遅れたスタートライン
日曜日の午後。
駅前のモールに立つ志賀楓は、胸元を押さえて深呼吸を繰り返していた。
(せんぱい、今日も来てくれるかな……)
カバンの中には、今日行く場所のパンフレット。
髪型を何度も確認して、服も昨日の夜から準備して。
あとは待つだけ――なのに、胸の奥のそわそわが止まらない。
(咲さんも、結愛さんも、玲奈さんも……みんな、せんぱいと自然に話してた)
(私はまだ、“好き”って言えてない。けど……)
ぎゅっと手を握る。
(今はそれでいい。“もっと知ってもらってから”って、決めたんだから)
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「せんぱいっ!」
遠くから歩いてくる姿を見つけて、楓の声が弾んだ。
「お待たせ」
「い、いえっ! 私、いま来たところですっ!」
「それ、前も聞いた気がする」
「わ、またテンプレ使っちゃいました……!」
先輩が笑ってくれたことで、緊張が少しだけ和らいだ。
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今日楓が選んだのは、駅ビルの上階にある文具と画材の専門店。
「えっと……中学のとき、せんぱい、絵がすごく上手で。
風景画とか、水彩のタッチが柔らかくて……私、ずっと見てました。
……同じ美術部だったのに、ろくに話せなくて、ずっと憧れてて」
「……懐かしいな。あの頃の絵、まだ家にあるかも」
「えっ、ほんとですか!? それ、今度見せてください!」
にこっと笑いながらも、楓の頬はほんのり赤かった。
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色鉛筆を試し描きしてはしゃいだり、ペンの書き心地を比べたり。
並んで歩いて、ちょっとしたことでも笑えるのが嬉しかった。
「せんぱいって、インク派ですか? ゲル派ですか?」
「インクかな。筆圧弱いから」
「やっぱり~。……ちょっと安心しました」
「安心?」
「わたし、せんぱいの“やわらかい字”好きなんです。性格に合ってて」
「性格に、って……褒めてるのか?」
「もちろんです!」
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夕方、モールの屋上テラス。
街の喧騒が遠くに感じられる場所で、風がふわっと吹いた。
「せんぱい。……今日は来てくれて、本当にありがとうございました」
「こっちこそ。ありがとう」
楓は、少しだけ顔を伏せて言葉を続けた。
「きっと、もう気づいてると思います。
……私が、せんぱいのこと、どう思ってるか」
「でも、まだ直接言うには、自分にちょっと自信がなくて」
「だから今日は、“もっと知ってほしい”って気持ちで、ここ選びました」
ゆっくりと顔を上げる。
「だから、また誘っても……?」
一拍の間のあと、先輩が静かに笑う。
「……うん。」
「っ……よ、よーし! じゃあ次は、もっとかわいくて、面白くて、すごい私をお見せしますねっ!」
風が強く吹いて、髪がなびく。
その瞬間、楓の心はふわっと軽くなった気がした。




