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暗い巡空艦内の格納庫の後部ハッチがゆっくりと開く。高高度の冷たい風が頬に当たる。地上は冬を迎えているが、空の上は季節に関わらず寒い。ヒトからすれば凍えるほど寒いらしい。とはいえ降下すればすぐに作戦行動なので厚着をするわけにも行かない。
大気が減圧し耳が唸る。遠くには同心円状に切り取られたオーランドの街が見える。
小型の高速巡空艦は砲台が撤去され、代わりに地上に向いた大口径機関砲が備わっている。装甲が追加されたがそれ以上に推進機が大型のものに換装され速力が増している。
ひどく揺れるしエンジン音も最悪だった。こと、聴覚の鋭い神に見初められた人のニケにとってみえば銃弾で腹をえぐられるより頭に響く。
「はっはー! 紳士淑女のみなさん」
ごうごうと風が渦巻くのに野生司マサシ大尉の声はよく響いた。この高速輸送用の巡空艦を“グァルネリウス”と名付けたのは野生司大尉だし、空中降下先行偵察部隊、通称楔部隊の戦術を編み出したのも大尉だった。
現場叩き上げの一兵卒で軍務省では仕事のない部署で幹部の小間使ばかりさせられていたのに、いつの間にか中隊を組織する権限と多額の予算が与えられていた。
上機嫌の野生司大尉と対照的に、隊員たちは一列に並び、前後で仲間の装備を確かめる。ハーネスが体と足を固定し、落下傘を収めた背嚢につながっている。さながらカタツムリの行列だった。そしてみな真剣そのもので、そのうちの数人は死にそうな表情で青ざめている。
「今日のグァルネリウスは戦闘速度だ。が、本番は艦の下降速度も合わせるので更に速い。今日飛べなければ落第! いいな!」
野太い返事が帰ってくる。
訓練とはいえ、オーランド郊外の上空から切手サイズにしか見えない駐屯地へ降下する。ブレーメン持ち前の楽天さと豪胆さをもってしても躊躇してしまう。
「ぜひ大尉もご一緒に!」
列の先頭にいたニケが冗談を飛ばしてみた。緊張を笑いで吹き飛ばすコツは他の一般兵たちから学んだ。
「なにを言う! 3ヶ月前にニケ君に先んじて飛んでみせたのはワシだろう」
確かに。事前に人形でテストしていたとはいえ、野生司大尉が落下傘を背負って飛んだ時、それを見せられた小隊長の面々は軽く悲鳴を上げていた。
頭上のランプが赤から緑に変わった。グァルネリウスの航法士官から合図が来た。
「リン君! 腑抜けどもに度胸とやらを見せてやりたまえ」
「はい、大尉」
弾けるような笑顔と敬礼だった。リンはひときわ小柄だったがほかの兵士に負けない力強い足取りでタラップを蹴った。背中に収まった傘が開き空中を舞う。長大なライフルは体の正面で2つに分解されフェルト布の袋に収まっている、装備品も腰回りにぶら下げている。
リンに続いて彼女の指揮下の狙撃小隊“かしまし部隊”20人が飛び降りる。隊員の選抜はリン自身が行ったが皆女性の強化兵で、同じ八五式ライフルを抱えている。リンが以前支給されていた八二式ライフルの後継で、性能も概ね向上していた。
これを受領した時、リンは1週間ずっとライフルの話を止めなかった。降下作戦では“長もの”はかさばることからストックが折りたたみ式に改造され収納されたときの全長は三三式ライフルと同じ程度らしい。しかしリンはこの樹脂製の銃床が気に入らないらしく肌に馴染むまで射撃場に入り浸っていた。
「さて1人で1000人倒すシィナ君、もう空の旅はなれたかい?」
「ふん、こんなの! 楽勝よ。ヒトにできてブレーメンにできないことなんて無いんだから」
シィナの2つに束ねた長い髪が風で舞う。装備は身の丈よりも長い大太刀。武器が少ない分、仲間用の医薬品や食料などを背嚢にいっぱいに詰めている。
飛び降りる瞬間、ちらりとニケを見た、ように感じたがすぐに風に飛ばされて見えなくなった。
「おらおらおら! 行くぞぉてめぇら!」
「ウゥフラー!」
筋肉が喋っていると勘違いする20人で構成された“むさむさしい部隊”だった。隊長のラルゴが指揮する機関銃小隊はリンと違って皆屈強な肉体の男性の一般兵と強化兵で構成されていた。とにかく銃弾と銃声が大好きなトリガーハッピーばかりそろっている。
「ちょちょちょ、もう一呼吸っす!」
