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「ねぇ、見て! この花火。打ち上げたらツノカバの模様になるんだよ!」
「アハハ! おもしろい。ホノカちゃんはどんなお願い事、書くの?」
「もう、リンちゃん、マジックを振り回さないでよ。顔に着いちゃうでしょ」
リンのかしましさは家にいても健在だった。週末前の夕方に、リンとホノカはふたりで花火を選んでいた。明日は打ち上げ祭りの日なのでリビングの床に大小様々な花火の玉が並んでいる。外からは気の早い家がさっそく花火を打ち上げる音が聞こえる。
先週のリンとホノカのひと悶着の後、リンに気を配っていたが杞憂に終わった。あの日の夜には元通り、ふたりは話をしていた。気になったことといえば、リンがホノカと「何もなかった」と嘘を言ったことだった。今まで嘘なんてつけない正直者だったのに。
「ノリコさん、シャワー室の掃除が終わりました」
「あらあら、ごくろうさま。ね、ニケ君。ニケ君はどの花火にする?」
ノリコさんは絶縁用の油紙に包まれた花火をお手玉のようにひとつずつ見せてくれた。白い紙に包まれていたが、どんな色の花火か分かるように色紙が着いている。
「そういえば、お願い事によって花火を決めるんでしたね」
うっかりしていた。願いというものをはっきりと決めていなかった。
「やっぱり、抵抗があるかしら。肩の力を抜いて、単なるおまじないみたいなものよ。うちの亭主がブーツの左足の紐を二重結びにするでしょ。それと同じ。でも、ヒトの文化ですものね。別に無理強いはしないけれど」
「いえ、参加させてください。俺にも願いはありますから」
リビングではしゃいでいるリンを見た。今日の朝まで夜間戦闘訓練をしていた。それなのに今は年相応な女の子の“顔”で振る舞っている。あの子を戦場に連れて行く後ろめたさがある。願うくらいなら身を挺してでも守ってやりたい。だが事が思い通りに運ばないのもまた戦場の常だった。
「仕事運か健康運はありますか」
「ええ、両方あるわよ」
手にすっぽりと収まりそうな花火を受け取った。仕事運が橙色で紫が健康運らしかった。
「マジックはあるかしら?」
「はい、荷物の中に入っていたと思います」
「やっぱり、もうすぐ“出張”なのよね」
出張───この言葉はこのうちでは含みがあった。戦場へ行く。しかも戦線はアレンブルグだけでなく極東各地に飛び火している。テレビや新聞のニュースでは、テウヘルとの戦闘は小競り合いで程度の報道で将兵のインタビューが数分だけ差し込まれる。だが、実際のところ戦闘は押され気味で数万人単位で難民が発生しているという噂は街のあちこちから聞こえてきている。覚悟を決めそして笑顔で送り出すのもこのうちのルールだった。
そしてアレンブルグ戦線への強襲のため、オーランドを出発するのは明後日だった。
ノリコさんは寂しそうに微笑むと、リンとホノカの話の輪に加わった。
ニケは女3人衆がワイワイやっているのを横目に自室へ戻った。この家に来たときと比べてさほど荷物は増えていない。ベッドがあり、壁にはこの半年で撮った写真があった。そのうちの一枚は、キエと観覧車で撮った写真だった。
床には官品の背嚢と、民間品の軽くて丈夫な登山用リュックが背中合わせで並び、ジッパーの口は空いたまま広げてある。衣類、銃のメンテナンス道具、私物で持ち込む救急キット、懐中電灯と予備の電池を用意してある。後は詰めるだけだ。
「よう若造」
心臓が止まりそうなぐらい驚いた。呼吸も忘れたまま振り返ると少女と言うより幼女のような体型のネネがいた。近衛兵大隊で定められた黒スーツの制服を着ているがところどころ彼女の好みで白いレースが追加されている。
