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ブレーメンの聖剣 第1章胎動<中>  作者: マグネシウム・リン
18/22

17

「あたしって何なの? もう、わけがわからないよ」

 腕の中でリンは、これまで見たこと無いくらい泣いていた。あちこち傷だらけで薄汚れているが、大きな怪我は無いようだった。

 リンから連絡を受け、ネネにあの胃が裏返るような転送をしてもらい、警官に赤い髪の強化兵のことを聞いて周り、ぎりぎりの所で間に合った。

 ニケはリンを抱え上げた。まだ聴力が戻ってないらしい。ニケも、ひどく耳鳴りがするがヒトほどヤワじゃない。

 駅のホームで自爆した分離主義者の爆弾魔は、もう跡形もなく消し飛んでいた。駅のホームのタイルがめくれ上がり、焦げた地面に小さな肉片が飛び散っている。軍警察の憲兵たちはほっと胸をなでおろして現場検証を始めた。

「壁、走ってたがお前はブレーメンなのか」憲兵隊の小隊長が声をかけてきた。「これ、その子の拳銃だ。残念な結果だったが爆弾犯と直接交渉するなんて大した度胸だ。俺の部下たちなんてビビって縮み上がっていた」

 憲兵隊の小隊長は拳銃の安全装置を再度確かめて、ニケが抱えているリンの上に拳銃を置いた。

「分離主義者の襲撃ですか」

「そうとも言えるしそうじゃないとも言える。軍の情報部から分離主義者たちに動きがあると知らされて警戒していたんだが、同じ“側”の反戦運動を襲うなんて予想外だった」

「分離主義者共の首魁については?」

「さぁな。俺たち現場組はそこまで知らされていない。君、ブレーメンなら尉官、ということになるのか」小隊長は数秒間の敬礼をして、「部隊に合流した方がいい。たぶん軍にも協力要請が出ているはずだ。どのみち後方勤務の憲兵隊だけではオーランドを守りきれない」

 小隊長は慇懃に会釈するとその場を離れた。

 駅から地上に出ると、リンを静かに道の側の縁石に座らせた。柔らかい頬に手を当てて涙を拭ってやった。

「どうだ、声、聞こえるか」

「うん。だいぶ。ニケ、怪我してる」

「擦り傷だ。心配ない。それよりリンは?」

 すっと、リンは立ち上がった。

「おしっこ!」

「あっ、はいはい。駅の公衆トイレに行ってこい。駆け足だ」

 地下鉄の階段を降りるリンを見ながら、一体これからどうしたものか、と頭を巡らせた。上空では憲兵隊の軽巡空艦が低空で飛行している。通例ではありえない高度だったが、備え付けのスピーカーが喋っていた。

『戒厳令が発令されました。危険ですので市民の皆さんは速やかに自宅へお戻りください。繰り返します。戒厳令が発令されました──』

 つまり道を歩いてるだけで犯罪者、ということか。

 しかし大通りは警察と救急隊の赤色灯がちらちらと夕暮れの都市を照らしている。あちこちで暴力行為と略奪行為が行われ、運悪く警察に捕まった暴漢は警棒でしこたま殴られている。

「戻ったよ!」

 リンだった。前髪が上がり、顔もしっとり濡れている。

「じゃあホノカを探しに行こう。はぐれたのは、このあたりなのか?」

「うん、ジュライ・ロータリーのとこ。ごみ箱が爆発して、そのとき見失っちゃった。ごめん、あたしが付いていたのに」

「謝ることはない。こんなこと誰も予見できなかった。全部の責任はガンマ、あの男にある」ニケはざっと周囲を見渡した。「ホノカの足の速さなら、移動した距離は4,5ブロックくらいか」

「もしかしたら、タクシーを捕まえてもううちに帰っているかも」

「ノリコさんが心配だから、シィナを家に向かわせた。もしホノカが自力で帰ったらパルに連絡が来るはずだ」

「すごい、準備万端」

「半分はネネの手助けもある。野生司(のうす)大尉にはネネから連絡を入れてもらっている。俺たちは、俺たちにできることをしよう」

 2人は路地を抜け大通り沿いに走った。あちこちで騒動を起こしているのはギャング、半グレ、分離主義者の一派、あるいは低賃金労働者たちだった。そういった群れは一瞥しただけで目的の少女らしい人影はないとわかる。

 分離主義者たちは手に鉄パイプや角材を持ち、まだ警官隊と対峙していた。装甲車から放水を浴び地面に倒れたところを一人ひとり取り押さえられていく。

 カオスだ。

 シャッターの閉まったカラオケ店の角を曲がり路地を進む。余裕のある市民はカメラを手に騒動をフィルムに収めようとしているが、だいたいの市民は固くドアを閉じ、上階から外をうかがっていた。

