目が覚めたら、牢屋でした
――目が、覚めた。
ずきり、と頭が痛む。
遅れて、腹の奥がきゅっと縮むように痛んだ。
(……痛い)
喉が乾いている。体を動かそうとして、思うように力が入らない。
周囲は、暗かった。完全な闇――ではない。しばらくじっと見ていると、少しずつ目が慣れてくる。
石の床。冷たい空気。鉄の格子。
「……牢屋?」
小さく呟いた声が、やけに響いた。視線を巡らせる。そこには、数人の女性がいた。
皆、壁際に身を寄せ、うずくまるように座っている。俯いたまま、誰もこちらを見ない。その光景を見た瞬間、頭の奥で、何かが繋がった。
(……そうだ。私、拐われたんだ)
路地。突然掴まれた腕。振りほどこうとして――腹に走った、強烈な衝撃。
息が詰まり、思わずその場にしゃがみ込んだ瞬間――今度は、後頭部に鈍い衝撃が来た。そこからは、記憶が途切れている。
(最悪……。最低……。本当に……)
胸の奥に、じわじわと恐怖が滲む。
もう一度、周囲を見渡した。
錆びた鉄格子。外からしか開けられない構造。逃げ道は、ない。
――確信した。
(……奴隷商だ)
その言葉を思い浮かべただけで、背中を、冷たいものが走った。ぞわり、と。
嫌な汗が、肌を伝う。
(……落ち着け。生きてる。まだ、生きてる)
私は、きゅっと拳を握りしめた。ここからだ。ここから、考えなければならない。
――生き延びるために。
「新しいのが、入ったんだってな」
低い、男の声が聞こえた。
「へい。赤毛のです。先日、隣国から来たばかりでっせ」
もう一人、軽い調子の声が続く。
……何の話?
私は、ゆっくり顔を上げた。鉄格子の向こうに、男が二人立っている。
「ほう……こいつか」
「なかなか、でしょ?」
――視線が、這う。値踏みするように。品物を見るように。
(……やめて。その目、気持ち悪い)
思わず、身を強張らせた。
前に立っている男の頬に、ざっくりとした傷跡が見えた。斜めに走る、古い刃傷。
その瞬間。頭の中で、かちりと音がした。
(……あ、この人)
記憶の奥から、情報が浮かび上がる。
(ゲームの、キャラだ)
表向きは裕福な大商人。だが裏では、奴隷売買を仕切る黒幕。名前は――バルド・グレイン。
(まじで……?)
喉が、ひくりと鳴った。
私は、無意識に天井を見上げた。
(私、今……、奴隷として、売られる流れ?)
冗談じゃない。笑えない
背中に、冷たい汗が流れた。
(……落ち着け。まだ、決まったわけじゃない)
そう、自分に言い聞かせながらも。
私は、バルドを見つめた。
「……私は、あなたを知っているわ」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
鉄格子の向こうで、男が眉を動かす。
「ほう? 珍しいな。噛みついてくるとは」
嘲るように、男――傷跡のある頬を歪めた。
「バルド・グレインでしょ」
空気が、ぴたりと止まった。
「……名前まで、知っているのか?」
低く、探るような声。
「ええ」
私は、視線を逸らさずに続けた。
「あなたは……私を知っているはずよ」
「ふざけたことを言うんじゃねぇ」
横に立つ男が、苛立ちを滲ませる。
「どうしてだ?」
制するように、バルド・グレインが尋ねた。
「隣国出身。赤い髪。赤い瞳」
私は、ゆっくりと息を吸った。
「――それで、わからない?」
私はゆっくり立ち上がった。
背筋を伸ばす。顎を上げる。
(……貴族令嬢の立ち方)
細かい所作は、正直あやふやだ。でも――自信だけは、失わない。
「私は、知っているわ」
一歩、鉄格子に近づく。
「あなたが――本当に、欲しているものを」
その瞬間。
バルド・グレインの顔色が、明らかに変わった。
嘲笑が消える。余裕が剥がれる。代わりに浮かんだのは――獲物を見つけた男の、鋭い視線。
「……続きを、聞こうか」
檻のこちら側で。初めて、交渉の席が整った。
「……こいつに、聞かせていいのかしら?」
私は、わざとゆっくり視線を動かし、
バルド・グレインの隣に立つ男を見た。
「私は――あなたが、本当に欲しているものを、知っているのよ?」
空気が、張りつめる。
「……秘密なんか、ない」
バルド・グレインは、低く言った。
だが、その声には、ほんの僅かな揺らぎがあった。
「肉親、よ」
私は、唇に人差し指を当てる。
その瞬間。バルド・グレインの顔色が、はっきりと青ざめた。
「こいつの言うことは、聞いちゃいけねぇ!」
隣の男が、荒々しく叫ぶ。
「……そうだな」
短く、それだけを言って。二人は、踵を返した。鉄の扉が閉まり、足音が遠ざかる。
闇と、静けさだけが戻ってきた。
(……無理、か)
私は、深く息を吐いた。
――それから、どれくらい経っただろう。
真夜中。かちゃり、と金属の音が響いた。
灯りに照らされて、一人の男が現れる。
バルド・グレイン。その手には――手錠と、鈍く光るナイフ。
「……出ろ」
命令は、それだけだった。私は抵抗しない。手首に、冷たい感触が巻き付く。鎖の音。喉元に、ナイフの刃。
それでも――私は、彼を見上げた。
(来た。……本番、ね)
こうして私は、檻の外へと連れ出された。




