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ブレーメンの聖剣 第1章胎動<中>  作者: マグネシウム・リン
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物語tips:テリチウム合金

 超超硬質鋼。非常に高い融点(ただし熱は通す)と高靱性のため、かつての人類文明で恒星間航行船の外殻に使われたとされるロストテクノロジー。ブレーメンの剣でも切り裂くことができない。すでに破棄された知識で、現存するテリチウム合金は、首都オーランドの旧居住棟の骨組みだけ。

 丈夫であるが比重が重いため、あまり多用されなかったらしい。年老いて割れた惑星のマントルから採取するため、惑星上での製造は不可能。

「よし、ニケ君、リン君、誰も来ないようよく見張っておいてくれ」

 野生司少佐は大学の駐車場に放置されていたSUV(郊外型四輪駆動車)の運転席へ潜り込んだ。

「警察なんて来やしませんよ」

 来るもの──テウヘルと化した1桁区の高級市民たち。ときおり、パァーンとリンのライフルから弾丸が放たれ、近づこうとするテウヘルの胸が弾け飛ぶ。

 野生司少佐は慣れた手付きでナイフを操り、キーシリンダーの配線を露出させた。そして被膜を破り配線同士を直結させる。

 何度か火花が飛び、エンジンが始動した。すでに周囲は夕暮れで、明るいヘッドライトがふらふらとした足取りのテウヘルを照らし出した。

「あとはここを……」

 野生司少佐はハンドルの隙間にナイフを挿し込んで前後へ何度か揺らした。バキッという金属音でハンドルのロックが壊れた。

 扉の鍵はニケの刀で切り裂いたものの、エンジンの始動まで数分とかからなかった。運転席に少佐が、助手席にはニケが乗り、後席はリンとフランだった。

「うまいものですね。しかも慣れている」

「子供の時に学んだことはなかなか忘れないものだよ。君も、そういうのは無いかね」

「カエルのさばき方、とかでしょうか」

「おもしろい。さすがブレーメンだ。今度のサバイバル訓練の計画書づくりは君にまかせよう」

 野生司少佐がニヤリと笑う。あの野心に満ちた右頬だけの笑いではない。本気で楽しんでいるようだった。

「ワシの故郷はそう豊かなところではなかった」4人が乗ったSUVが大学の敷地から出て環状線に出た。「子どもたちは先輩からいろいろ教わる。盗み方、盗品の買い取り場所、酒や煙草を裏で流している店、マフィアになる方法とか。ただワシは、君と同じさ。両親の離婚と病死のせいで1人で食っていかなきゃならなかった。だから軍に入った」

「だから俺を?」

「いろいろ思うことはあった、ということだ」

 ディーゼルエンジンが唸り、SUVの巨大な車体がぐんぐんと前へ出る。ふらふらと道を歩いていたテウヘルを跳ね飛ばした。車体は前後に揺れ、ボンネットからフロントガラスに至るまで緑色の鮮血がべっどりと着いた。ワイパーが左右に動いてウォーシャー液で緑の血糊を洗い流した。

「お見事な運転で」

「168検問ゲートにいる分隊に合流しよう。まるでホラー映画のようだ」

「弾が足りるでしょうか」

「そうだな。訓練項目に銃剣格闘も追加しておこう」

 なおも鷹揚な野生司少佐の言葉は本気かどうかわからなかった。

 検問所は左右2車線ずつあり、そこを塞ぐようにして民間のトラックが横付けされていた。荷台の上では伏射の姿勢で兵士たちが照準器を覗き込んでいる。ゲートの下では兵士たちが立膝で射撃をしている。中には斧を振りテウヘルと戦う兵士もいた。

「状況は?」

 野生司少佐がSUVを降りて強化兵の小隊長に声をかけた。

「今のところ防衛線を維持できています。敵、といっても覇気のないテウヘル“もどき”ですから。しかし、弾薬が足りるかどうか。憲兵隊に補給を要請したのですがここまで回ってきていません」

