17『誕生日ケーキ』
瞬く間に夏休みが終わり、学校のある生活が戻ってきました。木代花は相変わらずバイトに明け暮れ、先週の小テストでは十五点を叩き出しました。さすがに少しは勉強するべきだったと、木代花は少しだけ反省しました。けれど、今の木代花の脳内を占めているのはそんなことではありません。あと二日ほどで、二人の誕生日が来てしまうのです。今年こそ樹介にプレゼントをあげようと、木代花は毎日バイトに勤しんでいました。そしてご飯屋の好意により、給料を前倒しで貰うことができました。
木代花はその給料を持って、最近できた大型ショッピングセンターへと出かけて行きました。最寄りのバス停からバスに乗り、揺られること一時間。目の前には、学校の何倍もある大きな建物が聳え立っていました。木代花は周りの人たちとともに自動ドアを抜け、冷房の効く店内に足を踏み入れました。たくさんの店舗が道の両脇にずらっと並び、どこへ行けばいいか分からなくなりました。店内を隅々まで巡るのも一つの手ですが、迷子になる可能性が極めて高そうです。木代花は目の前にあった店内マップをじっと眺め、雑貨店を幾つかピックアップしました。
「よし!」
近場から攻めていこうと決めた木代花は、辺りをキョロキョロと見回しながら歩きました。そうして何店舗か巡ること数十分。めぼしいものはひとつも見つからず、木代花は疲れ果ててフードコートの椅子に座りました。
人々の楽しげな声と料理を作る音が合わさり、少しずつお腹が空いてきてしまいました。目の前にあるアイスの店には行列ができ、木代花も並びたいと思いました。
しかし、今日は遊びに来たわけではありません。目的を果たすために、木代花は再び立ち上がりました。
「あとは………あっちか」
ピックアップした店舗はあと一つ。そこになければ、正直言ってどうすればいいか分かりません。慣れない場所では、次の候補を決めることもままなりません。木代花は期待を胸に、最後の店舗へと向かいました。
到着した店舗の表には、ファッション雑貨が無数に並んでいました。オレンジがかったライトに照らされて、一面がキラキラと輝いています。それに合わせるように、木代花の瞳も輝いていました。木代花の好きな花をあしらったイヤリングや髪留め、ネックレスなどがたくさん目に入ります。自分もオシャレがしたい、と強く思いました。木代花は店内をゆっくりと歩き回り、樹介に似合いそうなものを探しました。けれど、どれを取っても樹介が身につけている姿を想像することはできません。
「ないかぁ」
諦めて別の店に行こうとしたとき、店舗奥の片隅に置かれていた一つのブレスレットが目に入りました。控えめな葉のモチーフがあしらわれた、金色のブレスレットです。ケースに入れられ丁寧に保管されたそれは、一目見た瞬間これだ! と思いました。
木代花は店員さんを呼んでそれを取り出してもらい、値札を確認することなくレジに向かいました。そこで伝えられた金額は四千円を優に超え、木代花は慌てて財布の中を確認しました。生活費や学費に充てる分を除いた、自由に使えるお金は五千円程度。なんとかギリギリ足りそうです。
「プレゼント用ですか?」
「あ、はい!」
金額に気を取られていた木代花は、慌てて返事をしました。
「無料のラッピングサービスがございますが、いかが致しますか?」
木代花は無料という言葉にひとつ返事で答えました。すると店員さんは「かしこまりました」と言って、後ろのカウンターにあった専用の白い箱を手に取りました。その箱の中には青色のクッションが入っています。店員さんはそのクッションを取り出し、傷が付かないようにゆっくりとブレスレットにはめ込みました。そのままゆっくりと箱の中に戻されたそれは、正面に葉の飾りが見えています。
上蓋をされた箱は、クッションと同じ青色のリボンでラッピングされました。これを受け取った樹介は、一体どんな反応を見せるのでしょう。今から渡すのが楽しみになりました。黒い紙袋に入れられた箱は、木代花が持つには不相応な気がしました。けれど、これも大人への第一歩です。
「良いものが買えてよかった」
木代花はスキップがしたくなりました。
木代花は帰宅してすぐ、自室の机の上に黒い紙袋を置きました。これで当日うっかり忘れる、なんてことはないでしょう。十六回目の樹介の誕生日は、木代花が一番に祝うと決めています。そのためにも、木代花は脳内でリハーサルを開きました。本番で失敗しないように、何度も何度も繰り返し練習をします。
練習をしながら階段を下り、木代花は夕飯作りに取り掛かりました。今のお父さんには、料理をするほどの余裕はありませんでした。
