表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブレーメンの聖剣 第1章胎動<中>  作者: マグネシウム・リン
8/22

7

物語tips:アレンブルグ

北部回廊の東(連邦(コモンウェルス)の東の端)に位置する第2の都市。初戦の戦闘で廃墟となる。

人類の入植後、既存の知識を破棄する回帰主義に異論を呈し、反回帰主義の名の下、なかば要塞化した施設にありとあらゆる情報を保管した。そしてンブルグ(反逆)の名前を冠する都市を築いた。

後世になり入植以前の知識や技術は、それらを解読、発展させるため研究所が作られた。その存在自体は軍閥の一部、貴族のみで知らされていた。

都市はロンボク運河を挟み、巨大な(さい)の目状に巨大な摩天楼が生えている。ロンボク運河の中洲は全体がサナハシ市という巨大都市で、その地下に秘密研究所があるとされる。

 心は落ち着いていた。何度も繰り返した降下作戦の訓練。だいたいどれも成功していた。

 頭から足の先まで、これから何をすべきか、考えなくたって分かる。機械じみた同じ動きをすれば成功する。そして無事に帰る。

 高速巡空艦“グァルネリウス”の後部ハッチがゆっくりと開く。巡空艦作業員用の多機能腕時計をちらりと見た。作戦時間通り。巡空艦の操舵士に感謝。もうすぐ夜明けの時間だが、まだ東の空に日は見えない。この時間を選んだのはテウヘルの視力と集中力が欠ける時間だからだ。ヒトの習性もそうなのだが、隊員たちの目は大きく見開きギラギラと光っていた。

 ニケ指揮下の“いいこさん部隊”の歩兵たちが一列にならび、互いに前後で装具を確認する。ハーネスが1本でも外れたら地上へ真っ逆さまだった。ロー監察官は青1と2人で1つの特注ハーネスを付けていた。背中に背負っているのは貨物投下用の落下傘だった。青1と2のどちらかにロー監察官の随伴を頼んだが、2人はじゃんけんをしてその役を決めた。

 リンが不安そうにニケを見た。それでも心配をかけないよにとはにかんで(・・・・・)ヘルメットをポンポンと叩いてやった。

「君たちが先陣を切る」野生司大尉の激が飛んだ。「この半年の戦闘で40万の命が失われた。強化兵はそれ以上だ。今ここで、君たちが反撃の第一打を打ち込む。(くさび)部隊として連中に鉛玉を食らわせてやれ!」

 それに答える隊員たちの叫びは、咆哮と呼ぶべき雄叫びだった。

 グァルネリウスが降下体制に入る。なるべく速度を上げ、戦域から脱出するための手段。そして頭上の赤色のランプが緑色に切り替わる。作戦決行の合図だ。

 シィナが先んじて空に飛び出し、ニケも空中へ飛び出した。続いて隊員たちもためらうこと無く夕闇の空へ飛ぶ。ロー監察官は青1と貨物投下用の落下傘を付けて2人一緒に飛んだ。

 目的地のサナハシ市のセントラルパークは灯りが一切ない中でも、摩天楼を真四角に切り取った形をしていて、上空からでも良くわかった。

 戦線はすでにアレンブルグの西岸へと移った。東岸やサナハシ市での戦闘はすでに無く上空からは大規模な敵の部隊は見えない。それでもゴムが焼けたような黒い煙の臭いが上空には立ち込めていた。

 ぐんぐんと地上が迫る。サナハシ市は古い建物ばかりだがその高さは連邦(コモンウェルス)随一の摩天楼でセントラルパークへの進入角度を誤るとその尖塔のてっぺんに引っかかってしまう。しかしこれも訓練済み。

 ロープを引っ張り落下傘を微調整する。他の落下傘も順調に下りてきている。地上は漆黒の闇だったが、ブレーメンの視力なら悲惨な情況が見て取れた。作戦前の資料では、セントラルパークはもともとは避難場所(火除け地)で、現在は都会の真ん中にある市民憩いの場だった。芝生と噴水があり、寒冷なアレンブルグで暖かな日差しを楽しむ市民が足を運んでいた。

 今や砲撃のせいであちこちが穴だらけで、木々も爆風で枝葉が全て吹き飛ばされている。噴水や池も流れが止まり淀んだ色をしている。

 落下地点に目を向けると、運悪く焚き火の火とそれで暖まるテウヘルが2匹いた。すこし離れたところにはもう3匹が歩哨している。はぐれ部隊か?

 ニケは右手で主刀を抜いた。そして落下傘のロープを切断した。まだ地上まで距離があるがブレーメンの脚なら問題ない。

 着地と同時に焚き火の側の2匹の首を1振りで切断した。目を閉じ、焚き火の光が目に入らないようにして、さらに跳躍した。

 暗がりで歩哨をしていた3匹は異変に気づき機関銃を構えたが、そのときはすでにニケが地面を蹴り間合いに入っていた。機関銃に弾を込めるよりも先に、切り裂かればらばらとテウヘルの大口径の銃弾が舞い散った。

 振り向きざまに隠し刀を振り抜き2匹の首を跳ねる。あと1匹。

 暗闇に紛れ込むような黒い毛皮の巨体、小さな頭の両側で赤い瞳が輝いている。こんな獣にも命はあるのか──逡巡──否。

 ためらうことなく、ニケは右手の主刀をテウヘルの眉間に深々と突き刺し、引き抜いた。返り血は刀を軽く握ると、弾けるように体から飛び散った。


挿絵(By みてみん)


 2振りの刀を納めると、銃を構え弾倉を叩き込む。上空にグァルネリウスの姿はなく、仲間の落下傘もおおかた、地面についていた。

 付近にいる仲間にフラッシュライトを短く点滅させて合図を送る。そして集合地点である時計台へ急いだ。

 資料では、女性の銅像がある大理石製の時計台で、3方向に向けて時計があったはずだった。しかし今は砲弾が直撃したらしく半ば吹き飛んで内側のコンクリートと鉄筋がむき出しになっていた。

 テウヘルの臭いも気配もない。仲間も無事、ぞくぞくと集まる。怪我や装備品の紛失も無いらしい。

 周囲は摩天楼に囲まれ、無数の窓がある。そのどこからかテウヘルの偵察兵が見ているかもしれない。隊員たちを時計塔の周囲の塹壕に隠して、残りの仲間の到着を待った。

 するとニケの足元にごろり、とテウヘルの生首が転がった。

「どうよ、私の戦果は」

 シィナが意気揚々と現れた。強化兵よりも大きな背嚢を背負っているはずだったが息が上がる素振りもなく、むしろやや興奮しているようにも見えた。

「俺はさっき5匹を斬った。というか身をかがめろよ。おまえ、でかいんだから」

「なっ、好きでデカくなったわけじゃないし」

 シィナは両手で乳房を覆った。

「そこじゃない。身長だ」

 勘違いした部分を抑えるシィナに痺れを切らして廃車の陰へ引きずり込む。

「青2、点呼を」

「自分の分隊は集結済みです。でも青1の分隊は風に流されてやや北に落下したようです」

 となるとロー監察官もいっしょか。耳を澄ませても銃声は特に聞こえない。サプレッサーを支給はされたが、テウヘルやブレーメンの聴覚をごまかせるほど、音を隠蔽するほどの効果はない。

「もう少し待とう。あいつらなら自力でここまで来れる。各員に周囲の窓を警戒するように伝えろ」

「了解です」

 青2はおどける様子もなく真面目に、部下へ指示を伝えに走った。

「ふんっ、軍隊ってホント嫌い」

 シィナが鼻を鳴らした。

「じゃあなぜ入隊を? 今ならブレーメンの里の境界線でテウヘルを狩れるだろ」

「あなたに会いに」

「ほぉ?」

「そーじゃなくて、えへん。勝負をするためよ。いーい? 狩った犬っころの首の数で勝負よ」

 作戦中とはいえいつも通りのシィナだった。

 青1の分隊とはなんとか無線機で連絡が取れ、予定時刻にやや遅れて合流ができた。降下作戦と作戦行動でロー監察官は疲れているかと思ったが、そのスキンヘッドには汗ひとつかかず表情も堅いままだった。胸の前で三三式ライフルを構え、身のこなしも前線の兵士と遜色がなかった。

