三人の“確信”と一人の“戸惑い”
朝、進学コースの教室。
いつも通り、静かに席に着く朝霧蓮。
だが、最近の教室の空気には、以前にはなかった“違和感”があった。
誰かの視線。
誰かの沈黙。
誰かの、わずかな微笑み。
蓮は、それが自分に向けられているものだと、ようやく気づき始めていた。
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廊下で目が合ったとき、姫川咲がふと微笑んだ。
彼女はすでに知っている――蓮が、あのとき自分を助けてくれた人だと。
蓮は思い出す。あの日、咲が言った言葉。
「助けてくれて、ありがとう」
それは、確かな“過去”を共有しているという証明。
でも――今、なぜ彼女がこんなに優しく笑うのか。
それはまだ、蓮にはわからない。
(お礼を言われただけで、あんなふうに笑えるのか……?)
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図書室では、黒瀬結愛が読みかけの本からふと視線を上げた。
蓮がドアの向こうに見えただけで、彼女は本を閉じる。
彼女もまた、確信している。
自分が中学の頃、助けられたあの冬の夜の少年が、蓮だったと。
(……確かめるまでもないわ)
ただし彼女は、言葉を急がない。
理論よりも今は、感情をゆっくり解釈している。
(私は……“感謝”以上の何かを感じている?)
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そして昼休み。中庭のベンチ。
早乙女玲奈は、スマホで動画を見ながら、ちらちらと進学コースの教室を気にしていた。
(あーもう、やっぱアレ、朝霧でしょ)
中学のとき、自分を庇ってくれたあの人。
あの目、あの声、あの立ち姿。
あのときの“直感”が、今もぶれない。
(てか、あんな地味な感じで何気にいい男とか……ずるくない?)
ただ、玲奈はまだ本人に「確信してる」とは言っていない。
言えば、関係が変わってしまう気がして。
「……惚れたわけじゃないし? ね?」
自分に言い訳しながら、視線だけはそっと彼に向かう。
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一方の蓮は、教科書を開きながらも、落ち着かない心を抱えていた。
姫川の視線。
黒瀬の間の取り方。
早乙女の、妙に距離感の近い会話。
(……なにか、おかしい)
かつて“誰にも注目されないこと”が日常だった。
だからこそ、今の空気が理解できない。
「……俺、なんかしたっけ?」
放課後。帰り支度をしながら蓮は独り言のように呟いた。
だが、その背後では――
三人の少女たちが、それぞれの場所から、彼の背中を見つめていた。
姫川咲の胸の中には、再会の喜び。
黒瀬結愛の胸には、論理を超えた関心。
早乙女玲奈の胸には、答えを出すのが怖い確信。
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すでに、彼女たちは“知っている”。
彼が“あの時の人”だということを。
けれど、まだ――言葉にはしていない。
そして、蓮だけがそれに気づいていない。
でも、少しずつ。
その距離が、動き始めている。
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そして――
その翌日。蓮の机の中に、ある手紙が入っていた。
「放課後、中庭で少し話せる?」
「あなたのこと、もっと知りたい」
差出人の名前は、なかった。
だが、蓮はゆっくりと手紙を折りたたみ、ポケットに入れた。
(……誰だ)
心臓が、少しだけ、早くなっていた。