18
野生司マサシはその日、宰相官邸に来ていた。そう広くはない1桁区に、厳重に警備された真四角な芝生の敷地と無数の強化兵たちの警備付きで宰相デラク・オハンは暮らしていた。
身分の違いをまじまじと見せつけられる。超上流階級、というからにはどれだけ豪華絢爛かと思ったが、官邸の内装はシンプルだった。目につくのはふかふかの赤いカーペットに歴代宰相の肖像画が飾ってある程度。広い部屋は古いだけで作りは質素だった。
無数にある質素な部屋のその1つのど真ん中に、一対のイスとテーブルが置かれ、マサシはデラク・オハンと軍団将棋に興じていた。格子状の盤面を駒が移動し、相手方を全滅させるか大将駒を取れば勝ち。それぞれの駒は固有の動きがあり、さらにゲーム開始時に山や川や湖といった地形をランダムに配置して駒の動きはさらに変わる。歩兵、機械、砲兵、空兵、工兵に分かれそれぞれに得手不得手もある。
「娘さんの様態は?」
デラク・オハンはその鉄仮面をぴくりとも動かさないで世間話を始めた。駒の番は彼で、歩兵の駒をマサシの砲兵の駒へ進めた。
「ええ、だいぶ良くなりました」マサシは盤面を見たまま答えた。「軍の紹介で一流の精神科医に診てもらっています。完全な回復には時間がかかりますが経過は良好です。医師の紹介の口添え、ありがとうございます」
ホノカはあの誘拐事件のあと、まだ学校を休んでいる。ノリコの付き添いが必要だが近所を外出するくらいならできるようになった。肉は、まだ食べたくないと言っている。無理もない。目の前で人がバラバラに切られて死んだのだから。しかしワシもノリコも、ホノカを救い出してくれたニケ君とリン君には心から感謝している。むしろ娘の軽率な行動で2人を危険に巻き込んでしまったことを悔いている。週末には菜食のディナーでもしようか。シィナ君は──肉を食わせろと言うかも知れない。
「優秀な部下のおかげで最悪の事態になりませんでした」
マサシは笑ってみせたが、デラク・オハンは唸っていた。
「君が軍務省でいろいろ裏工作しているのは知っている。慣例に従わずブレーメンや優秀な強化兵の個体を確保していたことには目を瞑るが、まあやりすぎないことだ。軍務省の政治家たちは私ほど寛容ではないぞ」
「全ては連邦のために」
マサシはデラク・オハンの歩兵の前に自身の歩兵を進めた。歩兵と歩兵では先手を打った方の勝ちだが、デラク・オハンの歩兵の後ろには機械部隊が控えている。しかし次の一手で、マサシの空兵の駒がデラク・オハンの兵団を一掃した。
「うぅむ。さすがだ」
「お褒めの言葉、どうも」
「いや、アレンブルグでの一件のことだ。軍務省の戦争屋たちは殺したテウヘルの数やら占領された面積やらの数字で足を引っ張り合っているが、戦争なんて最終的に勝てさえすればいい。それに重要なのは情報だ。君の部隊が持ち帰った研究員、研究情報、テウヘル将校、そして完全な状態のルガー1両。素晴らしい成果だ」
元・第1師団の師団長上がりながら、デラク・オハンは軍人と政治家の両方の素質を持っていた。
「そしてどうやらワシたちは宇宙人で、ブレーメンはこの惑星の先住民。テウヘルたちが人類に反旗を翻したのは、そうした人類の過去の横暴のせい。違いますかな」
しかしデラク・オハンは鼻で笑うだけだった。肯定か否定かあるいは本当に知らないのか、その鉄仮面の下をうかがい知るのは難しい。
「君がそう思うのであればそうでもかまわない。だが妙な噂を吹聴しないことだ」
「捕らえた将校はどうなりましたか?」
まともに会話ができるテウヘル、というだけで誰しもが驚いていた。しかし彼の話ではそれが普通、とのことだった。“壁”を隔てた向こう側はこちら側よりも発展し清潔な都市とその外周に住まう知能の低いテウヘルたちの暮らしがある。荒野を科学で開拓し海沿いではなくても湿潤な水源がある。
「奴らは、連邦と同じ市民権があるべきだ、と500年経ってもなお主張している犬畜生共だ。皇はそのせいで心がゆらいでおるようだが、奴らの由来は所詮、尖兵にすぎない。唯一大陸から一掃されて当然」
なるほど──処刑されたか。彼の話はこのワシでも心が揺らいだ。ほんのわずかだが。彼の生き様は共感するところもあった。しかし心の優しい皇なら即停戦を呼びかけるかもしれない。
「ワシも軍人です。全ては連邦のために」
「ふん、その人畜無害な面の皮の下に何が眠っているのやら。だがいま大切なのは大いなる目標。そうだろう? “少佐”」