「止まれ! 金目の物を出せ!」

 ニケとリンの進路を塞ぐように、男の暴漢が飛び出してきた。そんなに顔色も体格は良くない。薬物でも使っているのか。そして慣れない前口上で拳銃を構えている。

「何してんの? あたしたち、銃持ってるのよ?」

 リンが不思議そうに、左右非対称(アシメ)の赤い髪を揺らした。

「金だ! 死にたくなきゃかねを出せ」

 わからなくもない──今銃を構えているのは暴漢で自分たちは武器を下ろしている。優位だと勘違いするには十分だ。

 青い光が一瞬だけきらめいた。ほんの瞬きの時間だけで、ニケは主刀を抜き、暴漢の指を落とさないよう、拳銃の銃身だけを斬った。

「抜刀術は得意じゃないが」

「くそ、てめぇブレーメンっ!」

 言い終わらない内にリンの体術が決まり、暴漢は地面に突っ伏した。

「あたしね、今すっごくイライラしてるの! 手加減できないの。わかる?」

 暴漢はぜいぜいと呼吸が乱れている。強化兵の本気の体術じゃ、あばら骨の2,3本が折れていてもおかしくない。暴漢の両腕には高そうな時計がいくつもありポケットからは札束や財布も出てきた。

「窃盗、暴行、違法銃器使用」

 意味がないと思いつつ、男の罪状を並べた。ニケは暴漢の首根っこを持ちひょいと持ち上げると、大通りへ出て目についた巡査に引き渡した。巡査は無線機で話しながらぶっきらぼうに結束バンドだけを渡して、車両のドアを顎で示した。

「ここに縛っておけ、と」

「……調書は後で作る」

 それだけ言うと巡査は再び無線機に耳を傾けた。

「高校生くらいの女の子が警察に保護されていませか?」

 ニケは軍人証を見せながら言った。巡査は軍人証とニケの2振りの刀、そしてリンの耳の識別タグを順々に見比べた。

「ブレーメンに強化兵? なんだってこんなところに」

 会う全員に言われるな、それ。

「人を探している。友人だ。緊急で」

「知らない。通常なら警察署で保護しているはずだ。だがどこも混乱している。俺たちも。ったく何から何を守ればいいっていうんだ」

 3人の見ている前で、複数の暴徒が店舗に火炎瓶を投げて炎上させている。夕暮れの濃い影の中でオレンジ色の炎が天高くあがった。

「巡査も、銃を持った方がいい」

「銃? それならある。ほら、暴徒から取り上げたものだ。俺だって従軍経験ぐらいある」

 警察車両の後部座席には狩猟用の散弾銃から、軍が横流しした旧式突撃小銃までさまざまだった。暴徒から回収したものだろう。

 ニケとリンは巡査に別れを告げて再び、ホノカを失ったロータリーから通りを順々に見て回った。途中、目についた暴徒は痛めつけ叩きのめし、襲われている市民を手近な雑居ビルへ導いた。

「あと弾が3発だけ」

 リンはぱたん、とリボルバー拳銃の回転薬室を戻した。

「銃砲店も閉まっているだろうし。暴徒が同じ口径の銃を持っていなかったか?」

「ううん」

「まあ、リボルバーは護身用だからな」

 マフィアのボスや銃マニアじゃない限り、大抵は自動拳銃を選ぶ。弾数が多いほうが便利だというのがギャングであれ良心ある市民であれ、同じことを考える。

 2人がちょうど街灯の下を通ったときだった。左右の雑居ビルからわらわらとギャングが湧き出した。

「またか」

 また強盗か──しかし強盗らしい前口上より先に発砲の光が見えた。ニケは銃弾の弾道を見切り主刀を引き抜くとそれをはじいた。正確な射撃、しかも命を刈り取ろうとしている。

「いたぞ! 賞金首だ! やっちまえ」

 ギャングのリーダーらしい男が叫ぶ。腕や首筋にまでタトゥーが掘られている男だった。

 ニケが5発目の銃弾を隠し刀で(はじ)くと同時に、リンは身をかがめ、素早く3発を撃ち1人目を倒した。阿吽の呼吸で2人の立ち位置が入れ替わった。

 ニケは斧を振りかぶって襲ってくる男の両腕の腱を浅く切り裂く──リンはニケの腰のホルスターから自動拳銃を借りて、遠距離のギャングをさらに2人倒した。対テウヘル用の強装弾(きょうそうだん)が装填されたままだったので、1発が当たるだけでヒトにとっては致命傷だった。ニケはほんの瞬きの時間だけで道路の反対側まで一足に飛び、ギャングのリーダーのタトゥー男が持つ旧式自動小銃を3つに切り裂いた。そして残心の構えからなめらかな蹴りで壁際まで追いやる。

「ま、待て、話せばわぁかぁぁぅ」

 ニケは赤子の手をひねるように、タトゥー男の腕をねじ上げてビルの壁に押し付けた。男の鼻と歯が折れて顔中から赤い血を流している。

「あった! あったよ」

 リンはギャングの死体をがさがさと漁り、自分の拳銃と同じ口径の銃弾を見つけて喜んでいた。


挿絵(By みてみん)


