ノベルデュエル・ブリーダーズ!
玄関のドアを開ける前から、ふわりとおいしそうな夕飯のにおい。母が夕食を作っているのだと理解して、少女はランドセルも降ろさず、脱いだ靴もそのままに勢いよく家に駆けこんでいく。
手には、一抱えの段ボール箱。キッチンに顔を出すや否や少女は弾んだ声で言う。
「おかーさん! この子飼いたい!!」
「こら、文佳。帰ってきたらまずは手洗いうがいでしょう」
母は鍋から視線を外して、娘の持つ段ボールを見る。どうにもお節介が過ぎる子に育ってしまった。また捨て猫でも拾ってきたのかと彼女に抱えられた箱を確認して盛大に溜息を一つ。
「この子ったら、小説家なんて拾ってきて! 元の場所に戻してらっしゃい!!」
「えぇー! だってかわいそうだよー!」
「ダメです。うちでは小説家は飼えません」
箱の中には、三角座りをしてしょぼくれた顔をしているくたびれた小説家が一匹。1/12のドールサイズが野良小説家の標準的な大きさではあるが、捨てられてろくに栄養も摂っていなかったその小説家の大きさはそれよりも一回り小さかった。自らが話題の盆に上がっていることを理解した小説家は、顔だけを上げて鳴いた。
「ショセキカ! ショセキカ!」
「ほらもう、オスの小説家は変に吠えるんだから! ご近所に迷惑でしょう」
そこへ、何事かと顔を出す父。
「おかえり、文佳。ずいぶん騒がしいがどうしたんだね」
「おとーさん! この子飼ってもいいよね!」
「あなたからも言ってやってください。この子、小説家なんて拾ってきて」
「ははあ、なるほど」
父はあごの辺りを手でさすりながら、愉快そうに笑った。
「懐かしいじゃあないか。昔はよく縁日で小説家釣りをしたもんだ」
「もう、あなた!」
「君もやったろ? こう、辞書の切れ端を棒につけてさ。育てるの、難しかったよな」
「当たり前です。小説家なんて、長生きするもんじゃないんですから」
母は悟った。援護は望めないだろうということを。それどころか自分で育てるとでも言いかねない。元より、好奇心の塊のような人だ。野良の小説家は珍しかったのだろう。対する文佳は父が味方寄りの存在だと知って色めき立った。
「文佳も、5年生だからな。小説家の世話は良い経験になるだろうさ。あとで飼い方の本を見せてあげよう」
「うん! ちゃんと部屋も用意する! 昔買ってもらったお人形の家があるから!」
父は頷き、母はやれやれと首を横に振った。
「ほんとにもう……。ちゃんとお世話するのよ。そこらじゅう誤字だらけにしたら、お母さん許しませんからね」
「誤字を出したら赤ペンで叩くんだよね、知ってる! ちゃんとするよ! ありがとう、おかーさん!」
段ボールから小説家をひょいと持ち上げ、文佳は嬉しそうにくるくると回った。少女のはしゃぎようが伝わったのだろう。にへらと笑って小説家は「ジューバン!」と鳴いた。
□□
文佳の通う小学校は住宅地を抜けた少し高い丘の上にあり、桜の並木を横目に校門から校舎まで緩やかな坂を上がっていく場所にある。校舎の窓からの町並みはとても見晴しが良く、生徒たちが健やかに学生生活を送るに申し分ない立地と言って差し支えない。
文佳は前日に拾った小説家をこっそりとランドセルに忍ばせて授業を受けていた。
ランドセルの中で、小説家はカンヅメにすっぽりと収まって虚無の表情をしていた。小説家の生態として、カンヅメに入れると大人しくなるという性質を文佳は父から見せてもらった本で知り、これならば学校に連れていけると思い至ったのだった。
休憩時間に、そっとランドセルの中を覗いてみる。
「お昼休みになったら出してあげるからね、少し我慢してて、ブンゴ」
「シメキリ……シメキリ……」
「この鳴き声、なんだか怖がってるみたい。カンヅメに慣れてないのかな」
小説家には、ブンゴと名付けた。
長く育てた小説家はさなぎになり、まれに文豪として羽化することがある。そうあれかしと願って少女がつけた名前ではあるが、飼い犬の名をシバイヌとつけてしまうほどには安直な名付けでもある。
おびえた様子のブンゴを案じて、外に出してやろうと急いで給食を詰め込む。パンは後で食べればよいだろうとランドセルに放り込んだ。そして昼休みになると同時に体育館裏の植え込みの陰でそっとカンヅメを傾けてみた。ころりんと転がり出てきたブンゴはきれいに前回り受け身をとって立ち上がり、大きく息を吸い込んで「ニュウコウ!」と晴れやかに伸びをした。
植え込みの奥で、ガサリと枝葉が擦れる音がしたので文佳は腰を低くして、ブンゴはひょいと伸びをして揃ってそちらを見る。
メスの小説家が一匹、ひどく怯えた様子で縮こまっていた。
「野良……じゃなさそう。服もきれいだし、首輪もついてる。迷い小説家かなぁ」
ブンゴがそっと近づいて手を差し伸べようとするが、びくりと体を震わせてメスの小説家は首を横に振った。「ネタギレ……」と酷くか細く鳴いているのを見てしまっては、文佳はどうしても放っておけなくない。彼女は、基本的にお節介なのだ。
