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物語tips:ブレーメンの里の生物
この惑星の原生物が住んでいる。巨大昆蟲や熊<マモ>という巨大哺乳類など。ブレーメンと住み分けができているがときおり里山で遭遇する。ヒトからすると危険な存在だがブレーメンにとって見れば朝飯前な運動か子どもたちに肝を座らせるための修練程度。
「……熊が現れた。私はまだ子供だったけどは冷静かつ優秀な剣士だった。刀を抜きニケに言ってあげたの。『逃げなさい! ここは私が戦うから。あれは晩御飯のお肉よ』ってね」
かれこれ1時間、ずっとシィナが喋っていた。家の暗黙のルールで“仕事”の話はタブーであることは理解したらしい。そのせいかずっとブレーメンの里の出来事を話していた。野生司大尉もノリコさんも調子を合わせておだてるせいでシィナも話に熱が入る。
「私の晴式剣術は間合いを読み。遠間からの一太刀で切り伏せる崇高な剣術。愚かにも熊はこの最強の美少女剣士に勝負を挑んでしまったの」
ニケは言葉の選びに違和感を覚えつつも、最強という部分はまあまあ納得していた。半年前の居住塔の戦いでブレーメンの凶戦士相手に勝ってみせた。あのときのシィナは掛け値なしに強かった。
「相手は獣。それでもじっと目が合い、お互いに攻めの機会を狙ってた。そして両者の間に木の葉が一枚、舞い落ちたの!」
ブレーメンの語り口は、客観性よりも主観性が好まれた。だから誇張も嘘もなんでもごちゃまぜで正確性に欠いていた。あの事件の頃は新緑の季節で落ち葉なんてあるはず無いのに。
「そして私の抜刀術が光ったの。一閃! 勝負は一瞬でついたわ。勝利は──」
「俺のおかげで勝ったんだよな」シィナがぎくりとした表情を浮かべた。食卓に座る全員の視線が集まった。「ブレーメンの剣は何でも斬れる。鉄だろうと岩だろうと。だが子どもに与えられていたのはただの鉄剣……つまり何でもは切れないんだ。シィナの長すぎる刀は木の幹にひっかかって動けなくなったから俺が助け舟を出した」
「むむぅっ! 余計なこと言わなくていいから!」
「それに冬眠明けの熊は気性が荒い割にはそう動けないし肉だって美味くない。喧嘩は売るなって大人たちに叱られただろう」
連座で、責任を取らされて厳しい両親に殴られた、という話の結末は伏せておいた。
話の腰を折られてしゅんと縮こまったシィナだったが、ノリコさんはニコニコで煮込んだ肉の塊をシィナの皿に分けた。肉より骨のほう多い背骨の肉だった。
「あらあらあら、おもしろかったわよ。ニケくんとシィナちゃんがとっても仲良しだってわかって、おばさん嬉しかったわ。あら、ホノカちゃん、2人が仲がいいと不満?」
「別に」
両親の特徴をバランスよく受け継いだ見た目の一人娘がそっぽを向いた。髪質は母親譲りで顔は父親譲り、しかし性格はどちらにも似ていない内弁慶。初めてシィナに会ったせいでいつになく口数が少なかった。
「ブレーメンの料理なんだけど、どうかしら? 豪快なお肉の料理なのね。脂も少ないからうちの亭主にぴったりなの──あらあなた、もうビール2本飲んだの? 今日はそれくらいにしといたら?」
野生司大尉はおずおずと空いた缶ビールを台所へ洗いに行った。
「味は、まあまあね。ヒトにしてはよくできたんじゃない」
シィナは相変わらず偉そうな態度を取っていた。
「俺が作ったんだ」
「えっ、うそ。さっき一緒に帰ってきたじゃない。煮込み肉なんて半日もかかるのに」
「そりゃ山の上のブレーメンの里だからだ。圧力鍋を使って30分で作った。精肉店で骨付き肉は買えるしハーブも手に入らなくはない。ただオーランドは岩塩じゃなく海塩を使うし、獣の血合いや血はヒトは食べない。だから少し味が違うんだ」
「言われなくたってわかってるわよ! 今おいしい、って言おうとしたところなんだから。感謝しなさいよね」
あいかわらずシィナはめんどうくさい性格だった。その上恩義を押し売りする。
ヒトの社会ではシィナは変人の枠に片足を突っ込んでいるが、野生司一家はブレーメンだからと異を呈さなかった。
「ところで、来週もオーランドにいられるのかしら?」
ノリコは自分の夫に尋ねた。
「“仕事”は急に入ってくるかもしれないが、今のところは特に用事がない。何かあったか?」
「何かって、しっかりしてよ。今年のお願いを早く決めてください。花火を買いに行けないでしょう」
野生司大尉は壁にかかったファンシーなカレンダーを見た。北部沿岸の砂州の写真だった。タムソムとかいう、辺鄙な街だが夏の観光シーズンに人気の街だ。