「どうしてわざわざ俺たちを襲った? もっと手軽な獲物がいただろう」

「はい、ニケ。銃を返すね。でもさ、そう押さえつけてたら話せないんじゃない? 強化兵相手の格闘術じゃないんだから」

 それもそうか。

 タトゥー男を放してやったが、逃げる気概もなくその場でヘタリと倒れた。

「俺たちぁ知らなかったんだ」

「何を?」

「この騒ぎに合わせて誘拐しろって話があって、生きたままでも死んでても金をくれるって」

 タトゥー男は胸ポケットから震える手で2枚の写真を取り出した。かなり望遠で撮られて引き伸ばされた荒い写真だった。リンがそれを受け取ってじぃっと見た。

「1つはニケので、もう1つは、えっうそ、ホノカちゃんだ」

「お前たちが誘拐したのか」

 ニケがタトゥー男の足を蹴ってどつく(・・・)と、骨が折れる鈍い音がして、タトゥー男は苦痛に顔を歪めた。

「知らない、何のことだ! その娘は見つけてない」

「とぼけたら、次は膝を逆向きに曲げる」

 ニケが男の膝に触れると、まるで子供のように泣きじゃくった。

「うそじゃないうそじゃない! 依頼を受けたのは俺たちの団だけじゃない。他にも賞金目当てのギャングがいるんだよぉ。ちくしょう、どっかの御曹司(おんぞうし)かと思ってたらブレーメンだったのか」

「じゃあ、依頼を出したのは誰だ? 誘拐した後で、どこで落ち合う予定だった?」

「す、スナーター公園だ! ここからそう遠くねぇ。古いセダンに仲介役の男がいて、そいつに渡す手筈だった」

「そうか。いい子だ。そこでじっとしていたら後で救急隊を呼んでやる」

 くるり、とニケはリンの方を向いた。

「嫌な予感がする。こんなことをするのはガンマの他にいない」

「いろいろ恨みを買ってるからね、あたしたち」

「次は容赦しない。奴は──」

 見えた、というより気配を感じていた。ニケは身を翻しながら主刀を引き抜き、隠していた拳銃を構えたタトゥー男を横一文字に斬った。銃──腕──額から上がまっすぐ斬れて斜めに崩れた。

 ニケが軽く刀の柄を握ると返り血は霧散した。

「無益な殺傷はしたくないのに」

「で、何だっけ? ニケは何か言おうとした?」

「すべての代償をやつに支払わせる。さ、急ごう。背中に乗るんだ。本気で走る」

 リンはニケの背中に乗った。これが初めてというわけじゃなかった。ラルゴやブンがニケと懸垂の回数を勝負しようとしたとき、“ハンディ”としてニケの背中にリンがぶら下がり、左手1本で懸垂をした──結果30分も懸垂した挙げ句、ニケの言った一言は「疲れた」だった。

「きっとこれ、罠だよね」ニケの背中にしがみつきながらリンが言った。「ガンマはギャング程度にあたしたちが捕まえられないのを知ってる。だからホノカちゃんの写真で餌を撒いてあたしたちが罠に向かうよう仕向けてる」

「頭がいいじゃないか」

 ニケは暴徒が押して倒した路線バスを軽々と飛び越した。

「だって簡単すぎるもん。それにガンマは悪人だけどバカじゃないでしょ」

「ああ。罠だが、食い破ってやるさ。アレンブルグでやつに似た実験体をもう倒している。次もきっとうまくいくさ」

 ニケはリンを背負ったまま運河を飛び越えた。橋は警官隊やデモ隊が塞いでいるがこのルートならスナーター公園まで一直線に行ける。

 街中のテレビ、ラジオ、スピーカーから戒厳令を知らせる憲兵隊の放送が聞こえる。辺りはすっかり夜の暗闇で人影が見えない。ニケとリンは街灯を避けながら暗いアパートの群れの路地を進んだ。スナーター公園も戒厳令のせいで人の姿が見えない。夜の街灯が明るく照らし、普段ならジョギングコースに意識の高い市民たちが集まっているのだろうが、今日はデモ隊のプラカードやゴミが散らばっているだけででシンと静まっていた。

 そのジョギングコースの脇にエンジンがかかったままの古いセダンが止まっていた。念のため周囲をぐるりと回ってみたが他に怪しい人影は無かった。アパート群の窓からの監視もない。

 ニケは、リンを生け垣に待機させ1人でセダンに近づいて運転席のドアを2回叩いた。運転席の男は色付きメガネをちらりと外に向け、窓ガラスを下げるハンドルをぐるぐると回した。

「生け捕りなら10万、死体なら5万、情報だけなら1万までだ」

 抑揚のない声だった。色付きメガネの男はドアの外に待つニケをじっと見る──が、とっさに慌ててグローブボックスからピストル型の短機関銃を取り出した。

 しかしそれより早くニケは男の肩をつかむと力いっぱいに引きずり出した。

「運転中はシートベルトを締めましょう」

 ニケは笑みをひとつも浮かべず、テレビの公共広告の文句を(そら)んじてみた。地面に仰向けに倒れた色付きメガネの男の胸を膝で押し、鼻先に拳銃を突きつけた。その後ろではリンがしゃがんで周囲を警戒している。

「俺は、俺は知らない」

「何を?」

「おおおお、俺はあんたを捕まえる情報をただ流しただけだ」

「誰の依頼で」

「へへ、そういう手配師がいるんすよ」

 ニケが軽く(・・)膝で胸を圧迫すると色付きメガネの男はウシガエルを踏んづけたかのようなうめき声を挙げた。

「ねぇ、ニケ、あまりやり過ぎるとまた(・・)死んじゃうよ」

 しかしニケは意に返さず、

「ヒトの体が脆いのは知っている。あと3センチ押し込んだら胸骨が折れて5センチで心臓と肺が潰れる」

 ブレーメンとは違い、ヒトの心臓は体の中央にある。ヤワな骨格を押し潰すことなんてわけない。

「わああああかった、話す! 話すよ! モノス自動車の工場だ! 3桁区にある」

 モノス? 高級車メーカーの工場にガンマが?

