春の午後-黒瀬結愛
春休み中の図書館。
暖かな日差しが大きな窓から差し込み、静かな空気の中にページをめくる音だけが響いている。
朝霧 蓮は、一冊の参考書を開いたまま、集中した様子でノートを取っていた。
すると――
「……朝霧くん?」
ふとした呼びかけに顔を上げると、すぐそばに黒瀬 結愛の姿があった。
「黒瀬さん……偶然だね」
「うん、春休みだけど、家だと集中できなくて。ここ、よく来るんだ」
「俺も同じ。ちょっと勉強してから本屋寄ろうかなと思ってて」
「……そっか」
結愛は少し微笑み、少し離れた席に腰を下ろした。
それからしばらく、二人はそれぞれの勉強に集中していた。
同じ空間にいても、直接話すわけではない。
でも――不思議と落ち着く静けさだった。
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数時間後。
時計をちらりと見た結愛が、そっと顔を上げる。
「……少し、休憩しない?」
「え?」
「図書館のすぐ近くに、前から気になってたカフェがあるんだけど……よかったら、一緒にどう?」
ほんの少しだけ視線を外しながら言う結愛に、蓮は短く頷いた。
「いいよ。俺もちょうど切りのいいところだったから」
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カフェは静かで、木目調のインテリアに囲まれた落ち着いた空間だった。
店内の一角には小さな本棚もあり、どこか図書館と似た居心地の良さがあった。
「……ここ、思ってたよりずっといいね」
「うん。静かだし、甘いものもあるし」
結愛はカフェラテを受け取り、窓際の席に座る。蓮も対面に腰掛けた。
「……朝霧くんは、春休み、ずっと勉強してるの?」
「一応。やりたいことは決まってるから、コツコツやっていかないと」
「……えらいね。私は……ちょっとだけ、焦ってるかも」
「焦る?」
「なんていうか……周りがすごく見えるときってあるじゃない?」
結愛はカップを両手で包みながら、ゆっくり言葉を探していた。
「でも、今日会えてよかった。なんか、ほっとした」
その言葉に、蓮は少しだけ驚いたように目を丸くした。
「……俺で、よかったの?」
「うん。……勉強してる姿、見てるだけで安心するから。不思議だよね」
「……そう?」
蓮が照れくさそうに視線を逸らすと、結愛もそっと笑った。
「……でも、ありがとう。気づかないうちに、ちゃんと支えてもらってる気がした」
「俺は何もしてないよ。ただ、図書館で勉強してただけ」
「うん。でも、それが“支え”になることもあるんだよ」
静かな午後のカフェ。
言葉は少なめでも、心はどこか温かくて、柔らかかった。
**
帰り道。
「……また、図書館で会えるといいね」
「たぶん、また行くよ。春休み、まだあるし」
「そっか。……じゃあ、また」
交差点で手を振った結愛の笑顔が、蓮の胸の奥に、ほんのりと残った。
(……今日の黒瀬さん、いつもよりやわらかかったな)
――まだ名前にできない何かが、少しだけ近づいた春の午後だった。