「わかった。もしものときに備えて弾薬は節約するように。テウヘルを2桁区へ侵入させなければそれで良い」

「わかりました。銃剣(バヨネット)を装備させておきます」

「ああ。殺さずとも手足の関節を狙えば無力化できる」

 その時、道の反対側のブティックの屋根で影が動き、野生司少佐の横にスタッとシィナが着地した。

「連れてきてやったわよ。民間人15人、多少怪我してるけど問題ないから」

 ブティックの角で兵士が周囲を確認して行列を先導した。恐怖に怯え血の滲んだシャツを着ている民間人で子どもも1人いた。

「よくやった、シィナ君。だが、その、やはり戦闘時はズボンのほうが良いのではないかね?」

「私は強い。強いから何を着ても良いはずでしょ。ちがう?」

 シィナの眼光は鋭かった。野生司少佐も周りにいた強化兵もはぐらかして笑っている──あの短いスカートで空を飛べば中身が丸見えなのだが、ニケも黙っていた。パンツはヒトの文化なのでそれ自体を見られることには抵抗がないのは理解できた。

「ニケ君、まだ戦えるかね?」

「はい、少佐」

「シィナ君、リン君といっしょに中和剤散布施設へ向かってくれ。きっと奴はあそこに現れる」

「もし当てが外れたら? ガンマの狙いがそこではなく2桁区や軍の施設だったら」

 あるいは、野生司少佐とフランがいた研究所とやらも標的になりうる。

「忘れてもらっては困る。ワシらも兵士だ。まとまれば君より強い」

 周りの強化兵たちもげらげらと笑い力強くうなずいた。

「わかりました。命令を遂行します」

 ニケはSUVの助手席にシィナを押し込んで自身は運転席に乗り込んだ。運転する視界にシィナの長大な大太刀の柄があってじゃまだった。

「ちょ、どこ行くのよ?」

「ガンマを倒しに行く」

 シィナはいらいらとしていたが、その表情が猟犬のように鋭く変わった。

「そう。それならいい。斬っていいのよね」

「ああ。3度目のリベンジマッチだ」

 2度目についてシィナに根堀り葉掘り聞かれた。ホノカが分離主義者に誘拐されたことはすでに伝えてあったが、そこにガンマがいたことは伏せていたからだった。リンが代わりに事の仔細を説明したが、内容にやや誇張があった。

「つまり、その変身クソ野郎がいちばんの悪者、ってことでいいのよね」

 ニケはちらり、とシィナを見て視線を前方に戻した後で短く肯定した。

 だれが悪役か、なんてわからない。ガンマは悪者(ヴィラン)と自己紹介をしていたが、もし自分がガンマの立場だったら違う行動が取れただろうか。実験の後で彼の自我は彼から逸脱したかもしれない。連邦(コモンウェルス)を憎む気持ちもわかる。

「あたしもさ、あいつを許せない」 リンはSUVの後席で、ライフルの銃口を窓の外へ向けていた。「強化兵が、戦争が嫌で逃げ出したのはわかるの。気持ちはわかる。でもガンマはそんな子たちをまた兵士に作り変えたの。許せない。ヒトもガンマも結局あたしたちを使い捨てにできる駒だと思ってる」

 リンの口調はかなり強かった。シィナでさえ目を丸くしてる。

「いい度胸ね、ちんちくりんの。勝負よ。どちらが奴を先に倒すか」

「乗った! じゃ、勝った方がニケをもらえるってことで」

「望むところ──ってどういう意味?」

 このふたりも仲が良くなったな、とニケはハンドルを握りながら顔をほころばせた。

 SUVは大型動物の衝突に備えたバンパーが備え付けられていた。そのおかげでテウヘルを跳ね飛ばしてぐんぐんと前へ進むことができた。道路脇にはテウヘルやそれに襲われた市民の死体が折り重なり、火災があちこちで起きていた。生存者は他の部隊が回収したらしく、生きている姿は見えなかった。

「ここで降りよう」

 ニケは高級マンション街の駐車場にSUVを隠すようにして停めた。道の反対側はキエやネネのいる王宮だった。まっ平らなオーランドにあってここだけが高い丘だった。そしてその地下には人類の旧文明の遺産が眠っている。