「本当だ! 嘘じゃねぇ!」色付きメガネの男は必死になって叫んだ。「あんたは知らねぇと思うが、あっこの社長は根っからの分離主義者だ。連邦(コモンウェルス)から独立した権力を欲しがってるインテリ共の仲間だよ」

 連邦(コモンウェルス)──銀河中に伝播した人類たちが作るはずだった銀河連邦の名残(なごり)。そんな事実も知らないだろうに。

 ニケが黙ったままだったせいで色付きメガネの男は口角から泡を飛ばしながら叫んでいる。

本気(マジ)で言ってんだよ! ブレーメンに嘘をつくワケがないだろ」

「わかった。じゃあお前が運転席だ。工場まで運転するんだ。下手な真似をしてみろ、その瞬間、お前を3枚おろしに斬るからな。即死しないよう丁寧にするから自分の臓物の色をみることができる」

 ありきたりなブレーメン流の喧嘩文句だったが色付きメガネの男は心底震え上がっていた。へっぴり腰で地面を這うように移動して運転席に座る。今度はシートベルを締めていた。

 助手席に拳銃を持ったニケが座り、後ろにはリンが座った。もしものときは強化兵の力で頸椎をすぐに折ってしまえる位置だ。

 騒乱で市街地はどこもバリケードや警察の検問だらけだったが、色付きメガネの男は土地勘を生かして巧みにかわし、3桁区へ向かう幹線道路に出た。普段はラッシュアワーの時間帯だったが車はほとんど走っておらず、すれ違うのは軍や武装警察の車両ばかりだった。

「モノス自動車の社長が分離主義者ってのはどういうことだ? 顧客は1桁区の富裕層ばかりだろう。どちらかといええば連邦(コモンウェルス)の富を吸い上げる立場だ」

 ニケは色付きメガネの男から情報を引き出そうとした。ガンマが率いる“聖人”はたしかに連邦(コモンウェルス)政府に攻撃しているが目的は人類の支配の対抗だ。1桁区の富裕層も分離主義を掲げよもや協力関係にある点が矛盾している。

「さあ。わたし(あっし)がなんかが知ってるわけ──ってマジっす、そう睨まないで。金持ち連中には(おう)の支配を嫌っている連中がいるってー噂っす」

 キエも、王政は形式的な古典的な支配体系だと言っていた。キエが聞いたらどう言うだろうか。皇のクローン(家系)が続くのであれば、市井(しせい)に紛れるのもやぶさかではない、と平然と言ってのけるかもしれない。

「お前はどっちの側なんだ」

「さぁ。金がもらえる方っすかね」

「小悪党にとっては信条より金か」

「おっ、お兄さんも分かってますね」

「いいから前を見て運転しろ」

 たしかガンマは言っていた。彼ら自身は直接手を下さずに必要なモノを必要な者に渡すだけだ、と。ギャングには武器、反戦主義者には情報、そして1桁区の富裕層には……なにを渡すのだろうか。おそらくすべて人類の支配を終わらせるための行動にすぎない。

 何もかも、ガンマの行動の後手に回っている。アレンブルグに出征している間に、オーランドの状況がここまで悪くなっていたなんて。

 3人を載せた古いセダンは幹線道路をそれて広大な工業団地の中を走っていた。周囲には戦車、トラック、自動車の組立工場やその部品工場が並ぶ。トラックが行き来するための広い道路はあちこち深い轍があり時々セダンの腹下を擦っている。

 色付きメガネの男はセダンを道路の脇に止めた。工場たちはどこも暗く静かなのに、右前方の工場だけ戒厳令下にも関わらず明かりがついていた。正面ゲートには短機関銃を隠し持つギャングが3人、歩哨で立っていた。普通の光景じゃない。

「着きましたぜ。あそこに誰かいるのか、何人いるか、あっしの知ったことじゃないんで。ちなみにセキュリティは厳しいんで壁を乗り越えようとしたらすぐバレますぜ」

 色付きメガネの男はべらべらと情報を吐いてくれた。

「どうやって入る?」

「んー運河の下水溝からならたぶん入れるっすけど毎年それで都市生物に食われたバカが浮かんでくるんすよね。あははは……は? お兄さん何を?」

 ニケはおもむろに、助手席からハンドルの操作を奪った。

「リン、準備は?」

「へへん。テウヘルなんかに比べたらラクショー」

 リンは右手にリボルバーを、左手に円形のリローダーを持った。

 以心伝心──何度も戦場を戦ってきたおかげ。

 ニケは助手席から足を伸ばし、色付きメガネの男の足の上からアクセルを踏み込んだ。力付くで変速機を1速(ローギア)に落とす。

 エンジンがうなり、タイヤが鳴った。最初は変速機が不調気味にガリガリと震えたが、巨大エンジンが後輪を空転させ、そしてタイヤと地面の摩擦係数が一致した。

 とたんに、ロケットのように車が飛び出した。一瞬で幅広い道路を横切り、工場正面ゲートへ直進した。ハイビームに照らされて武装ギャングたちの驚いた顔が照らされる。運転席で色付きメガネの男はしまりもなく叫んでいた。

