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物語tips:楔部隊
野生司マサシ大尉が提唱した新たな戦術を駆使する部隊。正式名は「第2師団独立中隊 空中降下先行偵察部隊」。
いわゆる空挺部隊で敵地後方に深く素早く浸透し、少数精鋭をもって戦略目標を攻略するというドクトリン。
具体的には巡空艦で獣人が迎撃不可能な高硬度で侵入→グライダーないし落下傘で降下→任務達成→味方前線へ脱出 というもの。従来では巡空艦は着陸し兵員を揚陸する兵器だった(そもそもこうした機動力を有する戦術が必要がなかった)。半年ほどをかけて空中降下、グライダー降下などを訓練し、アレンブルグ放棄が確実視された頃に実戦投入される。
部隊を分ける際はツノカバのキャラクターに由来する名前が付けられる。薄青色の「ミラ」、ピンクの「デゥオ」、緑の「ミサッマ」と呼ばれるキャラクター。
部隊のモットーは「敵よりも早く頭を回し早く行動に出る」。人員の規模は中隊100人。3小隊90人、衛生班10人、軽戦車(2両)の操縦士、グァルネリウスの乗員、その他後方の予備部隊など。
荒涼とした砂漠の地平線に真っ赤な太陽が下りていく。西の空は橙色に染まり、そのすぐ上は漆黒の闇だった。日中の暑い空気も夜の冷たい風に吹かれ、すぐに凍えるような気温になる。
その夕日を背景に、特別仕様に改造された高速巡空艦は地上の作業員が走り回り忙しそうに給油作業にあたっていた。浮遊性ガスや燃料は砂漠の高温を避けるために夜に給油するらしい。前線の兵士と違い後方支援部隊は一般兵が多く、重労働の作業に苦戦しているように見えた。
一方で、先行偵察部隊の一般兵の面々は、基地の公衆電話に列を作り、家族や友人と電話で話をしている。持ち時間は1人5分まで。そういった親類のいない強化兵たちは普段どおりリラックスした様子で仲間たちとカードに興じていた。
ここコーンランドはアレンブルグから巡空艦で2時間の距離にあった。この小さな町は駐屯地とサボテンから作る酒精の強い酒の工場がある以外は、殺風景な田舎だった。
日が完全に落ちた時、基地全体にベルが鳴り、中隊の小隊長と分隊長が集められた。テーブルを3つ合わせてその上に地図が広げられていた。地図はロンボク運河を中心に西岸と東岸に分かれているアレンブルグとその周辺の街と街道が描かれている。同心円状に切り取られたオーランドとは違い、アレンブルグは格子状に90°で道と道が交差するよう整備されている。首都に次ぐ第2の都市だけあっていったいどれだけ多くの人が家を追われたのだろうか、と考えずにはいられなかった。
野生司大尉がいつになく真剣な表情で作戦のブリーフィングを始めた。
「この降下作戦は2段階に分けられる。第1段階では隊を2つに分ける」
野生司大尉はロンボク運河の中程にある中洲の街、サナハシ市に薄青色のツノカバの小さなぬいぐるみを置いた。何の冗談かと思い、小隊長が各々無言で顔を見わせ笑うべきかどうか思案した。しかし野生司大尉はまじめだった。
「“ミラ隊”はサナハシ市のセントラルパークに降下する。ビルが間近に迫るため、比較的練度の高い“いいこさん部隊”のニケ軍曹、シィナ少尉に指揮を任せる。目的はサナハシ市の地下研究所だ。地下研究所で秘密兵器の設計図を確保する。ふむ、言いにくい名だ。地下研とでも言おうか」
「不用意な命名は混乱をきたすためお控えください」
慇懃さを持ちつつも威圧的な言い方だった。一同が暗がりから現れたスキンヘッドの男に注目した。野生司大尉がわかりやすく咳払いをした。
「皆にはきちんと紹介をしていなかったね。こちら、師団長から直々に派遣された監察官のロー氏だ。階級は……なるほど秘密らしい──」
再び小隊長たちが顔を見合わせた。名無しの戦死者という名前の分からない戦場の死体につける、不気味なあだ名に不信感を募らせる。
