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「うわぁ……」
案の定、俺が教室に入った瞬間、異様な光景が目に飛び込んできた。
入学式の後、本来なら和気藹々とした和やかな空気に包まれる筈の教室が、何故か一部を除いて異様な静けさを醸し出していたからだ。
兄に怒られて落ち込むエリノーラと、そんな彼女を必死で励ます取り巻き二人。
そんな彼らを一切見ることなく、ブリザードを纏ったまま静かに怒っている取り巻きの婚約者である令嬢二人。
そして彼らの異様な様子に喋ることも憚られるほどの緊張を強いられているクラスメイト達。
無関係の周りの生徒達が不憫でならない……。
そして取り巻き二人、お前らはいい加減自分の教室に戻れ在校生!
「どうしたんだい?みんな静かだね?」
空気を読まずに敢えて明るい声と共に教室に入ると、入り口近くにいた男子生徒が明らかにホッとした様子で息を吐き出した。
「式後の打ち合わせで少し遅れてしまったんだが、もう自己紹介とかは済んだのかな?」
「いえ、先生がまだ到着しておらず……」
「そうなんだ?」
「はい」
俺の質問に答えてくれたのは顔見知りのラントレー侯爵子息だった。
恐らく、ブリザードの発生元である五人を除けば、彼が一番爵位が高いからだろう。
この学園のクラス分けは成績順だ。
当然、優秀な家庭教師を付けていた高位貴族がクラスの大半を占めるが、下位貴族や平民も数人いる。
そんな中、高位貴族連中が揉めている様子を曝していては、他の生徒の勉学に支障が出かねない。
面倒だが、俺がどうにかしなければいけないのだろう。
「正式な自己紹介は先生が来た後でさせて貰うが、俺の名前はレグリアス・エルフィナリア。知っての通りこの国の第二王子だ。だが、俺は堅苦しいことは嫌いだから、学園にいる間は普通の貴族子息として接してくれ。『王国の太陽にご挨拶……』とか、長い挨拶は全部省略してくれて構わないし、俺だけを特別扱いする必要も無い」
言いながら、チラリとエリノーラ達に小さく視線を向ける。
落ち込んでいた筈の彼女が、何故か不思議そうな顔で俺を見ている。
恐らく、ゲームでの俺の行動と違うことに驚いているのだろう。
「それと、高位貴族が面倒な揉め事を起こし始めたら直ぐに俺に教えてくれ。君たちの学園生活に支障が出ないようにするつもりだ」
「……殿下、ありがとうございます」
「気にするな。それに今日から俺達はクラスメイトだ。みんな宜しく頼むよ」
エリノーラ達の存在を無視してにこやかに王子スマイルで挨拶をする。
顔を赤らめている女子生徒にはウィンクのサービス付きだ。
前世の俺の顔面偏差値でそんなことをやればセクハラ以上の犯罪行為だが、現世では男子生徒すらちょっと赤くなるほどのイケメンぶりなので問題ないだろう。
ナルシストと言われようと俺はこの顔が気に入っているので、生涯に渡って有効活用するつもりである。
「それから先輩方。可愛い新入生を心配する気持ちも分かるのですが、そろそろご自分の教室に戻られてはどうでしょう?もう直ぐ先生がいらっしゃる時間ですよ」
とっとと自分の教室に戻れ糞野郎、と念を込めながらニコヤカに退室を促すと、さすがに新入生達のこちらを見る視線に気付いたのか、名残惜しそうにエリノーラを撫でて出て行った。
おい、お前ら、婚約者のいる前で堂々とするな。
案の定、奴らの婚約者二人の雰囲気が凍りつく。
出て行ったのはいいが、面倒な置き土産を置いていくな!
