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だが、やはりエリノーラは俺の希望を打ち砕く。
「知ってた……、うん、絶対に何かやらかすって知ってたんだけど……」
ここまでするの?って光景に、俺は頭を抱えてため息を吐く。
「はぁ……」
教室では、悲劇のヒロイン劇場を繰り広げるエリノーラと取り巻き以外の全員が、死んだ魚のような虚ろな目をしている。
多分俺もしている。
そして、彼女達と相対している取り巻き達の元婚約者、二人の令嬢の瞳もまた虚無だ。怒りの色さえ見えない。
「パトリシア様!ナターシャ様!彼らに突然婚約破棄を突きつけるなんて酷いです!彼らが何をしたと言うのですか?!二人は本当に優しくて素敵な人なのに酷いです!」
「エリー…、俺は気にしていないから、俺の為に泣かないでくれ……」
「そうですよ、エリー。君に涙は似合わない」
俺はいったい何を見せられてるの?
酷いのは浮気したそいつらじゃないのか?
「あ~~、バードナー嬢。無関係な人間が騒ぐのはどうかと思うが?」
「無関係だなんて酷いです!彼ら二人は私の大切なお友達です!」
「そうか、うん、分かったよ。彼らは君の大切なお友達だね。でもね、婚約とは家同士の契約でもあるんだよ。そして両家の当主が納得して婚約が破棄になったのなら、従うべきだと思うし、文句や意見があるのなら、まずは彼らのご当主にお会いするべきじゃないかな?」
「でも!婚約破棄はパトリシア様とナターシャ様からの申し出だと聞きました!だからこそどうしてこのような酷いことをするのかお聞きしたかったのです!」
「なるほど……」
全く『なるほど』ではないが、鬱陶しいので話を合わせておく。
そして、これ以上騒ぎが大きくならないように、オルリアン嬢とライゼス嬢に説明して貰うことにした。
「オルリアン嬢、ライゼス嬢。個人的なことを聞いて非常に申し訳ないのだが、二人が婚約破棄を申し出た理由を聞かせてもらっても?」
理由?知ってるよ、ここにいる全員が。
でもね、そこで喚いてるエリノーラだけが理解してないんだよ。
申し訳ないけど、お願いね。
そんな言葉を込めて視線を送ると、表情が抜け落ちた顔で、オルリアン嬢が言葉を発した。
「婚約してから四年、最初は手紙のやり取りや茶会など、一般的な婚約者として義務を果たして頂きました。……ですが二年ほど前から手紙は誕生日以外には届かなくなり、プレゼントも文具などの低予算な物ばかり。もちろん心が篭っていればノート一冊と言えど嬉しいものですが、婚約者でもないエリノーラ様に高価な宝石のネックレスを贈っているのを見ると、私との婚約を続ける意思がないと思っても当然だと思います」
「わたくしも同じような状況です。観劇にお誘いしても、友人のご令嬢と出かけるという返事が続きましたので、婚約継続の意思はないと判断いたしました」
「ちなみにそのご令嬢とは?」
「エリノーラ様ですわ。確か、今日着けられているネックレスはわたくしの元婚約者から贈られた物ですわよね?」
「髪飾りはわたくしの元婚約者殿だったかしら?」
貴族令嬢に文房具を贈るのは別におかしい話ではない。
万年筆やガラスペンは高価だし、お揃いで持つ婚約者も少なくないからだ。
しかし、同じ文房具でもノートとなれば話は別だ。
前世よりも紙が高価とはいえ、日常使いの物を貴族が誕生日に贈るなど有り得ない。
しかもエリノーラにはアクセサリーを贈っているとなると、婚約破棄には十分な理由になる。
「婚約者からの誘いを断って別の令嬢と観劇に行くのは余り感心出来ないな」
「しかし殿下、二人きりで行った訳ではありませんわ!」
「確かにね。でも、何度も同じ理由で断るのは、もう婚約者同士の交流をする気がないと言われてもおかしくない。そう思わない?それに、手紙も年に数回、誕生日の贈り物もお友達のご令嬢よりも安価な物だと分かれば、婚約が嫌だと解釈されても仕方ないと思うけど、俺や彼女達の意見は間違っているかな?」
「それはその……、でも……」
「むしろ、婚約者を放置して君と出掛けていたということは、君が浮気相手と間違えられていてもおかしくないよ。けれど、彼女達は君に対して何も言ってないよね?」