デラク・オハンがにやりと、笑った。初めて見た。この官邸に呼び出された用事の半分は形式的な勲章の授与と少佐への昇進だった。真新しい記章がマサシの襟と肩で輝いている。
「感謝しております、閣下」
「今や君は大隊を指揮することができる。そして、緊迫する戦時下ではあるが、君の要求を通りに人もモノも動かせるよう手配しよう」
盤面の上で、デラク・オハンの砲兵が山を超えてマサシの歩兵を蹴散らした。成功の可否はサイコロを振るわけだが、その1/6の確立をデラク・オハンはピタリと当てた。
「では、先日確保したフラン・ランと新型弾頭の研究施設を頂きたいです」
もとから言うべき言葉を用意していたおかげで鉄仮面の目の前でも臆せずに物が言えた。
「ほう、だが皇の御前で新型弾頭は使い物にならないと断言したのは君だろう。私は忘れぬぞ」
意外と根に持つタイプなのか。
マサシは盤面に向き直り、敵前のど真ん中に単独で歩兵を進めた。
「20年前、ワシが最初に配属されたのは第58歩兵大隊。そして命令されるがままトラックに乗り込み、3日後には“壁”にいた。目の前に広がるのは奇妙な建物でそれが大河の両側に広がっている、遺跡というより廃墟というべき地帯だった。大河を挟んで向こう側はテウヘルの領域だ。そこで告げられた命令は、テウヘルの空中要塞の偵察と破壊だった」
ちらりと鉄仮面のデラク・オハンを盗み見た。表情はひとつも変わりない。
「で?」
マサシは肩をすくめて話を続けた。
「正直、突拍子もない作戦だと思った。馬鹿らしいとも。その後1ヶ月も遺跡で野宿をした。その時、部隊の半分は第3世代型の強化兵だった。ロールアウトしたばかりの。彼らは強く陽気で個性にあふれていて頼もしかった。それまで訓練中に見かけた第2世代型とは大きく異なる。クローン兵なんかじゃない。たしかに自我のあるヒトだった」
「そうだな。クローンではない」デラク・オハンが口を挟んだ。「あれは人造有機機械だ。炯素基体の人工骨格で遺伝子サンプルを転写して個別の形質を表現している。わかるかい? クローンではなくコピーだ。軍の広報だってそう言っている。おかげで1年足らずで生体が手に入り2年もあれば戦線に投入できる1人前の兵士を作れる」
軍の機密、などではなかった。秘密とは公開すれば隠す必要がないとよく言うが、もともと軍も強化兵の由来を隠すつもりなんて無かったんじゃないのか。もっと言うと強化兵は兵役の負担が減るので民衆側も都合がよく、その真相を誰も深掘りしようとしなかった。
「当時の強化兵は、本当にヒトだった。みなぎる闘志も恐怖に震える目も、ワシらと変わらなかった。耳の黄色のタグ以外は、普通のヒトだった」
「第3世代の初期型はそれが欠点とされた。ヒトらしさは時として優秀な兵士に育つことを阻害する。強化兵に求められるのは、テウヘルを凌駕する強さと死を恐れない気概、だ。ゆえに圧縮知育と集団育成で矯正を図ったわけだよ」
ヒトの業。そう言うほかに無かった。“彼女”の死の上で生きていることが後ろめたさを感じていたし、その死に報いることができるように働いてきた。
「話が読めた」デラク・オハンは駒を進めた。「“壁”まで進んで空中要塞を攻撃する作戦など後にも先にもあの1つしかない。20年前の、史上初めて空中要塞のひとつを破壊できた作戦だった。公式には存在しないが──」
マサシはぐっと奥歯を噛み締めた。
「──そして、女だな。うむ、推測しよう。強化兵の女に恋をした、だな。そうだろう? 一兵卒が戦場から生きて帰り十分暮らせるだけの給金を手にしてなお未練がましいなぞ、理由は女以外にありえない」
笑っていた。鉄仮面の宰相が笑っていた。
「アリッサはワシの腕の中で静かに死んでしまった。いまだにアリッサの死に際が夢に出てくる。部隊は空と地上の両方からテウヘルに襲撃され潰走。ワシは迷路のような遺跡の奥深くへ逃げざるを得なかった。そこで、ワシは、それを見た。機械のヒト。当時はそう言う他なかったが、今になってSF小説の中からその適切な言葉を見つけた。人工知能が操作する、立体映像と戦闘機械だった。ワシはテウヘルを倒すように頼むと、あたりにいたテウヘルはみな消し炭になっていた。銃で撃たれたとかそういうのじゃない。体が燃え上がり、炭になった、文字通り」
「そうして、史上初の空中要塞を撃沈した」
