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9『携帯電話』

『木代花ちゃんへ

 東京で今年初の雪が降ったよ! まだ十二月なのにめずらしいよね。でも積もるほど降らなくて、今年も雪だるまは作れそうにないや。小さいのでもいいから作りたいんだけどね。


 ぼくは中学受験をするんだけど、入試の日が近づいてきててこわいんだ。小学校のテストだと百点取れてるんだけど、入試でも百点取れるかな?きんちょうして取れないんじゃないかって思ってるんだけど、そのたびに「大丈夫よ」ってお母さんは言ってくれるの。でも入試のテストは難しいってみんな言うし、それ聞いたら不安になっちゃった。

 ゆうきくんも中学受験するみたいなんだけど、ゆうきくんなら絶対大丈夫だよね。だって学年で一番頭がいいんだもん。ゆうきくんがダメだったら、ぼくなんか絶対ダメだろうし。

 だからね、最近は勉強を一生けん命がんばってるの。だけど不安でどうしようもなくなるし、夜なんかねむれなくてずっと天井をながめてるんだ。入試のことを考えるとこわくなっちゃうから、コナラの葉っぱのおまじないを毎日してるよ。本当に不思議なんだけど、このおまじないをするとねれるんだよね。

 それから、不安とかこわさとかが無くなっちゃうの。安心できるって言うか、大丈夫だって思えるんだ! 木代花ちゃん、このおまじないを教えてくれてありがとう!

 おかげで受験がんばれそう!』




 受験とは縁遠い木代花は、「やっぱり東京ってすごいなぁ」と思いました。木代花は来年から、小学校の隣にある中学校に通います。小学校のクラスメイトとともに進学し、もちろん通学路もこれまでと少しも変わりません。樹介が抱いている不安など、これっぽっちもありませんでした。

 木代花は持っていたコナラの葉をぎゅっと握りました。何度も何度も、葉が千切れてしまうほど強く握りました。お母さんの手の中にも、同じように葉が握られています。けれど、意識のないお母さんがぎゅっと握ってくれることはありません。握ってくれる日は、一体いつになったら訪れるのでしょうか。それは、神様だって知りません。


「お母さん、そろそろねるのあきた?」


「………………」


「無視はよくないって言ってたじゃん」


「……………………………」


「お父さんお仕事辞めちゃったよ? いつもみたいに怒ってよ」


「…………………………………………」


「お母さんってば!」


 木代花の声が、静かな病室に響き渡りました。そんな木代花を前にしても、お母さんは目を覚ましません。木代花の胸の中には、不安と苛立ちと寂しさと悔しさが入り交じっていました。

 もう、世界から消えてしまいたいと思いました。どんなに頑張ったって、現状が良くなることはありません。担当医師も「目を覚ます可能性は限りなく低いです」と言いました。一縷の望みをかけていた母の目覚め。その望みがたった一言で打ち砕かれ、木代花の感情は行き場を失いました。

 どれだけ泣いたって無駄だとは分かっています。ここで泣いてしまうのはお門違いなんじゃないか、とも思います。けれど、そんな木代花の意に反して、ぽたぽたと涙が落ちていきます。


「どうして」


 か細い声で呟きました。


「どうしてお母さんなの……」


 一度溢れた涙は止まることを知りません。目から零れた涙は、まるで吸い込まれるように木代花の服に落ちていきます。あの日、お母さんはどうして外出をしたのでしょう。あの自転車の人は、どうしてお母さんを狙ったのでしょう。

 頭の中は、未だに「どうして」ばかりが占めています。そもそも、駅前にケーキ屋さんができなければよかったのです。そうすれば、お母さんが外出することはなかったはずです。いや、やっぱり自転車の人が自転車を持っていなかったら。自転車に乗れなかったら。お母さんを轢くことはなかったはずです。

 いえ、それ以前に、お母さんが妊娠しなければよかったのかもしれません。妹がお母さんを選ばなければ、こんなことになる未来はなかったのでしょう。全部全部、妹のせいです。


「…………ちがう。そうじゃない」


 これは責任転嫁です。そんなこと木代花だって分かっています。木代花の妹は、少しも悪くありません。悪いのは、どう考えても自転車の人です。未だに捕まっていない犯人は、どこの誰かも分かりません。駅に備え付けられた防犯カメラの画質は想像以上に悪く、性別すら定かではないのです。

 警察の人が懸命に捜索に当たっていますが、その捜査網をかいくぐって今もどこかで生活していることでしょう。殴ってやりたくても、宙を殴ることしか出来ません。木代花にはもう、どうすることもできないのです。毎日ただ静かにコナラの葉を握りしめることしか、小学生の木代花にはできませんでした。




『木代花ちゃんへ

 無事に入学試験に合格して、中学校に入学することが出来たよ!入学式は桜がたくさん咲いててね、風に乗って花びらがひらひら舞うのが綺麗だった!ランドセルじゃなくなったのが少しだけ違和感だけど、制服を着ると大人っぽく見えるよね。

 制服を買う前に採寸に行ったんだけど、それだけでわくわくしちゃってさ。届いた制服を見て、いてもたってもいられなくなって入学式前に一回着ちゃった! サイズは少しだけ大きかったんだけど、それでもカッコいいなぁって思った! 僕は大人になったんだって、駅の鏡を見るたびに思うんだ。

 勉強も難しくなって、教科も増えて、教科書も重くなっちゃった。毎日持って帰って来て、また学校に持っていくのって大変で、最近は学校に置いていくようにしてるの。でもね、先生にバレると怒られちゃうんだ。だからみんないろんなところに隠してるんだよ!