「あ~~……、オルリアン嬢、ライゼス嬢。怒る気持ちも分からなくはないが、学園では穏便に頼む」
周りの生徒が可哀想なので仕方なく声を掛けると、ふっと二人の纏う圧が消えた。
そして、非常に申し訳なさそうな顔色で俺に近寄ってくる。
「も、申し訳ございません、殿下」
「感情を制御出来ない未熟者で、ご迷惑をお掛けしました……」
彼女達もわざと教室の空気を悪くするつもりはなく、自分の目の前で女とイチャイチャする婚約者に怒っていただけである。
俺もそれが分かっているので気にしていないと軽く手を振り、再度別の忠告を口にする。
「俺の個人的な見解だが、既に様子見の段階は過ぎていると思うぞ。早々に話し合いの場を設けた方が良いだろう」
王家としてではなく、あくまでも個人的な意見として述べると、二人の令嬢は諦めたような顔で頷いた。
それを見て、エリノーラが不思議そうな顔をしている。
どうせまたゲームと違うとでも思っているのだろう。まるで自分が無関係のような顔をしているエリノーラに若干イラっとした。
だが王族として顔には出さず、困った生徒の対処方法をクラスメイトに伝授する。
「彼女のことを気にしてはいけないよ。独自の感性を持っていて少々思い込みが激しいけれど、家の権力を使ってどうにかするようなことはしない筈だ。だからと言って安全かと言われれば微妙だが、大した害はないと思う。関わらないのが一番だよ。それでも何か困ったことがあれば俺に相談してくれ。俺は幼少期から相対しているので少々慣れている」
俺の言葉に、全員が俺と彼女の関係を思い出して青褪めた。
貴族の顔色を見て、数人の平民がオロオロしている。
「あ~~~、知らない人間もいると思うので周知しておくが、既に関係は解消済みだ。理由はまぁ、先ほどの様子を見れば理解して貰えると思う。平民の諸君には誰か後で説明してあげておいてくれるかな?」
「僕が後で説明しておきます」
「うん、宜しく。まぁ、そういう訳で対処には慣れているから、みんな気にしないで頼ってね」
俺の言葉に感激したように頷く生徒達と、未だに一人だけ不思議そうな顔で俺を見ているエリノーラ。
俺、君の話をしてるんだけど?
何を他人事みたいに聞いてるの?
嫌味も通じないの?
そんな思いで深いため息を吐く。
周りの生徒達も、この短い時間で何となく事情を察したようだ。
漸くやって来た教師も、微妙な顔で教室を見渡している。
「さて、先生も来られたことだし、話はここまでにしよう。申し訳ありません、先生。先に一人自己紹介を済ませてしまいました」
「構いませんよ。では、殿下以外の方の自己紹介から始めましょうか」
教師の言葉に、教室の端から順番に自己紹介が始まった。
淡々と進んでいく自己紹介の中、何故か張り切って元気良く挨拶するエリノーラにさすがの俺も驚いた。
「エリノーラ・バードナーです。エリーと呼んでね。みんなと仲良くしたいです。学校行事の他にもクラス全員で楽しく遊びに行きたいので宜しくね」
他の生徒が勉学についての意欲を述べたのに対して、遊びに行きたいとは豪胆だ。
いや、いいんだけどね、俺的には。
青春、大いに結構。
でもね、空気読もうか?エリノーラさん。
まるで平民の学校のような挨拶に、周りはドン引きですよ。
しかも『エリー』ってお前、ヒロインのあだ名を取っちゃったの?
ホントもう、ヒロインに成り代わる気満々でビックリなんですけど……。
「あ~、えっと、バードナー嬢。学業の抱負はないのかな?」
「えへへ……、ごめんなさい先生、うっかりしてました。孤児院への奉仕活動とかして、子ども達と仲良くしたいなぁと思ってます」
「そ、そうか。頑張るように……」
全く回答になっていない学業の抱負に、先生は突っ込むのを諦めたようだった。
静まり返った教室の静寂さが痛い。
仕方ないので俺が拍手をすると、他の生徒が追従して何とか彼女の番が終わった。
あのまま放置すれば、絶対にまたメソメソ泣いて、取り巻き達を召喚したに違いない。
俺も何となく彼女の扱いが分かってきた気がする。
「……では、自己紹介が終わったようなので、授業の進め方について説明します」
その後は学園生活においての注意事項や年間の行事予定などが説明された。
黙って聞いている奴がほとんどだが、唯一エリノーラだけがやたらと年間行事の詳細を質問し、異常なハイテンションで目を輝かせている。
あれは多分、乙女ゲームのイベントでも思い出しているのだろう。
だが、俺は彼女に乙女ゲームをさせる気はない。
既に攻略されてしまった取り巻き二人は仕方ないが、これから攻略予定の奴については邪魔する気満々である。
と言っても攻略対象で残っているのは商会の子息だけなので、つい最近までは無視するつもりだった。
だが、どうやら彼を攻略すると隠しキャラとして隣国の王子が出てくるようなので、俺としては全力で阻止するしかない。
こんなことで隣国と揉めるようなことがあれば洒落にならないからだ。
更に困ったことに商会子息は元祖ヒロインである男爵令嬢と同じクラスで、エリノーラが何も知らないヒロインに接触しないかも心配だった。
「面倒だな……」
まぁ、俺の側近の一人である子爵令息が彼らと同じクラスなので、二人に何かあれば直ぐに知らせてくれるように頼んである。
乙女ゲームを進めるのはいいけど、頼むから面倒ごとだけは起こさないでくれと祈らずにいられなかった。