「ワシは3日3晩 荒野を歩いて前線基地へ帰投した。だがワシはすぐに憲兵に拘束され、憲兵だか情報部だかに同じことを何度も何度も聴取し続けられた」
「正確性を期する、基本的な規則だ。それで正気を失わなかったのはさすであるが」
「そして最後の公聴会で見聞きしたことを死ぬまで口外しないと宣誓させられた」
「私もよく覚えている。当時は軍務省の書記官だったが、テウヘルの部隊を壊滅させ1人前線から帰還した兵士だけあって軍務省も高い注目があった。君は、たしかこう言った。『あの武器さえあればテウヘルに勝つことができる』。だが軍の上層部はその証言をねじ伏せ、戦闘自体を非公式戦闘と分類した。機密を知った君は、軍務省の小役人として飼いならすことが決まった。軍務省に対してクソほど文句があるだろう」
「あるに決まっているだろうが!」
つい強く言い過ぎてしまった。しかし鉄仮面の宰相はなおも笑っていた。
「だが、あの決定は軍務省の意志ではない。もっと上からの指示だった。誰だかわかるかね」
ざっと頭を巡らす──軍務省が付き従う存在はひとつしか無い。
「皇か」
「正確には年老いた先々代の皇のご意思だ。そういった過去の技術は捨て去るべきだ、とね。強化兵の製造ですら、君は知らないと思うが、皇とは揉めに揉めた。君もうすうす気づいているだろう、連邦の矛盾に。場違いな技術と呼ぶべき先進的な技術があり、それを捨て去るべきだ、という考えだ。回帰主義と言ってね、先々代の皇は回帰主義に取り憑かれていた。旧文明の遺産など徹底的に捨て去るべきだ、というふうに」
「あなたは、どうなのですか。宰相」
デラク・オハンは椅子に座り直してぐるりと首を回した。
「宰相のイスは、座り心地が良いぞ、少佐。私はこの、今ある連邦を維持できるのであればそれでいい。歴代の皇は、なぜか数万年も人類という存在を俯瞰して喋っている。どういう理屈かは知らんし興味もない。なぜなら私ら凡人にとってみれば、もっと重視すべきことがある」
「権威」
「安定した統治、ともいえる。この宰相のイスに座るにはお利口さんだけじゃダメだ。軍人としての業績だけでも足らん。狡猾さと計算高さで権威を簒奪する牙こそが必要なのだ。どうだ、少佐。宰相のイスに興味はないか。第1師団のボンクラや第2師団のタカ派、第3師団の拝金主義には任せられないイスだ」
「まずは連邦の勝利が先決です」
「くっ、頑固者め」
チェックメイト、そう言ってデラク・オハンはスティック状の機械を置いた。一見するとチューイングガムのパッケージと同じぐらいの大きさだった。
「これは?」
「オーランドの隣、スコイコ市に古い軍の工廠がある。そこに入るための電子キーだ。鍵だよ。地下の軍事工廠でフラン・ランが新型弾頭の改良研究をしている。オーランド随一の頭脳も集めてある。ここの指揮権を少佐にやろう。君の大いなる野望とやらに大いに活用してくれたまえ」
マサシはスティック状の電子キーを受け取り、代わりに空兵の駒を進めた。
「チェックメイト」
「ルールが違う。空兵は前後左右のみ攻撃ができる。司令部には届かない」
しかしマサシが空兵の駒をどけると、その下に歩兵の駒があった。
「ワシの兵士は空を飛ぶ精鋭揃いですから」
「うーむ」
宰相デラク・オハンは鉄仮面の二つ名らしく、眉間にシワを寄せた。
★おまけ
多数の閲覧、ありがとうございます。感謝を込めてイラストを描きました。
物語tips:非公式戦闘六六〇三
約20年前 テウヘルの空中要塞への威力偵察が目的のため、新型の第3世代型強化兵と一般兵の混じった機械化歩兵大隊が派遣された。その目的地は、獣人の支配領域ぎりぎりの“壁”と呼ばれる一帯だった、
壁は北海へ流れる大河の両側にブレーメンの古い都市遺跡があり心理的かつ戦略的にヒトとテウヘル両者にとっての境界線だった。ここで過去100年間で最大の戦闘が行われた。
戦いの後、新兵だった野生司マサシ1人が生還した。かつての人類の古戦場であったため惑星入植時代の古い兵器を偶然 稼働させることができたことによる勝利だった。しかしこの事実が、回帰主義派の皇にとって都合が悪いため“根拠なし”の判が押され資料棚の奥深くに封殺された。これ以降の第3世代強化兵の製造ロットでは圧縮知育により死への恐怖を感じないよう処置が施されるようになる。こうした経験は、野生司マサシが独立的な野心をいだくきっかけになった。