「私についてきなさい」

 ロー監察官の薄い目が開き、ニケを見た。

「あんたが兵士だったのは分かるが。目標地点の住所を教えてくれたら俺たちでなんとかできる」

 しかしその言葉を無視してロー監察官は先に歩きだしてしまった。

 何度引き止めても、正確な作戦目標の座標は機密、と言って明かしてくれなかった。それでも監察官を先導させるわけにもいかず、強化兵2名を先行させた。

 市街地は古風ながらも格子状に区分けされた美しい街並み、という評判だった。しかしその面影はすでになく、道路は瓦礫で埋め尽くされ燃えた車両の残骸が放置されている。死体はあらかた片付けられたらしいが、それでもこびりついた死臭や赤や緑の鮮血の跡が壁や地面にどす黒く変色してこびりついている。

 ビルからの狙撃や迫撃砲を警戒するために、間隔を開けて一列に道路の左側の壁沿いを歩き右手側からの攻撃に備える。枝葉が吹き飛んだ街路樹が並び、右手には酒屋、喫茶店、ベーカリーが並ぶ。

 通りは高く瓦礫が積み上がり、ブレーメンの脚なら問題ないが強化兵では難しいし怪我の危険もある。青1&2は自信たっぷりだったが1区画(ブロック)だけ迂回するよう指示した。

 この瓦礫は戦車も通れないだろう。しかし地面には多脚戦車(ルガー)が歩いた足跡が残されていた。今、部隊にはシィナがいる、対戦車地雷も持ってきた。しかし小隊ひとつだけでは正面切って戦うのは避けたかった。

 サナハシ市のアパート群はオーランドのスラム街で見たレンガ造りの古いアパートばかりだった。1階部分は小さい商店や喫茶店がテナントとして入っている。今はどれも廃墟だが、華やかだった暮らしがわかる。

 サプレッサーで押し殺したような銃声が響き全員が身をかがめて伏せた。先行した2人の強化兵がハンドサインで後続の仲間に合図を送った。

 通りの角でテウヘルが2匹、緑の血を流して倒れている。強化兵が手早く片付けたようだった。

「ふんっ、飛び道具なんて。野蛮、卑劣、臆病」

 死体を見て、シィナは不満げだった。

「意外と便利だぞ。遠くにいながら敵を倒せる。弾の動きを予測して、手を調節して指を動かす」

「きょーみないし」

 ぷいっ、とシィナは長大なツインテールを振り回した。活躍の機会が無いせいで拗ねている。

「着いた。残りは私が案内しよう」

 ロー監察官が口を開いた。強化兵の体力に合わせた駆け足を30分もしたのに平然と着いてこれていた。

 見上げた先には大理石で飾られた古風な建物があった。周囲のビルよりも低いがそれでもオーランドで見た大抵の大型のビルと遜色ないサイズだった。崩れかかった看板からなんとか名前が読み取れた。

「証券取引所? 研究所に行くんじゃなかったのか」

「黙って着いてきたまえ」

 ニケは予めシィナの背嚢(はいのう)を掴んでいたが案の定、ロー監察官に斬りかかろうと暴れていた。

 小隊は証券取引所をぐるりと周り、地下駐車場へと向かった。風の吹き溜まりのようにありとあらゆるゴミが地下に溜まっている。しかしそこに立ち込める臭気はゴミから来るものではなかった。死体からの腐敗臭と、テウヘルよりもっと野性味のある獣臭だった。なにかと我慢強い強化兵たちも顔をしかめている。青1&2はハンドサインで指示を送り、地下駐車場の暗がりを捜索させた。

「くっさい。ここはテウヘルの便所か? 隊長は、臭くないんですか」

 青1が訊いた。

「臭いには慣れている。ヒトとかヒトの街とかの臭いとか」

「自分らも臭いんすか?」

「なんだろうな。上手く言えないが、臭うからって嫌というわけじゃない」

 しかし青1は地下駐車場の淀んだ空気に耐えかねて袖で鼻を覆った。ニケは胸ポケットから小さい筒状の嗅ぎ薬を渡してやった。拳銃弾ほどの大きさで中にはハーブから抽出したオイルが詰まっている。

「うーん、なんだか、マシなんですげどいろいろ混ざったような」

「はは、そうだろう。ブレーメン用だから」

 強化兵の1人が何かを見つけたらしくニケを呼んだ。廃車の隅っこに腐乱した死体が積み上がっていた。ヒトのものもあるが半分以上はテウヘルの死体だった。肉がかじり取られたようになくなっている。骨に噛んだ跡も残っている。

 いつの間にかシィナも隣に来て死骸を覗き込んでいた。

「まるで鎌ドウマの巣だ」

「ニケのお母さんに投げ落とされたっていうあれ? そればっかりはさすがに同情する」

「この歯の跡や食い散らかした残骸を見るに、蟲がいるようだ」

「蟲って、ブレーメンの里でもめったに見ないじゃない。犬っころのペットとか?」

「うん、そのぐらいだったらいいんだが」

 兵士たちの警戒をよそに、ロー監察官は迷いなく駐車場の奥へ進み、VIP用のエレベーターの前に立った。

「君たちはここまでだ。この先は機密だらけなのでね。私を待っている間に帰りの足でも探しておくんだな」

「トランシーバーを持っているだろ。なにか問題があったら連絡してくれ」

「ふん、そんなものの電波は届かないよ。もしものときはあっちをつかう」

 ロー監察官が顎で示した先に、エレベーター操作パネルとインターコムのスピーカーがあった。軍用無線の電波が届かないほどの地下?

 ロー監察官がエレベーターで地下へ下りていく。何人かの兵士たちのため息が聞こえた。

「シィナ、まだ元気か?」

「当たり前でしょ!」

 ニケはくるりと隊員たちの方を見た。

「青1、シィナと数名を連れて運河の対岸に渡る手段を探してきてくれ。地下トンネルは望み薄だが、近くのフェリーターミナルに渡船か(はしけ)が残っているか、動くかどうか確かめてきてくれ。もう日が登っている。テウヘルに気づかれるな。残りは休息だ。今日は長い1日だぞ」

「了解です」

 青1&2が同時に答えた。

 駐車場の出入口に見張りを置き、残りは柱にもたれかかって水を含みながら戦闘糧食(せんとうりょうしょく)を口にした。つかの間の休息と平穏。耳を澄ませたら遠くから爆発音が聞こえるが、この廃墟の町は死んだように静まり返っていた。

 その時、見張りの兵士から合図が来た。兵士たちは訓練通り銃を手に取り柱や廃車の陰に隠れた。

 複数の足音と機械の脚が地面を叩く音がする。言葉にならないテウヘルの唸り声も聞こえる。機械化小隊あるいは中隊規模かもしれない。証券取引所のすぐ横をずらずらと大群が歩いている。その足音が次第に遠くなり始めた。兵士たちは顔を互いに見合わせてライフルの安全装置に指をかけた。

 その時、誰かの叫び声とともに銃声が鳴り響いた。サプレッサー無しのせいで鼓膜が揺れるのが分かるぐらいの音量だった。

 ニケは腕を振り全員に動かないよう指示を出した。同時に地下駐車場にテウヘルの斥候が現れた。運が悪いことに多脚戦車(ルガー)も出入り口のスロープからこちらを見ている。カニのような胴体の下にぶら下がった機関砲が駐車場内を睨んでいる。今戦っても勝ち目がない。それにテウヘルも銃声を聞きつけたがヒトがいるかどうかまだ分かっていない様子だった。

 心臓が止まりそうな緊張感──しかし斥候のテウヘルは犬のように高鼻(たかばな)で空気の臭いを嗅ぐと尻尾を巻いて逃げてしまった。それに合わせてルガーも盾の脚で地面を割りながら遠ざかっていく。

 再び静寂が訪れた。兵士たちの緊張した息遣いが聞こえる。

「誰だ! 撃つなと指示しただろう」

 ニケは仲間の方を見た。

「隊長、ちょっと来てください」青2が駐車場の奥で手招きした。「ちぃーと厄介なことになりました」

 駐車場の左奥で壁が崩れ地面がむき出しになっていた。その窪地(くぼち)に兵士の死体と火薬のニオイが残った薬莢が散乱している。そして窪地には巨大な昆蟲がいた。左右非対称な脚が5本生えている。それぞれの先端は槍のようにするどく、兵士はその脚で刺し貫かれて絶命していた。刺し違えるように蟲も全身に銃弾を浴びて赤黒い血を流している。

