悪意の裏で….
少し修正を加えました
昼休み、総合コースの教室。
黒板に描かれた落書きが消えてから、桐谷蒼馬の周囲は変わった。
以前は笑い声に囲まれていた彼に、今は妙な“空白”がある。
誰も、もう本気で乗ってこない。
それでも――蒼馬は認められたかった。
(……このままじゃ、俺が終わる)
だから、最後に“見せ場”を作る必要があった。
勝つとか負けるとかじゃない。ただ、何かで上書きしたかった。
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「なあ、お前さ、ちょっと頼みがあるんだけど」
蒼馬が声をかけたのは、仁科ひより。
総合コースの中でも大人しく、断れないタイプの女子。
「演技でいいから。“朝霧に告白して、勘違いさせるドッキリ”やってくんね?」
「……え?」
「大丈夫、バレたあとで“冗談です~”って言えば終わりだから。
カメラもこっそり撮っとくし、面白く編集して……」
仁科は笑えなかった。
それが“冗談”だと思えるほど、自分は強くなかった。
「……わかりました」
ただ、小さく頷くしかなかった。
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放課後前。
昇降口裏の物陰で、蒼馬はスマホの録画準備をしながら、取り巻きに言った。
「なあ、これマジでウケると思わね? 地味陰キャが浮かれてるとこ撮れたら、マジバズるって」
取り巻きの一人が苦笑する。
「うーん……それ、笑えるか?」
「は?」
「いや、最近さ、朝霧ってちょっと“かっこいい”とか言われてね?
教室でも無駄に目立ってきてるし、逆にお前がイジって滑ってるように見えてんのよ」
蒼馬の笑みがピクリと止まった。
「……なに、俺が滑ってるって言いたいの?」
「いや、別に。でも……最近お前、ちょっと必死じゃね?」
一言ずつが、心に刺さる。
蒼馬は思わずスマホを握りしめた。
(……は? 俺が必死?)
そのとき――昇降口から歩いてきたのは、朝霧蓮。
気づいたようには見えない。けれど、通り過ぎる瞬間、蒼馬の体がピクリとこわばった。
(……チッ)
手の中のスマホが、汗ばんでいた。
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同じ日の午後。
進学コースの教室を出た黒瀬結愛は、廊下の向こうから歩いてくる女子に目を留めた。
(……あの子、総合コースの……仁科さん、だったかしら)
すれ違いざま、仁科の足がほんの一瞬だけ止まった。
目は伏せられ、顔色は少し青白い。
(……誰かに何か、言おうとして――やめた、みたいな)
そんな風に見えた。
結愛は足を止めなかった。
けれど、歩きながら小さくつぶやいた。
「……助けてほしいって顔、してた」
なぜ、その言葉が口から出たのか。自分でもわからなかった。
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教室に戻った結愛が席に着く頃、
早乙女玲奈は自販機の前で缶を手にしていた。
ちょうどそのとき、廊下の奥から蒼馬の声が聞こえてくる。
「マジで? お前やるの? いや、最高!」
明らかにテンションだけが空回っていた。
(……まだやんの、あいつ)
それはもう、失笑ですらなかった。
ただの――浅はかさ。
仁科の顔が頭をよぎる。
すれ違ったとき、彼女の手は小さく震えていた。
(あの子、なんかやらされてんな……)
でも、それが何かまではわからなかった。
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放課後。昇降口。
姫川咲は靴を履きながら、ふと廊下から聞こえた声に顔を上げた。
「……朝霧くん」
その声の主は――仁科ひより。
向かい合う蓮と仁科の距離は、妙にぎこちなかった。
背後には、柱の陰に隠れるように立つ数人の男子の姿。
咲の胸に、小さな棘が刺さる。
(……なんだろう、この感じ)
胸騒ぎ。直感。
そういうときの自分の勘は、たいてい当たる。
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「……中庭で少し、話せますか?」
蓮は一瞬だけ間を置き、静かに頷いた。
「いいよ」
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三人の少女たちは、それぞれ別の場所で、別の角度から――
同じ一瞬を見ていた。
仁科の震える背中。
蓮の一瞬の逡巡。
蒼馬の陰。
それぞれの胸に、同じざわめきが残った。
「これは、普通じゃない」
けれど、まだ誰も、止められなかった。
•
仕掛けられた悪意は、誰にも気づかれないまま――
そう信じていたのは、仕掛けた側だけだった。