隊長が先頭に立つはずだったが、ラルゴの前で地団駄を踏んでいるのはブンだった。喋るといつも「気合」だの「漢気」だと言い、敵をギリギリまで引き付け重機関銃の引き金を引く胆力の持ち主。その割には空の上が苦手な元不良少年だった。
「おらおらおら!」
ラルゴの木の幹のように太い首に青筋が浮く。ラルゴの巨体に押し出されるようにしてブンの姿が空中に消えた。ラルゴも続いて飛び降りる。彼の巨体からすれば抱えている軽機関銃がおもちゃに思えた。
彼に続く部隊員も各々、重機関銃の銃身や弾薬箱、三脚を抱えて空へ躍り出た。
「次は“おりこうさん部隊”だ」
野生司大尉が手でニケを送り出す。
「それは正式名ですか?」
答えを聞くより先にニケの体は空へ浮かび上がった。まもなく落下傘が開き、巡空艦の進行方向とは真逆に強烈に引っ張られ空中で宙ぶらりんになった。このガツンと来る衝撃は、ヒトにとってはかなりきついらしい。ブレーメン本来の靭性や2振りの刀を媒介にした力の増幅で、2回目以降の降下ではそうきついものには感じなくなった。
真下にはすでに降下した仲間の落下傘が花開くようにして宙に浮かんでいる。やや上空には“おりこうさん部隊”の20人の落下傘が開いている。
風向きを感じながらロープを引っ張る。それでも自由に向きを変えられるというわけではないのでどこに落ちるかは最終的に運次第だった。
「おりこうさん部隊、ねぇ」
空中にぶら下がりながらその由来を考えても見たが、具体的なきっかけがあるというわけではない。リンやラルゴと違い人数の多い歩兵部隊で、襲撃、突撃、偵察、撤退の殿などをそつなくこなす普通のライフル小隊だった。ゆえに野生司大尉がこっそりと妙な愛称を付けた。
隊員たちが地面に降り、その衝撃を和らげるためくるりと一回転する。着地の衝撃は2階から飛び降りるぐらい強烈らしく怪我をしないため、野生司大尉が作ったマニュアルでは“人間工学的”にはそれが一番とのことだった。
しかしニケはすとんと軟着地すると傘を切り離して銃を構える。乾燥した練兵場の真砂土が舞う。この程度の落下の衝撃なんて大したことがない。三三式ライフルはフェルト生地の保護袋に包まれているため、袋から引き出して弾倉を装填した。中に入っているのは模擬弾だがその他は本番と同じ装備だった。その後ろから部下の分隊長が接近する。
「青1、怪我はないか?」
「はい、隊長。ありません」
「青2、大丈夫か?」
「はい、隊長。ありません」
全体的に色素の薄い風体は標準的な強化兵だった。しかしふたりの見た目はそっくりで同じように青みがかった薄い髪を刈り上げているせいで、ニケはそう呼んでいた。もっとヒトらしい名前を、とリンにも言われたが当の2人は納得しているようなので、部隊が再編成された半年前からずっとその呼び名だった。
「青1、青2。分隊の点呼を。それと装備品の紛失確認。負傷者がいれば報告するように」
2人の強化兵は頷いて返事をすると駆け足で自分の分隊へ向かった。それぞれに強化兵10人で構成された分隊を任せているが、新兵の一般兵や強化兵をまとめてよく指揮をしてくれる。
ニケが落下傘を畳んでいると、すぐ近くに降りていたブンが転げ回っていた。
「くそぅ、痛ぇ。足をくじいた」
けが人であればすぐに駆け寄るべきだったが、ニケよりも先にラルゴがそれに気づいた。
「ほら、立て! 鍛え方が足らないからそうなるんだ」
「鍛え方って。ヒトはそんな高いところから飛ぶようにできてないっすよ」
「気合も足らん!」
ラルゴが蹴飛ばす。荒っぽいが下層階級の市民であればあたりまえのコミュニケーションらしい。
「くそぅ明日からの休暇はバーでかわいいおねえちゃんを引っ掛けようと──いてっ」
「俺の前で酒の話をしたな? 明日は外出禁止だ! 許可証にサインしてやらんからな」
ニケは不良まがいのやりとりを眺めながら、落下傘を練習通りにたたみ終えた。両手いっぱいに抱えるサイズだったが重量は見た目ほど重くない。人工絹とかそういった特注素材らしい。本来は物資の空中投下用の落下傘だったが人体用に改造してある。
「ラルゴ、そのくらいにしといたらどうだ。もうブンはぼろぼろだし」
巨漢のラルゴが凄むも、ニケだと分かったらすぐにブンを開放した。歳は34か35くらいで野生司大尉に近い。ニケとラルゴは年齢差がかなりあったが実力については互いに認め合う関係だった。
