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ブレーメンの聖剣 第1章胎動<中>  作者: マグネシウム・リン
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「小隊、前進!」

 ニケの合図で歩兵小隊を先頭に、進撃を狙撃小隊が支援し進む。丘陵を確保し次第、陣地の守備を機関銃小隊が担う。3人で1基の50口径機関銃を操作し、陣地奪回を目論むテウヘルを撃退する──そういう想定の訓練。

 訓練とはいっても全員が実弾を装備し、実戦と同じく上空から降下してきた。そして今回の目標は機械化部隊との共同作戦だった。

 確保した陣地へ予定通り、巨大なグライダーが降下し、機体下部のソリが、火山性の黒い砂の上を滑る。機体前方のドアが両開きに開き、中から歩兵戦闘車と重武装の歩兵が展開する。

 歩兵戦闘車はより(くさび)部隊に適応させた車両で、0.8寸(80口径)機関砲を装備し歩兵の進撃を支援する。装甲はアルミニウム製のウェハース装甲で防げるのは精々機関銃程度。ルガーのライフル砲弾やロケット弾の直撃には耐えられない。しかし反応回転装甲、と銘打たれた試作型の防御機構があった。宙吊りの装甲板が車体の左右にあり、接近する砲弾を感知して回転し、空間装甲を持ってして車体を守る、という試作型の装備だった。野生司──少佐はそういう新しいものが好きだ。どうコネと金を動かしたらこの手のものが優先的に受領できるのか、ちっとも考えつかない。

 訓練、完了。事前の打ち合わせ通り、複数の小隊が連携し展開し、戦闘態勢を整えることができた。


挿絵(By みてみん)


 ニケは各小隊長に訓練終了を合図し、合流地点まで歩いた。

 ここ2週間ほどはオーランドの隣、カシコン州シェルドトックス郡の第2師団実弾演習場で訓練漬けの毎日だった。補充された新兵の習熟訓練もさることながら、歩兵戦闘車との連携訓練やグライダー降下の訓練もあった。野生司少佐に報告するに十分なできだった。ニケは歩きながら提出する書類の文面を考えていた。

 当の野生司少佐は、不在だった。訓練には来たり来なかったりするのだが、今日は不在だった。少佐に昇進して忙しいらしい。そのせいで会う機会がめっきりと減った。

 家に帰れば野生司少佐にも会えるのだが、あの誘拐事件の一件以来、なんとなく足が遠のいてしまった。家族には感謝されたが、ホノカの心を傷つけてしまった後ろめたさがあった。

「またうち来る? 明日で訓練が終わるでしょ」

 シィナがニケを歩いて追い越しながら聞いた。野生司家に帰る代わりにだだっ広いだけのシィナのペントハウスに寝泊まりしてた。一方のリン──歩兵戦闘車の荷台に乗って楽しそうにしているのが見えた──は宿舎で強化兵とお泊りしたり、1人で野生司家に帰ったりとあまり深くは考えていないらしい。

「この1ヶ月くらい、少佐に会ってないしホノカにも会ってない。たまには向こうの家にも帰らなきゃいけない」

「えーなんで」

「なんで、ってもともと向こうに住んでただろう」

「いいーじゃん、ずっと私の家で暮らしても良いんだよ」

「……家賃、ひとりで払えないのか」

「もういい! 朴念仁(ぼくねんじん)! 鈍感くず鉄!」

 なんだそれ──と反論したかったがシィナはブレーメンらしい健脚で、火山性の真っ黒い砂を蹴り上げてさっさと集合地点へ帰ってしまった。

 偽装網を張った半地下の塹壕が司令部だった。テーブルの上に地図を広げ小隊長が全員集まった。一般兵の小隊長が多いが、歴戦の強化兵も混じっている。これは野生司少佐の指針で、部隊の指揮権は出自を問わず実力主義だった。

「で、どんな調子だ、中隊長殿?」

 ラルゴがニタニタしながら訊いた。

「よしてください。形式上、自分が指揮しているだけで。ラルゴ隊長が指揮してくれても良いんですよ。というか先任曹長なんですから、ラルゴ隊長がしてくださいよ」

「よしてくれ。俺ぁ、でかい弾とでかい機関銃を撃つことに絶頂(エクスタシー)を感じるんだ。兵隊を動かす? そんなの面白くない」

 ラルゴは下品に右手を動かし、男連中がゲラゲラと笑った。粗野な面々だったが一応は士官学校を卒業しているから、ということで他の曹長たちもニケの役割に納得していた。

 ニケは野生司少佐から渡されたチェック項目をひとつづつ確認していく。

「……怪我人、なし。装備紛失、なし。機材の故障、なし、と」今日の訓練で分厚い冊子の予定項目の8割が埋まった。「食事の後、実弾を用いた家屋の制圧訓練を行います。機械部隊が先行、機銃掃射した後、歩兵部隊が突入。機関銃部隊もライフルでの近接戦闘をするのでそのつもりで」