「──ミラ隊は監察官どのを護衛しつつ、新兵器の設計図を確保、サナハシ市から安全に離れ、その後本隊へ合流してほしい」
ふたたび野生司大尉は、アレンブルグの郊外にピンク色のツノカバを置いた。今度も小隊長が各々の顔を見て眉をひそめた。よくよく考えてみれば、野生司大尉が名付けたグァルネリウスという名も、ツノカバのアニメに出てくる、ツノカバファミリーの家の名前だった。
大尉が冗談っぽく振る舞っていれば皆で笑っていたが、鋭い真剣な目付きのせいで言うに言えないどんよりとした空気が漂う。
「ピンクのツノカバ隊はアレンブルグ南東のカーパイヤの村落へ降下する。この周囲はまだ建物が残っているそうだ。敵のパトロール部隊に注意しつつ作戦本部を設営する。ワシも直接指揮をするが、ラルゴ軍曹、リン曹長、拠点確保に協力してくれ──」
2人がそれぞれ力強く頷いた。
「──情報部によると敵後方の守りは手薄らしい。つまり“よると”ということはそういうことだ」
そこで一同がゲラゲラと笑った。不機嫌そうのなのはロー監察官ただ1人だった。
「つまり俺たちは頼りになる事前情報なしに犬っころのケツに弾丸をぶち込みにいくってことですね」
「そうだ。ラルゴ隊長」
「俺ぁ、神経が高ぶってムラムラが止まらない」
「ああ、だが頼るべき“右手”は明日、引き金を引く右人差し指のために休ませておきたまえよ」
今度は男性隊員のみがげらげらと笑った。むさくるしい笑い声の中でリンだけがきょとんと目を丸くしている。
「っと、話がそれてしまった。予定では2日後に全小隊が合流、第2作戦へ移行する。第2作戦ではテウヘルの将校もしくは上級指揮官を捕らえることになる。上級かどうか見分け方は、ふむ、情報部はくれなんだ。頭が良さそうな個体を生きたまま捕らえる」
「テウヘルに言葉が通じるのですか」
ニケが挙手をして質問した。
「そこは、聡明なブレーメンに頼むしかない」
ドキリ──キエが言っていた。入植当初、ブレーメンは人類の言語をたちどころに理解してしまった。そのことを大尉も知っているのか。
「絵でも描いて意思疎通を試みます」
「良い判断だ。第2作戦が終了後、ロンボク運河を上流へ進み、回収地点でグァルネリウスが来る。グァルネリウスはある程度の対地戦闘能力があるが多数の多脚戦車には不利だ」
「そんなの、私が一刀両断してあげるから心配いらないって」
シィナは自信満々だった。角の立ちそうな話しぶりだったが歩兵にとってルガーとの遭遇は死を意味するだけあって安心した表情の隊員が多かった。
「以上が作戦概要になる。だが不確実な点のほうが多い。なにせ敵地の奥深くだ。寝るまでに地形を頭に叩き込んでおくんだ。臨機応変な対応をせねばならない。ンナン特務軍曹、そう緊張しなくてもいい。敵はまさか空から襲来するとは想定していないだろうし、空中要塞も姿を表していない。今日はゆっくり休んでくれ。グァルネリウスは高速艦ゆえに揺れと騒音で休むことはできないからね」
そこで解散となった。三々五々、兵士たちは宿舎へ向かった。大尉は地図に並べたツノカバをひとつにまとめて戦闘服の胸ポケットにしまった。どうやらホノカから送られた物のようだ。そうして地図を折りたたむと、
「ニケ君、ちょっと来てくれ」事務所に帰る途中の大尉に呼び止められた。「いや、仕事のことじゃない。さっき家から電話が来てね。ホノカが君と話したがっているそうだ」
「回線の私的利用ですか」
「ははは、真面目だね、君は。少しだけさ。電話口で待たしてるから。さ、こっちへ」
ニケは事務所の黒電話の受話器を持ち上げた。
「もしもし?」
『もしもし、ニケ君?』
返事には時差があった。それだけオーランドから遠く来たんだと実感できた。
『ごめんね。お仕事が忙しかった?』