「ほほん、よもやこれしきのことで驚いたのではないですわよね、小童」
「突然背後に現れたら驚くに決まっているだろう」
「なんと。やはりこの美少女に驚いて」
「ちっこい婆婆がいたからだ」
ニケは突然現れたネネに構うこと無く床にドカリと座ると、背嚢からマジックペンを引き出して2つの丸い花火に向き合った。
「なーにをしてますの?」
ネネがニケの背中に飛びついた。
「明日は打ち上げ祭りだろ。そのために願い事を書くんだ。だが突然願いを決めろと言われても、そう簡単は決められない」
「願い頃がありませんの?」
「いろいろあるからだ」
リンが無事に帰ってこられること、シィナが無事に帰ってこられること、キエが幸せに生きられること、ホノカが自分の役割を見つけられること。いろいろだ。だがどれも自分がどうありたいか、という願いではなかった。他人の幸せなら幾十も思いつくのに自分の幸せは見当たらない。
「思い当たらないなら妾の願いを書いてくださいまし」
「何だ? 長生きしたいとかか」
500歳を超えるうら若い老婆はぐりぐりとニケの頬をつねった。
「小童、日々を漠然と生きておるからそうなるんですわ」
ネネの含蓄あるお説教───ニケのため息がほぼ同時だった。ニケはマジックのペン先が乾かないようにキャップをして鞄にしまった。
「で、ネネ。今日は何の用があって来たんだ。というかうちまで転送できたんだな」
「もちろん。皇がお呼びですの。さあ、行きますわよ」
ネネがぎゅっと、ニケの体に巻き付けていた腕を更に締めた。ニケが文句を言おうと口を開いた頃にはすでに王宮の応接室にいた。
さっきまでの庶民向け建売住宅の合板のフローリングが、瀟洒な赤い絨毯に変わっていた。天井は高いが冷気が遮断されていて暖かかった。調度品の1つひとつは金箔が貼られ木材は鏡のように磨き上げられている。
1桁区の上流階級の頂点にして鳥かごの空間。
「全くお前らは。あらかじめ予定を決めておくということはないのか」
ニケはイライラしながら立ち上がった。背中にネネがぶら下がったままだが重さは感じなかった。
「皇は常に公務に追われていますの。公務がなければお勉強。これは息抜きなんですのよ」
「俺と話すのが? リンとは普段会っているだろう。なんで俺まで?」
「チッチッチ、ですわ。子作りさえできない若造だから理解できないんですわ」
余計なお世話である。
ニケはキエが姿を表すまでソファに座って待つことにした。ネネは背中と背もたれの間に押しつぶされないように飼い猫のように体をひねるとニケの膝の上に飛び乗った。ニケがどちらの方向を見てもネネが鬱陶しく覗き込んでくる。
「粗相はめっ、じゃないのか」
「あら、見るだけならめっじゃありませんですのよ」
しかしその目つきは、フルーツパーラーをものおしそうに見るリンやシィナの目とそっくりだった。抵抗しようにもネネの左手は丸々がオリハルコン製で怪しげな術が使える。たぶん、正面切って戦っても勝てる相手ではない。
「その、怪しい術と500年も生きる寿命は、どういう了見なんだ?」
「ほほん、小童。おしゃべり?、おしゃべりがしたいですのね」ネネの顔がぐいぐいと迫ってくる。「血をほんの少し、一口だけ分けてくれたら教えてあげなくもないですのよ」
「血? じゃあ別にいいや」
「なぜじゃ! なぜ食い下がらない」
「おしゃべりするのに血は必要ないだろ」
するとネネは落ち着いたように、ニケの膝に座った。顎に頭頂部の髪がちらちらと当たってこそばゆい。
「妾も、お友達になれるのか? 皇のように」
「ん……かまわない」
高齢者には優しくしよう。いつかテレビの公共広告の言葉が脳裏に流れてきた。