 野生司少佐の作った書類は、さすが中央務めの役人らしい几帳面な訓練計画だった。

「うちのブンはまた文句を言いそうな訓練だな」ラルゴが言った。「ま、気にするな。殴ってでも真面目に参加させるわ」

「ええ。実弾射撃をするので、全員、注意してください。では解散」

 塹壕から出て小隊長たちは炊事テントへばらばらと歩いた。早朝からの訓練だったので腹を空かせているらしい。シィナはブレーメンらしくまだ腹が空いておらず、身の丈を超える長大な大太刀を振り回して型を披露していた。

 歩兵戦闘車が2両で、地上に降りたグライダーを牽引している。グライダーの外見は不格好なペリカン(オオグチドリ)そっくりで、いつしか大学の研究室で見た模型をそのまま拡大した乗り物だった。

 このグライダーを投下したのは楔部隊に所属する小型高速巡空艦の2隻目でグァルネリウス型2番艦という堂々とした名前が刻まれていた。

 ずいぶん大所帯になったと思った。初め、ラーヤタイで野生司少佐に会ったとき、形式だけの部署に所属する兵士2名だったのに、今や第2師団を代表する精鋭部隊と呼ばれるまでになった。楔部隊の名前を知らないものはなく、再びの戦線への派遣が待ち望まれていた。

 炊事テントでは兵士たちがお行儀よく1列に並び食器プレートに山盛りに食材を積んでいく。

「あっ、やっとニケが来た。はいこれ、あーん!」

 リンがトーストの切れ端をニケの口に押し込んだ。リンの持つ食器プレートは、煮豆、燕麦粥(えんばくがゆ)、コンビーフ、トーストがすべて山盛りに積まれ、全てに濃い色のソースがかかっていた。

「いいって、自分で食べられる」

「うそ! そう言ってまた食べないつもりでしょ。食べなきゃ強くなれないよ」

 ブレーメンは強化兵ほど食事が不要──いやヒトでもあれだけの量は食べられないわけだが。ネネの言葉が蘇ってくる。燃費の悪い有機機械、それが強化兵だ。

 ニケはトーストとコンビーフだけを受け取り、リンと向かい合って座った。そして塩をたっぷりかけた。

「うっは、しょっぱくない?」

「ブレーメンの味覚だとこれが普通」

 もぐもぐ──頭の中は書くべき書類の文面についていっぱいだった。階級が上がればこういう書類仕事も増えるのか。面倒だな。上級将校の中にブレーメンがひとりもいないのもうなずける。つまらない、その一言に尽きる。

 すりすり。リンがニケの手を擦っている。

「そんなことよりさ、見た? あたしの活躍」

「いい小隊長だ」

「えへへーそうでしょ。いっぱい本も読んだんだよ」

 ニケは手を、紙ナプキンでリンの口もとを拭ってやった。誘拐事件のときの傷も、もうほとんど治っている。炯素(けいそ)でできた体、とは思えない本物の肌だった。

「もう、くすぐったいよ」

「あ、すまんつい」

「つい? ついつい? もっと触りたいの?」

「そういうんじゃなくて」

「ちゃんと言わなきゃダメだよ~触らせてって言わなきゃ」

 場違いなほどよく通る大きな声だった。青1&2は膝を叩いて笑っているし、リンの部下の“かしまし部隊”の少女たちも車座(くるまざ)になってクスクス笑っている。

「かぁー昼間っからイチャコライチャコラ」

 ニケの隣にシィナがやってきた。重く巨大なお尻でニケを押しやる。両手にはトゥインキーを持っていて、それが昼食のつもりらしい。

「イチャコラじゃないもん。コミュニケーションだもん」

 リンの左右非対称(アシメ)の赤い髪が揺れた。

「一緒だっての。ニケは、何? こんなアホ毛のちんちくりんがいいの?」

「シィナちゃんだって、お菓子ばっかり食べてるからそんなにムチムチなんだよ」

 またもやよく通る声だった。機関銃小隊のむさい男たち──とくにラルゴは膝を叩いて笑い、ブンと一緒に座ってたンナン特務軍曹はじぃっとシィナを凝視していた。

「いいの。ブレーメンは太らないから」

 シィナはむさい男たちにヒト流の下品な指のサインを向けた。

 いや、太る。怠惰だとブレーメンでもぶくぶく太るしヒトのように病気にならないだけあってなお太る。

「俺が一緒に住むなら、シィナの食事管理がまず先決だ。とりあえずトゥインキーは無し」

「えーなんでよ!」

 古参の兵士たちはげらげらと笑っていた。新参の兵士たちはブレーメンの怒りを買わないようどこかおどおどしている。

 ざわざわと騒がしい昼食は、最終的にはニケが促す形で全員を炊事テントから追いやった。そして各小隊を整列させ装備を点検させた。

「緊急?」

 通信機を背負った兵士が司令部テントから飛び出してきた。

『やあ、ニケ君。元気かい』

「はい、訓練は順調です、少佐」

 電話の向こう側の野生司少佐は、轟々と騒々しいところにいた。1番艦のほうのグァルネリウスの中だろうか。

『残念だが、緊急事態だ。実弾の装備を持ち全員でオーランドへ帰投する。テウヘルが1桁区に現れた』

 すっと胃に重い石が落ちるような感覚があった。ニケの不安な表情が一瞬で部隊に伝播しあちこちで小声話が起こった。

「前線が突破され……いやなんでまた1桁区に?」

『わからん。統合作戦本部からそう言われただけだ。そちらの人員を回収しに向かっている。到着まで20分だ。訓練場にある戦闘車両も持っていく。そちらで積み込みを開始してくれ』

