バレンタインデー
2月14日、バレンタイン当日。
校門前は、朝から妙にそわそわした空気に包まれていた。
「チョコもらってるやついた!」
「おお、勝ち組だなー」
そんな声を背に、朝霧 蓮は特に気にすることもなく登校していた。
「せんぱーいっ!」
呼び止められて振り返ると、制服にコートを羽織った見知らぬ女の子が校門の外から手を振っていた。
「……誰?」
「えぇー!? 忘れたの? 志賀 楓! 中学で同じ美術部だったじゃん!」
「志賀さん……? 久しぶり…?…え、喋り方そんなだったか?」
「いいから!気にしない!」
彼女は笑顔で、小さな包みを差し出してきた。
「はい、チョコ! 手作り。絶対受け取ってね?」
「え、ああ……ありがとう」
「来年この高校入学するから! またよろしくね、せんぱい!」
満足げに言い残し、志賀 楓は軽やかに去っていった。
「……あいつ、志賀さんだったのか……」
そんな蓮の呟きを、こっそり遠巻きに見ていた3人の視線が捉えていた。
姫川 咲、黒瀬 結愛、早乙女 玲奈。
「な、何あれ……誰?」
「“せんぱい”って……中学の後輩?」
「それに、チョコ渡してたよね……?」
三人の胸に、ざわりとした何かが広がった。
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昼休み・中庭の裏手
「朝霧くん、ちょっとだけ……いいかな?」
黒瀬 結愛が静かに近づいてくる。
「うん。どうかした?」
制服のポケットから、彼女はそっと小さな箱を差し出した。
「……これ、チョコ。市販のだけど……私なりに、選んだつもり」
「ありがとう、黒瀬さん。嬉しいよ。大切にする」
結愛はほんの少しだけ目を伏せて、控えめに笑った。
「じゃあ、また……放課後、ね」
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放課後・昇降口
蓮が靴を履いていると、背後から声がかかる。
「……朝霧くん」
振り返ると、姫川 咲が制服の襟をそっとつまんで立っていた。
「……これ、よかったら受け取ってほしいの」
丁寧にラッピングされた小さな箱。咲の手が、わずかに震えていた。
「……うまくできてるかわからないけど、手作りだから……」
「ありがとう、姫川さん。……嬉しいよ」
咲はほっとしたように微笑み、小さく頷いた。
「よかった。……それだけ、伝えたかったの」
そのまま踵を返し、足早に去っていく。
蓮はその背中を見送った後、そっと包みを抱え直した。
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放課後・教室
「ねぇ、蓮くん!」
振り向くと、早乙女 玲奈が紙袋を抱えて立っていた。
「……これ、チョコ。ちゃんと考えて作ったやつだから!」
「ありがとう、早乙女さん。手作りなんだ?」
「うん。でも……気合い入れすぎて重いとか思わないでよ?」
「いや、嬉しいよ。ほんとに」
玲奈はしばし迷ったように目を泳がせたあと、小さく息を吐いた。
「……朝、すごい子が来てたよね。見たよ」
「え?」
「なんでもない。うん、なんでもない」
ふっと笑い、玲奈はそそくさと教室を出て行った。
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夜・朝霧の部屋
机の上に並ぶ、4つのチョコレート。黒瀬 結愛、姫川 咲、早乙女 玲奈、… 志賀 楓。
楓からのチョコレートは全くの想定外ではあったが、どれもが嬉しい贈り物で、それぞれに違う温度が宿っているように感じた。
(……なんだろうな、この気持ち)
彼女たちが見せた表情や言葉が、次々に思い出される。
(少しずつ、だけど……距離が近くなってる気がする)
(そして…志賀さんか…)
そう思いながら、蓮はふと口元を緩めた。
静かな夜、外では冷たい風が吹いていたが、部屋の中はどこかほんのりと温かかった。