隣国に逃げました
カイルは、私から離れなくなった。
常に、互いの気配が感じられる距離。それが、いつの間にか定位置になっていた。
「ミア。明日、隣国に入る」
焚き火の前で、カイルは静かに言った。
「その前に、検問がある。ミアは――出来れば、何も言うな」
私は、黙って頷く。
「設定はこうだ。ミアの目を治すために、腕のいい医者のところへ行く」
もう一度、頷いた。その頃には私は、カイルのすぐそばで眠るようになっていた。
目が覚めたとき、彼の気配がないと、理由もなく不安になるからだ。
「……仕方ないな」
そう言って、カイルは私の近くに、寝る場所を作ってくれた。
(だって、目が見えないんだよ。怖いんだよ。本当に)
――そして、検問。
私とカイルは、憲兵に引き止められた。
「二人の関係は、何だ?」
憲兵が、疑うように問う。
(……はあ?関係?関係って、何よ。買った人と、買われた人?)
私は、何も言わなかった。
カイルが、一歩前に出た。
「……僕の、大切な人だ」
そう、さらりと言った。
「彼女の目を、治したいんだ」
(――え。ちょっと待って。今、何て)
「どうだか」
憲兵は、鼻で笑う。
「なら、包帯を外してみろ」
カイルは、迷わず、私の包帯を外した。
――次の瞬間。憲兵が、息を呑んだ。
「……悪かったな」
憲兵は、視線を逸らして言った。
「通って、いいぞ」
カイルは、素早く包帯を巻き直す。
そして、私の手を、握った。
少し、強く。
だから私は、もっと強く、握り返した。
私とカイルは、宿屋に入った。
「部屋が空いていなくて……二人一部屋になりますが」
宿の主人が、気まずそうに言う。
「それで、いいです」
私は、即答した。もう、限界だった。
体力も、気力も、全部。
「……いいのか?」
カイルが、戸惑った声で尋ねる。
私は、首を縦に振るだけで答えた。
(お願い。もう、歩けない。ベッドで、眠らせて)
部屋に入ると、カイルは私を椅子に座らせ、そっと包帯を解いた。
丁寧に。本当に、丁寧に。
瞼の上の偽の傷跡が、取り除かれる。
「……どうだ。見えるか?」
その声に、私は、ゆっくり目を開けた。
――そこにいたのは、
黒い髪。
金色の瞳。
「……?」
私は、瞬きをした。
(あれ?)
(私の知ってるカイルって、こんな見た目だっけ?)
茶色の髪に、茶色の目。平凡で、目立たない青年――
……じゃない。
「……カイル?」
「そうだ」
「その色は?」
「変装を解いたんだ」
その瞬間。
記憶が、繋がった。
黒髪。金眼。
双子の王子の片割れ。
生まれた時に、処分されかけて。日陰で生きて。殺しを生業にして。
そして、聖女に救われるという――
(王道ど真ん中ストーリーの!闇王子!!)
私は、カイルを、まじまじと見つめた。
(間違いないファンクラブまであったやつ!!……え?私?私が、フラグ折ったの?)
「そんなに、珍しいか?」
カイルは、ふっと笑った。
(――やめて。その笑顔。何人、女性を倒す気なの)
……はい。
私は、倒れた。そのまま、深く、深く、意識が沈んでいく。安心と、疲労と、とんでもない事実を抱えたまま。
――その夜。
私は、眠りに落ちていた。
ふと、夢と現実の狭間で、思った。
別荘を失い、名前を失い、目さえも失ったふりをして。それでも、生き延びた。
隣には、本来なら出会うはずのなかった存在がいる。黒髪、金眼。表舞台から消された、もう一人の王子。カイル――
いいえ。
私は、彼の正体を知っている。そして彼は、私の正体を知らない。悪役令嬢であることも。本来あるべき未来を知っていることも。……そして、私はそれを歪めたことも。
――だからこそ。
この物語は、まだ、始まったばかりなのかもしれない。




