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「最初は宰相子息で二番目は騎士団長子息。それからプラーナ卿で、ついに昨日はザイードか……」
彼女が宰相子息と騎士団長子息の悩みを解決したと聞いたのはプラーナ卿からだった。
絶対的な忠誠を誓ってくれている彼は、エリノーラから意味不明な接触があったと怒りながら教えてくれたのだ。
『妹さんのことを聞きました。残念ですが、あの王子に仕えていたらまた貴方まで妹さんのようになってしまいそうで不安です。良ければ我が家に仕えませんか?貴方なら歓迎します』
エリノーラはそう、のたまったらしい。
彼女的には非常に良いことをしているつもりだったのだろうが、妹を危険に遭わせた張本人であるエリノーラからそんなことを言われたプラーナ卿は怒り心頭だった。
「宰相子息殿や騎士団長子息殿の悩みを解決したので、次は貴方の番だと言われました。意味が分からず、新手の詐欺や宗教の勧誘かと思ったほどです!」
温厚な彼には珍しく激昂しながらそう言っていた。
それに苦笑を漏らしながら、俺も昨日のことを思い出す。
半年ぶりに珍しく俺との茶会に現れたエリノーラだったが、何故か終始話題は弟のザイードのことだった。
余りにもザイードに会いたいと煩いので、渋々ザイードを呼んで三人で茶会を始めたが、やはりここでも彼女は意味不明なことを言ってザイードを困らせていた。
『ザイード殿下はずっとお兄様方から無視されて寂しいとお聞きしました。宜しければ私とお友達になりませんか?色々なところに遊びに行きましょう』
俺がその兄だが、良くもまぁ目の前でそんなことが言えるものだ。
彼女の意味不明な言葉に怒ることなく呆れてため息を吐いている俺と、何故か友達になった気分で遊びにいく算段を始めたエリノーラに、ザイードは終始微妙な顔で眉をひそめていた。
俺が怒っていなかったので、自分が怒っていいのか悩んでいたらしい。
だが茶会が終わって直ぐ、弟は何故か俺の手を強引に引いて父の執務室に突撃して、あの婚約者は止めた方がいいと言ったのだ。
泣きながら『兄上が可哀想!』と言われた父が非常に困った顔をしていたのが忘れられない。
しかし、そのお陰で俺と彼女の婚約破棄が進むことになったのだ。
ザイード様々である。持つべきものは可愛い弟だ。
「レグリアス、そなたはそんなに彼女と仲が悪かったのか?」
「悪いというより、お互いに無関心というか……。一応努力はしましたが、今に至るまで関係改善には至りませんでした。申し訳ございません」
「……何故もっと早く言わなかった?」
「重大な瑕疵がある訳ではなかったので、どうしようか悩んでおりました。ただ、最近の行動には少し思うところがあります」
「プラーナ卿からも報告が入っている。どうやら近衛騎士である彼を公爵家に勧誘したらしいな」
「彼女曰く、どうやら私は仕えるに値しない主人らしいです」
更に、宰相子息や騎士団長子息に接近していることも告げると、父が呆れたように大きなため息を吐きだした。
「未練は?」
「全くございません」
「では、婚約解消を進める」
破棄ではなく解消なのは、公爵家に配慮した形だ。
だが、意味もなく王族との婚約が解消になる訳がない。
乙女ゲームの誰とくっ付く気なのかは知らないが、余りいい未来が待っているとは思えなかった。
「入学までには終わらせておく。次の婚約者の希望は?」
「特にありません。けれど叶うなら、学園で人となりを見極めた上で決めたいと思います」
「分かった。大臣達と相談の上になるが、出来るだけ叶えよう」
「ありがとうございます」
こうして俺とエリノーラの婚約は、あっさりと終わった。
公爵邸に忍ばせている密偵曰く、彼女は踊り出さんばかりに喜んでいたらしい。
対して、次期公爵である彼女の兄は渋い顔をしており、直ぐに俺の元へと謝罪の手紙を送ってきた。
もちろん、彼や公爵家に対しては何のわだかまりもない為、『今後とも宜しく』と返しておいた。
彼も大変である。
「さて、これで乙女ゲームは破綻した。もう俺と彼女は何の関係もない。入学直前にヒロインに前世が甦るパターンなどもあるが、俺が一目惚れさえしなければ大丈夫だろう」
無いとは思うが、魅了に掛かる場合も考えられるので、俺が女性関係で変な行動を始めたら、殴ってでも止めてくれとプラーナ卿や弟にお願いしておいた。
「その場合はザイード殿下と協力してお止め致します」
「兄上、任せて下さい!」
力強く請け負ってくれた二人を頼もしく思いながら、俺はついに乙女ゲームの舞台、王立学園への一歩を踏み出す。
正直に言えば、校門を潜った瞬間走ってきたヒロインとぶつかったり、迷子になったヒロインと遭遇したりするのかと楽しみにしていたのだが、何事もなく入学式の会場に辿り着いた。
途中、例のエリノーラが取り巻きとなった宰相子息と騎士団長子息と共に校舎の影に隠れながらこちらを見ているのに気付いた。
大方、俺とヒロインが接触するのを確かめに来たのだろう。
ご苦労なことだ。
マナー教育が終了したヒロインは、遅刻することも迷子になることもなく会場へと無事に到着していた。
こっそり様子を見てみたが、マナー教育をきちんと受けた様子で、下位貴族のご令嬢達と楽しそうに談笑する姿が確認できた。
あれなら特に問題を起こすことはないだろう。
しかし問題はエリノーラの方だった。
どうやら彼女は校舎の影でずっと遅れてくる予定のヒロインを待っていたらしく、中々現れないヒロインを待っていたお蔭で、取り巻き達と共に入学式に遅れてきたのだ。
しかも俺が新入生挨拶をしている最中という、何とも言えないタイミングでの登場である。
一斉に注がれる視線に慌てた様子で席に座るエリノーラ達三人。
そのまま恥ずかしそうに俯いて座っていれば良いものを、目敏くヒロインを見つけた彼らは、何故か憎々しげな表情で彼女を見ている。
まさか、遅刻したのが彼女のせいだとでも思っているのだろうか?