 ざっと逆算する。オーランドまでグァルネリウスならそう時間がかからない。逆風であること、重装備の歩兵を積むことを考えたら、飛行時間はざっと30分ほど。

「緊急状況! 出撃用意。訓練じゃない! 対テウヘル戦闘」

 部隊員たちに緊張が伝播した。中には待ってましたとばかりにニヤつく一般兵もいる。訓練ばかりの退屈な毎日から脱却できるなら、楽しいことこの上ないだろう。

 2番艦に2両の戦闘歩兵車両を載せ終わった頃にグァルネリウスが到着した。後部扉が開き、準備を終えた兵士たちが駆け足で乗り込む。

「やっほー。おひさ。あれ、もしかしてボクのこと忘れた?」

「忘れるわけないでしょ、このっ! 叩き斬ってやる! ニケ、放して!」

 フラン・ランがいた。座席に座ってシートベルトもきっちり締めている。戦闘艦には似つかわしくない白衣まで着ている。小柄な彼女は足をパタパタさせて犬のようなとんがった耳をピクピク動かした。

 ニケがシィナを振りほどいてやると、フランは耳をぺたんと垂らした。

「ボク、何も言ってないでしょ」

「ああ、そうだな」

 しかし許したわけでもない。ニケは野生司少佐の横に座った。

「参った。いやはや、参ったよ」

 野生司少佐は息を漏らした。少しだけ、以前より刻まれたシワが深くなった気がする。将校用の制服ではなく前線指揮用の戦闘服を着ていた。

 グァルネリウスはふわりと上昇し、エンジンが唸りを上げて、空へ上昇していった。

「少佐、オーランドにテウヘルが現れた、なんて信じられないのですが。そしてなぜフランがここに」

 フランと目が合う。フランは手を振って挨拶していたがニケはあえて無視した。

「オーランドにテウヘルが現れたのは事実だ。そしてフラン君が役に立つ。あれから追加で情報が来てね。1桁区の住人がテウヘルに変化(へんげ)した、と。事実らしいのだが、ニケ君、思い当たる節があるだろう?」

 侵食性バクテリアによる身体強化薬。フランを見ると耳をひくひくと動かして嬉しそうにしていた。

「じゃあ、フランが解決の糸口に」

「なるといいのだが。ここに来る途中、彼女を研究所から──ともかく、共に1桁区へ向かう」野生司少佐は言葉を濁した。「どう敵が出てくるかわからない。オーランド市内だが、隊員それぞれの判断での発砲を許可する。ワシは、到着までに飯でも食べておこうか」

 グァルネリウスの船体が雲を抜け、眼下に同心円状に区切られたオーランドが見えてきた。上空からでもわかるくらい、市内各所で黒煙が立ち上っていた。1桁区では更に酷く、建物全体が篝火(かがりび)のように燃える火災まで起きている。

 耳に通信機の受話器を充てていた野生司少佐が顔を上げた。騒音のひどい揺れるグァルネリウスの真ん中で器用に立っている。

「状況を説明する。1桁区の住人たちがテウヘルに変化し自我を失い人々を襲っている。だが、混乱に乗じて武装ギャングや分離主義の一派が各地で暴動を起こしている。幸い、先日の戒厳令のお陰で軍警察には準備があったらしいが人手が足りない。そこでワシらの部隊は、テウヘルの対応に注力する。ミラ隊はニケ君とリン君、それとワシの3人でフラン・ラン研究員を護衛しながらオーランド大学のキャンパスへ向かう。機動性を優先するため少人数で行動する。残りの隊員を2手に分ける。デュオ隊はラルゴ君が指揮をし、環状線沿いに展開。軍警察と協力しテウヘルの封じ込みを。ミッサマ隊は歩兵戦闘車を用い市内を巡回、2桁区の市民の安全誘導と救護処置を行う。以上」

 機内の兵士たちが吠えて答えた。戦時下で首都近辺にいるのは憲兵を除けば自分たちの部隊ぐらいしかしない。グァルネリウスの乗組員がカゴいっぱいにライフルの弾薬を持ってきて隊員にそれぞれ配った。

 超低高度機動展開──グァルネリウスが接地するぎりぎりの高さを動きながら低速で進み、開かれた後部扉から、シィナがさっそうと飛び、隊員たちも飛び降りる。着地の衝撃を一回転して受け流す。訓練どおりだったがこういう事態に対処するのに好都合だと、野生司少佐も目を丸くしていた。

 環状線沿いの道路を飛行し、デュオ隊が展開する。一方のミッサマ隊は市内の公園へ展開した。歩兵戦闘車を積載した2番艦はすでに市内の公園に着地していた。

 眼下で、銃火が光った。ブンの機関銃分隊も素早く展開し、押し寄せるテウヘルに苛烈な弾を食らわせた。

「妙ですね」

 開かれたままの後部ドアから、ニケは眼下を見下ろした。たしかに、部隊と対峙しているのはテウヘルだったが、武器も何も持っていない。獣人(テウヘル)の姿ではあったが、むしろアレンブルグの地下で見たような亡者の群れだった。ただひたすらに自分たちじゃないモノに襲いかかろうとしている。その耐久性は、手足が無くとも動き続け、首が吹き飛んでもまだ動こうとしている。