 王宮を囲むように針のように細い尖塔が立っていた。

「あれが中和剤散布施設だ。中央管理センターで中和剤が混合、圧縮されてそれぞれの散布塔へ送られてから放出される。中央管理センターは、あそこだ。リン、敵が見えるか」

「うーん、この暗さじゃよくわからない。懐中電灯みたいなのがちらちら見えているけど」

 リンがライフルを下ろした。

「ふん、そんなんだからヒトはダメなのよ」

「シィナ、俺達だってこの距離じゃ見えないだろう」ニケはシィナに釘を差した。「周囲を警戒しながら進む。姿勢を低く、装備は最小限でいい」

 かつては整然さと清潔さを誇っていた環状1号線、王宮の外周は折り重なった死体と捨てられた高級車の行列が続いていた。その陰に隠れるように3人は進んだ。

 中央管理センターは地上には背の低い建物だけがあった。地下に埋没する形で3つのタンクが見える。太いパイプが施設の左右から生え、道路に沿って緩い弧を描いて散布塔に続いている。

 見えた──敵だ。暗がりにタバコの火の光が浮かんでいる。ブレーメンの嗅覚でそのニコチンの臭いまでわかった。

 静かに始末するか、遠くから撃つか──いま銃声は避けたい。リンはサイレンサーを装備していなかった。

 ハンドサイン。シィナと共にニケは前進、リンは警戒待機をさせる。

 さらに敵が見えた。手に旧式の軍用自動小銃を持っているが服装はバラバラのギャングたちだった。施設の入口で近寄ってくるテウヘルを撃ったり談笑したりしている。警戒心が全くない。交渉して無力化しようにもこちらの銃は2丁だけ。降伏するような連中に見えない。

 走った。主刀を抜きながら3歩で接近。青く輝く刀が暗闇の中を走った。瞬時に1人目の首が飛び、隠し刀を抜いて左横のギャングの胸に一突き。その断面の鋭さゆえに、斃れた後で傷口から血が吹き出した。

 ニケの登場に驚愕するギャングたちが銃を構えた──上半身が宙に舞う。シィナの長大な大太刀の一振りで、テウヘルで的当てをしていたギャングたちが倒れる。

 新手──さらに2名。しかし1人目が施設から出てきた瞬間に胸の上側が弾け飛んで斃れた。くぐもった発砲音──リンは道に落ちていたペットボトルを銃口に付けていた。

「待て、待て待て! 降参だ!」

 ギャングの若い男は跪き銃を放ると両手を上げた。構わず振り上げられたシィナの大太刀をニケは制した。

 ニケは右手に主刀を、左手で骨董品の大口径拳銃を構えた。

「お、お、俺たちは金で雇われただけだ。何も知らねぇ! ホントだ」

 カチリ、と撃鉄を上げる。

「ホントだって! いけすかない優男と無口で不気味な強化兵連中だ。前金で10万ももらったらあんたたちだって協力するだろう」

「その優男はどこに行った?」

「知らねぇ。俺たちは入り口を守るように言われたんだ」

 ギャングの若い男はじっとりと脂汗をかき、瞳孔も開いたままだった。どうやら本当のことらしい。

「わかった。行っていいぞ」

 ニケは銃口を横に降って促した。へなへなと腰が抜けたままの男はふらつく足取りでさろうとしたが、ニケが呼び止めた。

「銃を持っていけ。地下鉄からなら軍の封鎖線を通らずに2桁区へ行ける。運が良ければ、だが」

 ギャングの若い男は恐る恐る銃を受け取ると、振り返らず一心不乱に走り去った。

「ニケ、優しいっ」「甘すぎ。敵は斬る。それだけ」

 小さい&大きい相棒が同時に言った。

「殺しは嫌いだ。それはいつも変わらない」

 ニケは拳銃を正面に構えて管理センターに入った。トラックの並ぶガレージで、フォークリフト、劇物指定のタンク車、消防ポンプ車などが並んでいる。ギャングたちが遊んでいたカードや酒も床に散乱していた。