お米をといで炊飯器にセットした木代花は、キッチン下の収納スペースからボウルを、冷蔵庫からひき肉を取り出しました。今日のメニューはお父さんの好きなハンバーグです。これを食べて、少しでも元気になってほしいと思いました。
木代花は銀色のボウルにひき肉、みじん切りにした玉ねぎとキャベツ、塩コショウを加え、躊躇うことなくこねていきます。キンキンに冷えたひき肉で指先が凍りそうになり、木代花は悶えながらも懸命にこね続けました。粘り気が出てきたらパタパタと叩いて空気を抜き、俵状に形成します。秋風家のハンバーグは、つなぎと呼ばれるものは一切入れません。肉々しいハンバーグは、お母さんから伝授されたものでした。木代花は小さい頃から、このハンバーグを食べて育ったのです。
熱したフライパンに油を注ぎ、形成したハンバーグを乗せていきます。ジューッという心地良い音が聞こえ、そのまま蓋を閉めました。一息ついた木代花が手を洗っていると、固定電話が着信を告げました。表示された名前を見て、木代花は微笑を浮かべました。
「もしもし」
木代花は子機を手にし、キッチンでそう言いました。
『もしもし。木代花ちゃん元気?』
「元気元気! 今ご飯作ってるところ」
『タイミング悪かった?』
「丁度終わったところだから、ベストタイミングだよ」
『よかった!』
肉の焼ける音を片耳で聞きながら、木代花は愛おしくて堪らない恋人に言いました。
『明日午前中練習あるから、そっち着くの夜になると思う』
「無理してまで来なくて大丈夫だよ」
『もう夕方三時の高速バス取ってあるんだ! それに、今年こそ一緒に誕生日を迎えたい』
その想いは木代花も一緒でした。これまでたくさん手紙でお互いの誕生日を祝い合いました。おめでとうの文字は、正直もうお腹いっぱいです。
「駅で待ってようか? 隣町の駅で乗り換えでしょ?」
『多分九時過ぎると思うんだよね。夜遅いし、木代花ちゃんは家で待ってて! すぐに会いに行く!』
「分かった。待ってるね!」
木代花の脳内リハーサルに、新しい項目が追加されました。それは、樹介が家に到着するまでに、お祝いの料理を作るということです。樹介が大阪を三時に出発するとなると、駅に着く頃にはお腹が空いていることでしょう。せっかくなら、とびっきり美味しい料理を振る舞いたいのです。
「樹介くんの好きなものって何?」
サプライズもいいですが、木代花はあいにく樹介の好物を知りません。嫌いなものを作ってしまったら、せっかくの誕生日が台無しになってしまいます。
『好きなもの? 木代花ちゃんだよ』
「違う、そうじゃない。料理の話!」
『料理? え、もしかして作ってくれるの!? やったー!』
電話の向こう側で大声が聞こえました。子機を耳から離すのが遅かったら、木代花の鼓膜は破れていたでしょう。
『えっとね、僕カレーが好き』
「カレー?」
随分庶民的だな、と木代花は思いました。
「そんなのでいいの?」
『うん! 木代花ちゃんの作ってくれたカレーが食べたい!』
「了解! 一番美味しいカレー作っとく」
『ありがとう!』
当日はいい肉を使って、世界一美味しいカレーを作ろうと決めました。カレーだけでは物足りないので、木代花特製のコンソメスープもつけましょう。野菜をたっぷり入れて、お店より美味しいスープを作ってみせます。リハーサルを繰り返すたびに、明日が待ち遠しくて仕方ありませんでした。
「最高の日にしようね!」
『うん。絶対しよう!』
土曜日の朝もこれまでと変わらず早朝バイトをこなし、ウキウキした気持ちのまま帰宅しました。リビングではお父さんがコーヒーを飲んでいます。今日は気分が良いようで、木代花を見た途端優しい笑みを浮かべました。
「おかえり」
「ただいま!」
「なんか嬉しそうだね」
「うん! だってね、今日の夜には樹介くんに会えるんだよ! こんなに嬉しいことないよ!」
誕生日がこんなに待ち遠しいなんていつ振りでしょう。独りぼっちで誕生日を迎えることも、寂しくケーキを食べることも、今年だけはしなくていいのです。いいえ、これからもそんな経験をすることはありません。なぜなら、木代花には樹介がいるからです。どんなときでも、毎年一緒に祝ってくれることでしょう。
木代花は簡単な朝ごはんを作り、お父さんとともに食べました。見慣れない芸能人が映る土曜日のバラエティは、少しも面白くありませんでした。そうしているうちに十時になり、木代花は鞄を持って出かけました。休日はご飯屋のバイトを朝から晩まで入れています。けれど、誕生日の日は例外です。「誕生日ぐらいゆっくりしなさい」は店主の口癖で、どんなに忙しくとも当日は休みにしてくれます。今日のバイトは午後二時までで、これも店主の気遣いでした。