「確か、ブレーメンの里にこういう蟲がいるんですよね」

「いるにはいるが、こんなに醜くない。もっと生き物らしい姿をしている。これはまるで……」

 小さな子供がめちゃくちゃに描いたモンスターだ。

 青2がまじまじと醜悪な蟲を眺めていた時、突然触手のような腕が動き青2の喉元を狙って飛んだ。

 ニケはブレーメンの動体視力でそれを見て判断し、刀を抜いて触手を斬った。

「油断するな。蟲は四肢をもいで(・・・)も、まだ生きている」

「さ、さすがっす、隊長」

「だったらもう制裁パンチの軍曹とか言うなよ」

「まさか、言うはずないじゃないですか」なおも慇懃に、「この蟲の触手の根元の部分、よーく見てみるとヒトの顔に見えなくもないな、って考えごとしてて」

「言われてみれば確かに。上下逆さまだが、顔のような形で、触手が顎から伸びているような」

「ちょ、たんま(・・・)っす」

 するとたちまち青2がゲーゲーと吐いた。

「ただ蟲が擬態しているだけかもしれないし、模様がそう見えるだけかもしれないだろ」

 そうなだめながらも、蟲から流れ出る体液はヒトのニオイだった。そしてニケもまた鳥肌が立つのを感じた。

 ここには兵器の設計図を取りに来たんじゃないのか、

 その入口に奇怪な生き物が巣食い、食い散らかした死体も積み上がっている。死体も

 そういえば──ガンマはアレンブルグの地下研究所から逃げ出したと言っていた。

 ゾッとするような結論。ここはただの研究所じゃない。なにか生命の根幹にかかわる研究をしているのか。

 ロー監察官は何が何でも教えてはくれない。野生司大尉も、叩き上げの軍人だ。余計なことを知ろうとはしないはず。

 ニケは雑念を振り払うように首を振った。青2はすっかり落ち着いたらしく、(たお)れた強化兵の左耳の識別タグを回収した。2人で遺体を抱え、駐車場に持ってくると装備を他の兵士に引き継がせた。

 ニケは、その兵士が装備していた焼夷手榴弾を手に取った。

「撤退する時、これで燃やす」

 しかし青2はキョトンとしていた。死体をレインコートで覆いながら、

「わざわざそんな事しなくたって」

「お前だって死んだ後に体が放置されるのは嫌だろう」

「死んだ後なんてべーつにどうでもいいっすけどね。何も感じない。終わり。それだけ」

 強化兵らしいあっさりした死生観だった。

 渡河の方法を探しに行った偵察班はすぐに帰ってきた。ここであったひと悶着を伝えると、シィナでも怪訝な顔をしていた。

「少尉殿は1匹しか斬れなくてずっと機嫌が悪かったです」青1が短く報告した。「フェリー乗り場には何も残っていませんでした。(はしけ)や上陸用舟艇はどれも壊されたままで。ただボーイスカウトの事務所にカッターがありました。3(そう)あるので全員が乗れると思います」

「手漕ぎか」

「ええ。シィナ少尉は『そんなの朝飯前よ。私を誰だと思ってるの』と言ってて」青1はわざわざ声音を真似て言った。「自分たちも全員で漕げば、運河を渡れると思います。夜まで待って、海風も吹けば静かに速く渡れるかと」

「良い判断だ。とりえず隊員たちに休息を──」

 すべてを言い終えるより先にエレベーターのスピーカーが鳴った。ニケが受話器のボタンを押すと、たちまち銃声とロー監察官の叫び声が聞こえた。

『早く! ハヤク! くそっ来るな あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙……』

 エレベーターがじわじわと登ってくる。ニケは隊員たちにハンドサインを送りライフルを構えさせた。その後ろでシィナも腕組みをして待っている。

「何が出てくるかわからない。が、監察官を誤射するなよ」

 チンッという場違いなほど明るい音とともにエレベーターの扉が開いた。そこにいた全員が息を呑んだ。

 全身が血まみれのロー監察官が立っていた。しかし腹には背骨が見えるほどの穴が空き、眼球は半分外に飛び出していた。よろよろとエレベーターから一歩ずつ出てくる。

 医療用バッグを抱えた強化兵がニケに目配せをしたが、首を振った。何があったかは知らないが助かるはずもない。

 するとにわかにロー監察官の体がブルブルと震えだした。わずかに体が膨張し、頭がものすごい勢いで胴体の内側に引き込まれる。そして風船のように体が破裂した。皮を破って出てきたのは人間大のアブラムシだった。血糊に濡れ、周囲にはロー監察官のものだった手足や内臓の残骸が飛び散っている。

「撃てっ!」

 ニケの合図。しかしそれよりも早く各々が先に引き金を引いていた。しかし銃弾はアブラムシの体表で弾かれ、跳弾が駐車場の地面や天井に突き刺さる。巨大アブラムシは攻撃を物ともせずにガサゴソと近寄ってくる。

「どいて! まどろっこしい」

 シィナが兵士たちを押しのけて現れた。その背中に背負った長大な大太刀の鯉口を切ると、瞬時に青く輝く刀身が上段から振り下ろされた。天井のコンクリートや配線、スプリンクラーの管をまとめて切断しながら、巨大アブラムシを地面ごと真っ二つに切り裂いた。

 柄を軽く握り返り血を吹き飛ばす。そして器用に大太刀を鞘にしまった。シィナはじっとその戦果を眺めた。

「これは、1匹でいいのかな。あっ見てみて。この蟲の内臓、ヒトのぽいね」

 あっけらかんとゲラゲラ笑っていたが、数人の強化兵たちがオロオロと胃の内容物を吐き出した。

 ニケは頭を抱えた。衛生兵に兵士たちの容態を見るように指示し、背嚢から記録用のカメラを取り出した。オペラグラスのような偵察用のカメラで、情報部からは何でも良いので敵地の写真を撮るよう指示されていた。角度を変えて何枚か撮ったが、情報部の連中もこれを見て吐くんじゃないだろうか。

「予想外っすね」

「監察官の死体……というか肉片をざっくり調べましたが、設計図のファイルや磁気フィルムなんかはは持っていないですね」

 青1&2は吐き気を抑えながら報告を終えた。

「どうします?」

 2人が同時に言った。

 ニケは眉間のシワに手を当てた。

 アレンブルグに到着早々こんなことになるとは。今、野生司大尉は拠点を確保した頃だろうか。無線で指示を仰ぐこともできるが、テウヘルに探知されたらまずい。連中は犬程度の知能とはいえ三角測量で位置がバレた部隊もある。

「俺とシィナで情報を取ってくる」

「えーーーーーっ!」

 場違いな命令拒否に、その場にいた強化兵全員がシィナに注目した。

「怖いのか?」

「怖くないし! 蟲が気持ち悪いだけ!」

 強化兵たちは驚いた表情を隠せない。命令とは絶対である、と教えられ育てられたのだからそれを拒否するということはたとえブレーメンだったとしても信じられないようだった。

 すると青1がニケに耳打ちした。その言葉をそのまま、

「俺はシィナのかっこいい姿が見てみたいから誘ったんだ」

 にわかにシィナの長大なツインテールがブンっと揺れて、踵を返しエレベーターに乗った。

「ほら、行くわよ。いっしょに行ってあげるんだから感謝しなさいよね」

 シィナはエレベーターのカゴの中で腕を組んで立っている。

「ちょろい」「ちょろい」

 青1&2は互いに拳を突き合わせてほくそ笑んでいた。

「すまない、2人には小隊を任せる」ニケは青1&2に指示をした。「なるべく戦闘は避けてくれ。もし日暮れまでに戻らなかったら野生司大尉の本隊に合流するんだ」

「はい喜んで」

 即答だった。

「どっちが言った?」

 すると青1&2は互いに指を指した──まあいい。

 エレベーターの扉が閉まる瞬間、青1&2はニコニコの笑みを浮かべていた。

 階数表示のないエレベーターが、ゆっくりと下降する感覚があった。地下よりもっと深い、まるでビルがまるまるひとつ地下に埋まっているような長さだった。

「なぁ、シィナ、ガンマを覚えているか? 半年前に旧居住塔で戦った」

「不死身のテウヘルに変身できるやつ?」

「ああ。やつもアレンブルグの地下研究所から逃げ出した、と言っていた。そしてさっきのヒトを改造した蟲たち」

「え、ちょっとまって。ガンマみたいなのがうじゃうじゃいるってこと?」

「うじゃうじゃかどうか、それはまだ分からないが、連邦(コモンウェルス)の暗部だというのは確かだと思う」

 エレベーターの下降速度が緩くなった。

「怖いか、シィナ?」

「ぜんっぜん」

「体が震えているが」

「これは、嬉しいだけだから」尻すぼみに消えそうな返事だった。「ニケと背中を合わせて戦えるのが、嬉しいだけだから」

 シィナの態度につい笑いが溢れた。かわいげのないやつだ。

 チンッという間延びした音とともに扉が開いた。ニケは銃を構え、シィナも長大な大太刀の柄を握る。

 エレベーターホールは血みどろだった。古く乾いた血が床のタイルに飛び散っている。体を引きずった跡もあれば、巨大な節足動物が這った跡もある。

「くっっっさっ。ショーヤ爺の家の(かわや)みたいなにおい」

「あの爺さん、泥を食う癖があったからな。硫黄のニオイだ、あれは。ここはなんというか……」

 ()えた臓物の臭い。ヒトもテウヘルも獣も、おそらくブレーメンも、臓物だけは嗅いだ瞬間に神経が研ぎ澄まされる。ただ事ではないことが起きた、そういう直感が働く。

「この足跡はたぶん、ロー監察官のものだろう。血の足跡がエレベーターまで続いている。これを辿れば、どこに行きたかったのか分かるはずだ」

 エレベーターホールは病院の待合室を彷彿とさせた。地上の街が停電しているにも関わらず地下施設の灯りが煌々と輝いている。オーランドで一般的に普及している蛍光灯のように白く明るかったが、光量はそれよりも大きかった。照明は天井ではなく柱に埋め込まれ、真昼のような灯りを放っていた。

