あいつ、そんなヤツだったっけ?
体育祭から一日。
煌陽学園の空気は、少しだけ変わっていた。
「あの子、リレーで最後バコーンって抜いた子だよね?」
「え、進学コースなんでしょ? あんなに走れるなんて反則じゃん」
「えぐかったよね、あの加速」
「しかも、静かで落ち着いた雰囲気とか……ギャップすごすぎ」
――噂の中心にいたのは、もちろん朝霧蓮だった。
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「はぁ……」
姫川咲は、ため息をひとつ。
教室の窓際で、何気なく隣のクラスの話題に耳を傾けていた。
「あの子、たしか姫川さんとバトン繋いでたんでしょ? ずる~」
「てか、見た? あの走り。黙ってるくせにやるときやるタイプ……ちょっとカッコよく見えたんだけど」
(べ、別に“仲いい”わけじゃないし……)
内心で否定しながら、咲はうっすらと頬を赤く染めていた。
(なんか……最近、いろんな子が蓮のこと見るようになった気がする)
それが、ほんの少しだけ――
胸の奥を、きゅっと締めつける。
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「結愛ちゃん、朝霧くんと話すこと多くない?」
「なんか知的同士でお似合いって感じ~!」
進学コースの教室でも、女子たちの雑談が飛び交っていた。
黒瀬結愛は、それを無視するように本を開いていた。
けれどページをめくる指先が、いつもよりぎこちない。
(別に……お似合いとかじゃないし)
(でも……咲さんとか、玲奈さんとか。ああいうタイプの方が、彼の隣に似合うんじゃ……)
思考がまとまらず、ページを読み飛ばしていた。
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廊下では――
「え、マジ? 早乙女、あの朝霧と二人三脚で走ったの?」
「なにそれ、恋のきっかけじゃん~!」
「“ギャップ萌えの寡黙男子”とか人気出るよ、マジで」
「ち、ちげーし!! なにそれ!? ないから!! ぜっっったい、ないから!!」
そう怒鳴りながらも、早乙女玲奈の耳は真っ赤だった。
(なんか最近……あいつ、ずるくない?)
(静かで影薄かったのに、急に“ミステリアスなモテ男子”みたいな雰囲気出してきて……)
――ちょっと、焦る。
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一方そのころ。
生徒会室のすみ。
廊下の掲示板の前で、2人の男子がこそこそと話していた。
「なぁ、正直、俺いけると思ってたんだよ……早乙女とか」
「俺は姫川さん狙ってた。あの子、笑いのツボ浅そうだし」
「それがさぁ、あの陰キャに全部持ってかれてんの、納得いかなくね?」
「……しかも、地味なのに走れるとか、なんなん」
「……まだ逆転あるだろ。てか、結局は顔よりトーク力だって」
「あいつ、女子と会話ゼロなんだぞ? 俺らのほうが場数踏んでるし」
「ちょっと調子乗ってるだけだって……次は見とけよ」
――それでも、足元から地盤は崩れつつある。
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教室の隅で、翼と花音がくすくすと笑っていた。
「ねえねえ、蓮って今、密かに学内ランキング急上昇中だよ」
「本人、ぜったい気づいてないけどな」
「てかさ、女の子たち……完全に焦ってる感じしない?」
「ふふ。いいじゃん、面白くなってきた」
「これってさ……蓮自身は誰を見てるんだろうね?」
「……さあね。でも――」
花音は遠くに見える教室の窓を、ふと眺めた。
「そのうち、誰かが動き出すよ。きっと」
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動き出すのは、“恋”だけじゃない。
“噂”と“嫉妬”と――
そして、静かに漂いはじめた“悪意”の気配。
その空気は、誰よりも早く、朝霧自身が感じ取っていた。