早く夜になれ! と木代花は心の中で唱えました。樹介に会うまでの数時間が焦ったくて、居ても立っても居られません。やっぱり駅まで迎えに行こうかなぁ、と木代花は密かに思いました。午後二時にバイトが終わり、木代花は全力疾走で坂道を登りました。髪が乱れようが筋肉痛になろうが構いません。一刻も早く帰宅して、夜ご飯の準備に取り掛からなければならないのです。間に合わなかったなんて、そんなダサいことは回避しなければいけないのです。木代花はくたくたになった足をなおも前に出し続け、やっとの思いで帰宅しました。
「あ、帰ってきた」
帰宅した途端、家の奥からそんな声がしました。
「木代花、樹介くんから電話だよ」
廊下まで出てきたお父さんは、子機を差し出しながら言いました。木代花は息を整えながら子機を受け取り、いつもと同じように話しかけました。
『ごめん。タイミング最悪だったね』
「そんなことないよ。帰って来てすぐ樹介くんと話せるなんて最高じゃん!」
樹介が到着するまで、会えないどころか声すらも聞けないと思っていました。そんな木代花にとって、この電話はサプライズそのものです。嬉しすぎてどうにかなってしまいそうでした。
「まだ寮にいるの?」
『もうバス停にいるよ。これから乗るの』
「そっか。気をつけて来てね」
『うん。木代花ちゃんはちゃんと家で待ってるんだよ? 迎えに来ちゃダメだからね!』
全てを見透かしたように樹介は釘をさしました。木代花は渋々返事をして、言われた通り大人しく家で待つことにしました。
『もう乗るね』
電話越しにガヤガヤした音が聞こえました。
「分かった。いろいろ作って待ってるね!」
『楽しみにしてる! じゃあ、また』
樹介はそう言って電話を切りました。木代花は子機を置いて、気合を入れるために頬をパンパンと叩きました。
「よし!」
ここからは時間との勝負です。これからカレーとスープ、そしてケーキを作ります。木代花は冷蔵庫から卵やバター、小麦粉などを取り出し、本屋で買ったレシピ本通りに材料を測りました。それをヘラで混ぜ合わせ、最も時間がかかるであろうスポンジケーキを作ります。木代花は出来た生地を丸い型に流し込み、予熱したオーブンに入れました。
「お父さんも何か手伝うよ」
時間がないことを知っていたお父さんは、少しでも協力したいと思いました。木代花はお父さんができそうなことを考えて、ボウルと生クリームを取り出しました。
「ホイップクリーム作ってほしいな!」
「分かった!」
お父さんは必要なものを全て机に運び、シャカシャカと泡立て器で混ぜ始めました。電動泡立て器があれば早くできるのですが、あいにく家にはありませんでした。木代花はケーキの焼き上がりを待つ間にカレーに取り掛かり、暫くして焼き上がったケーキは冷ましておきます。その待ち時間にスープを作り、粗熱の取れたケーキにホイップクリームを塗りました。そして最後に、解凍したいちごをたくさん乗せました。この時期はいちごがお店に売られていないので、渋々冷凍のものを買いました。樹介にはこれで許してもらうことにします
全てが終わったのは午後八時頃で、辺りはすっかり暗くなっていました。一番心配していたケーキは失敗することなく出来上がり、その様はお店に負けないほどです。することがなくなった木代花とお父さんは、仲良くソファに座ってテレビを観始めました。今日は三時間にも及ぶスペシャル番組が放送され、時間を潰すために静かに観続けました。
一息ついた木代花は睡魔に襲われて、うとうとしながらも必死に目を開けようと頑張っていました。睡魔との攻防戦を繰り広げているうちに、時間はあっという間に過ぎていきました。ふと見た時計は九時半を指し、樹介がいつ来てもおかしくない時間になりました。
木代花は目を擦りながら大きく伸びをして、髪を整えようと立ち上がりました。そのとき、テレビの上部にニュース速報が表示されました。地震か何かだろう。そう思った木代花の目に、見慣れた町名が飛び込んできました。それは、木代花の住む町名です。胸の奥がざわざわと音を立て、嫌な予感が全身を支配しました。
「え……」
町名に続けて近くの橋の名前が表示され、起こった出来事に言葉を失いました。見間違いであれと、木代花は何度も願いました。瞬きを繰り返し、手で目を擦りました。けれど、目の前に表示された文字が変わることはありません。
『橋を走行していた市営バスが川に転落』
の一文が書き変わる素振りは全くありません。木代花は後退るようにテレビから離れ、弾かれたように玄関へ向かいました。
「木代花!」
慌てた声でお父さんが叫び、木代花の後をバタバタと追いかけます。
「木代花!!」
急いで追いかけたお父さんが玄関で見たのは、扉がガチャンと音を立てて閉まる瞬間でした。




