再会の微熱―姫川咲
昼休み、図書室。
教科書のページをめくりながらも、姫川咲の意識はどこか上の空だった。
(朝霧くん……)
静かで、無口で、だけど不思議と印象に残る人。
いつも一人なのに、必要なときにだけ“当たり前のように”手を差し伸べる。
昨日の体育。彼の走りを見たとき、胸がざわついた。
あのスピード、あのフォーム。自分の知ってる朝霧くんじゃない――でも、どこかで見たことがある気がした。
•
図書室当番が交代するタイミング。咲は、勇気を出して花音に声をかけた。
「ねえ、花音ちゃん。朝霧くんって、前から知ってるの?」
花音は驚いたように瞬きして、すぐに笑顔を返した。
「うん。蓮とは幼稚園からの幼なじみ。家が近いんだ。……小さい頃から、ちょっと不器用だけど、根は真面目な子だよ」
「……そっか。ありがとう」
その一言で、咲の胸の奥にあった記憶の扉が、ゆっくりと開いた。
•
――小学校5年生の遠足。
山道で転んで足を捻り、列からはぐれてしまった。
「……痛い……!」
一人で動けずにいたとき、通りがかった男の子が声をかけてくれた。
「大丈夫?」
咲は驚きつつも、状況を説明した。男の子は水を差し出し、足をかばいながら木陰に座らせてくれた。
「ここで待ってて。すぐ先生呼んでくるから」
戻ってきた彼の手には救護係の先生がいた。
助けられた咲は、最後に聞いた。
「……名前、教えてくれる?」
「……朝霧」
それだけを言って、彼はすぐに立ち去った。
(あの時の人だ――!)
あの時の穏やかで冷静な対応。何より、「朝霧」という名字。
今目の前にいる彼と重なるものばかりだった。
•
放課後、昇降口。
咲は蓮の前に立ち、言葉を選びながら問いかけた。
「ねえ、朝霧くん。小学生の頃、○○山って行ったことある?」
蓮は少し驚いた顔で答える。
「ある。小五の夏、家族旅行で」
咲の心が確信に変わる。
「私、遠足で行ったの。怪我して、一人で動けなくなって……怖くて、泣いてたの」
蓮の目がわずかに揺れる。
「その時、助けてくれた男の子がいたの。足をかばってくれて、先生呼んでくれて……。最後に名前を聞いた。“朝霧”って言ってた」
静かな沈黙。
蓮が小さくうなずく。
「……あれ、君だったんだ」
「やっぱり……覚えててくれたんだ」
「名前は聞かなかった。でも……今の話で思い出した。あの時のこと」
咲は、ずっと胸の奥にしまっていた言葉を口にした。
「助けてくれて、ありがとう」
蓮は少しだけ視線を逸らし、ぽつりと返す。
「……無事だったんなら、それでいい」
咲は静かに微笑み、蓮に背を向けて歩き出した。
胸の中が熱い。けれど、それは不快じゃない。
ずっと探していた名前をようやく思い出したような、温かい余韻だった。
(やっと、見つけた――あの時の“朝霧くん”)
•
夜。自室。
スマホの画面に写る“朝霧蓮”の名前を見つめながら、咲はそっと呟いた。
「……ねえ、私……もう、少しだけ先に進んでもいいかな」
ページの向こうで、物語がゆっくりと動き出していた。