 ニケはライフルを構えて血の足跡を辿った。するとすぐに重厚な扉の前で跡が消えた。扉、というよりも壁というべき大きさの防爆ドアだった。金庫の扉にも見えるがハンドルバーなどは無かった。暗証番号を入力するボタンの上に小さな液晶があり、「緊急ロックダウン中」という表示が点滅していた。

「あのツルハゲ、こっちで襲われたみたいね」シィナが防爆ドアの横の警備員の詰め所を覗き込んだ。「あのアブラムシと同じ臭いがする。開け方わかる?」

 なるほど。ドアのセキュリティを解除しようとしたところを襲われたのか。ニケは防爆ドアの金属質な表面に触れてみた。手持ちの爆薬では突破できない重量だ。機械的な操作も全く見当がつかない。

「斬ろう」

 するととおもむろに右手で主刀を引き抜くと、深々と青くく輝く刀身を突き刺した。

「そうそうそれそれ! そうでなくっちゃ」

 シィナもはしゃいでいる。しかしすぐにニケは刀を鞘に戻した。

「刃渡りが足りない。シィナ、お前がやってくれ」

「私の大太刀は缶切りじゃないんだけど」

 ふてぶてしいシィナの肩を押し、扉の前に立たせた。大きく腕を振りかぶり、長大な大太刀を引き抜く。最初の一振りで斜めに切込みが入った。そしてもう2辺、三角形の切込みを入れ、刀を鞘に戻した。

「えぃっ、やっ!」

 シィナのこめかみに青筋が浮かぶ。そして強烈な回し蹴りを斬った扉に食らわせた。

 扉が“空いた”。向こう側の空間に三角柱の金属の塊が重い音を立てて転がった。内部は減圧されているらしく、空気がヒュウヒュウと吸い込まれる。

 防爆ドアの内部も電力が生きているらしくまだ明かりがついていた。小さな円形の庭園があり、よく剪定された樹木が天井近くまで伸びている。その周囲にはベンチがあり灰皿も備えてある。洗練されたデザインの人工的な空間。しかし床には血の跡があり、ゴミや千切れた書類などが散らばっていた。

「不気味ね。こうも静かだと鳥肌が立っちゃう」

「昔を思い出す。シィナと一緒に洞窟探検をした時の」

「ああ、あれね。結局奥まで行ったけど、それ以上先は水に浸かってて通れなかった」

「シィナがコウモリの糞(グアノ塊)でコケて泣いているのを助けてやって、沢で体中の糞を洗ってやった」

「もう、そういうのを思い出させないでよ。もうあのころの私と違うんだから」

「ああ知ってる。一緒にいてくれて心強いよ」

 シィナもすこしは調子が出てきたようだった。背筋を伸ばし、周囲を警戒しながら歩を進めた。

 血まみれの庭園の中ほどまで来た時、にわかに咆哮が四方八方から聞こえた。反応するように2人は各々の武器を構える。庭園からそれぞれの施設に通づる通路があり、そこからわらわらとソレが湧き出してきた。

「ヒト?」

「元・ヒトだろうな」

 まるでヒトとテウヘルのビニル人形を火で(あぶ)って溶け合わせたような(いびつ)な姿かたちだった。ふらふらとした足取りでにじり寄ってくる。

「ニケ、上っ!」

 シィナの声に反応して前転で天井から落ちてきた巨大昆蟲を避けた。ヒトの顔が頭上から見下ろしていた。しかしその下半身はムカデのような胴体に生え変わっていた。両腕があるべき場所からも昆蟲の手足が生え、そしてその腔内も蟲の触覚がうごめいている。

 まるでヒトの皮をかぶった蟲。醜悪極まりない。

 ニケは落ち着いた手付きで負革をずらし、ライフルを背中に回した。そして主刀の柄に手を置くと、

「また蟲か」

 幼少期のころの訓練を思い出していた。鎌ドウマは子供のブレーメンにとってはいい練習相手だった。姿こそ、目の前の怪物はおぞましいが鎌ドウマほどの危険を感じなかった。

 ムカデ/ヒトから繰り出される槍のような触手を軽いステップで避ける。と同時に刀で切り裂く。そしてバックステップから跳躍し蟲の後方に躍り出ながら首を落とした。着地と同時に隠し刀を抜き、その胴体を両断する。

 ムカデ/ヒトのそれぞれの胴体と臓物がボトボトと地面に落ちる。そしてその鋭い断面が露わになった後で赤黒い血がドバッと溢れ出た。

 返り血は無し。良い太刀筋だった。

「義式剣術、だ」

 ニケは剣舞のような残心の姿勢を取った。

「あ、あ、私だってできるもん!」

 周囲に元・ヒトの歩く肉塊が迫っているのにシィナの頭の中はニケへの対抗心でいっぱいだった。その大太刀の一振りで、庭園を歩いていた肉塊の4分の1がずだずたに切り裂かれた。新しい血と臓物が庭園の床や壁を濡らす。

「どうよ!」

 シィナは血と臓物の山を背景に胸を張った。

 ニケも1歩1歩迫る元・ヒトの肉塊に刀を振るい、斬り結ぶ。

 他愛無い。まるで3歳の子どもがカカシを斬って遊んでいるようだった。カカシの方から歩いてくるのだから楽なことこの上ない──面白みがない。

 ニケは刀を納めライフルに持ち替えた。そして歩く肉塊のバイタルを狙って引き金を絞った。心臓や動脈を撃っても肉塊は歩き続けたが、頭をパァーンと吹き飛ばすとその肉塊は歩くのをやめて斃れた。

「25、26……どうニケ? 見てくれた?」

 シィナは10体の肉塊を、庭園の樹木ごと切り伏せる。天井近くまで生首が吹っ飛ぶ。

 ニケは斃れた肉塊の頭へ至近距離で銃弾を打ち込み動きを封じた。そして新しい弾倉に入れ替えながら、

「9だ。あのムカデ野郎もいれて10」

「へへへっ私の勝ち!」

 その勝負、まだ続いていたのか。

 ものの1分少々で庭園は血の海に変わった。鼻は慣れたか麻痺したせいでもう臓物の臭いもしない。刀の柄さえ握れば服や体に着いた血糊もきれいに弾け飛ぶ。

「ここはまだ空間が広いが、この先狭いところでその大太刀を振るなよ」

「大丈夫♪ 天井や床ごと斬るから」

「そうじゃなくて。ここは研究室だ。ガス管や酸素管を斬ったらまずいことになるだろう」

「あーはいはい。わかりましたよ」

 シィナはふてぶてしく肩をすくめた。本当にわかったんだろうな。

 ニケは目を凝らして血の海の中から案内板や地図を探した。しかしショッピングセンターのように丁寧な案内は見当たらなかった。この施設、相当広いなら目当ての情報を探すのも簡単ではなさそうだった。

「じゃあ、手分けをして探そう」

「何を?」

「新兵器の情報、だ」

 そう言いながら足元に転がっているムカデの脚を見た。まだプルプルと震えている。まさかこれが新兵器、ということはないだろうな。

『おおぉーついに救助がやってきたのです』

 甲高い女の声だった。スピーカーから聞こえたが音量が合っておらずキンキンと反響して聞き取りづらい。

『あー喋ってもらって大丈夫ですよ。この監視カメラはマイクもついているんで』

 どこから見ているのだろうか。シィナも上を見てキョロキョロ目を泳がせた。

「お前は、誰だ!」

『ボクはフラン。フラン・ランです。とりあえずボクのいるセーフルームまで来てくださいなのです。あ、道がわかります? わかりませんよね。わかりやすいように他の通路の隔壁は閉じておきますねー』

