8
「………という訳で、ようやく彼女にも分かって貰えたようだ」
「そういうことでしたら、これ以上何も申しませんわ」
乙女ゲームの説明は省き、取り敢えずエリノーラに現状を説明したところで泣き出したため、仕方なく馬車までエスコートしたと説明した。
今後はこちらに絡んでくることはないと話すと、どこか不安そうに話を聞いていたナターシャも安堵の息を吐く。
その様子には少しだけ拗ねた様子もうかがえるので、もしかしたら嫉妬してくれていたのかもしれない。
「今後、俺がエスコートするのはナターシャだけだから安心してね」
「そ、それはそのっ、別に、エスコートくらいは……」
「してもいいの?」
「……やはり私だけにしてくださいませ」
俺のジャケットの裾を握り締めて、真っ赤な顔で呟くナターシャの何と可愛いことか。
にやける顔を抑えながら、そっと頬に口付けを贈ると、更に真っ赤になってうろたえる様が本当に可愛かった。
「殿下、人前ですので程ほどにしてくださいね」
呆れた顔のラントレーに釘を刺されたが、俺は適当に笑って誤魔化した。
これでようやく何の憂いもなく学園生活を楽しめるんだから、婚約者と少しくらいイチャイチャしてもいいはずだ。
「羨ましいならお前もしたらいいだろう」
「私の婚約者がまだ入学していないのを知っていてそういう事を言いますか?」
「……そうだったか?」
誤魔化すように笑うと、ラントレーも苦笑を浮かべる。
そんな俺達二人のやり取りを女性陣二人が楽しそうに見つめていた。
だが不意に、見送ったはずの馬車が再び戻ってくるのが目に飛び込んで来た。
「ん、何かあったのか?」
俺の視線を辿るように、全員の視線が学園へと入ってきた馬車に注がれる。
「あれは公爵家の馬車ではありませんね」
「……見覚えのない家紋ですわ」
剣に薔薇の蔦が絡まった家紋は、確か隣国の公爵家の家紋だ。
ノーマン殿下の件で何かあったのか?
そう思いながら馬車を注視していると、停まった馬車から一人の令嬢が従者のエスコートで降りてくる。
ゴージャスに巻かれた金髪に少し勝気な青い瞳。
見覚えのある彼女は、理由もなく国を空けることなどない人物だ。
そして彼女は俺の姿を確認すると、少しだけ驚いた顔をした後、ゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。
………正直に言おう。
とても嫌な予感がした。
「……殿下、ご存知の方ですか?」
「ああ、隣国ベンディクスの王太子の婚約者、公爵令嬢ミリアリア・バルテルス嬢だ。ベンディクスに訪問した際に何度か話したことがある」
語学が堪能で、歴史や経済にも明るい非常に優秀な令嬢だ。
そんな令嬢が、何故か隣国である我が国にいる。
ここが城ならば外交かと思えるが、場所が学園であり俺が特に何も聞いていなかったことを考えると、国家間の行事などではなく、個人的にここを訪れていることになる。
「ご無沙汰しております、レグリアス殿下」
「久しぶりだね、バルテルス嬢。今日はどうしてこちらに?」
「今度こちらの学園に留学することになったので、そのご挨拶に」
「留学?王太子の婚約者である貴女が?」
暗殺や事故などのトラブルを避ける為、王太子やその婚約者が留学などの外遊に出ることはない。
つまり………
「うふふ、実はわたくし先日婚約を破棄されまして……」
「こ、婚約破棄ですか……?」
「ええ、王太子殿下は可憐なご令嬢がお好きなようですわ」
おあぁぁぁ……、まさか俺じゃなく隣国で乙女ゲームか?乙女ゲームなのか?!
「幸いにして王太子殿下の有責での婚約破棄と相成りましたが、さすがに少々居辛さを感じてしまいまして、父に言ってこちらに留学させていただきました」
「……そうですか、突然のことで驚きました」
そんな大事な情報、どうして俺は聞かされていないんだ?
いや、王族の醜聞だ。
他国へは緘口令が敷かれていた可能性が高い。
「その話、私が聞いて良いお話だったのでしょうか?」
「あらっ、どうだったかしら?」
にこやかに惚けているが、恐らく確信犯だ。
自分を蔑ろにした王太子に対する意趣返しが含まれているのだろう。
「はぁ……」
思わず出てしまった重いため息に、公爵令嬢が少しだけ困った顔をする。
「ごめんなさい、困らせてしまったかしら?」
「いいえ、こちらこそ失礼しました。ベンディクス陛下の心労を思うと、隣国とはいえ同じ王族として身につまされる思いです」
「あらあらっ…」
隣国のベンディクス王は今頃王太子の愚行に胃を痛めていることだろう。
もしかしたら俺も同じように父を困らせていたかもしれないと思うと、前世を思い出して良かったと心から思う。
「今日は挨拶をということでしたが、学園長室で宜しければ私がご案内させて頂きましょう」
「まぁ、レグリアス殿下に案内していただけるなんて光栄だわ」
野放しにして何かのフラグを立てられても困るので案内を申し出た。
ナターシャ達には悪いが、そろそろ授業が始まるのでここからは別行動だ。
さり気なくラントレーに目配せすると、彼は心得たように小さく頷いた。これで兄への連絡も彼がしてくれるだろう。
「では、参りましょう」
未婚の男女らしく適切な距離で歩き出しながら、俺は出来るだけ彼女から情報を引き出す。
やはり俺が想像した通り、隣国の王太子はポッと出の平民上がりの男爵令嬢に奪われたそうである。
しかもその女、王太子だけでなく側近の男も次々篭絡したそうだ。その数、たった半年で総勢八人。
乙女ゲームのハーレムエンドをやってのけるとは、ある意味凄い女である。
そして最後の定番よろしく、王太子の誕生パーティーにて冤罪で婚約破棄されたそうだ。
しかし直ぐに彼女の無実が証明された為、めでたくあちらの有責で婚約破棄。
とは言え、社交界では噂の的なので、静かなこちらに留学を決めたそうである。
つまり、ノーマン殿下と同じ理由だ。
そう言えば最近妙に浮かない顔をしていたが、もしかしたら兄の醜聞を知っていたのかもしれない。
そう言えば彼はバルテルス嬢がこちらに来ることを知っているのだろうか?
