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 久しぶりに長男が帰ってきた。一年ぶりに息子に会い、昌江は珍しくその日の夕食に腕を振るった。台所で、鳥のレバーと心臓を切り離している昌江に長男が、「おれレバー嫌いなんだけど」

「あんたの分じゃないわよ。ラッキーのご飯なの」

「ラッキー、レバー好きなの? 」

「こうやって、血のついた部分を取り除くでしょ。それから、沸騰したお湯にくぐらせて、もう一回くぐらせると、臭みが取れるの」

 息子がえさをやりたいといいだした。昌江は、目のほとんど見えないラッキーにはえさやりにもこつがあるのだと息子の前で実演して見せると言い、鍋が冷めるのを待つ間、息子の仕事ぶりと最近の生活などを聞いていた。

 玄関を開けると、行平鍋から漂う匂いにラッキーは立ち上がり、よちよちとえさ入れの場所まで歩き出す。「なんだ、まだ自分で歩けるじゃないかよ」

 えさの時だけは元気になるの、と息子に返し、右目だけでものを見ようとし、体のバランスをとるため左右に体を振りえさ入れを探しだす。

 昌江はまずラッキーをえさ入れまで、リードをひっぱり、ゆっくりと彼の歩みに合せ誘導してやる。

 視界の極端に狭くなったラッキーは用心深くなり、昌江達の差し出されたものにも、なかなか口をつけようとはしなくなっていたから、まず手でえさを鼻先に近づけてやる。

しばらく匂いを嗅ぎ、疑う様子を見せ、ようやく舌先をつけ、慎重にそれが何であるのかを確かめる。それを何度か繰り返し、ようやく安心したのか勢いよく食べ始める。

 その間、弱った後ろ足が疲れて倒れてくるから、体を支えてやる。それを見て、

「おれがやろうか」と息子が昌江に代わり、ラッキーを後ろから支えてやる。

「軽くなったな、肉がない。皮だけじゃないのか、ラッキー……」

 息子はラッキーの思いがけない衰えぶりに、驚き、寂しい表情を見せる。

「むかしは鍋にとびかかってきたのになあ。散歩も今は行けないんだろう? 」

 ラッキーはえさ入れの食べ残しに気づいていない。昌江が、スプーンで一つどころにかき集め、最後まで食べさせる。

「いつもこんなことしてんの? 」

 息子は昌江達の大変さに今更ながら感心しきっていた。

「いっそ横になったまま食べさせたら」

「人間だって横になって食べるより、起き上がった方がいいでしょう」

 昌江独自の判断でなるべくラッキーを立った姿勢で食事をさせていた。不思議と、ラッキーもその姿勢の方が食べる勢いはよかった。

 息子は昌江に、こどもの頃風邪をひいて、横になったままおかゆをスプーンですくい食べさせてもらった時のことを言われ、ああ、確かにそうかも、と昌江に代わり、ラッキーの腰のあたりを支えてやる。

 二人がかりの食事は晩の一食だけで、朝は牛乳だけを与えていた。犬にも食事の好みはさまざまで、職場の同僚の犬はドッグフードを好かぬらしく、スーパーの見切り品の肉を、仕事仲間にとっておいてもらい、買って帰ると、その時は尻尾の振りもいつもよりかは違い、カタカタとフローリングの床に足音を刻むリズムも激しくなるそうだ。

 その夜は、旦那と息子と昌江で、そんな職場での話しと、ラッキーのこどもの頃の話で盛り上がった。ラッキーの前歯が折れた時の話を息子はした。ちょうど息子が高校に上がるくらいの頃、リードを不注意から離してしまい、いつものごとく、楽しそうに息子達の間をすり抜け逃げ回るラッキーが、勢いあまって家壁にぶつかり、始めのうちは爆笑していた息子が、ラッキーの折れた歯に気づき、それを掴んで昌江に持ってきた。

 加減を知らぬラッキーは何にでも突っ込んでいった。息子も娘も、幼い頃はよく、ラッキーの突進に吹き飛ばされ尻餅を何度もつかされた。若い盛りのラッキーの散歩は、彼が疲れるまで、昌江たちが引きずりまわされる。いくらしつけようとしても、最後はラッキーの元気の良さに負けてしまい、しつけも中途半端になっていた。