「シィナ、この先は刀だけはダメだぞ」

「えーなんでよ」

「壁や梁の向こう側は機械だらけだ。斬って壊すな」

「そ。じゃあ刺せばいいのね」

 身長よりも長大な大太刀をどう抜刀するつもりなのか。物理的に不可能に思えたがシィナのやりたいままに任せた。

 コンクリートの壁に沿って螺旋(らせん)状に鉄の階段が地下へ伸びている。ニケは軍用ブーツで音をなるべく立てないよう、静かに素早く駆け下りた。四方に伸びる通路はせまく、配線や何かのパイプの配管が壁に沿ってあった。施設内は非常灯だけが点いていて、ぼんやりとした明るさしかない。通気ダクトのファンの音が聞こえるだけだった。

「待て」

 小声&ハンドサインで後続の2人に伝えた。ニケがゆっくりとかがんだ先に細いピアノ線があり、その先に対人地雷があった。扁平な長方形で、小さな脚で立っている。中には無数のベアリングと高性能爆薬が詰まっている軍事規格の兵器だった。

「ここで当たりみたいだな」

 信管につながるピンをしっかりと抑え、ピアノ線を切断した。

「で、どっちに進む? すごく広いみたい」

 リンは膝立ちで照準器を覗いた。まだ敵の姿は見えないらしい。その後ろではシィナが大太刀を抜きたくてわきわき(・・・・)していた。

「混合器、ポンプ、変電室。どれだ」

 慣れない言葉が事務的なフォントの印字でパイプは配線に記されている。一方でガンマたちも痕跡を残していないせいで正しい方向を選ぶことができない。とりあえず──ニケは主刀を伸ばして頭上の監視カメラを壊そうとした。

『……もしもし、アロー?』

 壁のインターコムからだった。通話中の緑のランプがチラチラと点滅している。あまりの唐突さに3人とも飛び上がって身構えた。

「誰だ?」

『妾の声をもう忘れたのですか、小童(こわっぱ)

「ネネ? キエは無事なのか? どうして俺たちが来るのがわかった? どうやって」

『はいはい、落ち着け小童。陛下に代わるぞ』

 スピーカーの向こうがわでごそごそと蠢く音が聞こえる。ニケは音量を最小に落とした。

『ニケさん! ご無事ですか? お怪我は?』

 ノイズ混じりの声だったが、たしかにキエだった。声音がリンに瓜二つなのでシィナはついリンの方を見た。

「ああ。今のところは。そっちこそ無事なのか? 水道水を介して1桁区全域に感染したらしいが」

『え、ええ。わたくしは水道水は飲みませんし免疫系は一般人とは……安心してください。ネネと近衛兵たちが王宮を守っています。ですから──』

「市民を守れ、だろ? お前の言いそうなことだ」

『お見通しのようですね』

「俺たちが市内に到着したときにはすでに手遅れだった。だができる限りのことをする。今は──」

『ガンマを追っているのですね、わかります。ここ一帯の施設はネットワークで繋がっているので監視カメラの情報をオーバーライドしました』

 知らない言葉ばかりで、3人は顔を見合わせた。

『ガンマは3時間前に施設に現れました。それをこちらでも確認していて、ちょうどあなた方が現れたのです。主要機能のオーバーライドを実施したのですがどうやら回線を物理的に切断されてしまい、困っていたところです』

「ちょうどよかった。奴を叩きのめす」

『混合区画へ向かいました。数は9人。重武装です。それと施設内での発砲は気をつけてください』

「壊したら高い機材でもあるのか?」

『そこの劇薬は浴びたらブレーメンでも死に至ります。むやみな発砲は控えてください』

 するとリンがインターコムに近づいて、

「大丈夫。あたしがいるから。あたしは無駄な弾は撃たない主義なの」

『リン。あなたも、怪我をしないでください』

「わかってるってば。お仕事が終わったらまた一緒にケーキを食べよ」

『ええ。約束です』

 そこで通話が切れた。シィナは首を傾げて、リンとニケを順番に指さした。

「私に言ってないこと、あるよね?」

「あたしのおねーさんだよ」

「でもあんた強化兵でしょ? お姉さんって」

 しかしニケはシィナの袖口をひっぱった。

「後で教えてやるから」

 キエが教えてくれた混合区画はさらに下層にあった。壁や床を走るパイプは赤く塗られ、おどろおどろしいドクロのマークまである。そこにある注意書きは、読むことはできるが知らない言葉の羅列ばかりだった。

