エピローグ
「見つけたよ、ニケ。あそこあそこ。数4。お食事中」
「さっさと冥土送りにしてしまおう」
ニケとリンはそれぞれのライフルを構え、腰を落として路地を進む。石畳の路地で車は入ることができない。1桁区の住宅地によくある石積みの4階建ての邸宅が隙間なく並んでいる。しかしその家々に家主はおらず、出入り口が金属金具で固定された上で赤いスプレーで○=クリアリング済みのサインが書かれている。
パンパンッ
薄暗い路地が発砲炎で僅かな時間照らされる。腐敗臭が漂う1桁区の空気に真新しい硝煙のニオイが混ざる。
テウヘルに異形化した市民が新たに斃れた。身元を示すような所持品は無し。もっとも変異する際に体型も大きくなるので持ち物が残っている例は殆どない。
「この喰われていたヒトの死骸、死後数時間といったところだ。どのみち火事場泥棒で忍び込んで喰われたんだろう。だから立入禁止だと言ったのに」
内臓がほとんど食い散らかされた泥棒は、所持品があった。居住許可証は3桁区。19歳男性。あとで保健所に報告しておかなくては。
「ね、冥土ってなに?」
「死んだら行くところだ」
ニケはリンの方を振り返らず答えた。
「んー遺体安置所?」
「違う違う。いや、肉体はたしかにそうだけど、魂の行き着く先だ。ま、ブレーメンの古い信仰だから知らなくても無理はない」
「じゃあ、こいつらも冥土送りにしてやろ!」
再びリンの持つ八五式ライフルの発砲音。口径が大きく銃身も長いせいで独特な音が聞こえる。リンは下水管から登ろうとしていたテウヘルの側頭部を吹き飛ばすと、穴の下へ手榴弾を投げ込んだ。
「待て待て待て!」
ニケはブレーメンらしい反射神経でリンの腕を引っ張った。その2秒後に手榴弾が炸裂し周囲のマンホールをすべて吹き飛ばした。
「メタンガスが溜まっているから投げ込むんじゃない」
「え、そうなの?」
にわかに四方八方のマンホールから腐った木のうろの蟲のように、テウヘルが湧き出してくる。
「あちゃ、囲まれた」
「少し面倒になりそうだ」
「1発で3つずつ倒したら、えっと、60はイケる」
「もう弾がないのか?」
野獣の群れだった。ぐるりと円を描くように尖った犬の顔が見下ろしてくる。1発でも発砲すれば音を合図に一斉に襲いかかってきそうだった。
そのとき、空中に青い光が斜めに走った。1つの群れがまとめて上半身と下半身に別れてズルリと落ちる。その鋭利な断面故に、地面に倒れてからしばらくして一気に緑の血が溢れ出た。
「ったく、何イチャコラしてんのよ、あんたたち」
アパートの屋上から飛び降りてきたシィナが口を尖らせる。その瞳は黄色に輝いていた。
「あはっ、シィナちゃんだ。助けに来てくれてありがとう」
「って、あんた、前見なさいよ、前!」
パァン──発砲。
貫通弾が3,4体のテウヘルの胸をまとめて吹き飛ばす。
「あたしだって、強いんだから。ね、見た、ニケ?」
はいはい、とニケは適当な返事をして射程に入ったテウヘルのバイタルゾーンへ射撃を食らわせる。標的射撃みたいなものだった。弾を避けもせず隠れもせずまっすぐ襲いかかってくる。まるでSF小説に登場するゾンビだった。
弾切れ。弾倉1つ分を撃ち尽くした。なおも襲いかかるテウヘルは主刀を引き抜いて斬り結ぶ。一方のシィナはつまらなさそうに長大な大太刀をまっすぐ構え襲来するテウヘルを串刺しにする。
「ねぇ、これすっごいつまらないんだけど。1週間もこんなことしてる」
「まあ、そんな事言うな。地道に片付けるしか無いんだ。それが兵士の仕事」
「私、兵士じゃなくて剣士なんですけど」
「もう十分に優秀な兵士だよ」
シィナの反応がない。怒ったか?