「フラン、どういうことだ、これ」

「どーしてボクに聞くんですか?」

 抗議したいらしく犬のように尖った耳が左右に閉じた。

変身薬(へんしんぐすり)を研究していただろ」

「そんな安っぽい名前じゃないですヨ。身体強化薬ですヨ。ボクなりに色々考えてるんですけどねー。まだ確証がないのでなんとも言えません」

「大学に行けば治療薬が作れるのか?」

「さあなんとも言えませんね」しかしフランは胸に抱いているジュラルミンのケースをパンパンと叩いた。「できるよう努力はします」

 グァルネリウスがオーランド大学の校舎をかすめるようにして飛行する。船体側面のスラスターが轟々と音を立てて高い樹木やビルにぶつからないよう進路を調整した。

 野生司少佐が艦内無線で叫んだ。

「ガンナー、地上を一掃してくれ。生存者はいない。地上で動いているのは全部標的だ」

了解(コピー)

 銃座がモーター音とともに回転して巨大な銃口を地上へ向ける。そして間髪入れずに大口径の機関砲が地面を耕すように猛烈な射撃を地上へ放った。装填されている焼夷榴弾で昼間でも光る射線がはっきりと見え、砲弾がかすめただけで標的のテウヘルは火に包まれた。

 開いたままの後部ドアからリンがまず飛び降りてライフルを構えた。続いて野生司少佐も地面に着地し、ニケはフランを背中に抱えて上昇しつつあるグァルネリウスから飛び降りた。

「男の背中、抱きつく。うん、ボクもリア充になれた?」

「フラン、寝言はいいからどっちに向かう」

「生理学研究所棟へ。あっち」

 フランがぐぅっと指をさす。ニケの耳の横で短い腕が伸びる。

 バンバンバン──リンは近づくテウヘルを顔色ひとつ変えずに仕留める。そして慣れた手付きでボルトを前後させ空薬莢を排出する。手に持っている八五式ライフルの威力であれば一発でテウヘルを行動不能にできた。

「リン、先行しろ。三時方向、時計台のある建物に向かう」

「了解」

 列の最後が野生司少佐だった。軍用の大型拳銃を持って続いた。

「いやはやなんと頼もしいペアだ。ワシが銃を撃つ機会はなさそうだな」

 いつもと同じ楽天的な少佐だった。しかし戦闘機動の足取りは強化兵のリンやニケに劣らず素早かった。足の速さでは若い隊員にはかなわないが無駄のない動きでテウヘルの視線からうまく外れている。

 リンが建物の入口でハンドサイン──止まれ。

 クリアリングとハンドサイン──敵影なし。

 一言も言葉をかわさず、3人は訓練通り素早く動く。

「フラン、どの研究室だ?」

 ホールの来客用の案内看板の前まで来た。フランは犬耳をピクピク動かして小難しい専門用語ばかりの看板をしげしげと見た。地図上では建物は3階建で1階に教室、2階が教授たちのオフィス、3階は専門研究区域で部外者以外は立入禁止らしかった。

「接敵!」リンがじわじわと後ずさる。「ねえ、ニケ、撃っていいの? 発砲音で他のテウヘルが寄ってくるかも」

 いい気づきだ。

 ニケはリンの肩を叩いて後ろへ下がらせるとおもむろに主刀を抜いてテウヘルの首を()ねた。首を失ってもなお体は動き続けたのでさらに腰から上下に両断してやっと動かなくなった。

「うへ、グロい」

「いつもテウヘルの頭を吹き飛ばしてるだろ」

「こんなバラバラにしないもん、あたし」

 たしかにオーバーキルではある。その時フランはニケの髪をグイグイと引っ張った。

「ちょ、ボクを下ろしてください」

 するとフランはテチテチとテウヘルの死体に駆けよった。ジュラルミンのケースを開けると複数の試験管があり、(から)のものと水銀に似た液体が満たしているものもあった。フランは空の試験管に血と体液を集めて蓋をした。

「触っても大丈夫なのか?」

「ボクの体にはもう減速剤を使ってあるので今さら翠緑種に感染することなんて無いのです。たぶん。あ、理屈上では空気感染もしないので安心してください。ボクが研究していたときと大きな変異をしていなければですが」