 ぼくは座布団の中と、ロッカーの隅っこに置いてるの。今のところ怒られてないからバレてないと思うんだけど、毎日ドキドキしながら過ごしてる。これからもバレないといいんだけど……。


 クラスの数は小学校のときより増えて、六クラスになったよ。人数も増えて、学年全員の名前を覚えるのは大変な気がする。でも、三年もあれば覚えられるかな?

 みんなと早く仲良くなりたいから、頑張って一年で覚えられるようにしようかな。


 入学式の三日後ぐらいに部紹介があったんだけど、たくさんの部活があったんだ! どれも楽しそうで全部入りたいなって思ったんだけど、僕は一人しかいないから叶わないんだ。少しだけ残念だったけど、しょうがないよね。

 いっぱい迷ったけど、僕はやっぱり野球部に入ることにしたよ! メンバーはたくさんいたけど、試合に出させてもらえるように頑張るね! 今度こそホームランを打って、試合にも勝つ!!』




 木代花は樹介の手紙を読んで、ほんの少しだけ心の隅がチクッとしました。木代花は中学に進学後、新聞配達のバイトを始めました。お父さんが退職し、いくら退職金があるとは言え、二人が永遠に暮らせるだけの額はありません。生活をしていくためには、木代花が働くしかないのです。けれど、バイトで稼げる額は高が知れています。

 木代花は仕方なく、出費を抑えるために節約生活を始めました。中学の制服は近所のお姉さんから譲り受け、スーパーではなるべく値引き商品を買うようにしました。節電節水を徹底し、夜は電気をつけないで生活するように心がけました。大好きだった習い事の習字も辞め、夕方は近所のご飯屋さんでお手伝いを始めました。

 そうしているうちに、木代花には遊ぶための時間もお金も無くなりました。気づけば周りには幼馴染しかいなくなり、より一層心を無にして過ごすようになりました。中学生活を楽しんでいる樹介と、毎日忙しく生活をしている木代花。一体どこで間違ってしまったのでしょう。幼い頃、木代花も東京に行けばよかったのでしょうか。そうしたら、こんな未来も変わっていたのでしょうか。どれだけたらればを並べたって、過去はもう変えられません。

 この環境で生きていくしかないのです。




『木代花ちゃんへ

 お誕生日おめでとう!これ言うの何回目だろうって思ったんだけど、それでも大切な人の誕生日を祝えるのって素敵だと思うんだよね! おめでとうは何回言われたって嬉しくない? 僕は木代花ちゃんに今まで何度も言ってもらったけど、やっぱり嬉しい! だからこれからも言おうと思う!

 木代花ちゃんお誕生日おめでとう!! それから、これは僕からのプレゼントだよ! 気に入ってくれるか分からないし、ずっと会ってないから何が好きかも分からないんだけど、よかったら使ってほしいなぁ。

 

 僕は誕生日に携帯電話を買ってもらったよ! この前発売された新しいやつでね、とっても綺麗なんだよ! 部活で帰りが遅くなったり、友達と遊んでて夜になっちゃったりするから、お父さんが心配して買ってくれたの。

 黒色のやつでカッコいいんだよねぇ。ケースは青色で、右下にバットとグローブのイラストが描いてあるんだ! 嬉しくて、最近なんか携帯を側に置いて勉強してるの。だけど全然集中できなくて、勉強のときは遠くに置くようにした。木代花ちゃんも携帯を買ったら分かってくれると思うよ! ゲームも電話も携帯ひとつで出来ちゃうんだから! 文明ってすごいよね!


 僕の携帯の電話番号書いとくね。気が向いたらかけてほしいなぁ。木代花ちゃんと話せるって思うと、そわそわしちゃって眠れないや』




 封筒の中には、可愛らしいウサギのキーホルダーが入っていました。久しぶりに貰った誕生日プレゼント。木代花は嬉しくて、手のひらで優しく包み込みました。その後、学校の指定鞄に付けました。取り付けたあとで、手紙の後半部分を思い出しました。

 木代花は最新の携帯電話をテレビのコマーシャルで見たことがあります。画面が大きくて、カメラの性能が良くて、容量だって従来のものより多いのだそうです。発売してすぐ買った人がクラスにいますが、横目で見るたびに羨ましくなります。けれど、今の秋風家にはそんなものを買うお金はありません。携帯を買うぐらいなら、その費用で新しい電子レンジを買います。

 でも、先の見えない将来のために無駄遣いはしません。お金はあるに越したことはないからです。


「携帯かぁ」


 木代花は真っ暗闇な自室のベッドで横になり、窓から入る月明かりを見ていました。樹介に連絡する手段がないわけではありません。通学路には公衆電話がありますし、家にだって固定電話が置かれています。電話しようと思えば、今すぐにだってできるのです。けれど、木代花は電話をしようとは思いませんでした。