「お腹空いてるのかも。ちょっと待っててね。ブンゴもちゃんと隠れてるんだよ!」
急いで教室に戻り、食べずにおいたパンを掴んで体育館裏に戻ってくる。二匹の小説家たち以外には誰もいないと思っていたがしかし、その場にはもう一人、文佳の同級生の姿があった。
端的に評するならば、金持ちのボンボン。成績優秀、各種スポーツも得意、それに反比例する性格の悪さを持ち合わせたインテリ嫌なヤツとでも言うべき存在がそこにいた。
手に赤ペンを持って、何度も振り下ろしている。その赤ペンの先には、さきほどのメスの小説家。
「ちょっと何やってんのよ金島!!」
「なんか用かよ、一般人。見てわかるだろう。小説家の躾だよ」
金島の家業は小説家ブリーダーであり、数多くの良質な小説家を育成し、多くの賞も取っていると教科書にも載るほどである。
「こいつはうちの養小説家場から脱走したんだ。10万字書くまで飯抜きと言っただけで、だぞ」
そう言いながら容赦なく赤ペンを振り下ろす。メスの小説家は「ウチキリ……ウチキリィ」と悲痛な声をあげ、そして気を失った。
「やめなさいよ!」
「お前には関係ないだろう」
文佳の視線の端に、植え込みに突っ込んでぐったりしているブンゴの姿があった。金島を押しのけて駆け寄る。
「ブンゴ!? 金島あんた、ブンゴに何したのよ!」
「なんだ。その薄汚い小説家、お前のか。小説家に名前つけるなんて変なやつだな。躾の邪魔をしてきたから蹴り飛ばしただけだ」
「ひっどい! 許さないんだから!!」
文佳の手の中で、ブンゴも呻きながら目を覚ます。そして金島と、その足元に転がる小説家を見て険しい顔で鋭く鳴いた。
「トウサク! テンバイ! ブックオフッ!!」
「分かった分かった。うるさいな。じゃあ、準備しろよ」
「……何の?」
「小説家のことで揉めてるんだ。デュエルで決めるに決まってるだろ」
金島が気絶しているメスの小説家を乱暴につかみ上げ、「ノベリング」と宣言すると、小説家の体が淡く光り、両腕はペンに変化した。伸びたケーブル状の光が小説家と金島を繋ぐ。
小説デュエルで最も広く用いられる形態であり、これで小説家を介して装着者の脳内にある文章を自動筆記で書き起こすことができる。
「や、や、やってやろうじゃない! いくよブンゴ!」
「シンレンサイッ!」
ノベリングによる小説デュエルの存在は知っている。けれど、知っているだけだ。文佳は初めて小説家を飼ったのだし、まだブンゴを拾って一日も経っていない。普通に考えればデュエルなどできるはずもない。それでも。
両手でブンゴを持ったままゆっくりと掲げ、祈るように「ノベリング!」と叫ぶ。
ブンゴの体が光りかけ、すぐにすん、と静まりかえる。刺繡糸のように細い一本が文佳と繋がり、右腕の肘から先が万年筆へと変化していた。
「ぶははは! だっせぇ。そんな細いリンクで思ったように書けるのかよ一般人。手加減はしないからな。ルールは短文ラリーだ。いくぞ」
原稿用紙を取り出し、序文を書いて文佳に投げてよこす。短文ラリーは、一文ごとに続きを書いて相手に回し、続きが書けなくなれば負けのシンプルなルールだ。
◇ある日、宇宙人が攻めてきました。
◆彼らは地球のたこ焼きが大好物なのです。
「たこ焼きぃ? なんだよそれ」
「いいでしょ別に!」
◇小麦も、タコも紅ショウガも、全て宇宙人に奪われてしまいました。
「なによもう! ちょっとは相手と仲良くしようとか思わないの?」
「必要ないだろ。さあ、書けよ」
続きが浮かばない。取り返しに行っても、どうせ失敗したと書かれるだろう。ハッピーエンドへの道が見えない。
続きに悩む文佳の意思の外で、ブンゴがするりと万年筆を滑らせた。
◆宇宙人なにするものぞ、許しておけぬと地球人はみな気炎を上げて捲土重来と叫びます。
「え……?」
「こ、こんな漢字習ってないぞ……!」
続きをいいように編纂されるなら、そもそも理解をさせなければいい。反則すれすれではあるが、公式戦ではないのだから後は各人のプライドの問題だ。そして時間切れを迎え、格下との消化デュエルと高を括っていた金島には、これがたいそう効いた。
「ブンゴが……書いてくれたの?」
「あ、ありえねぇぞ! ノベリング中の小説家が勝手に書くなんて聞いたこともねぇ!!」
「それはそうだけど……でも、でもでも、勝負は、一応わたしの勝ちだからね!!」
動揺しながらも宣言する文佳に、金島は歯ぎしりした。
「くそっ、一般人なんかに」
「もうその子いじめないでよね」
「じゃあお前が飼えよ」
「え、わ、うわっ」
弱ったメスの小説家を投げ渡され、慌ててキャッチする。
金島が去ってもしばらく文佳はへたりこんでいたが、やがて大きく一つ深呼吸をした。これが、彼女の初めての小説デュエルであり、いずれ文豪へと至る、ブンゴと名付けられた或る野良小説家の始まりの物語だった。