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城に帰って早々、父にライゼス嬢とのことを話すと、諸手を挙げて賛成してくれた。
母も同様で、反対したのは弟のザイードと王太子の兄であった。
理由を聞けば『辺境は遠くて中々会えないから!』というブラコンが理由だったので、年に一度は王都にくると約束して何とか婚約を了承して貰えた。
その後は辺境伯を交えた話し合いだったが、まるで予定調和のように翌日には登城していたところを見ると、どうやら呼ばれるのを手ぐすね引いて待っていたらしい。
俺が知らないだけで、恐らく内々では話が進んでいたのかもしれない。
「何はともあれ、今後は婚約者として宜しくね、ライゼ……じゃなく、ナターシャ嬢」
「はい、こちらこそ宜しくお願いしますわ、レグリアス様」
こうして、俺とナターシャの婚約は無事に調った。
頬を染めて嬉しそうに笑う彼女を見ると、俺にもやっと婚約者が出来たのだと実感した。
一度目の婚約がアレだったので、妙にフワフワとした浮かれた気分になる。
だがこれで、俺のバラ色の学園生活が始まるのだ。
しかし、そうは問屋が、いやエリノーラが卸さなかった。
「見られてるな……」
「見られてますわね」
「おかしいな……」
「おかしいですわね」
ナターシャとの婚約を発表してからジットリとした粘っこい視線は無くなったものの、今度は憐憫を含んだ哀れむような視線を寄越してくるようになったエリノーラ。
彼女の中で俺は一体どういう立ち位置なのかと悩むこと一週間。
早々に事情を調査してくれたラントレー曰く『エリノーラが好きなのに無理矢理ナターシャと婚約させられた殿下』らしい。
余りのぶっ飛んだ思考回路にまたしても暴言を吐いてしまったが、今度は誰も驚かなかった。
「ナターシャ様と仲良くしていれば何れは見なくなりますよ」
というオルリアン嬢の助言を受け、俺的には貴族的にギリギリのラインでイチャイチャしていたのだが、キブアップしたのはエリノーラではくナターシャの方であった。
「で、殿下。その、触れるのはそれくらいで……」
「だめ?」
「ダメというか、わたくしがもちません……っ」
頬にキスしただけで真っ赤になるナターシャが可愛かったのだが、どうやらこの世界でこれはかなり責めたスキンシップだったらしく、教室で女生徒が黄色い声を上げていた。
キスがダメならばと、手を握ったり指や髪に口付けたりと常にイチャイチャを心掛けていたら、気付けば『殿下はナターシャ嬢を溺愛している』という噂が囁かれるようになった。
「これでエリノーラ嬢も分かるだろう」
「いえ、何故かうっとりと羨ましそうに見ていますわね」
「……それは逆に普通の反応では?」
「殿下に対してはそうですが、わたくしに対しての嫉妬の視線が凄いです」
「なるほど……」
ナターシャに言われてこっそりうかがうと、確かに俺に対する視線とは真逆の形相で彼女を睨んでいる。
これは何となくまずい気がする。
「一度彼女とは腹を割って話す必要があるかもしれない……」
婚約者時代に何度もチャレンジしては叶わなかった話し合い。
今の彼女なら俺の話を今度こそ聞くかもしれない。
「確か、彼女はいつもこの時間は裏庭だったよね?」
取り巻きの二人が距離を置き始めてから、ポツンと裏庭のベンチで昼食を食べているのが目撃されていた。
どうやら裏庭は原作乙女ゲームでヒロインと俺が密会に使う場所らしく、最近ずっとあの場所でサンドイッチを食べているようだ。
多分、サンドイッチを食べるシーンでもあったのだろう。
「殿下だけで行かれるのは危険ですわ。わたくしも同席します」
「いや、悪いけど一人で行かせて欲しい。彼女と話す内容を余り聞かれたくない」
「……わたくしに秘密のことがお二人の間にあるのでしょうか?」
言い方が悪かったのか、悲しそうに俯いたナターシャに慌てて否定する。
転生関係の話をしたいだけであって、決して男女関係に関する話ではない。
「あぁ、違うんだナターシャ! 君に聞かせられないのではなく、誰にも聞かせられない内容が一部入る可能性がある。これは王家の秘密に一部抵触するから、出来れば誰にも聞かせたくない」
「そんな話を彼女と?」
「彼女がやらかした内の一つが誰にも聞かせられない内容なんだ」
「そうなんですね……。分かりましたわ、ここでお待ちしてます」
「うん。直ぐに戻ってくるから。ラントレー、オルリアン嬢、ナターシャを宜しく」
「了解しました、殿下。お早いお戻りを」
俺の意を汲んでくれた三人をカフェテラスに残し、俺はゆっくりと裏庭に移動する。
さりげなく人の流れを見たが、裏庭に近付くにつれひと気は無くなっていった。
この時間、エリノーラが裏庭に居るのが知れ渡っているため、生徒は余り近付かないらしい。
「いた……」
