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猫の誤算

 誤算だった、何やら良い匂いがした箱を手に入れ軽やかにノロマな人間を一蹴(いっしゅう)、ゆっくりと手に入れた獲物を草陰でいたぶろうという算段だったのだ。

 だが、そうはならなかった。強烈な気配を放ってあの人間はすぐ傍まで迫ってきたのだ。

 恐怖。初めて感じた感覚。

 命を脅かしかねない何かが圧し掛かってくるようなプレッシャーに、猫は恐れおののいた。


 晴花は早かった。足が途轍(とてつ)もなく早かったのだ。

 スポーツ選手だった母のDNAを色濃く受け継いだ晴花は、運動部でこそないが飛びぬけた運動神経を有していた。

 そう、コミュ障でさえなければもっと活かしようもある卓越した運動能力を腐らせ、もとい眠らせていたのだが、それを猫は目覚めさせてしまった。


 全力で駆ける己の行く先々に回り込んで現れる人間など、これまで見たこともなかった。人間は愚鈍だからだ。大概は間の抜けた顔で何か声を出すくらいで、追ってきたところで追いつくなどありえなかった。

 ところがどうだ、この人間は違う。執拗に自分を追ってくるし、追いついてくる。池に掛かった橋に追い込まれた猫はようやく悟った。

 この人間はヤバい!

 そしてこのヤバい奴は自分ではなく、この甘い匂いのするものを追っているのだと。

 そうと分かれば君子危うきに近寄らず、触らぬ神に(たた)りなし、手遅れの感は否めないが獲物を手放せば自分は助かるかもしれないと思った猫は、(くわ)えていた箱を放り投げた。

 これできっともう追ってはこないはずだ。

 そして、猫はまっしぐらに橋を渡って藪の中へと飛び込んでいった。


 橋の手すりに上った猫は、あろうことか箱を池に放った。

 夜空に舞うように、ゆっくりと箱は弧を描いて飛んでいく。

 晴花は橋から身を乗り出して、なんなら日傘を開いて受け止めようと必死だった。

 届け!

 という願いを込めて腕を、否全身をとにかく伸ばした。

 あと少し足りない。晴花は欄干を蹴った。そして大鎌でも振るかのように開いた傘で空を()いだ。

 小箱は傘に受け止められて無事に着水した。傘の船に乗っているようだ。

 だが、船に乗れたのは当然小箱だけである。

 ドパーンと派手な音を立て、晴花は池にこれ以上ないくらい盛大に抱きしめられた。


 ()をかき分けるようにして岸に向かった。

 当然びしょぬれである。お礼の小箱は水没こそしなかったが猫の唾液でベタベタである。

 服にはジュースの染みも付いてしまったし、こんな状態ではとてもではないが彼に顔向けは出来ない。

 何だかちょっとだけ晴花は落ち込んだ。

 岸に上がって先ほどのベンチに行ってみた。しかし、その場所に彼の姿はなかった。もしも、まだそこにいたとしてもこのザマである。

 もう帰ろう。

 晴花は水を滴らせたままトボトボと公園の中を横切った。家に帰るにはその方が早い。夏とはいえ風邪でもひいてしまえば元も子もない。


 その時、公園の高台に彼の姿が見えた。

 月明かりに照らされてひと際浮き上がるその光景は絵画のようだった。

 彼は空を見上げていた。

 星を見ていたのかもしれない。

 晴花はよだれでベタベタの箱をぎゅっと握って、ただその姿を眺めていた。



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