 ぷつん、と音が途切れた。そしてするすると通路を塞ぐように、扉が降りてくる。通路のうちひとつだけが閉じずに残された。

「これって、罠じゃない?」

 シィナが唇を噛んだ。

「どうしてそう思うんだ?」

「女の勘」

 それは根拠じゃないだろうに。

「罠を食い破る自信は?」

「どういう意味?」

「敵の罠ならわざとひっかかる。そのうえで敵を追い詰めて殺す。味方なら、彼女が唯一の手がかりだ。魑魅魍魎の臭い施設をあちこち走り回らなくて済む」

「味方でもなかったら?」

「そのときは……出たとこ勝負だ」

 悩んでも仕方がない──なんとかなるさ──野生司大尉が部隊指揮をするときの背中から学んだことだった。策というものは事前にあれこれ考えるものじゃない。いかに臨機応変に、即応できるかというところに掛かっている。敵よりも早く頭を回し早く行動に出る。それが(くさび)部隊のモットーだった。

 通路は2人が並んで歩けるギリギリの幅だった。先頭をニケがライフルを構えて進み、シィナは長大な大太刀を抜き身で後ろに向け、襲来する敵を刺し貫けられるよう備えた。

 通路は四角形で天井の隅のわずかな隙間から光を放っていた。迷路ほど複雑ではなく、一本に伸びた通路の両側に何かしらの研究施設や実験場があった。おそらくフランがロックしたらしく、押しても引いても扉は開かない。その小窓の向こうでは先程斬り伏せたのと同じような、元・ヒトの歩く肉塊が自我を失いさまよっていた。

「接敵!」

 通路の真正面から元・ヒトがふらふらした足取りで歩いてきた。言葉にならないうめき声を上げている。右半身がヒトで白衣を着ているが左半身はテウヘルの毛むくじゃらな体が融合し黒い毛が生え、瞳は赤く光っていた。

 3発を胸に撃ち込み倒すと頭部に2発を撃ち込んだ。

「私、ヒトは嫌いなんだけどさ」シィナが寂しそうに言った。「こんなふうに生き物を弄ぶやつはもっと嫌い」

「ああ、俺もだ」

 どれもこれも一般人が知っている技術じゃない。もしキエがこのことを知ったらどんな顔をするのだろうか。

 天井の高い吹き抜けの通路に出た。このあたりは打ちっぱなしのコンクリートでひとつ上の階と大きな柱で空間を共有していた。そしてこの通路の袋小路の突き当りで、重厚な横開きの扉の向こうから小さな手がこっちに来いと手招きしていた。

「ボクはフランです。ささ、はやくこっちに。あの化け物たちが来る前に」

「その前にお前が姿を現せ」

 ニケはライフルを構えた。安全装置も解除してある。

「なぁあーボクを信用してないんですか」

「当たり前だろう。この地獄みたいなところに1人で正気を保っているんだ」

「ぼ、ボクが犯人じゃないですよぉ。ボクはただの天才美少女なんですから」

 ひょこっと両手を頭に乗せて小柄な女性が現れた。白衣を着て、ボサボサの黒髪が腰まで伸びている。

「手は頭の上だ。学校で習わなかったのか」

「習ってないですよぅ。でもでも、見ても笑わないでくださいよ」

 意味がわからない──シィナを見たが同じく眉間にしわを寄せていた。

 フランが手を上に伸ばした。そして、ぴょこん、と頭の上に耳が現れた。

「犬の耳?」

「猫じゃない?」

 しかしフランが答えを言うより先に叫んだ。

「あーっ、来ました! 面倒なやつです! 気をつけて」

 背後からピタピタと足音が迫る。振り返った先には珍妙な姿の怪物がいた。

 まるでヒトが2人、背中合わせで歩いているようだった。手足も頭も2人分ある。ぎこちないあるきかたで1歩1歩近づく。

「はいはい、斬ればいいんでしょ斬れば」

 シィナは面倒くさそうに頭をぼりぼりとかいた。そして不器用に歩く木偶の坊に狙いを定め、刀を振り抜いた。

「ん、なっ!」

 しかし、手応えがなかった。大太刀の軌道を避けるように、その怪物の体は上下に割れ、鋭い牙がびっしりと生えた口が現れた。もやは口に手足が付いているという珍妙さだった。

 あの大太刀は振り抜いた後は大きなスキが生まれる。怪物の歯牙はもうシィナに届きそうだった。

「甘いっ!」

 シィナは大太刀の柄を逆手に持ち替えると、刃を上に向けて振り抜いた。怪物の体が左右に分かれる。そして後ろへ蹴り飛びながら横に切り裂く。

 口の怪物はあっけなく、4等分にされ赤黒い鮮血をぶちまけて斃れた。

「へへーん、どうよ」

 パチン、と大太刀を鞘にしまい、シィナは自慢げに胸を張った。

内間(うちま)でも斬れるなんてしらなかった。晴式の大太刀は遠間(とおま)から初手で倒す剣術だと」

「ははーん。あまいあまい。私はその正当な後継者なのだから新たな技も編み出さなきゃいけないのよ。これさえあればニケにも勝てるってね」

 そして到来する大げさなウィンク。

「それは俺に勝ってから言うべきだな」

 手の内を知ったからには剣技比べで負けるわけがない。

「あのー陽キャのみなさまー。セーフルームの扉を早く閉めたいんで、とっとと入ってもらえますか」

「うっさいわね。わかってるわよ」シィナがずかずかと肩で風を切る。「ガキのくせに偉そうに」

「ガキじゃないよ! 天才美少女フランちゃんだぞ! ボクは21歳なんだからそっちのほうがガキなんだからね!」

「少女?」

「まったくこれだから凡人は」

 つまり天才は変人だ、と。


挿絵(By みてみん)


 ニケは内側からセーフルームの横開きの扉を締めた。扉の内側で電子的に鍵がかかり、空気をも遮断した。

 セーフルームは天井が低いが正方形で広かった。床や壁はクッション素材のタイルが敷かれ、隅には非常食や飲料水の空殻が積み上がっていた。

「ずっとここにいたのか? ひとりで」

「ええそうです。戦争が始まった頃だから、うーんと1年弱? よくおぼえてないですけど。ここは30人が1週間暮らせるだけの水、食料、医薬品に簡易ベッドまであるんです」

「で、その耳は? まるで──」

「テウヘルのようだ、そう言いたいんでしょう。分かってますよ分かってます。こっちにも色々事情があるんですよー。でボクを救助しに来た、わけじゃないですよね」

「ああ。新兵器の設計図を取りに来た」

「うーん、兵器?」

 ホールで出遭ったムカデ人間を思い出してしまったが、

「地面を掘り進める戦車とか、空飛ぶ戦車とか、大きい爆弾とか」

「あー、爆弾!」フランがポンと手を叩いた。「デラク・オハンのお使いですかー。宰相もブレーメンを手懐けるなんてなかなかのやり手ですな」

 ニケとシィナはいぶかしそうに顔を見合わせた。思いもかけない名前が飛び出た。

 フランは回転椅子に飛び乗ってくるくると回っている。

「ボクは“アレ”の研究班じゃないんですけどね。軍の依頼を受けた青蝕弾頭(せいしょくだんとう)の再設計とデータのサルベージをば……って一般人のあなた達に言ってもわかりませんねぇ。ボクの専門は生命原理学なので“アレ”の研究はあまり深入りしてないですけど」

「で、あるのか? 無いのか?」

「ありますよー。研究成果はすべてサーバールームに収められているんです。ボクより上位のセキュリティ権限が必要なんですけど、このまえ拾ったIDパスをちょちょちょっといじって、ボクのIDに上書き(オーバーライド)して」

「わかった、もう御託は言わなくていい。案内してくれ」

「ちょーと待った。ひとつ、いや2つ条件があります。まずボクをここから無事救い出すこと」

「ああ、そのぐらいならワケない」

「で、もうひとつなんですけど。こっちは口で説明するより見たほうが早いですねー」

 フランはくるりと回転椅子を回し、光る巨大な画面を指でなでたり叩いたりした。ソレに合わせて巨大な画面も切り替わる。

「でかいテレビだな」

「ああ、これ、テレビじゃないですよ、コンソールです。こことここにセンサーがあって指の動きに応じて……ってわかんないですよね。電子演算器、ってわかります? 軍隊でも使っているんでしょ」