 ガツン、という鈍い音で衝撃が走った。色付きメガネの男の首ががたがたと揺れるが、ニケとリンはその体幹のお陰でピクリとも揺れなかった。

 正面ゲートはあっけなく根本からちぎれて開いた。古いセダンはなおも擦過音を立てながら工場の敷地を爆走した。

 目的地──不明しかし明らかだった。自動車の組立ラインが並ぶ中、1つの建屋に明かりが灯っていた。

「ここでいい」

 ニケはアクセルを踏んでいた足を上げブレーキを思い切り踏み込んだ。車は前のめりに鳴りながら停止しエンジンも止まった。

 色付きメガネの男は急いでエンジンを再始動させようとキーを何度も回す。そのたびにエンジンのクランク音がガラガラと夜の工場に響く。

 すでに武装ギャングたちが集まってきている。ニケは主刀を、リンも拳銃を構えた。

「俺が戦端を開く」

 阿吽の呼吸──武装ギャングたちが侵入者を射程に捕らえて、手に持つ半自動ライフルを構えた。それとほぼ同時に、ニケは地面を蹴り、ギャングたちに瞬時に接近した。

 目が合う──ライフルを構えているギャングの眼前に宙へ踊り出たニケが舞う。

 ニケは敵の背後に着地し主刀を振り抜いた。密接した4人に同時に斬りかかる──2人が即死/両端の2人が致命傷には至らず負けじとニケに銃口を向ける──が、リンの銃撃であっけなく倒れた。

 2人はなおも走った。ギャングたちがバラバラな足取りで工場から出てくる。しかし全員が驚きの表情を浮かべて後退(あとずさ)りした。

 驚き①──空を飛ぶ(つばめ)のような身のこなしのブレーメン

 驚き②──果敢に突撃してくる小柄な強化兵に狙いを定めづらい

 驚き③──こんなの聞いてない

 ギャングたちが銃に各々弾を込め装填をする。その不器用さは軍では落第──基地外周10周のランニングを課されるレベルだった。

 やっとライフルを構え終わる頃には胴体から首が勢いよく飛んでいった。極至近距離で照準が外れ同士撃ちまでしている。リンも膝撃ちの姿勢で反撃に臆すること無く撃ち倒しては素早い手さばきでリローダーから6発の弾丸を込める。

 ニケは逆手で主刀を振り抜き、背後の敵の側頭部を逆手で持つ隠し刀で突き刺した。そして手を離し体を反転させ、2振りの刀を順手に持ち替えた。

 降参──そういうふうに両手を上げているギャングが1人。わなわなと震え股間を濡らしている。

「案内しろ。お前が先頭だ」

 ニケは冷たく命じた。リンも後に続く。

 深呼吸──心を落ち着かせるんだ。血が(たぎ)り、沸騰したように熱い血液が思考を加速させる。楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい──

 それじゃだめだ。ブレーメンは根っからの戦闘民族。強さに価値を置き強さだけが自身の存在価値だ。だが今は熱く燃えてはダメだ。ガンマは小賢(こざか)しい。ブレーメンの強さなんて承知の上で対策を取っているはず。たとえば、人質とか。

 工場はガランと長い空間で2本のベルトコンベアが並行してあった。壁際にはパレットに載った車の部品が整然と並べてある。

 工場に掲げられている標語は『清廉・進歩・結束』。ここで作業員たちは一生働いても買えないような高級車を、何を考えながら作っていたのだろうか。

 普段からよく耳にする風切り音──ニケとリンはとっさに伏せた。遠距離から到来した銃弾が、案内役のギャングの胸に着弾し、背中へ貫通しながら体を引き裂いた。

 ニケは弾丸の弾道を見切るため、刀を構え集中した。しかし次の弾は飛んでこなかった。部品の搬入口にトラックが後ろ向きで駐車されていて、その陰から兵士たちが湧いて出てきた。その身のこなしからさっきのギャングまでとは違う、軍の兵士だとわかった。装備は軍需品と同じで、ライフルは半自動式の旧式だったが改造が加えられている。どう見ても味方ではない。その兵士たちの髪色は、色素の抜けた薄い色をした強化兵だった。

「お前たちは、手を出すな。死ぬぞ」

 聞き覚えのある優男の声。トラックの荷台がガラガラと開き、ガンマが姿を表した。その横には椅子に座らされ手足と口をダクトテープで塞がれたホノカがいた。

「ホノカ! 助けに来た。もう少しの辛抱だ!」

 ニケは思わず声を張り上げたが、ガンマはその様子に満足したらしく、パンパンパンと手を叩いた。

「ヒーローの登場だ。よかったな、少女よ」

 ガンマはその細い指先でホノカの顎を撫でた。

「その犬臭い汚い手を離せ」

「おっと、ヒーローがご立腹のようだ。では僕は悪役(ヴィラン)っぽく振る舞わねば」

 ガンマはトラックの荷台から飛び降りた。その荷台が、たった1人が降りただけなのに反動でぐらぐらと揺れている。やはりもうヒトじゃない。

 アレンブルグの地下研究所でフランが言っていた。体は侵食性バクテリアに侵され置換され、その細胞たちがヒトのように振る舞っている。ヒトだったころの自我や臓器は残っていないはずだ。