「こんなものを毎朝散布しているのか」

 あるいは西の海岸から届くという、50年前の新型弾頭の残渣(ざんさ)はただの爆弾ではなかった、ということか。それを野生司少佐はフランに研究させている。

 次の部屋の空間は2階分が吹き抜けで、その空間を赤く塗装されたタンクが2列で並んでいた。タンクとタンクの間に足場(キャットウォーク)が伸びている。

 ニケが様子を伺い、ゆっくり顔を出した。発砲炎が見え反射的に頭をひっこめると超音速で弾丸が飛来してコンクリートの壁を穿(うが)った。しつこい制圧射撃が到来する。跳弾やコンクリート片がリンのヘルメットに当たり、シィナは首を振ってそれらを避けた。

「数2、ライフル兵。強化兵だろうな。リン、気が進まないなら」

「いい。大丈夫」

 リンは半身を出して撃ち返す。流れるような手付きでボルトを操作して瞬く間に3発を撃ち返した。しかし倍の射撃が返ってきた。

「ここは私が」

「シィナ、向こうに着く前に撃たれる。避けるところはないんだ」

「かぁー、ヒィヤ」唐突なブレーメンの罵倒語だった。「ヒトの軍人になって日和(ひよ)ってんじゃないの?」

「シィナちゃんはカリカリ尖ってた頃のニケが好きだってこと?」

「あーーんたは黙ってなさい!」

 シィナは大太刀の鯉口(こいぐち)を切った。狭い通路で長大な大太刀を器用に操り、そして飛び出した。素早く体を動かして弾丸をかわすと、キャットウォークから階下へ飛び降りた。そしてタンクの隙間を一気に駆け抜けて壁を蹴って走った。

「うっわ、シィナちゃんすごい。壁を走ってる。ニケもあれ、できる?」

「できなくはない」

 シィナの体がふわりと宙へ躍り出た。そして大太刀を瞬時に抜き、壁──鋼鉄製の防火扉──その向こうの兵士2名をまとめて横一閃に斬った。

 日和(ひよ)ってんじゃないの? シィナの言葉は正しいかもしれない。ブレーメンはヒトとは違う。動きは平面的ではなく常に立体的。戦術は横方向だけではない。上下にも機敏に移動できる。ここのところ兵士の集団指揮や書類作成など戦わせる仕事ばかりだったせいだ。

 先行はシィナだった。通路は左右に曲がりながらも道なりで、出会い頭の敵兵もその長大な大太刀で一突きにし、不意に襲いかかってくる兵士は拳で殴り飛ばし、強固なはずの強化兵の頭蓋を叩き割った。

「連中は二人一組(ツーマンセル)で動いている。基本通りの戦い方だ。リン、辛いなら引き返えしてもいいんだ。出入り口を守ってくれるだけで助かる」

「あたし、ニケといっしょにいたい」

 リンはぐっと(まぶた)に溜まった涙を袖で拭った。

「だがリンには傷ついてほしくない」

 ニケは、まだリンの頬に残っていた涙を拭ってやった。

「あたし、ガンマが許せない。だからお願い。いっしょに行かせて」

 左右非対称(アシメ)の赤い髪がちらりらと揺れた。

「ああ。ああ、わかった。気をつけろ、目的地はこの先だ」

 キエが教えてくれた混合区画は分厚い鉄製の扉の向こう側だった。見張りはなし。しかし3人が来たことはガンマにバレているはず。鉄製の扉を左右に引っ張り開けると、各々の武器を構えてゆっくり中へ進んだ。角柱のコンクリート柱が林立する地下室で、手すりの向こう側はパイプが(つる)のように曲がり伸びそれらが部屋の中央── 一段高い作業台につながっている。そこに、まるで演劇の一団のように彼らがいた。

「やあ、待ってたよ」

 ガンマが両手を広げて出迎えた。

「このまえ切り裂いた体は元に戻ったみたいだな」

「ああ、あれか。痛いんだぞぅ、けっこう。ブレーメンの、お前がどうやってあの怪我から復活したかわからないが──」

(ア・メン)の加護、っていうやつだ。お前も一度、祈ってみたらどうだ」

「あいにく、ブレーメンの“神”という概念はイマイチ理解できなくてね」

 状況に似合わず、けらけらと笑っている。そのガンマの横にはひときわ屈強で大柄な強化兵が4人 控えていた。手には半自動式の大型ライフルを腰だめで構え、銃身から伸びるレーザーポインターは3人を捉えていた。

