宿に戻りました
「さて――」
バルドは、ふっと笑みを消した。 さっきまでの柔らかな空気は、影も形もない。
「君は、どうやってここに入ってきた?」
声は低く、冷えている。 氷の刃のようだった。
「普通に」
カイルは、即答した。
「最近、暗部と連絡が取れないのは――」 バルドの視線が、鋭くなる。
「君の仕業かな?」
「さあ?」
カイルは、肩をすくめる。
「昼寝でも、しているんじゃないか」
(……あれ?今、吹雪、見えた。私、凍え死ぬ未来しか見えないんだけど)
空気が、痛い。 刺さる。 これはもう、会話じゃない。
私は、そっと手を挙げた。
「あの……」
おずおずと、声を出す。
「今日は、帰ります」
その瞬間。 バルドの表情が、ふわりと変わった。
「ここに、住んでもよいのですよ?」
優しい声。
「ミア」
(……ギャアァァァ。温度差が、怖い)
「い、いえ」
私は必死に首を振る。
「ご迷惑を、おかけしますので」
「迷惑では、ありません」
バルドは、即座に言った。
「――おまえが、迷惑なんだよ」
カイルが、吐き捨てる。
(やめて。平和に帰りたいだけなの)
「カイル」
私は、彼の袖を引いた。 できるだけ、優しく。
「帰りましょう?」
「そうだな、ミア」
カイルは、頷く。
「ここは――空気が悪い」
(……あれ?カイルまで、壊れた?)
ちらりと見ると、 バルドが、今にも倒れそうな顔をしていた。
(大丈夫?生きてる?)
「失礼するわね」
私は、ぺこりと頭を下げる。
こうして。 私とカイルは、 きちんと土地と建物の権利書、 そして――宝石を抱えて。
その場を、後にしたのだった。
久しぶりに、宿へ戻った。
――ああ。 息が、できる。胸いっぱいに、空気を吸い込む。 やっと、生き返った気がした。
カイルは、宝石と権利書を無造作に机の上へ置くと、
「ミア、座って」
短く言った。
(……?なに、この空気)
私は、言われるままベッドに腰を下ろす。
次の瞬間。 背後から、ふわりと体温が触れた。
カイルが、私をそっと抱き締めていた。
(……きゃー。距離、ありません。ゼロです。近い、近すぎます)
「ねぇ、ミア」
耳元で、囁く声。
「俺に、全てを与えたって」
低く、静かに。
「何かな?」
(……えっと。その話、聞いてたんですか)
背中に回された腕が、ほどけない。
「ねぇ」
さらに、追撃。
「自分を、曝したって――どういうこと?」
(……いつから。どこまで。聞いて、いらっしゃるのでしょう。それに。声が、怖いです)
私は目を見開いた。
(まさか、まさか、何か、盛大な勘違いを……?)
「ミア」
名前を呼ぶ声が、逃げ道を塞ぐ。
「教えて、くれないかな?」
私は、そのまま固まった。
しばらくの間―― 私は、口を開くことすら、できなかった。