「妾はな、神と契約したのじゃ」
「神との対話、ってやつだろ? 年1回の降誕祭のとき司祭がやってみせるあれ。演技じゃないのか」
「大抵はの。じゃが、“ぼっけぇ”昔に、太古我々の始祖たちはたしかに神と対話をした。ゆえに神に愛されし民なのじゃ。妾もそうじゃ。いまだ忘れることもできぬ520年前のあの日。戦争のさなか大怪我を負って、命を神に拾われ、この左手をさずかったのです」
ネネは左手の黒い革手袋を引っ張ってとった。ガラスの彫刻のような左手だった。硬質な青い輝きだったが生身の手のように自在に動いている。
「どう? きれいですよね」
「ああ。だが、少し不気味だ」
「くふふ、妖艶と言う意味ですか」
「畏怖だ。そこにはブレーメンを凌駕する力が秘められているんだろう」
「力を崇拝するブレーメンらしい賛辞。気に入りましたわ」
ネネの蒼く輝く左手が、ニケの腿を撫で回し、
「瀕死だった妾の目の前に神が現れた。そして願った。虐げられるものを救う力を得たいと願った。結果、妾は数万のテウヘルを相手に戦える力を手に入れた。その代償は老いない肉体」
「老いない? 不死ということか」
「さあ。首を切っても再び生えてくる確信が無いので試していませんわ。でも、少なくとも520年の間、老いることはありませんの」
「だが、それは代償というより祝福じゃないのか。死なないんだから」
「妾も最初はそう思っていましたの。最初の100年は。しかしあの戦争で生き残った家族、知人、戦友が年老い、寿命を迎えるのに妾はこの幼い体のまま。決して死なないことは神の恩恵ではないのです。更に言うと1年1年が1分1秒のように過ぎ去り、皇も歳老いては同じ顔と同じ声の皇を教え育てる。既視感のように記憶は混乱し感情も日々薄くなってしまう。わかるか、小童」
淡々とした語り口は、見た目こそ10才そこそこの子どもだったが孤独に過ごした歳月が言葉の節々から感じ取れた。ネネは再びニケの膝の上に立ち、上から覗き込むようにニケの顔をつかむと、
「分かるか、小童。刺激が欲しいのじゃ」
神が本当にいる存在だと認めざるをえない。しかしその存在に見覚えがあった。今の今まですっかり忘れていた。だが他人から神の名を聞くと唐突に思い出された光景があった。
「神ってもしかして金髪じゃなかったか。キエのようなくすんだ色じゃなくて、白く透き通った感じの?」
「なっ! 確かにその通りじゃが。小童、どこでそれを?」
ネネの顔が間近な距離でぱっと晴れた。
「ラーヤタイで。砲撃に巻き込まれて気を失っていたときに、そういう何かを見た気がする。何を話したか、何だったか。思い出せない。ただ、ほくそ笑んでいた。その印象だけはある」
分岐やら世界線という言葉も聞こえたが意味を理解するに至らなかった。
「それはまさに神であるぞ」
「ただの幻覚かもしれない。よくあるんだ。砲撃の衝撃で気を失って、記憶が混乱するという症状は」
「それはヒトであろう? その程度の衝撃波でブレーメンは気を失ったりせん。もしや一度死んだのでは? そして不死の代償とともに生き返った?」
「さあ。ネネのようになにか力を授かったというわけでもないし、傷だって治り方はいつもの通り。たぶん、幻覚だ」
「そうか? そうなのか? 残念じゃの」
残念──不死という呪いのせいで孤独な500年を生きているネネ。その果てしない寿命は想像に任せるしかない。それでも小さなマ女は不憫に思えた。
「たまに会いに来てやる。それで文句はないだろう。気晴らしにどこかに出かけるのもいい侍従長だからって休みはあってもいいだろ」
「本当か! 本当なのか! 妾はな、ぶてぃっくに行きたい。腕を組んでじぇらぁとも食べたい!」
腕を組んだら食べにくいだろうに。