確認するようにオルリアン嬢とライゼス嬢の二人に視線を向ければ、彼女達は無表情のままで頷いた。
「エリノーラ様と彼らはお友達とうかがっておりますので、特に何もご連絡はしておりません。けれど、今回の件でこれ以上騒がれるというのなら、お友達以上の関係だと認識させて頂き、しかるべき対処を検討させて頂きます」
「しかるべき対処?」
「ええ、婚約者のいる男性と婚約者を差し置いて出かけるのは不貞行為だと裁判の判決例が出ておりますので、慰謝料を請求させて頂きます」
「だから!私達はお友達なの!」
「ええ、私もそう理解しております。ですので、今までは何の請求もしておりません。ですがこれ以上騒がれるというのなら、それ以上の関係だったとして慰謝料を請求します」
「貴方と元婚約者がどう言い繕おうとも、世間的にみれば不貞と勘違いされてもおかしくない行動だとご理解下さい」
これ以上騒ぐと不貞の慰謝料を請求する。
どれだけ否定しようと、てめぇらの関係は端から見れば不貞だ。
ただし、大人しく引くなら、てめぇに対しては慰謝料を請求しないから黙ってろ。
要約すると、こういう事である。
実際、裁判をすれば絶対に元婚約者の令嬢二人が勝てる案件だ。
ただし、裁判沙汰にするのは時間が掛かるし、彼女達の次の婚約に響くためにしていないだけである。
しかしこれ以上騒ぐなら公爵家といえど容赦はしない。
その意図がエリノーラにも通じたのか、慰謝料という言葉に詰まってそれ以上の言葉が出て来ない。
「バードナー嬢、君にも色々と言い分はあるんだろうけどね。現状、二人の男性を両脇に従え、それぞれに肩や腰に手を当てられた君がどれだけ友達同士だと言っても説得力に欠けるんだよ」
俺がそう言った瞬間、彼らはバッと一斉に手を離した。
恐らく無意識の行動だったのだろうが、した方もされた方も無意識だということは、普段から慣れるほどにそんな事をしているという訳だ。
「これ以上学園でこの話をするというなら、申し訳ないが学業の妨げになるということで、俺から各家門に質問状を送らせて貰う」
エリノーラはどうか分からないが、婚約破棄で立場の弱くなった宰相子息と騎士団長の子息はただでは済まないはずだ。
「殿下、お騒がせして申し訳ありません。エリーは私達を心配しただけで他意はないのです」
「お許し下さい」
俺の言葉に即座に反応した二人は、綺麗な礼と共に謝罪する。
恋愛脳で頭が溶けていても、最低限の危機感は持っているらしい。
「現状を理解しているのなら俺からはこれ以上何も言わない。だが、再び騒ぐようなことがないように頼むよ」
「畏まりました」
言葉と共にもう一度頭を下げ、まだ何か言いたそうなエリノーラを宥めて三人で教室を出ていく。
それと共に、タイミング良く授業開始の鐘が鳴った。
そしてそのままエリノーラが戻ってくることはなく、確認したところ、どうやら体調不良で早退したとのことだった。
ちょうど良いので放課後は生徒会へと赴き、兄上とエリノーラの兄であるクリストフ・バードナーにも今朝の話をしておいた。
俺の話にクリストフは頭を抱え、そのまま彼も帰って行った。
「私からも抗議の手紙を送っておこうか?」
「いえ、一応俺も釘は刺しましたし、彼らも分かったと思います」
廃籍まで追い詰めても利はないし、そこまでのことを彼らがしたとは思わない。
若いうちの失敗なんだから、挽回できる余地は残しておくべきだと俺は思っている。
「バードナー嬢さえ絡まなきゃ奴らも優秀なんだがな……」
「彼らにとってバードナー嬢は悩みを解決してくれた優しい女神なんだよ。初恋は麻疹の如しっていうしね。今まではちょっと周りが見えてなかったみたいだけど、今回の婚約破棄で彼らもようやく現実が見れるようになったんじゃないかな」
実際、ヒロインの如く喚いていたエリノーラを彼らは必死で宥めていた。
彼らとて、自分の行動が婚約破棄の原因だと分かっているのだ。
そして彼らは今日のエリノーラの言葉で目が覚めたはずだ。
「お友達らしいし……」
悲しそうな二人の表情に気付かないエリノーラは、これからも彼らの『お友達』であり続けるのだろうか?