 フランは、ぐっと呼吸をこらえている野生司少佐を見てけらけらと笑った。

「先を急ごう。テウヘルと同じ嗅覚がこの亡者たちにあるなら血の匂いで寄ってくるかも」

「そですねー、行きましょ。3階の311号室です」

 両手を伸ばしたフランに背中を向けて背負ってやった。またリンが先頭で進む。階段の閉所では拳銃のボア25に持ち替えて無駄のない動きでクリアリングし先へ進む。

 3階へ登った所でハンドサイン──止まれ。

「うへ、すごい数。一瞬見ただけだと14」

 通路は左右に伸び、突き当りは別棟への回廊だった。その廊下にふらふらとした足取りのテウヘルがいた。

「倒してしまおう。どのみちこの階で作業しなきゃいけないんだ」

 ライフルの安全装置を解除する。背中でフランは犬耳を押さえた。

 3人が3方向へ銃口を向ける。ほんの10秒程度の間で銃声が一斉に勃発した。カラカラと薬莢が床に溢れる。視界は閃光と硝煙でくすんだ。

 騒音から一転、静寂が訪れてキーンという耳鳴りがした。3人はそれぞれ新しい弾を銃に装填する。

「うへぇ、鼓膜が破れるかと思った」

 フランがニケの頭の後ろで泣いた。

「311だな。もう少し気を保ってくれ」

 研究室へ拳銃を構えたリンと野生司少佐が先に入った。研究用の低い机と薬品が入った棚が壁にずらりと並んでいる。たくさんある死角を2人はそれぞれが確認して周り、隠れていたテウヘルにとどめを刺す。

 ぴょん、とフランはニケの背から降りると、慣れた手付きで試験管を研究機械の前に並べた。

「ちょーと時間がかかるので、ボクを守ってくださいね」

 フランは意味有りげなウィンクを飛ばし、3人は同時に顔をしかめた。もしこの場にシィナがいたら吹き抜ける風のような抜刀術でフランを肉片に変えていただろう。

 ちょっと、という時間が学術には素人の3人にとっては検討もつかなかった。パルの通信はなんとかつながっているので、時折 別の部隊からの報告が野生司少佐のもとに上がってきた。

「暴動鎮圧と、2桁区へのテウヘル流入は防げているようだ」野生司少佐がパルから顔を上げた。「しかし完全な掃討にはまだ時間がかかるようだ」

「いったい、どうしてこんなことに」

 ニケは窓から外を見た。大学の敷地の高い樹木が視界を遮っている。暗くなりつつある空に黒煙がまだ立ち上っていた。消防車のサイレンは遠くから聞こえてくるが、1桁区の火災は封じ込めることができないらしい。

「たぶん、水道水でしょうね」

 フランが久しぶりに喋った。彼女の後ろでは試験管が遠心分離機にかけられてぐるぐる回っている。

「アレンブルグの研究所でも、換気ダクトでバクテリアを撒いたと言っていたな。水道でも同じことができるのか」

「ええ、まあ。翠緑種はもともと水生ですし。水道水の微量の塩素で翠緑種が微妙に変異しています。きっと水を飲んで、時間を置いて一斉に変化(へんか)し始めたんでしょうね」

「まて、飲むのか、水道水を? 1桁区の連中は」

「ええ、1桁区の浄水施設は2桁区のよりも良いものを使っているし地下水もきれいなので。ま、今回はそれが仇になりましたねー」

「じゃあ1桁区の住人全員がテウヘルに?」

 オーランドの人口の1%を占める1桁区の住人に影響があるなら、50万のテウヘルが出現したことになる。たかが歩く亡者とはいえ弾が足りない。

「さぁ、ボクにはわかりません。軍人さんのが詳しいでしょ、そういうの」

「お前、心配じゃないのか。1桁区出身だろう」

「おおー、やっぱ気づいてました? ボクの名前は名前──名字の順なので。でもでも家族とはもう縁を切ったんですよ。一生 表舞台に立たず地下で研究を続けるのか、って言われてボク、大激怒で」

「たかがそのくらいのことで」

「科学者にとって“車輪の再発明”ほど屈辱的なことはないのです。わかります?」

 ニケと野生司少佐は首を振った。リンはそもそも話を聞かず部屋の外をじっとうかがっていた。

「たとえばこれです」フランが研究机の横の巨大なコンピューターを指さした。「8ビットコンピューターですよ」

「ああ、詳しくないがずいぶん高価な機材だ」

「ボクのいた研究所では128ビット、かつての時代には11進数の演算器や多元量子コンピューターも存在していました」

 ちらり──ニケは野生司少佐を見たが小声で、知っておると返事された。

「フランは何が言いたいんだ?」

「アナログじみた技術が大嫌いってことですヨ」

「じゃあ、結果が出るのに時間がかかるということか?」

「その通りなのです。あーあ、やですね。せっかく発展した文明を捨てるなんてありえません」

 フランは小さななコンピューターのモニターに向き直った。

 それとほぼ同時だった。急に校舎の電気が消えた。そしてフランの雄叫びに似た悲鳴が聞こえた──そんな大きい声が出せるのが意外だった。

「電源グリッドが火災でやられたらしい。他の建物も全部停電している。フラン君、解析の方はどうかね?」

 窓の外を見ていた野生司少尉がフランの横へ戻った。

「電源がないと解析が進められないのです。嗚呼(ああ)、データが飛んだかも」

「大学は公共施設だ。地下に非常用発電機があるかもしれない。見てこよう」

「自分も同行します」

 ニケが手を上げた。

「うむ。リン君はフラン君の側にいて彼女を守ってあげるんだ」

 ニケはライフルを構えて暗い校舎を走った。夕暮れが迫り、窓際はオレンジ色に染まりその他の場所は墨を落としたように真っ黒だった。

 さまようテウヘルの足音に気を使いつつ進む。地下室のへの入り口は非常用階段の隣にあった。ドアの鍵を刀で切って開け更に階下へ降りた。ニケはブレーメン特有の夜目を、野生司少佐はペンライトと拳銃を構え、二手に分かれて地下室を探索した。