優秀な兵士という評判と剥奪された従軍勲章──彼はアレンブルグからの生還兵だがアルコール依存症と診断されセミナーに通う日々だったらしい。そのときに野生司大尉に会いヘッドハンティングされたとか。
ラルゴの足元でうずくまっているブンもまた、元不良でブレーメンの文様とは異なった威圧的なタトゥーが腕や足に掘られている。野生司大尉とどう交渉したかは知らないが犯罪歴の抹消と引き換えに最新鋭の楔部隊に来たらしい。下層市民らしい言葉の訛りや喧嘩っ早さはあるが根は悪いやつじゃない。
「くそぅ、ブレーメンの。俺をそんな哀れんだ目で見るんじゃねぇ」
「表情は変えていないんだが。あと、ブン、それ」
「ああん? 喧嘩売ってんのかてめぇ」
ずかずかとブンが近づく。ラルゴが止めようとするも手を振りきった。その時、ブンの背後で風に吹かれた落下傘が丸く開いた。
「どっわっ! くそ、くそ、ブレーメンの! 覚えていろよ」
ブンは落下傘に引きずられ、練兵場の反対側まで飛ばされてしまった。
「切り離せばいいものを」
「そうやって備品を喪失したら明日の外出許可証は出ねえからなぁ」
「でも今、どのみち隊長が出さないって」
「でまかせだよ。下層市民なりの交渉術だ。ニケ、あんたは真面目すぎる。もうすこし柔軟にならなきゃな」
がさつな男だが長く生きている分、言葉の節々に含蓄があった。
ふたりが空を見上げると、やや遅れて大きな落下傘が降ってきた。パレットに銃弾やらロケット弾、軽迫撃砲を載せた物資だった。下にいた兵士たちが押しつぶされないように場所を開けた。
「最後は工兵隊か。今日は風に流されずなんとか基地に来れた。前回はハイウェイのど真ん中に降りたから」
「んや、違ぇな」ラルゴは手でひさしを作ってグァルネリウスを見た。「艦の進路が逆転している。そのおかげで下りられたんだ」
ふたりの視線の先で、落下傘の下でもがく姿があった。体格はラルゴより2まわりも小さくおっとりとした印象だった。相当目が悪いらしくポケットからメガネケースを取り出して、落下傘をたたむのに苦心していた。
「どうしてあんなのが? ニケ、お前は大尉と仲がいいだろう」
「ンナン特務軍曹。あれでも頭は良い」
「それは知ってる。わけのわからんことを一日中ぶつぶつ言ってる。オベンキョばっかりのあたまでっかちはよくわからない」
「テウヘルの持つテクノロジーに興味がある学生で、大学の学費免除と引き換えに入隊したとか」
ンナン特務軍曹は、一般的に流布しているテウヘル=犬説に意を唱えて思考実験した論文を書いていた。彼の論文を野生司大尉の書斎で読んでみたが、支離滅裂な内容の割に大尉は評価していた。
ニケとラルゴの下に指揮する小隊が集まった。
「かけあーし! よぉい!」
ラルゴが拡声器でも使っているんじゃないかという大声で号令をかけた。筋肉だるまたちはよく整った駆け足で練兵場を後にした。ニケも指揮下の小隊にハンドサインで命令を出して、駆け足で後に続いた。
落下傘は支援隊に渡し調整と修理を行う手筈だったが──。
「ニケーっ! ただいま! ねぇねぇあたし、がんばったでしょ?」
狙撃小隊隊長=リンのマシンガントーク。リンがニケの背後からぎゅうっと抱きついた。
「リン、お前な。仕事中はそういうことするなって言っただろう」
するとニケの後ろを歩いていた青1&2は聞き逃さなかった。
「ほほう、仕事中は」「つまり自宅や宿舎では」
きりっとニケが丸刈りなそっくり顔の強化兵を見た。
「どっちが言った?」
すると青1&2は互いに互いを指さした。
「俺たち賭けをしてるんすよ」「隊長がリン伍長とシィナ少尉のどっちを選ぶか」
青1&2は目を合わせて、
「俺はリン伍長を」「俺はシィナ少尉を選ぶと」
まったく意味がわからない。
ニケは青1、青2とリンを順々に見比べた。色素が薄い特徴が共通した強化兵だが、3人とも出荷からかなり時間を経ているため会話の受け答えは一般兵とそう変わらなかった。特に青1、青2は、部隊編成後しばらくしてから知ったことだったが、初戦のラーヤタイの生き抜いた兵士だった。以前どこかで会っていたのかもしれない。
「で、リン。そろそろ離れてくれないか。お前の部下もこっちを見て笑ってるぞ」