というか、彼女は一体誰が目当てなんだ?
まさか禁断の逆ハーレム目指してる訳じゃないよな?
……いや、それは無いか。
何故ならヒロインとエリノーラでは立場が違う。
ヒロインなら全員コンプリートの逆ハーも狙えるが、エリノーラは攻略対象の一人である俺と婚約破棄した時点でそれは無理なのだ。
「いや、別に全員じゃなくてもいいのか……?」
「どうした、レグ?」
「いえ、その……、バードナー嬢は結局どうしたいのかなっと思いまして……」
「確かにな。彼らの内のどちらかと想い合っているのかと思っていたが、どうやらそれも違うらしいしな」
「そうなると、もう彼女の地位に見合う男は残っていないのでは?」
まさか、隠しキャラの隣国の王子が狙いか?
しかし彼は本国にちゃんと婚約者がいるはずだ。
「もしかしたら下位貴族に好きな男でもいるんじゃないか?」
「なるほど。それなら公爵令嬢とは思えない所作や態度も頷けますね」
モブ狙いでわざと自分の価値を落としている可能性もあった。
だが、それなら別に宰相子息と騎士団長子息を篭絡する必要はない。
トラウマや悩みが可哀想だから救ってあげたかったという慈悲深い心があったとしても、弟や護衛騎士への態度を見るに、やはりそこまで善意で行動しているようには思えなかった。
それに何より、俺は五年前の件を根に持っている。
本当に慈悲深い女性なら、俺の使用人が三日も拘束されるのを黙って見過ごす筈が無い。
あの後どうなったか確認すらしなかったのだろうから、自分が最優先の人物なのだろう。
「兄上、無いとは思うのですが、隣国からお越しなっているノーマン殿下にだけは注意喚起をお願い出来ますか?」
「……彼は一応男爵子息ということになってる筈だよ?」
「でも、彼女は腐っても公爵令嬢です。どこで情報が漏れているか分かりません。また、彼女はどうやら美男子の悩みを解決してあげるのが趣味のようですので、殿下が引っ掛からないとも限りません」
敢えて『美男子』の部分を強調すると、兄上も黙り込んだ。
隠しキャラの王子は、それはもうイケメンだからだ。
隣国の王子だと分からなくても、イケメンなら声を掛けてくる可能性もある。
「……ノーマン殿下にはそれとなく注意しておこう」
「宜しくお願い致します」
ちなみにノーマン殿下は隣国の第二王子で、現在は二学年である。
入学生の俺と三学年の兄上とは余り接点がなく、更には寮住まいだ。
エリノーラが接触しても、直ぐには対応出来ないのが痛いところである。
とはいえ、彼に接触する為には商会長の息子を落とす必要があるとエリノーラは思い込んでいる為、恐らくいきなり突撃してくることはないだろう。
そしてその商会長の子息に関しては、既に俺の方で対処済みだ。
彼は俺に感謝してくれているので、俺と婚約破棄した彼女に恋することはないと思われる。
「大人しくしてて欲しいんだけどな……」
そう呟きながら、兄上と二人で深いため息を吐いた。
そしてこれを、前世ではフラグというのだと思い出したのは、それから十日後のことだった。