だったら何とも自分勝手な奴らだ。
あと、折角佳境に入っていた俺の新入生挨拶を中断させたこと、許すまじ。
この文章考えるのに、どれだけ時間が掛かったと思ってんだよ?
「学園という学び舎への入学に浮かれて遅刻や遊びなどの怠惰に耽らないよう勉学に励み、かけがえのない友との交流に励みたいと思います」
急遽あいさつ文を少し変え、彼らへの嫌味を混ぜる。
それに気付いた生徒達が笑いを堪えているのを見て溜飲を下げる俺は、性格が悪いと言われても仕方ない。
「しっかし、何やってんのかね……」
「全くだな」
「兄上」
挨拶を終えて舞台袖に引っ込むと、学園生徒会長である二つ上の兄が呆れた表情で彼らを見ていた。
「レグ、彼女と婚約解消したのは正解だったな」
「学園入学前に解消出来て良かったです」
「全くだ。ここから彼女達を見ていたが、とても公爵令嬢とは思えない」
兄の言葉にチラリと視線を向けると、一番後ろの席で誰にも見られていないと思っているのか、三人でこそこそと話をしている。
というか、エリノーラはともかく、取り巻きのお前らは在校生だろ?
何をしれっと新入生に混じってんの?
余りにも堂々としているものだから、教師も追い出せずに困惑している。
まぁ、今更追い出しても騒ぎになるだけなので仕方ないが、壇上に居る教師陣が苦い顔をしているのに、いい加減気付けお前ら。
しかもコソコソと三人で何かを話しており、その様子はとても貴族とは思えないものだ。
その様子を見ると、ヒロインよりもエリノーラの方が、まるで市井で生活していた平民上がりのようだった。
口を大きく開けて笑う姿は、とても貴族令嬢とは思えない。
「なるほど……、本気でヒロインの座を奪いにいっているということか……」
その姿は一見、乙女ゲームのヒロインのように天真爛漫で可憐に見えた。
だが、乙女ゲームでそれが許されるのは、ヒロインの少女が平民出身の男爵令嬢だからだ。
生粋の公爵令嬢がそのように振舞うことの意味を彼女は考えているのだろうか?
「あいつらって兄上の側近候補でしたよね?」
「とっくに外れている」
「そうですか……」
ですよね………。
俺だって、自分の婚約者を放置して他の女に夢中になってる男なんて側近にしない。
たとえ政略的な婚約だろうと、いや政略的な婚約だからこそ、婚約者を大切にしないような男を政に関わらせるつもりはない。
婚約という家同士の契約すら履行できない男は、色恋優先でいつ裏切るか分からないからだ。
「それはそうとレグ」
「なんでしょう?」
「あいつらの婚約者が同じクラスになると思うからフォローを頼む」
「オルリアン嬢とライゼス嬢ですね。畏まりました」
そんな会話をして直ぐ、エリノーラの兄であるクリストフ・バードナー公爵令息が息を切らして俺達に駆け寄ってきた。
「レグリアス殿下、妹が申し訳ありません!」
妹の失態に慌ててやってきた様子の彼は、俺と兄上を前に、必死で腰を折って謝罪を繰り返す。
彼は兄上の側近で非常に優秀なのに、いつも妹のせいで謝っている気がする。
「君も大変だな、クリストフ殿」
「殿下……」
「彼女に対して少々思うところはあるが、それは彼女個人に対してだ。公爵家に対して何か思うところはないよ。ただ、彼女の両脇の男の婚約者はそうは思わないだろう。その件に関しては早々にどうにかした方がいい」
「はっ、早急に父と相談の上で対処したいと思います」
その後の彼の行動は早かった。
式の終了と共にエリノーラ達の下に駆け寄って、遅刻や男女の距離の説教を始めたのだ。
まだ新入生達が大勢いる中で、容赦なく叱責するクリストフ。
公爵家としてのメンツもあるだろうに、俺を立てる形で妹を怒鳴っていた。
「彼は良い側近ですね、兄上。俺とエリノーラ嬢の関係で手放すことが無いようにして下さい」
「むろんだ。身内のことを冷静に対処できる彼は重宝している」
内々に処理出来ることを公衆の面前で行うことは、俺達に対してのパフォーマンスでもある。
公爵家としては不本意であると、わざと目に見える形で王家と他の貴族にアピールしているのだ。
そういう計算高いところも優秀な側近の素質である。
「取り巻き男達の婚約者は動きませんね……」
「見世物になる気はないんだろ」
宰相子息と騎士団長子息の婚約者は、クリストフに叱責されている彼らを絶対零度の視線で一瞥しただけで会場を出て行った。
この距離でもゾワッっと鳥肌が立つくらい冷たい視線だった。
「怖いですね……」
「……フォローを頼む。特にライゼス辺境伯は国防の要。令嬢に瑕疵が出ないようにしろ」
「兄上。俺が何かする必要あるんですか?自分でスパッとやっちゃいそうな……」
「いいからフォローしろ」
「…………はい」
あれは絶対に怒らせちゃ駄目系な人であると、俺はそう確信した。
王族のこういう勘は凄く当たる。