校舎の角を曲がった瞬間、ベンチに腰掛けたエリノーラの姿が見えた。
彼女は膝に置いたバスケットからサンドイッチを取り出し、キョロキョロしながらそれを食べている。
その所為で、俺は速攻で彼女に見つかってしまった。
「あっ、殿下!」
「……やぁ、バードナー嬢」
「殿下もお昼ですか?良かったら是非一緒に食べましょう!」
婚約者時代とは別人のように話し掛けてくる彼女に、小さなため息が漏れる。
今の俺にはナターシャという婚約者がいるのに、まるで彼女の隣に腰掛けるのが当然という態度に呆れて声も出ない。
「殿下?」
何も話さず突っ立っているだけの俺をいぶかしむ彼女の声。
それにもう一度ため息を吐き、俺は彼女を見た。
「バードナー嬢……」
金色の巻き毛が美しい公爵令嬢。
本来なら俺の妻となるはずだった女性だが、今は何も感じない。
六年前、彼女が婚約者になったと聞かされた時は確かに嬉しかった。将来夫婦となる彼女と出来るだけ仲良く出来るように、あれも話そう、これも話そうと考えていた頃の自分が可愛く思える。
「今日は君に忠告をしにきた」
「忠告ですか?」
ベンチに座った彼女から距離を取ったままの俺を、彼女は困惑したように見上げる。
そんな彼女を微かに見下ろしながら、俺は周りに人がいないことを確認してから口を開いた。
「君はこの世界が『満開の花束を君に』だと思っているんだろ?」
「え………」
エリノーラが必死に攻略している乙女ゲームの名前を告げると、彼女の瞳が驚愕に見開かれた。
驚きの余り言葉が出ないのか、彼女はハクハク…と口を動かすだけで何も答えない。
「転生者は君だけではないということだよ」
「……で、では、殿下もっ?」
「そうだよ。思い出したのは君と同じ見合いの席。俺達が同時に倒れたから、あの後大変だったんだ。王宮のメイドやコック、何人が牢に入れられたと思う?」
「それは…あの……」
「翌日に意識が戻って直ぐに俺は彼らの助命嘆願に走ったよ。それなのに君ときたらどれだけ手紙を送っても無視してくれたよね?おかげで俺の護衛の妹はずっと牢の中だ」
「護衛の?そ、それってもしかしてプラーナ卿の?!」
「そうだよ。俺は彼の妹を死に追いやった酷い主人なんだってね?プラーナ卿にそう言ったらしいけど、彼からすれば君こそが元凶だ」
俺の言葉がようやく頭に滲み込んできたのか、それとも自分の犯した過ちに気付いたのか。
彼女は青白い顔で小刻みに震えだした。
「俺はね、何度も君と話そうと思ったんだよ。俺も同じ転生者で、乙女ゲームのまま進めるつもりはない。………でも、君は全く俺に話す機会をくれなかったよね?」
転生話を他人に聞かれないよう、何とか二人きりになる時間を作ろうと頑張る俺を無視し続けた彼女。
庭園を散歩する僅かな時間さえ彼女は俺にくれなかった。
「まぁ、今更昔のことを蒸し返すつもりはないよ。だけどさ、いい加減に自分の置かれた状況に気付こうよ」
「……状況、ですか……?」
「うん。だってさ、この世界は乙女ゲームの世界じゃないんだよ」
「そんな筈ないです!だって、ウィルもダルクも貴方だって、みんなゲームに存在するじゃない!」
「そうだよ、存在している」
「だったら!」
「存在しているんだよ、ずっと、生まれた時から死ぬまで、自分の意思で成長しながら」
俺達はゲームのキャラクターじゃない。
意思も感情もある血の通った人間だ。
たとえ乙女ゲームに似たキャラクターだったとしても、俺の感情も行動も俺自身のもので、決して決められたプログラミングによるものではない。
「君には成長してからの記憶はないのか?前世を思い出すまでに過ごした親や兄弟の記憶が?」
「……あります」
「その上でもう一度聞くよ。ここがゲームの世界だと本当に思うの?」
俺の言葉に俯き、唇を噛み締めるエリノーラ。
膝でギュッと握り締められた拳が、微かに震えている。
「酷なことを言うが、そろそろ現実を見よう」
「現実……?」
「そうだよ、エリノーラ・バードナー公爵令嬢。君は悪役令嬢ではない、ただの公爵令嬢だ。もちろん恋をするのも自由だし、恋をしないのも自由。でもね、前世とは違って君は平民ではなく貴族だ。そして俺と一度婚約を解消している、言わばバツイチ」
「バツイチ……」
「そう。まぁ、それに関しては俺も同じだけど、俺には既に婚約者がいる。そして俺だけではなく、ノーマン殿下や弟のザイードにも婚約者はいるし、護衛のプラーナ卿、アルスタイン商会の子息にも婚約者がいる。そして前世でも現世でも婚約者のいる男に言い寄るのは身持ちの悪い女と決まっている。………さて、ここで君に質問だ。現世で君は世間にどう思われているでしょう?」
サァ……と目に見えて分かるほど、彼女の顔色が悪くなった。
「更に君はお友達二組の婚約をダメにしているよね。乙女ゲームのヒロインに成り代わるのは楽しかった?」