「シィナも紹介しよう。気難しいが根は悪くないブレーメンだ。皆で一緒に行こう」
「ん、女か? 女はいらん」
そんなものなのか。
「俺だけだとつまらないだろ」
「未成熟な小童め。何も分かっとらんのぉ」
ネネはニケの頬を押したり引っ張ったりした。不憫な話を聞いたせいで突き放すこともできない。
「あーあーあーめっですめっ。うらやまけしからんです!」
よく通る声が応接室いっぱいに響き、ニケもネネも一緒にびくりと体が震えた。リンが来た、と勘違いしてしまいそうになったが、応接室の入り口に立っていたのはキエだった。
公務の後直接来たらしく、白色を基調にしたドレス姿だった。少しだけ背が高く見えるのはハイヒールを履いているせい。
キエは顔を真赤にして興奮気味だったが、こほん、と咳払いをして、
「すみません。つい、感情が高ぶってしまうといつかどこかの時代に在位していた皇の記憶をひきだしてしまうのです。今の言葉は、つまりいつかの皇の口癖のようです」
かつての皇の記憶──人類のアイデンティティのため記憶を一箇所に保管しそれにアクセスできるのが皇だ。そう上辺で理解しているが、実際のキエは世間知らずなお嬢様だ。
「ニケさんもネネに気をつけてください。優しい口調で殿方を惑わすショタコンロリババアなのです」
聞き慣れない言葉にニケは眉をひそめたが、
「そ、それは亡き皇ロン・スーの言葉! 記憶を保存していたんんてグヌヌヌ」
ネネには伝わったようで本気で悔しがっていた。それでもニケの頭にしがみついたままだった。
ニケはひょいと小柄なネネの体を抱えて下ろした。
「ひさしぶりだな、キエ」
「はい、ごぶさたしております、ニケさん」
キエはすっかり元通りだった。かつての自分のクローンの記憶を引き出せるというのは一体どういう感覚なのだろうか。
「で、一体何の用なんだ?」
「お忙しかったでしょうか」
打ち上げ祭りの準備や出征の荷物、部下の健康チェックなど、すべきことが順繰りに頭に浮かんできたが、
「大丈夫だ。気にするな。友達だろ」
「ありがとうございます。……これで相性チェックの6項目がクリアです」キエがぼそぼそとつぶやいている。しかし意を決したように両手を握りしめ、「ニケさん、お願いがあるのです。あたくしと一緒に打ち上げ祭に参加しませんか」
「明日の、あれか。いっしょというと、どこかへ行くのか」
「いえいえ。王宮の最上階から打ち上げます。あの、そのふたりきりで」
ニケは、尻すぼみに言葉が小さくなるキエに眉をひそめたが、
「しかし、打ち上げ祭は家族で行うと約束してしまったんだ。明日は大尉の家で花火を打ち上げる。料理を作ったり、カードゲームをしたり」
「はぅ、だめ、ですか」
キエの体が縮んだのではないか、と思うくらいの落胆ぶりだった。ニケのすぐとなりではネネが足を叩きながら、目配せしている。
言外の要求が多い。
「じゃあこうしましょう! あたくしがニケさんのお家に行くんです♪ それなら文句ないでしょう」
「あります、陛下」ネネが慇懃に反論した。「御身はそう易々と人前に出て良いものではないのです」
「あら? ネネの幻影術であたくしの外見をごまかすことができるでしょう? ネネの転移術でここから行って帰れば警備もいりません。あっそうそう、ネネも一緒に来たら良いじゃないですか。あなたは誰よりも強いのですから」
「しかし、陛下」
ネネはいいたい言葉をぐっとこらえて我慢している。鳥かごの中の金色の小鳥。外を見たいと鳴く姿を見ながら無下にかごに閉じ込めることは良心の呵責にさいなまれる。
「いいんじゃないか。少なくともうちは大丈夫だと思う。シィナも来ることだし、もう2人増えたってみんな何も言わないさ。リンの友達……ってことにして」