 カン、カン、カン、と金属音を立ててガンマが鉄の階段を降りて来た。彼がそれまでいた演台に目が奪われた。すべてのパイプが交わり、針が生えた小部屋があった。半透明のガラス扉があり、その中に大鍋サイズの蓋付ビーカーがあった。中は緑色のドロッとした液体で満たされている。あそこが中和剤を散布するためのチャンバーだとわかった。

「どういうわけか手動操作ができなくてね。早朝に散布機が自動可動するのを待つしか無いんだ。あと──15分程度だ。暇だ暇だと思っていたけど君たちが僕らの動きを嗅ぎつけてやってきた。ハハっ、実に不愉快だ」

「お前は獣臭いからどこにいても見つけられる」

「そうかい? これでも毎日シャワーを浴びているんだけれどね。そうやって臭いを消したから、気配を消してアレを盗むことができた」

 チャンバーの中でビーカーの中の緑の液体は、振動もないのにひとりでに緑の水面(みなも)が揺れていた。まるでそれ自体に意識がある生き物のようだった。

「アレンブルグから盗み出したのか」

「アレを? 僕が? いやいや。アレを3桁区で使おうとしていた不届き者たちがいたんだ。拷問したら宰相の私兵部隊だって白状した(ゲロった)よ。ムカついたから奪って1桁区で使ってやったのさ。ふかふかの椅子にふんぞり返っている連中は人々を苦しめる元凶だ」

「罪のない人々まで殺した!」

「殺したのは君たち軍人だ。体が変異しても一応、生きているだろう?」

 詭弁だ。

 ニケが一歩前へ出た。それをガンマは手のひらを向けて止めた。

「まさか、この状況で君たちが勝った、とでも思うのかい? ブレーメン2名に妙な感じの強化兵1名。悪いが、僕の部下は普通の兵士じゃないんだ」

 強化兵のうち2名がライフルを捨て演台から降りてシィナの前に立った。その堂々とした立ち振舞でさすがのシィナも唇を噛んだ。2人の兵士はその両手に短剣とダガーナイフを装備した。

「ふん、剣技で私に挑むっての? いい度胸じゃん」

 ブレーメンらしい、風が吹き抜けるような滑らかさで大太刀が振るわれる。迷いなく1人の兵士の頭上に刃が振り下ろされた──が、短剣を切り裂けなかった。青色の火花を上げてその剣が短剣とダガーナイフで受け止められた。兵士の目が赤く光る。

「なっ!」

 もう一人の兵士の刃をギリギリで回避して一旦間合いを取った。

「あっはははは、おどろいたかい? テリチウム合金だよ。かつての人類の知恵の結晶、超超硬質鋼。星星を渡る船に使われたと言われる遺産さ。重くて身体強化薬を投与した強化兵でさえ振えるのは小刀サイズだが、ブレーメンの小娘相手にはちょうどいい」

 薄暗い地下室で強化兵の目がテウヘルのように赤く光った。赤い残像を残してブレーメン並の身体能力でシィナに襲いかかる。

 バァン!

 ほとんど一連(ひとつら)なりのボルトアクションライフルの発砲が2回、あった。リンの持つ八五式ライフルから放たれた2発の銃弾は吸い込まれるように、もう一方の2人(ツーマンセル)の強化兵の頭部に命中した。しかしややのけぞっただけ。弾痕は熱で髪と頭に巻いた布が焦げている。こちらの2人も目が赤く輝いた。