「ああ、もう打ち上げ祭りの時期か。ワシのは適当に選んでくれないか」
「適当はだめです! 大切な家族の行事なんですよ」
「じゃあ、小遣いアップを願って金運を……」
「健康運ですね。わかりました。ホノカちゃんは勉強運ね」
ノリコさんは家庭で有無を言わせぬ権力者だった。
「打ち上げ祭り、ですか。初耳です」
「そうね。ニケくんがうちに来たのは去年の打ち上げ祭りの後だったものね。打ち上げ祭りはオーランドの風習で、いろいろな願い事に沿った色の花火を打ち上げるの。花火の巻紙に願い事をマジックで書いてね」
打ち上げ花火、と聞いてまず連想したのは歩兵小隊ごとに運用している軽迫撃砲だった。その不安そうな顔を野生司大尉に読み取られたようだった。
「心配しなくて良い。色付き黒色火薬さ。見栄を張って大量に火薬を詰めてけが人が出るのは毎年のことだが、たいていは楽しいお祭だよ」
「たいていは、ですか」
「これはヒトの行事だ。もし嫌と言うなら無理に参加しろとも言えないが」
「いえ、そんな事はありません。ぜひ参加します」
「では願い事を決めないと」
願い、と言われても急には出てこなかった。しいて言えば、リンやシィナ、部下の兵士たちが五体満足で帰還できること。だとすれば「健康運」になるのだろうか。「武運」とか「総合的な諸々の運」という花火の色があったらぜひ選びたい。
「わたしさ、この前3年生になったじゃない?」ホノカがタイミングを見計らって口を開いた。「でさ、新しい友達も何人かできて。今年の打ち上げ祭りはみんなでモールに遊びに行きたいな、なんて思ってるんだけど」
「ダメに決まっているでしょう。危ないわ」
ノリコさんは一切聞く耳を持たなかった。
ニケは危険、という言葉に反応して野生司大尉を見た。しかしノリコさんに配慮して小さく首を振るだけだった。
「いいじゃないか、祭りくらい。危険と言ったってせいぜい日付がかわる20時ごろに騒いでいる酔っ払い共だろう。遅い時間より前に帰ってくれば良い。今年は18歳なんだから」
「だって、あなた。心配でしょう。ニケくんといっしょならまだ安心できますけど……あらホノカちゃん、そんなにニヤついちゃって。ニケくんといっしょのほうが?」
「いいわけないでしょ、もう!」
なるほど。理解──これがヒトの思春期の反抗期、というものなのか。
1週間の訓練からの帰宅、とあって食卓の上は料理が山盛りだった。野生司大尉とリンがたくさん食べ、ニケとシィナは頑張って食べたがブレーメンの胃袋には料理が多すぎた。
後片付けはニケが買って出た。余った分はラップを掛けて皿や鍋を洗う。以前までは日常の作業だったが、野生司大尉が新部隊を結成してからというもの家にあまり帰れず家事もほとんどしてこなかった。
一通りの洗い物が終わった。ノリコさんはリビングのテーブルに印刷した資料を広げ副業の執筆作業をしていた。その後ろのソファではシィナが豪快に寝ていた。降下訓練をした上に慣れないヒトの家に呼ばれて気を張りっぱなしだったせいで疲れたらしい。
ニケは、やれやれと頭を降ると翻りそうになっていたスカートのシワを伸ばした。なぜかシィナはサイズの合わない学校の制服を着て、ブレーメン伝統の外套を着ている。初めて着た洋服というだけあって思い入れがあるのだろうか。
「あらあらあら、お乳がこぼれそう」
「あの、ノリコさん。あまり触るものじゃ」
「あらあら、めったに触れるものじゃないでしょう。……あらあら柔らかい。ブラを付けていないわ!」
「支給品の下着のサイズが合わないらしく。買いに行くよう言っても聞かなくて。まあ、ブレーメンの習慣にないせいだからかと」
「揺れて痛くないのかしら」
「さぁ、どうでしょう」
さらしを巻いて剣舞を披露する女性の剣士は見たことがあるが、堅いブラジャーだと動きにくいのだろうか。シィナに5年ぶりに会ったが、あまり踏み込んだ話はしていない。話せば何かと勝負や剣技などの話になってしまう。
ノリコさんがシィナの乳をソファの中に押し戻し、ニケは上から毛布をかけてやった。
「あらあら、なんだかんだいっていいお友達なのね。幼なじみ?」
「ええ。腐れ縁です。オーランドで再会したときは驚きましたけど、でも嬉しかった」
「うふふ、恋心かしら」
「さあ。俺もシィナもまだそういう歳じゃありませんし。恋をするのは20歳からだから」
「でも女の子は成長が早いものよ。男の子は気づいてあげなきゃ、ね?」
ニケは生返事をしてその場を離れた。