「ホントですか! いいんですか! あはっ! これで雑誌で読んだ通り……」
「雑誌?」
「コホン。いえいえ、こっちの話です。じゃあ、明日の夕方、お宅へおじゃまいたしますね」
「ああ。せっかくのお祭りなんだ。楽しまないと。ネネも文句ないよな?」
ネネは癖のように、広い額を撫でていた。
2人に再び会ったのは翌日の夕方だった。夕食用のローストチキンを仕上がりを確かめているときだった。玄関のチャイムが鳴り、リンがドタドタと駆け寄る音が聞こえた。
「キエちゃーん!」
「お、おじゃまいたします」
「でへへ、そんなに緊張しなくったっていいんだよ。こっちはええと、“妹”のネネちゃんね」
「あの、あたくし、何を用意すればいいかわからなくて。ケーキをお持ちしました」
「うぁ! おいしそ。ねえ、ニケ。冷蔵庫に入るかな」
ニケはローストチキンの芯温を測るための温度計を持ったまま立ち上がった。振り返った先──玄関に立っていたのはペアルックのパステルカラーのワンピースを着た2人だった。種明かしをしなければ姉妹に見えなくもない。
野生司大尉とノリコさんもやってきた。ホノカは相変わらず人見知りで遠くから様子をうかがっていた。
ニケはネネから濃い青色が載ったホールケーキを受け取りながら耳元で囁いた。
「見た目を変えるって言っていたが、ふたりともそのままだぞ。大丈夫か?」
「妾の術は万能ではありません。“会ったことのあれば幻影は効きません”ので。心配せずとも、妾は普段のメイクと変えましたし、陛下も普段、顔を見せることはありませんので」
ネネは500歳超えとは思えない、子供らしい笑顔と高い声で野生司家族に自己紹介をしている。450歳も年下のノリコさんに、えらいわね~と頭をなでてもらいご満悦な──演技だよな。そういえば、楔部隊創設の際、大尉はキエに直訴したと言っていたが──ビールを飲んで緩んだ表情を見るにバレていないはずだ。
ニケはふたたびキッチンに戻り、ローストチキンの芯温を確認した。鳥の丸焼き、という料理はブレーメンの里でも作ったことがある。岩塩の混じった泥を塗り、焚き火に放り込む。19の詩歌を火の回りで歌い踊り、それが終わる頃にごちそうが出来上がる、という催しだった。
オーブンの火を眺めながら急に懐かしくなり心臓が締め付けられる。あのときの情景は変わってしまったのだろうか。戦争が終われば里に少し帰るというのも悪くない。
全員でテーブルに料理を並べている時、再び玄関のドアが開いた。またしても出迎えるのはリンだった。
「シィナちゃーん」
「ああもう、どうしていちいち抱きつくのよ。ほらぶら下がらないで。歩きにくいでしょ」
「えへへ。力持ち」
リンはよくぶら下がる。彼女の体重なら重さを感じることさえない。身長差が、ぶら下がるのにちょうどいいのだろう。ニケよりも背の高いシィナなら、リンが両手を伸ばして肩にぶら下がっても足が地面につかない。
シィナは両手にビニール袋をぶら下げていた。量販店のロゴが書かれているやつで、薄くその中身が見えて取れた。
「お前、どうしてトゥインキーが、それも袋いっぱいに」
「袋2杯よ。お祝いのお祭りでしょ。だったら」
好きなものといってもジャンクフードをそんなに買うやつはいないだろう。
「袋がビロンビロンに伸びてる。歩いてきたのか? パルで連絡してくれたら迎えに行ったのに」
ニケは袋いっぱいのジャンクフードを受け取りながら思案した。常温保存できる画期的な菓子なのでキッチンのラックにフックでぶら下げておいた。ホノカかリンが食べるだろう。
「あらあら、シィナちゃん、いらっしゃい」ノリコさんがシィナの両手を掴んで出迎えた。「来てくれて嬉しいわ。ゆっくりくつろいでね」