「旧文明の残滓、ということか」

「ひょ、ひょえー! どうして知ってるんですか」

 キエのことが第一に浮かんだが、それを話せるほどフランは信用ならない。

「ガンマ、という男に会った。テウヘルに自在に変身できる化け物だ。この研究所から逃げ出してきた、と言っていた」

「ああ、実験体γ(ガンマ)ですかね? アレが旧文明について話した? ほんとですか?」

「そうだ」

「ふーん。アレは唯一の身体強化薬の成功例。アレが逃げたのがきっかけでボクが来たというか。当時アレが逃げた時何人も職員が殺されて。ボクはその補充要員だったのです」

「天才じゃなくて補欠だったから、ここにいるんだな」

「ほ、補欠なんかじゃありません。生命原理学を修めた天才かつ反回帰主義を掲げた新進気鋭の若者だったからです──」

 いちいち鼻につく言い回しだったが、知らない情報だったのでフランの話すがままに任せた。

「──オーランドの一桁区ってほんと窮屈。回帰主義の(おう)のお膝元で暮らさなきゃいけない。ほんと嫌になっちゃう。この研究所に来たのはボクにとって最大の転機なのです。先祖代々の鬱憤を晴らすチャンスなのですから」

「で、その耳が生えた」

「うぅ、これだけは予想外で。ここの研究所の所長は実験体が逃げ出してから心身ともに衰弱してしまい、手当り次第無謀な実験を繰り返しました。それまでは連邦(コモンウェルス)各地から集めた死刑囚を利用していたのですが、戦争が始まりその供給が尽きると、所長は次々に職員を実験台に送るようになりました。朝寝坊した、とか態度が気に食わない、とかそういう理由で。あ、そうそうお兄さんたちが最初に戦った半蟲半人はここから逃げ出そうとしてあんな姿にされてしまったんですよ。あはっははは」

 鳥肌が立つぐらいぞっとするエピソードだったがフランはあっけらかんとしていた。

「お前も、その狂気じみた実験に協力していたんだな」

「そうしないと殺されちゃいますからね。かつて人類が、ヒトの原種からテウヘルを生み出したように、ヒトをより強い種へ進化させテウヘルやブレーメンに対抗しよう、というのが所長の思惑なのです。翠緑種と呼ばれる緑色の寄生バクテリアを媒介に細胞の構造を作り変えてしまうのです。ボクの研究対象はそのバクテリアの侵食を抑制する減速材の開発なのです。ほっとくと緑色のスライムの肉塊になっちゃうので。で、1年くらい前かなー所長の気がとうとう狂ってエアダクトに翠緑種を混ぜちゃったのです。全職員が変異するなか、ボクは減速材を体内に接種した。おかげで、テウヘルの耳だけは残っちゃいましたけどなんとかヒトの自我を保つことができたのです。髪色ももとはブロンドだったんだけど──おっ出ましたでました。所長の実験室の監視カメラはセキュリティが堅い堅い」

 大きなテレビ画面に複数の監視カメラの映像が並ぶ。解剖台が並んでいる部屋のその中央に裸でうずくまる男がいた。そして体がぶるっと震えると、皮膚が破れ膨れ、4本腕のテウヘルに変異をした。気分が悪そうにゲーゲーと吐いていたが見ているうちにするすると縮み元の全裸の男に戻った。

「あれれーこの前は三本腕だったのにな。うーん外傷を負うともしかしたら変化が起きるのかもしれませんねぇ。サーバールームはこの所長の実験室を通らなくちゃいけないんです」

「所長を殺せば良いんだな。だが、殺せるのか」

「うーん、難しいかと。銃弾はたぶん効きません」

「例えば、正中線で二等分にしたら2匹に増える、とか?」

「面白い実験ですねぇ♪ ですが可能性はなくはないですね。所長が接種した身体強化薬は、実験体ガンマのようにほぼ完成に近いのです。翠緑種はヒトを別の生き物に変えてしまいます。脳や内臓も存在せず、バクテリア同士の神経伝達で、体全体が脳として、筋肉として作用します」

「言っている意味がよくわからないが、それじゃ化け物じゃないか」

「ですが自我を保てていれば進化と呼べなくもないでしょう? 論文、読みますか? ここにいて暇だったので書き上げたのです」フランは薄いワープロのような機械を持ち、「自我とは脳細胞のシナプスの電気信号であり、機械と生命の違いは、個性であり、電気信号が不規則であるから個性が現れます。侵食バクテリアは体全身を蝕み、それ自体が筋肉であり消化器であり脳でもあります。自我が保てるように見えてもその実、バクテリアが自我のように見せているだけにすぎません。蛾の羽の模様が猛禽類の目に見えてもそれはただの鱗粉にすぎない、わかりますこの例え?素人向けに考えたのです」

 狂ってる。そう吐き捨てたかったがフランを問いただしても情況は変わらない。

「失敗じゃないのか」

「いいえ、これから改良をするのです。ヒトの進化のため。曖昧な哲学で語られる命に、客観的な定義を与える。これぞ科学! わかります?」

「もういい。サーバールームへ行こう。開けられるんだよな」

「ええ。電子錠をクラッキングしてみせますよ。なのでボクを守ってください」

 フランは移動式個人端末(パソコン)を脇に抱えて歩き出す。しかしその行く先をとおせんぼ(・・・・・)したのはシィナだった。いつも似まして不機嫌そうだった。

「なぁーにが『ボクを守ってください』だよ。あんたも同類でしょ。研究だか実験だかしらないけどヒトから化け物を作って」

 続けざまにブレーメンの古語でありったけの罵倒語を付け加えていた。たしかにその意見は一理あった。

「ボクは、ただ回帰主義がとうてい受け入れられないだけなのです。ブレーメンにはわからないでしょうね」

「あんた、あたしをバカにしてる?」

 ぎらりとシィナの瞳が黄色に輝き殴りかかろうとした──がニシは力でシィナを抑えた。

「ボクたちはブレーメンが羨ましいのです。ヒトの倍の寿命にコンピューターみたいな思考能力。それだけあればどんな不可能も可能に変えることができるのです」

 なにかと喧嘩っ早いシィナだったが、なんとか落ち着いたようだった。そんな様子を気にすること無く、フランは続けた。

「知ってますですか? かつて人類は星々を渡る事ができ、飢えや苦役から解放され寿命さえ克服した文明を築きました。数百万年のスパンで見れば文明のリセット(回帰主義)は合理的かもしれません。でも踏み台にされるボクたちの世代はどうなるんです?」

「踏み台、とは?」

「文明の黎明期(れいめいき)のことですよ! 寿命はたった数十年しか無い、ただの怪我や風邪だけで命の危険にさらされる。そもそもヒトからヒトが生まれる時点で多大なリスクがあります」

「俺は、お前の懸念することがわからない」

「貧乏くじを引かされたってことですよ。だからボクたちは先祖が残してくれた技術や情報を解読しようと何百年もここで研究しているのです」

「だが(おう)はそんなこと認めないだろう」

「皇なんてただの記憶装置、権威なんて意味ないのです」

「赤月の印、記憶装置を知っているのか?」

「もちろんなのです。あなたが知っている方が驚きなのです」

 ふすん、とフランは胸を張ってみせたがシィナはそれが気に入らない様子で、

「よくわからない。でもムカつくから斬る」

 ニケはとっさにシィナの持つ大太刀の柄を押さえた。

 フランの説明では、この地下研究施設は数世代にわたり増築されており、サーバールームは最も世代の古い区画で、途中の通路は歩く肉塊の元・ヒトが徘徊しているとのことだった。

 先頭をニケが進み、後ろからフランが道案内をした。

「会敵っ」

 言うと同時に元・ヒトは銃弾に倒れた。頭の4分の1がテウヘルへ変化しかけているが体の他の部分はヒトのままだった。

「なぁ、フラン。体を強化したいというのはわかった。だがなぜテウヘルなんだ?」

「さあ」肩をすくめて首を振ったが、「この研究はずぅっと前、ボクの生まれる前からあるんです。その真相なんて誰も知ったこっちゃないですよ。でも、テウヘルはヒトの原種から造られたということは案外、もともとヒトはああいう姿かたちだったのかもしれませんねぇ」

「なぜわざわざ毛が生えていない姿に?」

「きっとブレーメンの万能さに憧れ姿を真似したんじゃないですかね」

 科学者の割に推測まみれの返事だった。“ブレーメンだからいいなぁ”という言葉はさんざん言われた。士官学校では血反吐を吐くような体力訓練も、ヒトの候補生の3倍をこなしてやっと疲れがたまり夜に熟睡ができた。座学でも、本を読めば読んだ分だけ記憶に残るので、空いた時間に自動車から戦車までの操作試験を受けた。