 刀の切っ先をガンマに向けた。またあの時みたいに2体に分離されては困る。燃料を掛けて焼くか。工場なら試運転用の軽油があるはず。しかし──焼死は炎が酸素を奪い体表や肺を焼いて呼吸困難で死に至る。全身を侵したバクテリアが脳や内臓に置き換わっているガンマがそんな暖かな炎で死ぬとは思えない。

「最後の勧誘だ、ブレーメンの。僕たちに協力するんだ。この娘は大事なんだろう? だったら協力してほしい」

「……何を」

「皇を暗殺するんだ。今僕たちにある戦力ではどうしても王宮の守りを突破できない。だが君なら。軍での信用もあるブレーメンなら帯刀して王宮に入れるだろう。あとはサクッと。それだけだ」

 キエの言葉が蘇った。「わたくしには替えがあるんです」自身を撃つようにと銃を渡してくる皇だ。それでも彼女は、ヒトとブレーメンの未来のため尽力すると言ってくれた。

「俺が協力すると思っているのか。小賢しい真似はやめるんだ」

 するとガンマはニヤリと笑みを浮かべて片手を上げて部下に合図を出した。兵士のうちの1人が腰の拳銃を抜き、ホノカがいるトラックの荷室に1発だけ銃弾を放った。

 すくみあがったホノカの周りで2度3度と跳弾した。

「お前の背中を切り開いて背骨を引きずり出してやる!」

「あははは、いいぞ、ブレーメン。その闘志だ。それを待っていた。が、うーむ、なにかが足りない。何かが足りないせいで君は僕たちに協力してくれない」

 ガンマは演技っぽく顎に手を当てた。時間を稼いでいるふうには見えない。しかし、この短い時間で対策を考えなくては。体表だけでなく、切り刻んで燃料を掛けて焼けば倒せるか。

 戦っている間にリンに燃料を探しに行かせて。だが、ホノカの周りにいる兵士たちはどうするか。強化兵がなぜガンマの軍門に下ったのかその理由は知らないが、そう簡単に倒せる相手じゃない。そういうふうに造られている。

「そうだ」ガンマがポンと手を叩いた。「力の差だよ、ブレーメン。僕の力をまだ知らない」

「糞臭い犬に変身するんだろう」

「んんん、それじゃ変身無しで君と、いや君たちと戦ってあげよう。ブレーメンというのは強い力を信奉するのだろう? だったら、僕の力を認めさせ屈服させそして協力してもらう。うんいいアイデアだ」

 優男はニコニコで一歩ずつ近づく。1人で戦う? まさか。やつはバカじゃない。それで勝機があるというのか。

 リンも拳銃を構えて一歩前に出る。近接格闘術の構えで銃だけでなく拳も脚もすぐ動くような軽い構えだった。

 ガンマが動いた──というより消えるような速度で地面を蹴った。ブレーメンの視力をもってしてもギリギリ追える速度で間合いを詰める。

 リンの発砲は避けられた。ニケの刺突も優雅にかわす。

 ガンマはリンに狙いを定めた。古武術のような体術で、リンは掌底を食らって壁際の、自動車部品の積まれたパレットまで吹き飛ばされた。

 ニケの刺突からの逆手で持った隠し刀で斬りかかる/避けられる。間合いを詰められて拳を受け止められた。

「その程度か、ブレーメン。どうして手を抜く? もっと本気になってかかってくるんだ」

 ニヤリ──ガンマ笑みが、ヒトじゃありえないぐらい鼻の横まで口角がつり上がった。

 発砲。立て続けに3発。リンは苦痛に顔を歪めながら正確に引き金を絞った。すべてガンマに命中したが、わずかに緑色の血を流すだけですぐに傷はふさがってしまった。

「はっ! 無駄!」

 蹴り技でニケはガンマと引き離された。変わるように、リンは拳銃の残弾をすべてガンマの膝から(もも)に命中させると、倒したギャングから抜きとったナイフで襲いかかった。

 蹴り──からの殴り。体格差は大きかったが、ガンマの殴打を受けつつ流しつつナイフで反撃を加え、左手の指を切り落とした。

 ガンマはブレーメンのような俊敏さでリンと間合いを開け、回し蹴りの体勢に入った。しかし代わりにニケの刀の刺突が到来し攻撃中止、避けるように間合いを取った。

「リン、怪我は?」

「大丈夫、戦えるんだから」

 しかし(ひたい)の傷から一筋の血が流れている。呼吸も乱れている──肋骨が折れたか。

「ガンマは俺に任せろ。どうにかしてホノカを先に救うんだ」

「でもあの周りにいるのって強化兵だよね。仲間だったはずなのに。みんな軍を裏切るくらい辛いことがあったのかな」

 なにか知っているのかと思ったが、

「ガンマを倒すには燃料がいる。燃やすための。探してきてくれないか。強化兵たちと戦うよりマシだろ?」

「うん、でも──」

「気にするな。あのクソ野郎は1人でも戦える」

 かちゃり。リンはリローダーで新しい弾を拳銃に装填する。

 ニケは地面を蹴った。ど正直など正面からの攻撃。

 刺突──斬撃──隠し刀を死角から振り抜くそして体術。

 ガンマの体勢が大きくのけぞる。捉えた。真っ直ぐな刃筋でガンマの(くび)を狙う。頭をハネてしまえば再生に時間がかかる──そういう算段だった。

 しかしガンマは避ける素振りすら無くむしろ前へ出てきた。そしてわざと自身の右腕をニケの主刀で刺し貫かさせた。冷たい緑の鮮血を振りまきながら手がじわりと迫り、そしてニケの拳を上から握り締める。