「私は、別に……そうニケが私を呼んだから来たの。感謝するならニケに言ってちょうだい」
暇なら来ないか、と言っただけなのだが。
「あら、そうね。ニケくんに感謝ね。“人徳に七人集まる”とはよく言ったものよ。シィナちゃんはどれにする?」
ノリコさんはお手玉のように花火を比べてみせた。
「うーん、願い事。願い? じゃあこの旅行運を──」
「あらあらダメよ。シィナちゃんはイケイケギャルなんだから」
「イケイケ?」
「そうよ。モデルさんみたいに背が高くて、お乳もたわわで。男をとっかえひっかえで遊ぶべきよ。シィナちゃんがそんな婆婆臭いの選んじゃ」庭で花火を準備していたネネがぴくりと反応した。「はいこれ、恋愛運。あ、願い事をマジックで書いてね。で、空に打ち上げたら叶うかもしれないわ」
にわかにシィナの鋭い視線を感じた。
ニケはじぃっとシィナに視線を合わせた。
「なんで俺を見るんだ?」
「ふん! 感謝しなさいよね」
シィナの、大太刀と同じ長大なツインテールがブンブンと揺れている。あの揺れ方は、怒っているときではなく照れ隠しの時だ。幼なじみだからこそわかる。
家の前にある狭い芝生の庭に全員が集まった。小隊で運用する軽迫撃砲よりも二周りも小さい筒が空に向かって置かれ、花火と打ち上げ用の黒色火薬を交互に詰めていく。一度に3発まで打てるらしい。野生司大尉が地面に這わせた点火用の配線を四つん這いになって確認している。さすが現場叩き上げだけある。地面を触り静電気を逃す所作を忘れずにそしてごく自然に作業に組み込んでいる。
リンはホノカとシィナと仲良くしている。ネネはノリコさんにやたら質問攻めに遭っていた。さすがのコミュニケーション能力だ。
「あたくしは、このひとときが何よりも楽しいのです」
ニケがバーベキュー用のベンチに腰掛けていたら、いつの間にかキエが隣に来た。
「あたくしは、臣民がどんな生活をしているのか遠くから眺めることしかできませんでした。こういった団欒を見ていると、皇の責務や文明継承の重圧から開放される気がします」
ニコリ、とキエが微笑んだ。
「いつも、キエは何を言っているのかさっぱりわからない。難しいことばかりだ」
「ふふ、ニケさんなら分かってもらえると思います」
「で、願い事は何にしたんだ?」
「秘密です。乙女の秘密はそう易々と打ち明けることはできないのですよ」
「そうか、すまない。知らなかった」
「あ、謝らないでください。でもいつか、この秘密を打ち明けられる時が来ると願っています」
まだ隠されている人類の秘密があるのか、それともまた近衛兵団に勧誘をするという意味なのか。
「さ、ニケさん、もっと近くで見ましょう。もうすぐ打ち上げですよ」
キエはニケの手をつかんでしとと体を寄せ庭の中ほどまでニケを引っ張っていった。
時計の針が動く。その瞬間に、市内のあちらこちらから天高く花火が打ち上がった。夜空に光の線を引きそしてきらめく光の花が咲いた。まさに願いの光が天高く打ち上がるこうけいだった。
野生司大尉が次の花火をセットし点火スイッチを押した。次の花火が赤や黄色や青色の光がほとばしり、夜空に残像を残して消えた。
火薬の燃えるすっぱい臭いや、閃光と爆音も戦場では嫌というほど味わった。しかしきらびやかな花火は、人々の願いが込められこれだけ多くの人々が暮らしているのだとまじまじと思い知った。
「打ち上げ祭の由来をごぞんじですか」
キエは花火を見上げながら小声で言った。
「願いをかなえるおまじない、だろ?」
「おおよそ、そのとおりです。1000年前、この惑星への入植がもしも成功したならに既存の知識や機材をロケットに乗せて宇宙へ破棄するという計画がありました。それがいつしか花火に変わり、そして願いを込めるようになったんです」