「えへへ。みんな仲良しなんだよ」
“かしまし部隊”の愛称はそれゆえだった。どこへいくにも女子兵士集団で動きクスクスと笑いヒソヒソ声で話している。
すっとリンは離れると、
「大尉がね、小隊長は集合っだってさ。伝えに来たの」
「それをさっさと言えばいいのに」
ニケは自分の落下傘と予備の傘を青1&2に任せた
「俺のハーネスは特に問題がなかった、と補給班に伝えてくれ」
「了解、隊長」「さすが、隊長」
青1&2はニタニタ笑いながら、
「制裁パンチの軍曹」「俺たちはどこまでもお供しまっせ」
ニタニタ笑いが小隊員に伝染していく。
「鉄拳制裁?」
リンが大きな瞳を丸くして訊いた。赤みがかった瞳にニケの姿が写っている。
「こらこら、鉄拳じゃない。噂話に尾ひれをつけるんじゃない」
説明しようかとも思ったが、長くなるし野生司大尉が呼んでいることもあってごまかしてやりすごした。
ニケとリンは駐機場に下りてきたグァルネリウスに走って集まった。すでに野生司大尉は空の弾薬箱に地図を広げ、時間経過ごとの着地、集合率、風に長された距離などを記入していた。
ニケ、リン、ラルゴの隊長が集まりお行儀よく“気をつけ”の姿勢で待った。シィナはその後ろで腕を組んでいる。平均的なブレーメンらしく軍隊らしいお行儀の良さを毛嫌いしていた。
「ん? ああ、楽にして良い。さてさて、訓練の結果だが及第点、といったところか。物理的な理論通りには行かない。なにせ飛ぶのは生身の生き物だからね。とはいえ、大規模な降下作戦は当面無理だ。遂行できるのは人員の6割、程度か。小隊長は部下の中で優秀な順位をつけて後日、提出してくれ」
了解、とばらばらした返事があった。
「ではもう少し訓練を?」
「はは、ニケ君。ヒトはそう焦って叩いても伸びないものなんだ。訓練期間はわずか半年だったが、ワシは皆よくやってくれていると思う。それに落下さえしてしまえば皆優秀な兵士だ。テウヘルの頭を吹き飛ばすなんて訳ないだろう」
これには皆がニヤリと笑った。部隊結成当初、野生司大尉が言っていた楔部隊の役割は「心理的効果」と「戦略的効果」のふたつだった。敵陣地深くは守りが薄く意表を突く奇襲で敵の連携を乱す。そして敵陣地に“点”を作り前線と協力し“線”から“面”へと確保する。そういう戦術だった。
「では大尉、そろそろ俺たちも出撃ですか」
「いい質問だ、ラルゴ君。実のところ目標は定まっているが部隊間の調整が必要でね。皆も味方の砲弾が降る中で降下作戦はしたくないだろう?」
小隊長がそれぞれ気まずそうに顔を合わせる。
「戦線は大陸各地に広がっています。噂では第3師団も」
「ああ南部にもテウヘルの侵攻が迫っている。あそこは山岳地帯それ自体が要塞だ。そうやすやすと突破はできんよ。第2師団の管轄も、砂漠を無理に横断しようとするテウヘルの機甲部隊を空の上から巡空艦が狙い撃つ。ワシらの出番ではないな」
「ではやはり、出撃はアレンブルグに」
「ラルゴ君も、よく知っているだろう」野生司大尉は真剣な表情を浮かべたがすぐニコリと表情を変えた。「とりあえず明日は休暇だ。よく食べよく寝、英気を養うんだ。ラルゴ君、外出許可証が欲しいならあとで駐屯地のワシのオフィスに来るように、皆に伝えてくれ。すでにサインはしてある」
相変わらず手が早い。相手に望むものを与えると思わせておいて、欲しいものはすべて絡め取ってしまう人たらし。20年間 軍務省で培った政治術だと野生司大尉はときどき漏らしていた。
隊員はそれぞれが敬礼し、そして解散となった。
「さて、ワシは事務所で書類を片付けたらうちへ戻るが、一緒に帰るかい?」
野生司大尉はすでに父親の“顔”に切り替わっていた。
「ええ。宿舎に長居する理由もありませんし」
リンも一緒に頷いている。
「シィナ君も一緒に来るかい? 今日はブレーメンの料理も用意しているが」
ふてくされているシィナは横目で野生司大尉を見て、それからニケを見た。
「別に。いいわよ」
「やったー、シィナちゃんもいっしょ?」リンはいつもどおりはしゃいでいた。「行こ行こ。シャワー浴びて着替えよ」
「ちょ、ひっぱんないで。私、ブレーメンだからそんなシャワーなんて浴びる必要ないんだから」
おまけ♪ (掲載日:2025/05/24)
かしまし娘たちの私服バージョン