も名前を呼んでくれない。

誰も、わたしの名前を知らないから。


わたしは生まれて間もなく、お父さんとお母さんから引き離された。

わたしが、聖女だからって言う理由だった。

わたしが生まれた時、お母さんが死にかけたんだ。

けど、わたしがお母さんを助けたいと思ったら、お母さんがあっという間に元気になった。


産婆が熱心な教会の信者だったから、その産婆から教会に連絡が入ってしまったんだ。

教会の人がやってきて、わたしを抱いたお母さんから、わたしを引き剥がした。

その時、教会の人がお母さんを殴ったのを見た。


そして、教会の護衛騎士が、わたしを取り返そうとしたお父さんとお母さんを斬った。

たくさん血が出て、止まらなかった。

わたしが治そうとする前に、教会の人の馬車に乗せられた。

きっとあの時、お父さんとお母さんは死んでしまった。


わたしは生まれてまだ1ヶ月も経っていなかったけど、全部知っている。

だって、わたしは全部見ていたから。

わたしは生まれた時からの記憶を、ずっと持っている。

今まで記憶したものは、忘れない。

ずっと、忘れない。

ずっと、覚えている。


だから誰がお母さんを殴ったのかも、誰がお父さんとお母さんを斬ったのかも、全部覚えている。

その人は、何もなかったかのように、今もニコニコとわたしに微笑んでいる。


気持ち悪い。


わたしの大切な存在を奪ったくせに、幸せそうに生きている。


気持ち悪い。


お父さんとお母さんを傷つけた手で、わたしに触れる。

お父さんとお母さんを怒鳴って罵った声で、わたしに優しく話しかける。


許さない。

許さない。


でも、わたしはまだ8歳だから、何にもできない。

やり返すことができない。

反抗することもできない。


だってまだ子どもで、大人がいないと生きていけないから。

わたしは、生きていかなくちゃいけない。

お父さんとお母さんが必死に守ろうとしたわたしを、わたしが守らなくちゃいけない。




わたしの仕事は祈ること、結界を張ること、治療すること、占うこと。


毎日朝5時に起きて、夜1時に寝る。

起きている間はずっと仕事をしている。

仕事は、とても疲れる。

毎日、数えきれない人と会わないといけない。

休憩時間なんてない。

聖女は、休憩が要らないんだって。

食事は1日一回。

味の薄いスープと硬いパン一個。


お腹が空くのは、集中していないから。

眠たいのは、暇しているから。

教会の一番偉い人に、そう言われた。

だから我慢する。

生きるために、我慢する。


でもある日、親子で手を繋いで、楽しそうに笑っている子を見つけた。

外から子どもの笑い声がして、そっと覗いてみたらそこにいた。


どうして、あの子は笑っているの?

どうして、両親と手を繋いでいるの?

どうして、仕事をしていないのに怒られないの?

どうして……どうして……どうして……どうして……


たくさんの疑問が、わたしの中に溢れてきた。


だからわたしは、やってはいけない事だとわかっていたけど、力を使って街の中を覗いてみた。


そこでたくさんのことに気づいたの。


子どもは、守ってくれる大人がいること。

子どもは、可愛がられていること。

子どもは、たくさん寝ていること。

子どもは、仕事をしていないこと。


仕事をしたら、お金をもらうこと。

暗くなったら、仕事をしないこと。

ご飯は、2食以上食べること。

休憩する時間があること。


たくさん、たくさん、気づいたの。

わたしとは全く違うことに、気づいたの。

子どもとも、大人とも違う。

じゃあ、わたしは、何……?

みんなにとって、わたしは、どんな存在なの?


そんな疑問が、頭を離れない。


それでも日々は、過ぎ去っていく。

仕事をして、仕事をして、また仕事をする。

遊ぶ時間なんて、欠片も存在しない。

それがわたしの普通。

みんなと違う、普通。


でも普通って、一般的って言う意味でしょう?

わたしは一般的じゃないのに、普通なの?


考えれば考えるほど、頭は混乱する。


でも、仕事に失敗は許されない。

失敗すれば、ご飯が食べられなくなるから。

お腹が空くのは、とても苦しくてつらい。


寝る時間になって、早く寝ないといけないのに。

朝がつらくなるから、寝ないといけないのに。

頭に浮かぶのは、他の子どもたちのこと。


楽しそうだった。

嬉しそうだった。

喜んでいた。


羨ましい。

羨ましい。

羨ましい。

羨ましい。


どうして、わたしと違うの?


誰も褒めてくれない。

誰も慰めてくれない。

誰も抱きしめてくれない。

誰も抱き上げてくれない。


どうしてわたしは、一人なの……?