もしも、という言葉が重かった。キエやたぶん歴代の皇も成功したなんて思っていない。失敗をとりつくろい、それでも失敗し、その結果がテウヘルに人造の強化兵にブレーメンが入り交じる数百年にも及ぶ戦乱だった。
「きっとうまくいくさ。人類を導くんだろ」
コクリ、とキエがうなずいた。
「俺だって協力するさ。戦争を終わらせるために毎日訓練してるんだ。だからキエの願う世界を見せてくれ」
「はい。約束します。ですので、あたくしからも約束です。必ず無事で帰ってきてください。花火にはそう書きました」
「ああ、大丈夫さ。きっと大丈夫」
「武運長久を」
キエはぎゅっとニケの手を握り、声はやや涙ぐんでいた。この分だと降下作戦のことも知っているふうだった。なんとなく、皇が戦局に口出しをしているという噂は野生司大尉から聞いていたし、その鶴の一声があったからこそ空中降下先行偵察部隊の予算確保につながったらしい。
しおらしいキエをよそにリンはずっと空を見上げはしゃいでいた。
「すごい。ステキ素敵! ね、ホノカちゃん。いっしょに花火を打ち上げたら永遠の愛情で結ばれるんだよね。誰と結ばれたかったの?」
花火の爆音の中でもリンの声はよく通った。野生司夫妻はニコニコと聞き耳を立て、ホノカはびくりと飛び上がった。
「な、なんのことかなー」
「えー言ってたよね。好きな人と結ばれる。ううーんとなんだっけ“誘った時点でもう良い仲”だったかな」
すると隣りにいたシィナがぞんざいに鼻を鳴らした。
「はーん、ばかばかしい。愛とか恋とか、そんな貧弱なことを信じてるの」
「でもシィナちゃんはニケを守ってあげたいんでしょ。それは愛だよ。ってホノカちゃんが言ってた」
シィナはその長身を生かしてホノカを見下ろした。既視感──蛇に睨まれた野ウサギ。狩りをする時に見たことがある。その時父は蛇もうさぎも取って帰りその日の夕食になった。
蛇はかま首を傍観していたニケに向けた。
「愛なんて無いんだから! わ、私はただあんたに剣技で勝ちたいからであって、そう、好敵手なんだから。感謝しなさい」
「……なぜ感謝?」
「愛とか、あるわけないでしょ!」
「そりゃ、まあそうだろう。まだお互い17歳だし。でもお前が打ち上げたのは恋愛運の花火だったよな」
「くっぅ、見てたの?」
「見えたんだ。で、願いは?」
しかしシィナはぷいと頬を膨らまして、
「いい男を捕まえる」
「ああ、そうですか。その男がかわいそうだ」
「どういう意味よ!」
しかしニケは肩をすぼめただけだった。
「ニケさんはどんな願いを書いたんですか?」
がさつなシィナと打って変わって、キエは落ち着いた口調だった。
「願いは書かなかった」
「書かなかった? 願いは無いのですか」
「書いたさ。でもあれは願いじゃない、目標だ。『みんなの幸せ』俺にとってはそれだけだ少し欲張りだったか?」
キエは優しい目でゆっくりとうなずいてくれた。
物語tips:打ち上げ祭
その由来は図書館の一番古い本にも記されていない。主にオーランドなど連邦西部の風習。花火を一斉に打ち上げるお祭り。子どもたちの間ではその年 最初の花火を一緒に好きな人と打ち上げると結ばれるという噂がある。
本来は地球環境に適合した人類がもう星の外に出なくて良い、という意味を込め旧時代の知識や機材を載せたロケットを惑星外へ捨てる予定だったことに由来する。
しかし、実態は首都から離れたアレンブルグ地下やテウヘルの知識層などが旧人類の知識を秘密裏に継承している。肝心のロケットも王宮地下に秘匿されたまま1000年の間 自動機械が保守点検をしている。