「シィナちゃんってニケになだめられると大人しくなるよね。もしかして──」
「うっっさいわね。黙ってなさい! さもないとそのアホ毛を引き抜くよ」
にわかにシィナはやる気を見せ、長大な大太刀を一振りしてテウヘルの群れを一掃した。
3人の手にかかれば小隊規模で対応するようなテウヘルの群れもものの数分で地に倒れた。銃弾であれば死体の形は保たれるのだが、
「こうもばらばらだと数えにくい」
「私は私なりに頑張ったの。褒めてよね」
シィナは周囲の目も気にせずにハーブの詰まった嗅ぎ薬をずずずぅと吸い込む。そしてすたすたと小隊の待機所へ戻っていった。
「で、数は?」
「100、くらいか。たぶん」
元・市民ではあったが異形化してしまっているせいで敬意も何もなく、ブーツで死体を蹴り、数を確認する。
「あたしたちも戻ろ。弾も無いし」
リンは手が寂しいといわんばかりにサイドアームの拳銃を構える。
小隊は6区の運河沿いの道路で待機していた。歩行では広すぎる上に弾薬や食料、医薬品、負傷した市民の搬送などに対応するため歩兵戦闘車両も同行した。
従来型の軽戦車を空輸できるよう軽量化し市街地で手に入りやすい軽油に対応したエンジンに換装している。アルミニウム装甲を補うために表面はウェハース装甲で覆われ、内部を流れるダイラタンシー流体が直角の直撃以外の攻撃を防いでくれる。そして多脚戦車のライフル弾を防ぐために試作型の反応回転装甲までついている。砲撃を感知すると装甲板が射線上へくるりと回転し直撃を防ぐというもの。もっとも歩兵からすればその爆発の巻き添えで10人は死傷するので便利な道具とも思えない。
「青1、状況は?」
青1は戦闘車両の横でカリカリと書類を書き連ねていた。
「負傷者はなし。弾薬は、想定より消費量が多いですね。排除した数は、今のところ216。隊長たちは?」
「100ぐらいだ。こう、死体の体積的に」
ニケは手で荷物を持ち上げるような仕草をした。
「あそこの路地、ブルドーザーが入れないから手作業っすよ」
「俺がやったんじゃない」
ニケはポケットから嗅ぎ薬を取り出すとハーブの香りを吸い込んだ。これで不快な死臭をしばらく紛らわすことができる。
「俺たちはだいぶ鼻が慣れたっすけど、隊長はまだ?」
「ブレーメンは嗅覚が鋭いんだ。こうも酷いと」
ニケが見る先──王宮とその周囲の水堀だった。今は水が抜かれ、1桁区で回収した死体を投げ込み燃料を掛けて燃やしている。その黒煙がまっすぐ空へ伸び、風が吹かないせいで市街地まで流れ込みとどまっている。燃やした遺骸はコンクリートを流し埋めてしまう。疫病の発生を防ぐための急な措置だった。
犠牲者数50万人。たぶんそのくらい。1桁区は真面目な戸籍管理をしていたお陰で犠牲者の数が把握しやすかったらしい。数少ない生存者を戸籍名簿から引けば、残りがすべて行方不明扱いの死者だった。
王宮こそ無事だったものの軍務省のトップをはじめ、官僚の多くが行方不明になり、宰相デラク・オハンも行方不明という噂だった。彼らの損失を補うためキエは頑張っているのだろうか。ネネは支えられているのだろうか、と不安になる。
「あーそれと隊長。盗人5人を捕獲したんですけどどうします? 開放しますか?」
戦闘車両の反対側を見ると、後ろ手を結束バンドで縛られた男たちがいた。貧しい服装から3桁区の住人だとすぐにわかる。
「分離主義者なら軍警察に引き渡すが」
しかし男たちはぶんぶんと頭を横に振った。
「所轄もだいぶ手一杯みたいで。通りすがりのパトカー全部に断られましたよ。ていうか隊長。この書類仕事は隊長のでしょう。自分の仕事は銃を撃つほうです」
「気分転換だ」
ニケは青1に三三式ライフルを返してやった。ニケ自身のライフルはあの日 野生司少佐に貸してから行方不明になってしまった。駐屯地に戻って備品課にまた長ったらしい書類を作らなくてはならない。
青1は訓練で叩き込まれた所作に従ってライフルの薬室を確認し、パチンとスライドを戻した。
戦闘車両の上部装甲にシィナが座っていた。スカートが翻ることも気にせずトウィンキーをもさもさと食べている。軍支給品なのでパッケージが無地の銀色をしている。リンは戦闘車両の中で楽しそうに空になった弾倉に弾丸を詰めている。こちらはまだまだ仕事を楽しんでいた。
市内の各所でまだ銃声が轟いている。1週間が経ち駆除の数もだいぶ減ってきた。つかの間の休息と平穏。まだ民間人の立ち入りは禁止で道行く車両も、軍用や軍に徴発されたトラックばかりだった。荷台には市内で回収された死体が山と積まれ、緑色の鮮血を道路に落としながら王宮の外堀の埋葬地へ向かっていた。
その車列の中の軍用バイクが、戦闘車両の後ろで止まった。
「司令部より伝令です。楔部隊の皆さんですか」
「ああ。俺が中隊長だ。“仮”だけれど」
「よかった。やっと見つけた」
若い伝令の兵士は初々しい敬礼をして命令書を開いた。
「明日一六〇〇。第17駐屯地より装備を整えて出撃」
伝令は喜々として、頬を紅潮させて任務を全うした。しかしきょとんとしているニケをはじめ、兵士たちを前にどこか居心地が悪そうだった。
「ちゃんと、伝えましたよね。あれ、なにか所作を間違えてました?」
パタン、と伝令書を閉じるとそれをニケに渡した。本来なら指揮官のニケが復唱しなければならない。
「明日って、部隊員に連絡して移動して、装備を補充して……ぎりぎりだな。どうしてまた急に」
つい愚痴をこぼしてしまった。伝令兵に言ってもしょうがないのに。しかし若い兵士はもぞもぞと居心地が悪そうにした。
「何か、知っているのか?」
「いや、えっとその。自分は軍務省でちらっと聞いただけなのですが」
若い──といっても年齢はニケより上だったが、口が上手く回っていない。
「噂でもいい。噂は噂と思って聞くから」
「3日前に南部の戦線がテウヘルに突破された、と。遅滞戦闘に努めていますが大量の難民の処理もあって命令系統がうまく機能していないらしく」
噂の割にはかなり具体的だった。
怒りのうねりは止まらない。ガンマの最期の言葉が蘇ってきた。なんとか封じ込めることができた分離主義者はまだ序章にすぎない。人類の犯した罪とテウヘルの怒り。
ブレーメンとしてキエに協力すると断言した。断言したが、数千万の怒れる獣人をどうなだめるのか、全く見当もつかない。そしてまた巨大な戦火に飛び込まなくてはならない。兵士として。それが仕事であり生きている目的だ。