「あはっ、そっちの2人も強化済みさ。銃弾は効かない。バイタルポイントにはテリチウム合金で覆ってあるし、治癒能力もテウヘルやブレーメン以上さ」

 半自動ライフルの猛射がリンに襲いかかった。身を伏せ走り柱の陰に隠れる。瞬く間に大口径弾でコンクリートの柱がまるでシロアリに喰われたかのようにボロボロに砕ける。

 にわかに施設の電源が自動で入った。けたたましいポンプの作動音やビープ音、それに電気の放電も聞こえる。

「さてもう少しで身体強化薬がオーランド中にばらまかれる。そうあまり量が無い。2桁区の半分まで届けば御の字か」

 銃声、それに剣と剣のぶつかる金属音のさなかでもガンマは鷹揚に構えていた。

 ニケは走った。

 左手の拳銃を走りながらも正確に射撃×7。すべてがガンマの顔面を撃ち抜くコースだった。最初の弾が着弾する寸前、ガンマの腕だけが巨大なテウヘルの腕に変異しすべて防がれてしまう。

 そんなこと、ニケは予想済みだった。ホルスターに拳銃を戻すと、右手の主刀で果敢に斬りかかる。

 最初の一振り──かわされる

 2振りめ──(つか)を握る拳が受け止められる。

「なぁに、この青い刀身に触れなければそれでいい」

 すぐ近くでガンマがニヤリと笑う。

 ニケは素早く左手で隠し刀を振り抜きガンマの腕を狙うがすぐ間合いを引き離される。

 にわかに感じる殺気──ニケが身をかがめるとすぐ頭上をシィナの大太刀が振るわれる。

 しかしガンマは青く煌めく刀身を下から蹴り上げ軌道を逸した──脚だけがテウヘルの毛むくじゃらで強靭な脚に変化していた。そしてブレーメン以上の素早さで身をひねるとシィナの横っ腹を空中で蹴飛ばした。サンドバッグのような鈍い音を立ててシィナの体が部屋の反対側まで吹っ飛び、壁際を這うパイプの群れを盛大に凹ませた。

「乳がでかい方のブレーメン。貴様の死に様は刃に削がれると決まっている。キーウェイの敵討ち、だ」

 シィナはふらつく足取りで起き上がると、ナイフ格闘術を仕掛けてくる強化兵×2の攻撃を(かわ)しながら反撃する。あの長大な大太刀では、小回りの効く2人に分が悪い。

 リンは──まだ無事だった。1人の敵兵が高台から銃撃し、もうひとりが柱の間をぬってリンを探している。たまにリンの八五式ライフルの発砲音が聞こえるがすぐ倍の反撃が返ってきた。

「さてブレーメンの」ガンマがテウヘルと化した四肢を広げた。「僕はもう一段階 変身が残っている。もうすでに苦戦しているようだが、さてどうする?」

(なます)にしてやる」

「はっ! それでこそ! その眼光こそブレーメンだ。いいぞ、いいぞ」

 ぎらぎらと、殺意が湧いてくる。あの閉じることの知らない口を切り裂き、舌を引き抜き、四肢をもぎ取り■■と口の両方から突っ込んでやる。


挿絵(By みてみん)


 地面をけった。最高最速で。

 ぎゅるっとガンマの体表が裏返る──赤い眼光に鋭い牙の巨大なテウヘル。

 ガンッ。急な停止、ステップを踏みガンマが繰り出す鋭い爪を回避──頭上へ立体的に動く。空中で、ガンマの拳が到来する。ニケは軽く切り裂いて回避すると天井を蹴った──柱を蹴った──ガンマの死角へ潜り込む。