 話したいと思う相手の声を聞いてしまったら、涙が止まらなくなると分かっています。その泣き声を聞いた樹介なら、「どうしたの?」と聞いてくるでしょう。そんな風に聞かれたら、うっかり余計なことも話してしまいそうです。行き場のない感情を向けてしまうのが、震えるほど怖いのです。だったらもう少しだけ手紙でいい、と木代花は思いました。手紙だったら、感情をぶつけてしまう心配はいりません。


「もうちょっとだけ待ってて」


 木代花は手紙を枕の下にしまいました。そのときが来るまで、手紙は枕の下に隠しておきます。そのまま、木代花は空を眺めました。雲ひとつない夜空には無数の星が煌めき、静かに木代花を見下ろしています。そのひとつひとつが今はもう存在していないんだと思うと、星の残した功績は計り知れません。

 なぜなら、密かに誰かの心を癒しているからです。かくいう木代花もそのうちの一人でした。星を見ていると、明日も頑張ろうという活力を分けてくれているような気がしてきます。

 木代花は、数時間後には新聞を配り歩いていることでしょう。今から寝たとして、睡眠時間はせいぜい三時間です。今年になってから、日を追うごとに睡眠時間は短くなっていきます。本音を言えば、これまでのようにたくさん寝たいのです。お母さんに「朝だよ」と起こしてほしいのです。けれど、それはもう叶いそうにありません。

 叶わない願いに縋り付くような暇は、今の木代花にはありません。理不尽な世界を受け入れて、その日一日を精一杯生きるのです。それが木代花に課せられた試練なのだと、無理矢理思い込みました。


 木代花は朝のバイトを終えて学校に行き、変わり映えしない日常を送りました。今日もこれからバイトだ、と思うと気分が沈みますが、生きていくためには仕方ありません。授業が終わった同級生たちは、部活の準備を始めたり遊びの予定を立てたりしています。

 そんな様子を横目に、木代花は教材を入れた指定鞄を背負いました。相変わらず重いその鞄を今すぐ捨てたくなり、ふーっとため息をつきました。貰い物を捨てるほど、木代花は酷い人間ではありません。三年間使えるように大切に扱わなければなりません。


「木代花ちゃん、今日もこれからお仕事?」


 木代花の背後から声をかけてきたのは、幼馴染のみかちゃんでした。


「うん。今日も明日も明後日も」


「そっか」


 みかちゃんはそう言って、優しく木代花を抱きしめました。


「木代花ちゃんには私がついてるからね。楽々ちゃんも智くんも、みーんなついてるから。だから、気持ちを殺しちゃダメだよ!」


「……ありがと」


 みかちゃんから伝わってくる体温も、木代花に伝えられた言葉も、全て驚くほどぽかぽかとしていました。自分は一人じゃない。そんな思いが胸の中に湧き上がり、木代花は泣きそうになりました。


「そうだよ! 木代花ちゃんには私がついてるんだから!」


 いつもと同じ笑顔で楽々ちゃんが言いました。


「うん。ありがとう」


 涙を必死に堪えて笑顔を作って見せます。けれど付き合いの長い二人は、木代花が無理をしていることに気づいていました。気づいていても、知らないふりをし続けます。頑張っている人に「頑張らなくていい」なんて言えないからです。木代花が必死に隠している気持ちを、わざわざ表に出させようとも思いません。二人はただ、どんなときも木代花の傍に居ようと決めていました。


「そろそろ行かなきゃ」


 木代花は制服の袖で涙を拭い、「また明日!」と言いながら夕方のバイトに向けて歩き出しました。そんなとき、目の前から慌てた様子の先生が駆けてきました。


「秋風さん、よかった。さっき病院から連絡があって。今すぐ来てほしいって」


「今すぐ?」


「伝えたいことがあるからって。お父さんじゃダメだとも言ってたかな」


 息を整えながら先生が言います。木代花の頭には、嫌な予感が過りました。


「先生ありがとう! ちょっと職員室の電話借りてもいいですか?」


「もちろん」


 木代花は職員室に向かって駆けて行きました。先生の様子から、お母さんが亡くなったというものではなさそうです。ではなぜ、担当医は今すぐ来るように言ったのでしょう。たくさんの疑問はありますが、とにかく行くしかありません。


「失礼します! 電話貸してください!」


 指定鞄を背負ったまま、木代花は職員室に足を踏み入れました。


「これを使って!」


 女性の先生が、自分の携帯を貸してくれました。その携帯を借りて、木代花は近所のご飯屋さんに電話をかけました。


『もしもし』


「もしもし秋風です。ちょっと今から病院に行かなきゃいけなくて」


『あらそうなの? こっちのことは気にしなくて大丈夫よ。なんだか今日はお客さん少なそうだから』


「ありがとうございます」


 木代花はそれだけを伝えて電話を切り、先生に携帯を返しました。そして、病院まで全力で走りました。



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