「はっ! びっくりしたかい?」

 締め付けられた手に感覚がない。多分骨も神経もまとめて折られた。そう思ったのもつかの間、刀をもぎ取られ蹴飛ばされ、体が宙を舞った。

 頭を打ったせいか視界がぼやける。なんとかして立ち上がらないと。視界の端に青く輝く刀が落ちていた。それを拾い上げると刀身の輝きが増した。

 リンは──無事だ。だがガンマが片手でその首を持ち上げている。もう片方の腕は緑色の鮮血を垂らしたまま、ニケの主刀を握っていた。

「この力を持ってしても、重い剣だな、ブレーメンの剣というのは」

 傷が塞がると、鈍い輝きの刀を持ち上げてリンの鼻先に切っ先を向けた。

「もう一度、問うゾ、ブレーメンの。僕ラに協力するんだ」

 ニケはふらつく足取りで刀を構えた。リンと視線が合う。ホノカの泣き顔を見る。

「はーっすばらしい高揚感ダ。復讐とはこうも気持ちが良いものとは。覚えているカイ? ブレーメンの」

「ぬかせ」

「そうか、そうだっタ。キーウェイを殺したのはあの乳のでかいほうだッタ。あいつは、君をダシにしたらおびき出せるだろうか」

「お前を殺す」

「まあまて、ブレーメンの。これは脅迫じゃない、取引だ。協力してくれば、君の愛する2人を開放すると約束しよう」

 言葉とは裏腹に、ガンマの部下の兵士がホノカのこめかみに銃口を突きつけた。

 エコー:かつて自分の血の中に沈んで死んだ先輩の最期の言葉「たす……けて」──リンがリンという名前を初めてもらったときの笑顔「はじめまして、あたしはリンです」──ホノカの言葉「わたしの役目って」──野生司大尉の言葉「指揮官として、時として誰かを犠牲にしなければならないときもある」

 どうするどうするどうするべきなんだ。リンかホノカ。どちらか1人ならここから救い出せる。どちらかひとつを取らなければなければならないのか。

 ニケは──走った。どちらかひとつなんて選べなかった。この身はどうなってしまっても構わない。持てるだけの力その全てで、ガンマを切り裂き手下の兵士も全員倒す。

 捨て身。ブレーメンの剣技では忌み嫌われるがその実力は皆が暗黙の内に知っている。肉を切らせて骨を断つ。

 ガンマが間合いに入る。あと半歩だ。あの切っ先がリンに到達するより1秒早く、ガンマを二等分に切り裂ける。

 視界の端──ホノカはまだ無事だ。兵士たちも動く様子がない。この距離なら、あの横にいる兵士に剣を投げて倒す事ができる。

 違和感──兵士の1人が担いだ散弾銃。それがこちらを向いている。そして発砲──巨大な白煙が立ち上る。避ける暇はない。それに多少当たった所で、散弾程度ではブレーメンは死なない。少なくとも(・・・・・)

 しかし──周囲で散弾の鉄球が炸裂した。突然地面の感覚が消えて地面に転がり、ずるずるとガンマの足元まで滑っていった。手足に、力が、入らない。呼吸さえままならない。熱い自分の血の海に溺れそうになる。

「ハハハハハハハハ。ブレーメンは聡明だと思っていた。今この瞬間までは。実直で愚直。どうだい? テウヘルからの鹵獲品(ろかくひん)でね。対ブレーメン戦闘用に開発された炸裂弾さ。よくできている。さすが人類文明の継承者だ、1発でも当たれば内部から炸裂する。ブレーメンと言えど──見た限りでは効果は絶大のようだ」

 ガンマの笑い声が収まる。そしてリンを解放すると空中でその小さい体を蹴った。ずるずると工場の滑らかな床を滑べり、トラックの横で止まった。

「そいつは人質だ。あるいは暗殺要員にする。だからまだ殺すなよ」

 優男はにこにこで、地面に倒れ、意識が遠のくニケを覗き見た。

「残念だよ、ブレーメンの。もう少しワクワクして戦えると思った。ほんと残念だ。とどめは刺さないでおいてやる。キーウェイもそうやって血を吐きながら死んだ。ゆっくりと死の潮騒(しおさいし)を味わうと良い」

 コツコツコツ……ニケはガンマの革靴が地面を蹴る音を聞きながら動かない手足で血の海をもがいた。

 片方の目は血の海の中でもう見えない。もう片方の目で、抵抗も虚しく殴られながらトラックに積み込まれるリンが見えた。

 悔しい。悔しい。悔しい。あいつら全員、血祭りにあげてやる。これで終わりなのか。

 羽交い締めされてなおも暴れるリンに向けて銃床が振り上げられた。そしてそれが振り下ろされる──ところで止まった。すべてが止まっていた。自分の弱まる心臓の音さえ聞こえない。

