火事です
別荘に来てから、一月が過ぎた頃だった。
生活は、表面上は穏やかだった。何も起こらず、何も変わらず、淡々と日々が過ぎていく。――だからこそ、油断していたのだと思う。
その日、一番近い町に住むようになったという、商人を名乗る男が、二人、別荘を訪ねてきた。
「こちらの別荘に、人が住み始めたとお伺いしまして。商いは食料品が主ですが、取り寄せも承っております」
「お近づきのしるしに、ささやかなものを持って参りました」
そう言って差し出されたのは、
酒と、菓子。見るからに高価そうというわけではない。だが、粗末とも言えない、程よい品だった。
「それは、それは……」
中年の女性――ハンナが、
嬉しそうに、それを受け取った。警戒は、なかった。疑いも、なかった。ただの挨拶。ただの、顔つなぎ。――そう、思っていた。
その夜。
別荘で、事件が起きた。
その夜、私は部屋にお菓子を置いたまま、文字の勉強をしていた。
着替えすらしていない。
――やっとだ。
やっと、普通に読めるようになった。ほんの少しだけど、簡単な文章なら作れる。
(凄い。私、凄い)
誰も褒めてくれないなら、自分で自分を褒めればいい。
そして、ふと。昼間にもらったお菓子に目をやる。
……ご褒美。夜中の、ご褒美。
なんて、甘美な響き。ふふふ――と、口元が緩んだ、その時。
鼻を突く、違和感。
……煙?いや、匂いだけじゃない。
視界の端で、白い靄が、ゆっくりと部屋に流れ込んできている。
――火事だ。
(ヤバい)
考えるより先に、身体が動いた。私は廊下へ飛び出し、一直線に、ハンナの部屋へ走った。
扉を開けると、ハンナは、ベッドで眠ったままだった。
「起きて、ハンナ!」
大声で叫ぶ。揺さぶる。
……反応が、鈍い。
(まずい)
私は迷わず、近くの椅子を掴み、窓に向かって思いきり投げつけた。
――ガシャン!
ガラスが砕け散る。そのまま、ハンナをベッドから引きずり下ろし、ベッドのマットを掴んで、窓の外へ放り投げた。
……薄いマットで、本当に良かった。
投げられた。
私は、ハンナの肩を掴み、叫ぶ。
「飛び降りて! 今すぐ!」
煙が、濃い。火が、近い。
(なんで。なんで、私とハンナ、二階で寝てるのよ!)
文句を言っている暇なんて、ない。
生き延びるしかない。