「少佐がフランと一緒にいるのを見て、驚きました。てっきり情報部が彼女を監禁しているかと」

「いろいろ、縁があってね。ワシの先進技術認証委員会という肩書はまだ生きている。ゆえにああいった研究者も活用できるんだ」

「彼女、かなりの機密を抱えていますが」

「案外、機密と呼べる機密も無かったりする。組織としては秘密主義だと思われたほうが都合のいいこともよくある」

 具体性に欠ける返事だった。はぐらかされているのか、はたまたそれ自体が事実だととらえることもできる。

「少佐の目的は何なのですか」

「もちろん、家族の安寧(あんねい)連邦(コモンウェルス)の勝利だよ」

 迷いのない返答だった。

「ここのところ訓練にもあまり顔を出していませんよね。昇進していろいろ忙しいのはわかるんですが」

「寂しかったかね? だが君に楔部隊の中隊長に任せられるよう、手筈(てはず)を整えている。総務部は年齢制限だの前例がないだの文句を垂れているが、近いうちに昇進の案内が届く」

「いえ、それよりも。フランは普通の科学者や技術者じゃありません。人類の旧文明の知識を少なからず持っています。一体 彼女を使って何をするんですか」

「家族の安寧(あんねい)連邦(コモンウェルス)の勝利だよ」

 堂々巡りの返事。はぐらかされている。

「俺は、力で力をねじ伏せた先に平和があるとは思えません。強大な力でテウヘルに勝利できたとして、しかしその先の未来に意味はあるのでしょうか」

「面白い発想だ。聡明なブレーメンなだけある。それともテウヘルの言葉にほだされた(・・・・・)かね」

「歴史に学ぶ、というやつです。かつて人類は力でブレーメンを制圧しよとした。その結果、テウヘルの離反を招いた。力は確実な解決方法ですが後の世代に禍根(かこん)を残してしまう。俺はブレーメンとして歴史なんて意味がないと思っていました。終わった事に気を取られるよりも未来を見るべきだ、と」

「続けて」

 暗闇から少佐の声がした。

「どんな力でテウヘルに勝つのかはわかりませんが、戦後、たとえテウヘルに勝ったとしても禍根を残せばまた次の戦争の火種になってしまう」

「ならば、皆殺しにすればいい。そうじゃないかね」

 SF娯楽小説みたいな言い方だった。連邦(コモンウェルス)は50億も人口があるがテウヘルはヒト以上に繁殖力に優れている。とすればテウヘルの数十億の命を屠り屍山血河(しざんけつが)を築くことになる。途方もなく突拍子もない考えだ。野生司少佐は根拠もなくそんな事を言うはずもない。残る可能性はひとつ──アレンブルグから持ち帰った新型弾頭の改良計画。

 光。少佐の持つペンライトに照らされる。瞳孔が狭くなる──拳銃の銃口が見えた。

「射線に入ると危ないじゃないか」野生司少佐は笑った。「ほら、発電機だ」

 ニケは無言でうなずいて、頭から雑念を取り払った。壁に半ば埋め込まれるようにして設置されている、軍の駐屯地にも納入されるような大型の発電機だった。配線やブレーカーには異常がない。燃料も十分に入っている。つまみを回し電源のスイッチを押すと、がらがらと騒音を鳴らしながら電気を作り始めた。電圧が安定した所で、野生司少佐ががブレーカーのレバーを引き上げた。

 とたんに電気が回復し、真っ暗だった地下室が明るくなった。

「君も昇進してたくさんの部下を持てばわかることだが──」野生司少佐はペンライトをポケットに戻した。「戦いに勝つには銃と大砲だけでは足りんのだよ。そして講ずるべき方策は単に勝利だけではない。駒のように兵士を使い捨てせずに済む。現場出身のワシならではの考えもある。時が来れば君にもすべてを教えよう。それまで、ワシを信じてくれるかい?」

 憮然(ぶぜん)としなかったがニケはうなずかざるを得なかった。

 ニケは地下室を出ようとしたが、何かが気になって振り返った。野生司少佐も釣られて後ろを見た。

「まさか、地下室のおばけが怖いのかい? ニケ君」

 違う。そんなのじゃない。無言のまま素早く視線を動かす。ガス検知器は正常で一酸化炭素などの有毒ガスのたぐいじゃない。発電機の配管も穴などはない。

「何か、においませんか」

「ニオイ? ワシはおならをしておらんぞ。テウヘルの死体が腐り始めたか」

「いえ、もっとこう、甘いニオイです。それでいて不快感があります」

「花の香りかな」

「ええ、それに近いです」

「ワシは花の匂いが苦手でな。妻にはニオイのきつい花は植えないよう頼んでいたんだ」

「はっきりとしたニオイじゃありません。深く吸い込むと鼻の奥でかすかに感じるような」

 フェロモン。狩りの時期に野生動物が発するフェロモンを頼りに獣を追いかける。子供の時、近所の猟師に同行したことがあるが、彼は素人では感知できないかすかなニオイまで嗅ぎ分けることができた。今──戦地をくぐり抜け第六感も合わせた嗅覚は鋭くなった。