 しかしどれも努力して手に入れた能力というわけではない。その上、ブレーメンは平均的に習熟できる分、ある1点に限り突出した能力をもつヒトには叶わなかった。たぶん、フランが思っているほどブレーメンは万能な生き物じゃない。

 所長が専有している実験室は2階分の広さを確保し、壁にはずらりと遺体を冷却する保管庫と、検視台が整然と並んでいた。検視台は流れ出る血や体液を集めやすいように溝が掘られている。集められた体液は試験管をラベルに貼り、冷凍庫にそれらが保管されている。煌々(こうこう)と明るい照明が磨き上げられた金属質の検視台や器具に反射し、ぎらぎらと輝いている。

 そんな無機質な花園の中央で全裸の男がうずくまっていた。耳をすませばぜーぜーとした呼吸音が聞こえるがこちらを認知しているかどうかは判然としない。

 軍靴の靴音をなるべく鳴らさないように部屋を横切った。そしてフランは重厚な防爆ドアの手前でうずくまった。ドアの配線と手持ちの移動式個人端末(パソコン)をつなぎ、見知らぬ言語の数字の羅列とにらめっこしていた。

 その時、強烈なビープ音が扉から鳴った。

「ひぃん! セキュリティ・プロトコルに触っちゃったかも」

 ひやりとして後ろ向いた。するとさっきまでうずくまっていた全裸の男が音もなく部屋の真ん中で立っていた。焦点の合わない赤い瞳がこちらを見ている。

「クククククヒヒヒヒヒ。フラン・ランくん」

 年増な男の割に甘い声だった。フランはいじめられっ子のように扉と柱の隙間で縮こまった。

 狂気に苛まれた所長は全裸を気にすること無くてくてくと歩いてくる。

「パンツくらい履いたらどうだ」

 ニケがライフルを構えたが所長は気にする素振りがなかった。

「ニヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」

 鋭い眼光、しかしそれは恍惚の表情とも見て取れた。覚えがあるのは腹を空かせた(マモ)の眼光。

 フランは脂汗を額に浮かばせてキーボードを叩いている。まだ電子キーの解除に時間がかかるようだった

「キモいんだよ、おっさん!」

 シィナの鮮やかな抜刀──そして上階のキャットウォークを切断しながら青い刀身が所長の正中線に沿って振り下ろされた。

 しかし、まだ生きていた。鮮血を吐き出すこと無く、しかし斬られた右と左で微妙に異なる笑みを浮かべている。

 それぞれ左右に分かれた体がもぞもぞと波打ち、体の内側へ裏返るようにして小柄な2匹のテウヘルへ変貌した。

 ニケはライフルを撃ち、シィナが斬った。しかし長い手足でゴムボールのように部屋のあちこちを飛び回る。跳弾するため不用意には撃てず、シィナの大太刀も間合いに入ったり入らなかったりで刀身が届かない。

「お前、2匹に分かれるかもしれないってフランの説明、聞いていなかったな!」

「だって、あのガキンチョ、なんだかムカつくんだもん」

 2人でゆっくりと歩を進め、物陰に隠れた所長1/2を探した。天井からの光が強い分、濃い影が床や部屋の隅に落ちている。ここもひどい臭気に包まれて臭いで動きは追えない。シィナもそれはわかっているようでじっと聞き耳を立てた。

 カラン

 アルミニウム製のボウルが床に落ちた。その方向へライフルの銃口を向けた。するとがさごそと黒い毛むくじゃらのアブラムシが這い出てきた。もう1匹もシィナの方へ向かった。

「ひぃ! キモいキモいキモい!」

 よくよく見てみると背中の毛の間からヒトの茶色い瞳やテウヘルのような赤い瞳がもぞもぞと開いたり閉じたりしている。青1&2が見ていたらショックで倒れたかもしれない。

 素早い動きに合わせて引き金を引いてみたが当たらない。床のタイルを割ったり、診察台で跳弾して天井に穴を開けるだけだった。

 ブンッ

 シィナの大太刀の一振りで、診察台や照明が丸々ちぎれて飛び、壁にあたって盛大な音を立てた。物陰が増えたせいでますます捕らえづらくなった。

「フランを背に防御態勢を!」

 ニケが素早く指示をする。再び最初の立ち位置に戻った。瓦礫や診療器具があちこちで飛び散ってガランガランと盛大に音を立てる。そのたびにフランはビクリと体を震わせた。

 部屋のあちこちを走り回っていたアブラムシがついに集まった。撃たれたり千切れたりした体も緑色のうごめくアメーバに変異し、そして1つに合体した。

 所長の体がもぞもぞと蠢く。ところどころが緑だったりテウヘルのような毛むくじゃらだったりするが、元の全裸のオッサンに戻った。

「素晴らしい感覚だ。オーガズムに似た高揚感に満ち溢れている。フラン・ランくんも味わうべきだ。科学者たるもの、実体験に勝る検証はないからねぇ」

 斬っても撃っても死なない。むしろ生き物の範疇に入れていいかも迷うしそもそも殺せるのか、という疑問が湧いてくる。

 2人の背後でフランはガタガタと歯を震わせた。

「け、結構です! 所長」

「そうかい。そっけないねぇ。一緒にランチをした仲じゃないか」

 所長の欠損した体は元に戻っている。

「もしかしてもしかして、侵食減速材を使わなかったんですか」

 フランはすでに悲鳴に近い声を上げていた。

「あっは、アハハハアハハアハハアハハアハハアハハアハハアハハアハハアハハアハハ」所長の高笑いが室内に響く。「そこが間違いだったんだよ、フラン君。ヒトをより高次の存在へ変化させようとするから歪な生き物しか生まれ出ない。ちがう、ちがうんだよ。新たな生き物を生み出せば良い。そう、私のように。老いぬ死なぬ傷つかない完璧な生き物だ」

「あ、あ、あなたは誰です? あの頃の所長は確かに頭はおかしかったけど、でも科学者でした。人類の発展に人生を費やしていました。でもでも、その自我は誰のものなのです?」

「形而上学かい? 君はそういう考えを非科学的だと言っていたではないか。はっ、ほら、君の好きな所長の記憶がある。人は変わるものだよ」

「いいえ! 違います」フランが叫んだ。「さっきの翠緑種の話、覚えていますか。所長はもう所長じゃありません。記憶を引き継いだ別の生命体です」

 よく理解できないが──隣のシィナを見たが同じくこちらを見ている。理解できたのは所長をとっとと殺してしまってかまわないということと、どう殺せば良いのかわからないということだった。

「もういっそ、その爆弾で吹き飛ばしちゃえば」

 ニケの弾帯(チェストリグ)で手榴弾が揺れた。

「爆弾と言っても破片で切り裂く武器だ。斬ったところでまたもとに戻るだろう」

 すると脇腹あたりに違和感──普段はそこに何も装備していないのに。そして到来するひらめき。もしこの案がダメなら全力で逃げなければならない。ヒトの形をした生き物を外に出さないよう考えながら。

「シィナ、ちょっと刀を借りる」

「えっ? ちょ、何よ!」

 ニケは有無を言わさずその手から大太刀をひったくった。そしてその長大さのせいでバランスを崩しながらも、所長の胸元に深々と切込みを入れた。

 体内はどろりとした緑の粘液で覆われていた。臓器や骨と呼べる部分はどこにも見えない。

「イタいなぁ。ムカついたからキミから食べて養分にしようか」

 所長の胸の傷はみるみるうちにふさがっていく。傷の両側から赤子のようなむちむちした手が生え、両側で握手して傷を塞いでいく。

「べろべろ・ばー」

 所長はその傷口をわざと自分の手で広げてみせた。手が無数に生えている。吐き気を催すような奇怪さだった。

 するとニケの瞳が黄色に光った。ブレーメンの健脚と身のこなしで素早く所長に肉薄し、その体内に手を突っ込むと素早く引き抜いて間合いを取った。ニケの人差し指には金属の輪っかがぶら下がっていた。

 所長の傷口が完全に閉じる。しかし所長も違和感があるようで胸元をかきむしる。

「き、貴様なにを──」

 言葉が言い終わるより先に、所長の体内から炎が溢れ出た。口や目などから勢いよくオレンジ色の炎が吹き出し、体がどろどろに溶けていく。たちどころに炎に包まれてヒトの形だったものがプスプスと臭気を放ちながら縮んでいく。