「いや、ちょうど一段落したところだよ」
しかしホノカからの返事がない。ずっと押し黙ったままだ。
「宿題はもうしたのか?」
『うん、した。全部』
「襦袢にアイロンは?」
『かけた』
「じゃあ明日の学校は大丈夫だ。なにか不安なことがあるのか」
しかしホノカは再び黙ってしまった。電話回線が切れたのかと思ったが、
『ねぇ、いつ帰ってこれるの』
「さあ。“ワンワン”が仕事をサボってくれたら早く帰れるかも」
『ね、真面目な話。危ないんでしょ』
ラーヤタイの塹壕戦とジリ貧な市街地戦闘を思い出した。続いて思い出されたのは巨大なテウヘルに変身した“聖人”を名乗るグループのボス、ガンマだった。
あのときとは違う。準備も装備も整っている。2振りの刀も肌身離さず持ち歩いている。
「誰かがやらなきゃいけないことだ。危険だと分かっていてもだ。俺は、きっと無事に帰るから」
『わたしも、待ってるから』
「ああ」
そこで電話が切れてしまった。受話器の穴ぼこを見ながら、もう少し気の利いたことを話すべきだったと後悔した。これは仕事だし責務だと思っているがそのせいでホノカに寂しい思いをさせてしまうことがためらわれた。
顔をあげるとニヤニヤ顔の野生司大尉がいた。
「すみません、電話が切れてしまいました、大尉」
「なに、いいって。ワシはもう話した。そうそう、ワシのことは“お父さん”と呼んでもかまわないのだぞ」
「どういう意味ですか?」
しかし野生司大尉はニヤニヤ顔のまま将官用の宿舎へ歩き去ってしまった。
オフィスを出たところで遭遇したのは“かしまし部隊”だった。リンを先頭に女子強化兵ばかりが固まり、くすくすひそひそ話しながら集団で歩いている。
「こーんなところで、何してるの?」
集団の中からリンが1人飛び出してきた。
「ああ、ちょっと電話を。ホノカからだ」
「ふーん、ホノカちゃん。ね、何を話したの」
「別に、特にこれという内容は無かった」
「ふうぅん」
するとリンはぎゅっとニケを抱きしめた。
「そんな、暗い顔をしちゃダメだよ、ニケ隊長。これは元気になるおまじない」
「あ、ああ。だが暗い顔はしてないつもりだけど」
「ふふーん、悩みならこのあたしにぜーんぶぶちまけるといいよ。ね、何したい?」
「宿舎で、休む」
「ふーん、あっそ」
リンはニケの背中にまわした手をぱっと離した。そして“かしまし部隊”に合流してまたくすくすひそひそ話しながら宿舎へ歩き去った。
公衆電話の横を通り過ぎる時、シィナにばったりと会ってしまった。
「誰かに電話をしていたのか」
「うん、家族に」
「……泣いてた?」
「んなわけないでしょ!」
しかしシィナは背中を向けてゴシゴシと顔を擦った。
「戦いの前だし感傷的になっても俺はなんとも思わない」
「嬉しいのよ。嬉しくて感極まっただけだから。オーランドに来て実戦がないままずっと訓練訓練って同じことばかり繰り返されて」
ふと、旧居住塔での戦いを思い出した。あまねく敵を粉砕せんとするシィナの獣のような姿はたぶん一生忘れられない。
「ヒトは、繰り返し練習しないと動きが身につかないんだ。しょうがないだろ」
「見てなさい! 私の活躍を。明日は誰よりも多く犬っころの首を集めるんだから」
隠密作戦だ、という野生司大尉の話を聞いていなかったようだ。明日はシィナの動きに注意を払わないと。
シィナはまだ顔をゴシゴシしている──なるほど、故郷が恋しいんだ。
ニケはおもむろに、シィナの背後からギュッと抱きしめた。
「何? 格闘術?」
「元気の出るおまじない、だそうだ。どうだ?」
「うーん、別になんとも」
そうそう、ヒトはよくハグをする。それは元気を出すためのおまじないだったのか。ブレーメンにはない習慣なのでいまいちピンとこない。
「2人で寄り添えば温かい、ってことなのか。なるほど」
ヒトの習慣は意外と合理的なようだ。
★おまけ★