「わ、私…、婚約を駄目にするつもりは……」
「でも、あれだけ親密な男女交際をしていて波風が立たない訳ないよね?」
「だけどあれくらい!」
「うん、前世ならただのデートだ。明るい男女交際で友達以上恋人未満ってところかな。……でも現世では違うよね?平民ならまだしも、君、公爵令嬢だよ?ゲームのヒロインが奔放さを許されたのは元平民の子爵令嬢だからで、生まれも育ちも公爵令嬢の君が同じことをしても許されるはずがないだろ」
この世界は前世よりも身分やマナーに煩い。
ゲームに囚われた彼女はその事を余り理解していないのだ。
「最後の忠告だよ、エリノーラ・バードナー。君は現実を見た方がいい。自分が崖っぷちに立たされていると理解しないと、このままでは結婚どころか婚約も出来ないよ。まぁ、平民になりたいなら止めないけど、今の生活を維持したいなら、取り巻き二人のどちらかに決めな」
宰相の息子と騎士団長の息子に縁談が来ている話を漏らすと、彼女は驚いたように顔を上げた。
まさか二人が自分以外の人間と縁談を結ぼうとするとは思っていなかったのだ。
「お友達と言われたのが堪えたようだよ。だから親が勧める縁談に前向きになっているようだ」
「そんな……」
「貴族の身分を捨てたくなかったら、どちらかに決めて早々に動いた方がいい。それから、二兎追うものは一兎をも得ず。意味は分かるな?決して二人にいい顔をしてキープするようなことはするな。迷ったら兄のクリストフ殿に相談しろ」
「…………わかりました……」
長い逡巡の後、彼女は静かに頷いた。
そしてそっと両手で顔を覆う。
「……好きな『花君』の世界に転生できて浮かれてました。ゲーム通りにすれば何もかも上手くいって最初は楽しかったんです。でも最近は全然上手くいかなくて……。元の設定に戻れば……、殿下の婚約者に戻れば全てがリセットされるんじゃないかって……」
「そっか……」
「今思えば、殿下にも大変失礼な態度を取りました。申し訳ありません……」
微かに嗚咽を漏らしながら彼女は頭を下げる。
ようやく転生でお花畑になっていた頭に現実が滲み込んできたようだ。
「謝罪は受け取るよ、バードナー嬢。でも、君は両親やクリストフ殿にこそ謝罪するべきだ。分かるね?」
「はい……」
「じゃあ、今日はもう帰った方がいい。その泣き顔で授業を受けるのは難しいだろう。馬車留めまで送ろう」
「……ありがとうございます、殿下」
そっと手を差し出すと、少しの逡巡の後、躊躇いがちに手が置かれた。
そんな彼女の手を引き、俺は馬車留めまでエリノーラを連れて行く。
元婚約者である彼女をまともにエスコートするのはこれが初めてだった。それほど、俺達の関係は前世を思い出した瞬間から破綻していたのだ。
裏庭から馬車留めまでの短い道程の中、驚きと好奇心を孕んだ視線が集中する。
当然その中にはナターシャ達も含まれているが、彼らには小さな目配せをして距離を取って貰った。誤解がないよう、彼らには後でしっかり説明することにしよう。
「殿下……」
ちょうど馬車留めまでやって来た時、誰かから俺達のことを聞いたのか、エリノーラの兄であるクリストフが慌てた様子で走ってきた。
「やあ、クリストフ殿」
「お兄様……」
「申し訳ありません、妹がまた何かご迷惑を?」
「いや、どちらかというと俺が泣かせてしまった方かな……」
「お兄様、殿下がわたくしを想って最後の忠告をしてくださいました。良ければ、帰宅後にわたくしの今後について相談させてください」
ヒロインを真似た奔放な言葉使いを止め、公爵令嬢らしい言葉で頭を下げるエリノーラを、クリストフは驚いた顔で見つめる。
「殿下、妹に何を?」
「特に何も……。ただ、恋愛小説のような恋は諦めて、そろそろ現実を見るべきだと忠告しただけだよ」
「……それは父も私も何度もしたのですが……」
「俺は彼女が傾倒していた恋愛小説の裏事情を語ってあげただけだよ。ねぇ、バードナー嬢?」
乙女ゲームを恋愛小説とした説明を瞬時に理解したエリノーラが同意する。
「はい、私にはどうやってもそれを達成出来ないことを教えて頂けました。……お兄様、今までご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「エリノーラ……」
「まぁ、そういう訳だから、公爵と一緒に彼女の今後の相談に乗ってあげてくれ」
「分かりました。では、私も本日は妹と共に早退させて頂こうと思います」
「俺の方で二人の早退届を出しておくよ」
そう言って手をヒラヒラとさせながら俺は馬車から離れた。
後ろで彼らが俺に頭を下げているのが目の端に映ったけれど、敢えて何の反応もせず俺はナターシャ達の元へと戻る。
相手が幾らエリノーラとはいえ、婚約者以外の女性をエスコートしたのだから弁解は必要だろう。