考えて、考えて、答えが出なくて、また考える。

そして、やっぱり答えは出ない。


だから、考えるのをやめた。

考えるのをやめて、窓から部屋を抜け出した。

髪の色を変えて、目の色を変えた。


この時間、誰がどこを通るのかなんて、手に取るように知っている。

だってずっと、ずっと覗いていたから。

どこをどういけば捕まらないか、見つからないか、外に出られるかなんて、わたしにとっては簡単なこと。

だって教会(ここ)は、この街は、わたしの庭だから。


通るべき道が、はっきり見える。

音を立てないように、渾身の注意を払って駆け抜ける。

秘密の抜け穴を通って、教会の敷地から逃げ出した。


誰もいない迷路のような路地裏を、正解の道を選んで通り抜ける。

建物の隙間で、少し休んでまた歩く。

踵は血が滲むけど、傷はない。

怪我をした直後から、勝手に治るから。

でも、痛みは無くならない。


痛い……


けど、もう戻れない。

戻りたくない。

だから、前へ前へ進む。


歩いて、走って、歩いて、走って、時々休憩して。


街を囲う壁にだって、穴はある。

子どもたちが、大人に内緒の、冒険に行くための穴。

街の外に出られる唯一の穴。

わたしにとって、鳥籠の中から出られる唯一の出口。

希望の出口。


呼吸を整える。

心臓は、うるさく聞こえるほど、ドキドキしている。


わたしは身を屈めて、穴から這い出した。

立って、下を向いていた視線を、上に上げる。

目の前には何もなかった。

道も建物も人も、何もなかった。

何もないのに、何もないことが、嬉しかった。


目の前には何もない。

わたしだって、何も持っていない。

けれどまっさらな状態で、ここから始められる。


身体の疲れも、足の痛みも、今だけは忘れられた。



わたしは早く街から離れるために、止まることなく歩き続けた。


街道はダメ。

すぐに見つかってしまう。

森に行こう。

わたしは小さいから、森に隠れられる。


時間制限は、午前5時まで。

午前5時になって起きてこなかったら、部屋に入られる。

そうしたら、部屋にいないことがバレちゃう。

部屋にいなかったら、捜索隊が出される。

きっとわたしの足より、ずっと早い。

それまでに、できるだけ遠くへ。


わたしは足の痛みを無視して、止まろうとする気持ちも無視して、ただひたすら歩き続けた。


森に入ってからは、さらに歩く速度が遅くなった。

足下がゴツゴツしていて、躓きそうになる。

不意に枝が伸びていて、ヒラヒラした服や長い髪を引っ掛ける。


それでも前へ、前へ。


木々の隙間や頭上から、魔物や動物がのぞいてる。

わたしが望まない限り、彼らはわたしに近づかない。

だって、わたしの方がずっと強いから。

本能的に避けられてしまう。

でも、今はそれでいい。

足を止めている時間がないから。





ハァハァハァ……


もう、お日さまが頂点に来ている。

きっと、捜索隊が出されているはず。

見つかったら、何をされるんだろう。


焦りで注意が疎かになる。


「あっ……」


何かに足を取られた。

止まってしまった。

倒れてしまった。

足が震える。

力が入らない。


ダメ!

ここで倒れるわけには、いかないのに!

動いて!

動け!


起き上がって足を引きずるけど、また倒れる。


ああ……もう……ダ、メ……


「あれ?何これ?」


身体が宙に浮かんだ。


違う、誰かに捕まった。


襟首を持たれ、子猫のようにプラーンとぶら下げられる。

その誰かと、目があった。


「ん?子ども?」


一切動けないわたしは、ただ黙って彼を見つめる。


動けない。

動く気力がない。

口を開くのも億劫だ。

疲れた。


「なんか面白そうだから、持ってかーえろっと。」


肩に担ぎ上げられた。

空腹の胃が痛い。


彼が歩くたびに揺られて、肩が胃に刺さる。


「あ!ギルマス〜!なんか、拾った〜!」


「捨ててこい!」


「え、やだよー。ちっこいし、ペットにちょうど良くない?」


「ペットって、お前、それ、人間の子どもだぞ。」


「でもこんなところに一人でいるんだから、捨てられたんでしょ?拾ったもん勝ちだよー」


「ちょっと貸せ。」


「ほい。」


ポーンと投げられて、別の男の人の腕に収まる。

脇を持たれて、再びプラーン。

お互いジーッと見つめ合う。


「随分、子どもらしくない目だな。」


真っ黒で、飲み込まれそうな目。

目が離せないほど、綺麗な黒。

わたしと正反対の色。


「一緒に来るか?」


コクリと頷く。


拾ってくれるらしい。

ぜひ、拾って欲しい。

できることなら、なんでもするよ?

一家に一人、聖女がいれば便利だよ?

役に立つよ?


「名前は?」


「……呼んで、くれるの?」


「呼ぶから、聞いてるんだろう?」


「……ユフィーレ。」


「俺はアルトゥール。」


「アルトゥール……アル……」


「なんだ、ユフィーレ。」


「アル……アル……アル……」


「お、おいっ!?」


目から水が流れて、頬を伝う。


これが涙というものか。

知らなかった。

悲しくなくても、涙が出るんだ。


初めて、名前を呼ばれた。

呼んで、くれた。


涙が止まらなかった。






連載できたらしたいなぁ

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