 脚と膝の腱を瞬時に切り裂く。予備動作なしに垂直に飛び上がると左手の隠し刀を脊椎へ深々と突き刺した。暴れるガンマの巨大な背中で振り飛ばされないようしがみつく。

 右手──主刀を逆手で持つ。それ力いっぱいに投げた。

 リンを狙い高所で射撃していた強化兵の首筋に深々と突き刺さる。ナントカ金属で覆っていようとも、首の関節が動いているのを見た。そこは保護されていない。

 そしてもうひとつ。ニケは素早く身をひねると、フランからもらった薬剤をガンマの傷口から注入した。

 ニケは飛び上がり、空中で2回転を決めながら着地した。隠し刀を右手に握り、左手は弾倉を交換した拳銃を握った──剣技の流儀で言えば外道も外道。

「貴様! 何をした!」

 ガンマの傷口が、塞がろうとしていたがその体液は水銀のようにドロッと崩れ、水銀色の肉塊を体のいたるところに生み出した。

「ちっ、減速材だけじゃ死なないのか」

 コンクリートの角柱の柱の間を赤い左右非対称(アシメ)が駆け抜けていた。

「リン、陣形変更:パターン赤!」

 ニケが叫んだ。騒音だらけの地下室でそれがいんいんと響いた。

 1歩下がるとガンマが5歩 前へ出てきた。そこへ超音速で一連なりの射撃が到来する。すべてがバイタルポイントへ吸い込まれるように着弾する。

 陣形変更。ニケは壁と柱の間を残像を残して走る。一方でリンは素早く弾倉を交換して再びガンマに射撃を加える。テウヘルの巨体が接近するが冷静に、その両膝に弾丸を撃ち込む。

 見つけた──ニケは半自動ライフルを腰だめに構える兵士を見つけた。壁を蹴り空中を斜め下へ落下する。射撃が来た。しかし空中を斜め移動する標的には強化兵ですら当てにくい。

 まぐれで到来する弾丸は──すべて見える。隠し刀で弾丸を斬り軌道をそらす。

 着地──ほぼ爆撃。ニケは馬乗りになると装甲のない赤い目に拳銃を突きつけて3回 引き金を引いた。頭蓋の反対側が弾け、ヒトの赤い血とテウヘルのような緑の鮮血が混じって飛び散った。

「死にさらせ!」シィナはほぼ絶叫だった。「クルワィ! クソクソクソ」

 シィナの長大な大太刀が、格闘兵×2の胴体に深々と突き刺さる。重なった体がそのままコンクリートの柱に串刺しになった。そして瞬時に引き抜くと体──柱ごと斜めに両断した。

 ニケは銃と刀を構えてガンマに近づいた。体中の傷という傷が修復できず醜い水銀色の(こぶ)が生じていた。

 にわかにガンマの体がぐるりと反転した。ボトボトとテウヘルの毛むくじゃらな肉片や瘤が落ちる。ガンマの白い肌の下ではナノマシンが増殖しミミズのように這い回っている。

「チクショウ、チクショウめ。何しやがった」

 ガンマの顔が膨れ、盛大に嘔吐した。水銀色の肉塊と内臓がまとめてこぼれた。

 ガンマは這うようにして、さっきまで堂々と演説していた演台に登ると、兵士が持っていた大口径のライフルを拾い上げそれをニケに向けた。

 バンバンバンっ

 しかしガンマは重厚なライフルを持ち上げられず銃身はガタガタ震え、弾丸はまったく見当違いな方へ飛んでいった。ニケは恐れもせず闊歩するとさっき投げた主刀を拾った。

 哀れだ。反回帰主義者たちの実験のせいだ。ガンマも犠牲者のはずだった。

「お前の自我は、お前自身のか? それとも操られているのか?」

「ボクの自ガはボク自身のだあ」

 にわかにガンマの体が裏返ってテウヘル化しようとした。しかしニケの2振りの刀が走った。ガンマの両腕を肩から切り捨てると、その長い髪を引っ張って散布施設の中央──チャンバーの中へ放り込んだ。そして緑色の身体強化薬を取り出し外から鍵をかけた。

 もうまもなく中和剤散布が始まる。じりじりとした電気の放電がチャンバー内に満ちる。電撃が肌に触れガンマの皮膚を焦がす。

「これで勝ったと思うなよ、ブレーメン!」

 ガラスの防護扉の中からくぐもったガンマの声が届いた。

「お前はここで終わりだ。最期に何か言いたいことはあるか? 軍の機密文書に書いておいてやる」

「ヒトの欲望は止まらない。僕が潰えようともその怒りと欲のうねりはたとえ貴様でも止められない」

 にわかにガンマの顔が苦痛にゆがむ。チャンバー内の温度が急激に低下して動きが静止した。チャンバー横の温度計が零下を示していた。その隣の圧力計の針が動き気圧がどんどんと下がる。

 チャンバー内のすべてが凍結し、そしてガンマの体は粉微塵に破裂した。緑色に煌めく小さな破片は地上へ伸びるパイプに吸い上げられた。

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