変わらなければならない。いろいろだ。シィナは5年前に別れた時からずいぶんと成長した。長大な大太刀を携え、大人らしく入れ墨も全身にある。リンも自我のある1人の兵士として成長した。ホノカと仲良くなって、基地の中でもパルで時々連絡を取っている。
自分は変われるのだろうか、とガラス窓に映る目付きの悪い自分に向かって問いかけてみた。ガラス窓の向こう側で、よく手入れされた芝に野生司大尉が立って夜空を見ていた。
「風邪、ひきますよ」
「はは、ワシの体はそうヤワじゃないよ」
知っている。野生司大尉は部隊結成以来、新兵のような体力錬成を時間を作って取り組んでいた。腕立て伏せの回数は新兵より断然多くこなせる。着痩せしているが若手の兵士に劣らない体力と射撃術を備えている。
オーランドの夜空は、街の灯りのせいで星が少なかった。それでも1つひとつを数えていたら朝までかかってしまう。
「君と、君と仲がいいリン君やシィナ君を見ていていろいろと思い出すものがあってね。その整理さ。星を眺めていると心が落ち着くんだ」
「思い出す、というと」
「後悔さ。46年生きてきて後悔ばかりさ。それでもワシは前へ進まなくてはならない」
どんな後悔か、なんて聞けるはずもない。そこは野生司大尉のプライベートな領域だ。
「大尉、自分は部隊を率いて戦えるでしょうか」
「はて、おかしな質問だ。君の小隊はうまくやっていっていると思うが」
「言葉にしにくいのですが、隊員は跳ねっ返りが多いというか。彼らは指示は聞きますし従ってもくれますが。それが指揮官としてまっとうなのかどうか」
「上に立つと言う経験のないブレーメンらしい言葉だ。だがそれ以前に君自身の優しさが、その不安感になっていると思うね、ワシは。たとえば部下2人のうち1人を犠牲にしたら作戦が成功する場合、指揮官は自ずとどちらかひとりを選び犠牲を払う。小隊指揮の基本だね。しかし君は違う。2人ともを助け作戦を成功させてしまう。君は強く優秀な戦士だからだ。だがもし敵が君より強く優秀だ、と想定したら確実な方法をとらねばならない。わかるね?」
ニケは黙って頷いた。小隊同士の実践訓練の際、その判断に迷ったせいでリンの狙撃を顔に受けペイントボールでオレンジ色に染まった。
「あれは痛かった」
「はは。ヒトなら骨折してたよ。まあ兵士もいろいろな性格があっていいと思うし、任務が達成できるならワシはそれでいいと思っている」
ニケは小隊のメンバーを順々に思い出してみた。全員が強化兵で無個性の集まりだが唯二 青1と青2は扱いがわからない。それどころか妙な賭けまで始めた。
「優しさと言えば思い出したのだが」野生司大尉は上段めかして言った。「強化兵への思いやりのせいで3ヶ月の減俸処分だったそうだね」
「あれは。経歴というものにはあまりこだわりませんが、恥ずかしいことをしたな、と」
「まさか。そんなことはない。その強さと思いやりは部下からの信頼につながることもある。君に従って戦えば生きて帰れる、とね。士気が下がることはない。これは君の長所でもあるんだ。少しは自信が持てたかね?」
「ええ、次の訓練もうまくできそうです」
「“おりこうさん部隊”は作戦の要だ。しっかり頼むよ。ははっ、聡明なブレーメンに説教垂れるとはワシも歳を取ったものだ」
「それは買いかぶり過ぎです。多少、強いだけですから」
「多少、ねぇ。ラルゴ君とトレーニング室にいるところを見たよ。片手で懸垂を、しかもリン君を背中にぶら下げたまま30分も懸垂していた」
「それで誇れるとは思いません。ヒトとは生物学的に違う生き物ですから」
普段意識することはない。皆仲間だ。それでもヒトとブレーメンの違いを意識するたびに皇=キエの言葉が蘇ってくる。ブレーメンがこの惑星の住人でヒトは外からやってきた侵略者で罪深い種族なのだと。
しかし──ばかばかしい。今を生きるヒトにその責任はない。
「最初の出撃予定がアレンブルグ、とのことですが。奪還作戦でしょうか」
「さて。第1師団は言明を避けているが、アレンブルグは放棄が確定だろう。東の都と謳われた連邦第2の都市もいまや廃墟だ。だれも未練がないだろう」
その情況でもアレンブルグで作戦を実行するのか。ということは戦術的より戦略的な目標がある、ということになる。
「そう緊張しなくていい」野生司大尉はにこやかな父親の“顔”だった。「明日明後日に出撃というわけじゃない。降下作戦は天候も大切だし情報部や兵站部との連絡会議も山ほど残っている。そういう面倒ごとはワシにまかせて、君はしばし平穏な日常を楽しんでくれたまえ」