 カチリ。ニケはライフルの安全装置を外した。そして肩に銃床を当てるのと同時だった──地下室入り口のドアが跳ね跳び、テウヘルの群れが突入してきた。

 心の平穏を保つ。引き金を引き絞り三点バースト射撃でテウヘルのバイタル部分に弾丸がまとめて命中した。

 絶命した死体を乗り越えるように次々にテウヘルが現れる──セレクターをフルオートに。立射ながらブレーメンらしく反動をすべて腕力で抑え込む。入り口に群がるテウヘルの首──胸──頭を一斉に弾き飛ばす。銃身が加熱し支えている左手に熱を感じる。

「今です!」

 ニケは空の弾倉を捨て、新たな弾倉を叩き込みながら叫んだ。2人はわずかな時間と空間をぬってテウヘルの死体を飛び越えて1階ロビーへ脱出した。

「これはいったい。さっきまでこんなにいなかったはずだ」

「そうですね。それに、なんだかテウヘルの眼光が鋭い」

 2人は銃を構えた。そしてそれを取り囲むようにテウヘルの群れがいた。さっきまでの足取りが不確かな亡者じゃない。筋肉の模様が表皮に浮き出て眼光も鋭い。戦場で見たテウヘルのほうがよほど知性的に見えた。今周りを取り囲んでいるのは、元ヒトの野獣だった。

 ちらり──ニケは野生司少佐に目配せした。突破するしか無い。上階では銃声も聞こえる。リンたちが襲われている。

 ニケはライフルを少佐に投げて渡した。同時に主刀を引き抜いてテウヘルの群れへ果敢に突入した。

 野獣達の攻撃──鋭い爪でひっかき、牙で噛み切ろうとする。たったそれだけ。多少力は強いがブレーメンの基準で言えば子供のような弱さ。

 刀の一振りで犬の頭部がまとめて3つ、()ね飛んだ。左手で隠し刀を抜き接近するテウヘル2匹をまとめて撫で斬りにする。跳躍──着地し野獣達を踏み倒しながら四肢と頸を削ぎ落とす。

 一方で野生司少佐は慣れた手付きでライフルを操作する。少しのムダもない射撃姿勢でバタバタとテウヘルを撃ち倒す。

「弾倉を!」

 少佐が叫んだ。同時にニケは弾帯(チェストリグ)から弾倉を放おった。それを空中で掴みつつ空の弾倉が自重で落下する。テウヘルが迫る中、少佐は焦ること無くライフルを操作して薬室に弾丸を撃ち込む。

