春のざまぁは誰のため
春の午後、陽が斜めに差し込む昇降口近くの渡り廊下。
「ねぇねぇ、新入生ちゃん。どこのクラス? 可愛いじゃん」
「あはは、名前、教えてよ。俺らのことは覚えといて損ないって」
軽薄な声が、のどかだった空気を掻き乱していた。
そう話しかけているのは――蒼馬、そして古賀。
どちらも問題児として有名だが、その過去は一年生たちにはまだ知られていない。
「え、あの、ちょっと急いでて……」
戸惑いながらも、距離を取ろうとする新入生の少女。
だが、彼らはしつこく詰め寄る。
そこへ――
「ちょっと、それ以上近づくのやめてくれません?」
澄んだ声が割って入った。
制服のリボンを押さえ、まっすぐ立つのは――志賀 楓。
「その子、困ってるの見ればわかりますよね? 先輩として、恥ずかしくないですか?」
「……は?」
古賀が眉をひそめる。
「なんだお前。新入生代表だったやつか……可愛い顔してんのに、口うるせぇなぁ……」
「そんな性格じゃモテないよ?」
蒼馬が笑う。軽蔑混じりの目で。
楓の肩がピクリと震えた。
(……怖い。けど、ここで引いたら)
「……先輩たちみたいな人がいるから、女の子が怖がるんです」
「チッ、調子乗ってんじゃねぇぞ、ガキが」
一歩、楓が引いた瞬間。
騒ぎを聞きつけた姫川 咲、黒瀬 結愛、早乙女 玲奈が駆けつけた――が、その前に。
「――そのへんでやめといたら?」
静かで低い、だが確かな圧を持った声が響いた。
その場の空気が、一瞬で凍りつく。
蒼馬と古賀が振り返る。
そこに立っていたのは――朝霧 蓮だった。
制服のボタンを直しながら、真っすぐ彼らを見据える。
「……朝霧」
「陰の王……」
「志賀さんに言ったこと、全部聞こえてた」
「……いや、俺ら別に――」
「新入生にそんな態度……情けないと思わないのか」
蓮の言葉に、周囲から小さなどよめきが走る。
見ていた在校生たちのあいだから、ささやきが漏れる。
「え、朝霧先輩……なんか、今までと雰囲気違う」
「静かに怒ってる方がこえぇんだけど……」
「やば、カッコよすぎない?」
楓は震える手をそっと胸元に当て、朝霧を見上げる。
(……せんぱい)
「もういいだろ、古賀。行くぞ」
「……チッ。つまんね」
蒼馬が舌打ちしながら、古賀と共にその場を立ち去った。
――そして、残った空気。
蓮がそっと、楓に視線を向けた。
「……だいじょうぶ?」
近づいてきた彼に、楓は小さくうなずく。
「せんぱい……ありがとう」
涙は見せない。ただ、まっすぐな尊敬と――淡い想いがその瞳に宿っていた。
そのとき。
「……朝霧くん!」
駆け寄ってきたのは、咲、結愛、玲奈の三人。
「今の……見てたよ」
「すごかった、あの言い方……」
「なんか、ドキッとした……」
三人とも、胸に何か熱いものを抱きながら立ち尽くす。
咲が、そっと一歩前へ出て言った。
「朝霧くん、かっこよかったよ」
その言葉に、他の二人も黙って頷く。
(あぁ、これが“ずるい”ってやつだ)
三人の心の中に、同時に芽生える感情。
――でも。
(負けない)
(次は、私が隣にいたい)
(もっと近くで、笑っていたい)
それだけじゃない。
「はっきり言って惚れるレベル……」
「俺も、朝霧先輩に言われてぇわ……」
男子生徒からすら、羨望とも言える視線が集まっていた。
春のざまぁは、誰かにとっての敗北であり、
そして――誰かにとっての、恋の始まりだった。