いや、さすがに知っていればこちらには連絡があっただろう。
「少し質問よろしいでしょうか?」
「何でしょう?」
「ノーマン殿下は貴女がここに来られることをご存知で?」
「一応王家には留学の旨は届けております。ただ、許可が出て直ぐに国を出立しましたので、ノーマン殿下が知らない可能性はありますわね」
なるほど、よく分かりました。
だって、学園長室に向かう途中、友人と談笑していた殿下と擦れ違ったら固まってたもん。
「殿下は男爵子息として留学中とお聞きしたのでお声掛けしませんが、一度正式にご挨拶をと思っております」
「では、私の方で面会の約束をお取りしましょう」
まぁ、俺が何も言わなくても向こうから連絡してくるとは思うけど。
ちなみに彼女は俺の二つ上なので、兄上と同じ学年になる。
つまり、対応は兄上に丸投げ出来るという訳だ。
「お住まいはどちらに?」
「屋敷を購入しようかと思いましたが、卒業までの期間を考えて寮に入ることに致しましたわ。と言っても、部屋が調うまではホテル住まいですが……」
「では、連絡事項があればホテルの方へさせて頂きますね」
「宜しくお願いいたしますわ。ところで一つお聞きしたいのですが、レグリアス殿下がエリノーラ・バードナー様と婚約破棄されたというのは本当でしょうか?先ほどお見かけした際、随分と可愛らしいご令嬢と親しくされていらっしゃいましたわね」
彼女の瞳がチラリと責めるような視線を投げてくる。
もしかしたら自分の境遇と重ねているかもしれないが、彼女とエリノーラでは境遇が違う。
そもそも、王族の婚約者としてまともな教育も義務も果たしていないエリノーラとバルテルス嬢に接点はないはず。名前を知っていたことにすら驚いたくらいだ。
「先ほどの女性は私の婚約者、ナターシャ・ライゼス辺境伯嬢です。後日正式にご紹介させて頂きます。それから誤解が無いよう言っておきますが、バードナー嬢とは婚約破棄ではなく婚約解消です」
「解消……」
「ええ、学園に入る前に。もちろん双方合意の上、円満に解消しております」
「……そうでしたか。不躾な質問をお許し下さい」
「いえ、最近のことを考えると、貴女の杞憂も尤もだと思います」
それに前世を思い出していなければ、隣国王太子の二の舞になる可能性もあった。
しかしそれにしてもこの世界は一体何なんだ?
あちこちで乙女ゲームが勃発し過ぎじゃないか?
あと、貴族男子。
何故そんなに簡単にポッと出の女に靡くんだろうな……。
女性慣れしていないからか?
これは俺の権力を持って、娼館ツアーとかやっておくべきか?
なんてくだらないことを考えていると、俺達の前から可愛らしい令嬢が歩いてきた。
彼女はこの国の乙女ゲームのヒロインである子爵令嬢だ。
俺が早々に手を回したせいでお花畑ヒロインを御役御免になった彼女は、友人の令嬢達と談笑しながら近寄ってきた。
だが、目の端に俺とバルテルス嬢の姿を捉えた瞬間、彼女は目を見開いたまま固まった。
そして更に、俺の後ろを歩いていたバルテルス嬢も固まった。
「は、え、嘘……、花君のヒロイン……っ」
呟いたのはバルテルス嬢だ。
そしてその呟きに目を見開いた子爵令嬢も、震えながらバルテルス嬢を指差す。
「なんで、咲僕の悪役令嬢がこんなところに…っ!」
そうしてほぼ同時に絶叫した二人は、そのまま何度か驚きの声を発して気絶した。
当然周りは阿鼻叫喚の騒ぎになり、廊下に人が溢れかえる。
俺は医務室への連絡や医者の手配を指示しながら、一人内心で頭を抱える。
あ~~~、なんか既視感あるわ~~~~~
俺とエリノーラが倒れた時もこんな感じだったわ~~~~~~
ハナキミとかサキボクとかって何か呟いてたけど、やっぱり乙女ゲームなのかな?
そして君たち二人も前世を思い出したということでファイナルアンサー?
「俺も気絶したら、全部なかったことにならないかな……」
これから巻き起こるかもしれない騒動を想像し、俺はため息を吐く。
ホント……、乙女ゲームなんて大嫌いだ。
レグリアスの苦労はまだまだ続く……
ということで、このお話は一旦終わりです。