 銃口が向く。1寸先にテウヘルの頭──その爪は野生司少佐の顔に迫っている。

 発砲──発砲──発砲。前進しつつ周囲のテウヘルを射撃で一掃した。

「お見事です」

「ワシはペンより銃を握るほうが好きだからな」

 野生司少佐はニケに合流し、弾帯(チェストリグ)からさらに2つ弾倉を拝借し、1つをライフルへ、もうひとつを尻のポケットに差し込んだ。

「走ります。リンたちが心配です」

 3階までの階段を駆け上がった。上階にもテウヘルが侵入していた。隣の棟へ続く回廊から湧いて出てくる。

 ニケはすれ違いざまに首を刎ね、刀を突き刺し、野獣の体を正中線で二等分に斬る。

 後ろを走る野生司少佐も野獣の膝を打ち抜き、階下へ蹴り落とした。群れがまとめてバランスを崩す。そこへ苛烈な銃撃を加えて時間を稼ぐ。

 バンッ。

 すぐ目の前にいたテウヘルの胸が弾けた。貫通した弾丸が壁にあった『志願兵と奨学金案内』のポスターに穴を開けた。

「リン、俺だ。撃つなよ」

 すると研究室の入り口からひょこっと赤い左右非対称(アシメ)の髪が揺れた。

「あっ、ニケ! 無事だったんだね」

 入り口ドアの周りにはリンのライフルの空薬莢が転がり、照明を反射して真鍮(しんちゅう)らしい金色に輝いていた。

「ああ、なんとかな。少佐も無事だ」

 ニケはライフルを返そうとする少佐に首を振って断った。かわりに残りの3つの弾倉を少佐に渡した。

 研究室では、地下室で感じた妙なニオイが濃く残っていた。リンは特に何もわからないという顔をしていたが、フランはニケと目が合うとバツが悪そうににやりと笑った。

「……わかります? やっぱり」

「何をしたんだ」

「ボクのせいじゃないですよ! ポンコツコンピューターが配合分量を間違えたのです。そのせいで翠緑種を誘引する一種のフェロモンのような臭気を作ってしまったのです」

「それで大学中のテウヘルが寄ってきたのか」

「えへへ。でもでもみなさんが強くてよかったですね。アハハハ」

「アハハハ!」リンも一緒になって笑っていた。手元では空の弾倉に八五式ライフル用の弾丸を詰めている。「このイライラする気持ちはどうすればいいんだろ」

 弾倉を、盛大な音を立ててライフルに叩き込んだ。その音に反応してフランの耳がピンと立った。

「まあ、おちつきなさい、リン君。そうだ、ニケ君の背中にぎゅっと抱きついたらどうだい? 少しは気持ちも落ち着くだろう」

 するとリンはニケの背中に突進してその背中に顔を埋めた。

「ともかく──」ニケはリンを振り払った。「ここにあまり長居はできない。フラン、いつ作業が終わるんだ?」

「もうすぐですよー」

 フランは研究室の備品棚からピストル型の注射器を拝借し、そこへ水銀色の液体が入った試験管をセットした。

「いくつか、わかったことがあるので報告しますね」フランが真面目な顔で咳払いをした。「まず、空気感染はしません。大前提です。翠緑種は強力な侵食性があり、宿主の細胞すべてを置換しますが、その後の形質は元の翠緑種とは形質が異なります。最終的には巨大な緑色のスライムへ変化し自重が支えられなくなり崩壊します。身体強化薬はこの侵食をちょうどいい塩梅(あんばい)で止めなくてはいけません。それがこの減速材です」

 フランは全員に水銀色の注射器を見せた。

「ワクチンのようなものかね、フラン君」

「いいえ少佐殿。減速材です。翠緑種を接種しても変異が発生しないよう調整しました」

「変異した人々を治す方法はあるのかね?」

 ニケはどきりとした。襲ってくるから反射的に撃って斬って倒していたが、元は普通のヒトだ。

「残念ながら、翠緑種の侵食性は不可逆でして……つまり変異個体をヒトに戻す(すべ)は今のところありません。あれはヒトとも翠緑種とも、もちろんテウヘルとも異なる生物。生き物かどうかも怪しいですが」

「そうか。上にはそう報告しておこう。その減速材で変異個体を倒せるのかい?」

「この減速材は正確にはマイクロマシンなのですが、詳細はまあいいでしょう。ともかく、これを散布さえすれば新たな変異個体が生まれることはありません。これをガンマの体に注入し翠緑種の遺伝子を学習させた上で市内に……そうですね、中和剤散布施設が都合が良さそうですね。あの侵食弾頭の瘴気を中和させるために毎朝撒いてるあれです」

 フランは仕事を終え誇らしげに胸を張ったが、ニケは眉を細めた。

「今、なんと? ガンマの?」

「ええ、そうです。なるべく翠緑種の原種に近いサンプルが必要なのですが、ガンマの体内のがいちばんオリジナルに近い形のはずです。もともと翠緑種はいわゆる都市生物の一種でその由来は入植船の害虫ともいわれていますが……オーランド中の地下水路を探し回るより簡単でしょ」

 この前の戦いではガンマにあと一歩まで迫ることができた。人質が無しならおそらく互角。

「わかった努力しよう」

 フランは樹脂ケースに注射器をしまうとニケに手渡した。

「考えていたのだが」野生司少佐が口を開いた。「こんな事態を引き起こしたのはガンマに違いないだろう。だが身体強化薬の入手方法は? フラン君、どこに保管されていた?」

「アレンブルグ研究所のみです。ぼ、ボクじゃないですよ。サンプルとか持ち出していません。あなたたちが3回も裸にひん剥いてボクを検査したじゃないですか」

「だって、隠す場所、色々あるじゃん」

 身体検査をした張本人のリンが眉間に眉を寄せた。

「コホン、ではフラン君。ガンマとその一味が地下研究所から身体強化薬のサンプルを持ち出した、ということか」

 やつならその情報と手段を持っていてもおかしくない。

「ボクはそういう軍事とか犯罪とかギャングとか専門外ですから」

「質問だ、フラン君。中和剤散布施設で身体強化薬を撒くことは可能かい? たとえば1桁区だけでなく2桁区に及ぶまで」

 ぽかん、とフランは目を丸くした。しかし犬耳をヒクヒクと動かして考え事をして、ぽんと手を叩いた。

「ええ、できますね。理論上は。効果は薄まりますが命と自我を奪うぐらいなら可能かと」 

物語tips:歩兵戦闘車

 正式名は歩兵協同作戦用特殊戦闘車両。従来型の偵察用軽戦車を改良し、市街地戦向けかつグライダー輸送ができる程度に軽量化された車両。

 総合的な戦闘力はルガーには負けるが、強力なブレーメン 2名や敵の急所を狙える狙撃部隊を運用しルガーへの対抗措置がある(くさび)部隊ならではの運用思想で3両だけが作られた。

 用途は陣地突破能力の低い空挺部隊を支援するため。アルミニウム製ウェハース装甲(アルミニウム板がダイラタンシー流体を挟むことで、垂直以外の大口径弾の侵徹を防ぐもの。耐熱効果もある)と反応回転装甲によってテウヘル歩兵のロケット弾攻撃も限定的ながら防げる。内部は重武装の兵士6名を分乗させられる他、3名分の担架も運べる。

 武装は0.8寸(20mm)=80口径機関砲1基および同軸機銃1基。遠隔操作及びペリスコープでの射撃が可能。発煙弾擲弾器、3両で1小隊を形成し、うち1両は重迫撃砲も備える。焼夷榴弾、徹甲弾ほか歩兵の装備も運搬可能。

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