 おすわりや、おしっこなどのしつけはうまくいったが、散歩だけは、旦那以外のいうことを聞かない。

 娘がえさの入った鍋を持っていくと、命令もしないうちから、お手をすることもあった。一度だけではなく、何度もするものだから、その姿は招き猫のようだ、と娘は、「この子はいやしい子だわ。散歩の時はあれだけ困らせるくせに」とがっつくラッキーの食事が終わるまで、じっとそこにしゃがみこみ眺めるのをやめない。

 娘の皮肉には、愛おしさが滲み出ていることを昌江には感じられた。アホな子ほど可愛いとはこのことね、とまだそこを離れようとしない娘がいう。昌江は可笑しくって仕方がない。

 アホの子のラッキーの愛嬌に、家族も散歩のしつけをあきらめ、せめて近所に迷惑にならないように、犬小屋から散歩用のリードに繋ぎ直す際には注意を払っていたが、散歩中、娘が引きずられ、転びリードを離し、ラッキーはこれ幸いとばかりに、膝を押さえ痛がる娘の前を、駆け抜けてはまた戻ってくるを繰り返し、怒った娘が必死にリードを掴もうとするが、ぎりぎりのところで、さっとかわすラッキーを、その日いつまでも恨めしそうに、「あいつ絶対ゆるさない。にくたらしい。わたしが痛がるのを喜んでたのよ。バカラッキー、あいつはもう散歩には連れて行かない」

 そのときばかりは娘も本気で怒っているようで、それでも一週間も堪えきれず、またラッキーに引きずられ裏山へ登っていく娘の後姿があった。

 ラッキーが逃げる時、ラッキーのリードを掴んでくれるのは、散歩コースにある畑で仕事をしているお婆さんであることが多かった。

お婆さんの家にはラッキーと同じ歳くらいの雌犬がいて、その匂いに惹かれてか、ラッキーはお婆さんには従順で、娘から逃げ回る彼を、

「ラッキー、こっちにきなさいねえ」と呼べばすぐさま畑の、お婆さんのいる方へと駆けてくる。

 お婆さんに助けられラッキーを叱り、まだ叱り足りない娘がしばらく散歩に行かなくなった時も、お婆さんの家の犬に嫉妬するようなことを言ったりもした。わたしもあの雌犬の匂いをつけてこようかな、と。


「あの時はおれが散歩させてたんだよな。部活の一番きつい時期で、疲れてたのに、練習であれだけ走って、帰ってきたらまた走らされるんだから、姉貴は帰宅部のくせしてって喧嘩したっけな」

「そのおかげで足は速かったじゃないの」

 旦那が息子のコップにビンビールの残りを注ぐ、それを息子が受けながら、自分の足が速かったのは生まれつきだったと、旦那を喜ばす。旦那は俺に似たんだな、と冷蔵庫から冷えたビンを片手に握って戻ってくる。

 二人の“のんべえ”に妬いたのか、ラッキーは羨ましそうに、くぅーん、と鳴きはじめた。仲間に入れろと僻んでいるに違いない。そういって息子が、「ラッキー。ちゃんと分かってるよ。一杯だけおすそわけしてやるかな、待ってろ」と網戸越しに叫んでやると、ラッキーも一声返す遠吠えの後静かになる。

 息子は犬小屋へと出て行き、水飲み用のたらいに、ペットボトルの水を注ぎ、「お高いフランス製のお水だぞ。これくらいの贅沢しかできなくなったなあ、お前も」と背をさすり話しかけている。昌江と旦那は息子の優しさは今も失われずにいてくれたことに感涙の境地にあやうく誘われそうになる。

 笑いと和みの席に涙は、せっかくの息子の上機嫌に水をさすことになってしまうではないかと、昌江は無理に笑顔をしてみせた。


 家族三人で昔話を、ラッキーの成長と共に語り合い、その夜は昌江と旦那は久しぶりの楽しい夕食を過ごすことができ、いつもよりも遅くまで起きていた。 


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