 熱さのあまり3人は腕で顔を覆った。ものの1分ほどで所長のようだったモノは完全に炭化して床のシミに成り果てた。

「どう、俺の妙案」

「私の大太刀、返してよ!」

 シィナが青い刀身の大太刀をひったくって鞘にパチンと修めた。手柄を取られたことで不満そうだったが、どことなく安堵しているふうにも見えた。

「シィナが言っていた爆弾とは、焼夷手榴弾の方だったんだな。死んだ兵士の火葬用にとっておいたんだが。窮地を切り抜けられてほっとしたよ」

「ふん。別に窮地じゃないし。私だったらあんな怪物、斬り伏せちゃうんだから」

「お前に任せてたら今頃、10本腕の獣人(テウヘル)と戦う羽目になっていたかもな」

 シィナの鋭角ツインテールが不満そうにぶんぶんと揺れている。この様子は、怒っていない。かまってほしいだけ。幼なじみだからこそそういう機微(きび)がわかる。

「いやぁーテルミット反応ですねなるほど」フランはやや興奮気味に、「炭素基体の侵食バクテリアは熱に弱い。一応ヒトよりも熱への耐性はあったはずですけど流石に数千度の温度には耐えられませんねぇ。次は炭素ではなく珪素基体の生命体を探すしか……」

「フラン、終わったのか、まだなのか」

「はいはい、終わりましたよ。はいどうぞ」

 サーバールームへ続く扉がするすると横へ開いた。室内はガラス窓で区切られており、向こう半分は青い光がきらきらと点滅している。たぶんあれが“サーバー”というものらしい。こちら側半分はイスとコンソールが並んでいる。

「ここにかつての人類の情報があるのか?」

 ニケはガラス窓に額を近づけて薄暗い向こう側を見た。明暗差のせいで向こう側はよく見通せない。

「そうなのです。回帰主義に反発したボクらのご先祖さまはここにかき集めたありとあらゆる知識を収めました。しかしまあ、“知識を理解するための知識”が失われているのでその解析や有効利用は何百年もかかってるんですけどねー。わかります?」

 いや、わからない。

 フランはそのうちのひとつのイスにドカリと座ると、カタカタとコンソールを操作した。そして数分もしないうちに、コンソールの下側から自動販売機のように正立方体を取り出した。向こう側まで透けて見えるぐらい透明だった。

「これは、ガラス?」

「データキューブなのです。人工石英の内部に2進数の情報をミクロ単位で書き込むのです」

「よくわからないが、書類や磁気フィルムとかじゃないのか?」

青蝕弾頭(せいしょくだんとう)の基礎理論から設計指南まで含めると、アナログデータだと膨大な量になりますからねぇ」

 フランは裏起毛の巾着袋にデータキューブを入れてニケに渡した。そうしているうちに次のデータキューブがころんと出てきた。

「そっちは?」

「人体強化薬、侵食バクテリアの応用技術や侵食減速材の基礎理論をまとめたものなのです──って、あー何するですか!」

 ニケはふたつめのデータキューブを奪うと床に転がして拳銃で撃ち抜いた。

「ダメだ」

 さらに防弾らしいガラス窓を刀で切り裂いて壊すと、青い光がきらめくサーバールームに手榴弾をまとめて2つ投げ込んだ。

「ああああっ!」

 フランの叫び声は爆風と爆豪にかき消された。

「人類の叡智、とか言いたいのか?」

「そうです。多少の犠牲(コラテラル・ダメージ)があるにせよ、そーゆーものは科学の発展にはつきものなのです」

 人類の文明だとかそういう小難しいことはわからない。しかしヒトは力を望むことは、所長やフランを見て思い知った。それがテウヘルや強化兵を生み、やがて際限ない欲望はあげくに世界を滅ぼしてしまう。今はキエを信じるのみだ。

 泣きじゃくりジタバタ暴れるフランをヒョイと抱えあげ、拳銃を片手に怪しい研究所を後にした。

 帰りの道のりは特に妨害に遭わなかった。ときおり現れる歩く肉塊の元・ヒトも拳銃弾で十分に対応できたしシィナもすすんで切り結んでくれた。

「やっかいな実験体が現れるかと思ったが」

「あなたたちが、あらかた片付けたからなのです」フランはまだ鼻声だった。「極端な変異種は実験の初期段階のものばかりで大半は処分してしまっているし、そもそも施設がロックダウンされて以降は連中、共食いばかりで数は減っていたので」

 ゾッとする話だったが、フランはあっけらかんとしていた。これも科学の発展につきまとう犠牲、というやつなのか。

 地上へ続くエレベーターでフランを下ろしてやった。ヨレヨレの白衣の裾をパンパンと叩いて整えている。地獄のようだった地下研究所から地獄のような戦場の地上へゆっくりと上昇する。

「もしかしてボクのこと、幻滅(げんめつ)してますか」

「幻滅?」

 もともと羨望した覚えもないのだが。

「ボクも、おびただしい犠牲者に罪悪感が無いわけじゃないのです。死んだ科学者にはたくさんの良き友がいましたから。でもでも、どれもこれも、大きな志のため。必要だった犠牲なのです」

「俺から見れば、お前らもお前の言う回帰主義者とやらも、同じ穴のムジナだ。大義という名目で他者をいともたやすく犠牲にする。うぬぼれがすぎる」

 キエはそのどちらでもない。ブレーメンやテウヘル、強化兵の犠牲に心を痛めそして本気で人類を変えようと考えている。

「あなたたちはブレーメンだから、ボクらの焦りがわからないだけなのですよ」

「いや、わかる。俺はヒトとして生きる“顔”がある。ヒトの行き方や価値観はわかっているつもりだ。それでもお前たちを理解できない。社会で(おのれ)の長所を活かし協力し支え合い、家に帰れば家族とゆっくりした時間を過ごす。それがヒトの幸せじゃないのか? そしてその積み重ねが文明なんだと、俺はヒトの社会で暮らす中でそう理解している」

 そしてキエ。(おう)()く道に奇怪な科学は必要ない。

「はいはい、どーせボクは悪い人ですよー。だれもボクを理解してくれない」

 カチンとくる態度だったが、それに反応したのはシィナだった。風のような動きでためらいなくフランを壁に追い詰めて、肘を押し付けて腕でその首を絞め上げた。

「あんたねぇ。調子に乗っていけしゃあしゃあと。ニケに偉そうな口をきいたらこの首を絞めるわよ」

「えへへ、テウヘルの因子を取り込んだおかげで首が絞まったくらいじゃ苦しくも……ぐぇ」

 シィナの目が黄色に光った。

「犬っころの首なんて簡単にへし折れるんだから! あんたを連れ帰れって命令は無いの。ヒトの命令ってだけで従うのはヤだったけど、命令がないなら焼こうが煮ようが私の勝手よね」

 その時、エレベーターの上昇が止まり、チンッ、と場違いなベルの音で扉が開いた。扉の向こうの地下駐車場では、ライフルを構えた兵士たちが孤を描いて並んでいた。疲れた顔の上官2名と耳の生えた小柄な科学者に、皆が眉をひそめた。

 ニケは部下たちに手の平を向けて制止すると、

「シィナ、そのくらいにしとくんだ」

 そしてフランを押さえているカチカチにこわばった腕に触れた。フランの顔色が目に見えて青ざめているが、やっとシィナも腕をほどいてくれた。

 フランはゼーゼーと咳き込んでいる。

「私はどーなっても知らないんだからね」

 ぺちっ、とシィナが振り回したツインテールが顔にあたった。これは本気で怒っているときのサイン。

 フランの方は、顔に血色が戻ってきた。

「ふん、このメンヘラ女」

 しかし運が悪いことに、まだシィナの大太刀の間合いだった。ほんの瞬きの瞬間にその長大な大太刀の鯉口を斬り、鉄筋コンクリートの(はり)を切り裂きながら、青い輝きの刀身がフランに振り下ろされた。

 キンッ

 甲高い音が駐車場に響いた。兵士たちもゾッとして身を引いている。刃先がフランの獣耳に触れるすぐ上で、ニケの抜いた刀で止まっていた。

 シィナは無言で刀をしまうと、つかつかと駐車場の反対側まで歩き、黙ったままレーションを温め始めた。しかし怒りで額まで真っ赤になっていた。

「口を慎むことだ。この先道は長い。その間、ずっとお前をかばえるわけじゃない」

 一波乱あったが、なんとか第1の作戦目標を達成できた。青1&2は緊張した情況に負けずニタニタ顔でこの小一時間の出来事を隊長のニケに報告し終えた。

 戦いはまだまだこれからだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