 何事か、と目をしばたかせると、透き通った少女がすぐ目の前に座っていた。

「めでたしーめでたしー。ちゃんちゃん。おしまいおしまいおしまい……」

 誰だ、どこから現れた。幼女の金髪が、風もないのに長い髪が揺らいでいる。

「……おしまい、んなわけないでしょー。なんで死んじゃうの? せっかく一度助けてあげたのに、また死んじゃうなんて」

 また(・・)? もしや(ア・メン)

「はい、正解。あのね、ほんとはね、あんたはあっちの(にぶ)そうな女の子を助けるはず(・・)だった。そうしたら世界線は無数に分岐しおもしろく(・・・・・)なるはずだった。それなのに、あんたが失敗したせいでほら! こんなにも世界線が収斂(しゅうれん)しちゃった。どうしてくれるのよ」

 神のために生きてきたわけじゃない。

「神のため。あたりまえでしょう。すべて我のモノ。我の存在理由のため宇宙は存在する。なぜわからぬ。わから──なくともしょうがないか。ふむ、さてどうしたものか。ニケ、お前は“変数”になるはずだった、世界線を分岐させる。ふむ、また再び生き返らせるのも芸が無い。どんくさいお前はまた死んでしまうかもしれないし、不死性もこの前あの小娘にやってやったし、あれはあれで変数が定数になってしまい……ふむふむ」

 (ア・メン)を名乗る幼女は1人でうんうん唸りそして遠くをぽつんと見つめた。

「これなら、ふむ。よい。よいぞ。しばらく先まで世界線が分岐するな、よし。で提案じゃぞニケ。3度目の生を授けてやる。代わりに我に隷属(れいぞく)するのじゃ。その体は傷つくし不死というわけでもないが、自我は永遠にこの世界に留まり、そして“変数”として未来永劫 我に協力するのだ」

 ニケは、目を見張った。眼の前で風船のように幼女の頭が膨らみ迫ってくる。巨大な(まなこ)が視界を覆い尽くす。


挿絵(By みてみん)


 ニケは息を吐いた。まとめて血やら内臓やらが飛び出したが、

「契約だ。今助けてくれたら、お前の望み通り何でもしてやる。何でもだ!」

 巨大に膨らんだ幼女の頭がするすると元のサイズに収まった。冷たい笑みを浮かべている。

「契約成立だ。ヒトのように握手でもするか? あっ手が残っておらんかったな。かっかっか。まずはそこを治してやらんと」

「クソ神が。生き物の気持ちを(もてあそ)びやがって」

 しかし吐血は収まっていた。呼吸も楽にできる。

「あはははっ、いいぞ、いい。その感情の高ぶり。素晴らしい。お前たち生き物がもがけばもがくほど、世界線は分岐し収束する世界線の運命を回避できる。苦労してわざわざ作った第7宇宙なのだ。長持ちしてくれねば。ああ、すばらしい。おもしろい」

 すくっと(ア・メン)は立ち上がった。

「そして、ブレーメンの子ニケ。契約だ。お前の自我は永遠に宇宙に囚われる。永遠だ。肉体が滅び、宇宙の終結が訪れるまで。お前の自我は永遠に、だ」

 知ったことじゃない──そんなことよりもリンとホノカの方が大切だ。

 体に力が戻った。胴体も手足も、ずたずたになった服はそのままに四肢がつながった。傷が癒えた以上に今まで感じたことのない力が体の内にこもっていた。

 刀を拾い上げ地面を蹴った。世界の時間はもう動き出している。トラックがいるのは工場の反対側だが、そんなものひとっ飛びだった。自動車のベルトコンベアを飛び越え一気に接近する。

 それに1人の兵士が気づいて銃を乱射した。しかし先に腕手足首がバラバラに斬り(ほど)かれ、主のいない手が宙で銃を乱射していた。

 敵兵全員がニケを見る。

「何! 生きていただと、そんな馬鹿な!」

 いい顔だった。ガンマが驚く表情を初めて見た。彼の言葉が言い終わる頃には、2振りの刀が深々と突き刺され、そしてニケは背中を向けながら刀を逆手に持ち替え一気に振り上げた。

「これが三枚おろしだ、クソ野郎!」

 ガンマの腰から上が3つに切り裂かれ、崩れそうになる体を両手で抑えている──小気味よいほど滑稽だった。

 ニケは両側から迫る敵兵をあっさり切り捨てると主剣を投擲し、ニケとリンを狙おうとしていた兵士を斜めに突き刺し、その勢いで兵士は体が壁まで飛ばされ串刺しになる。

 ガンマは──工場の搬出口から緑の鮮血が点々と続いている。生き残りの兵士を連れ、下水道の蓋を開けている。恨み節──なし。潰走だった。

 追いかけることも考えたが、ニケはホノカの拘束を解き、リンの傷を診た。

「いったたた。ちょっと怪我しちゃった。でもまだ歩けるよ」

 顔の半分が内出血で腫れ、手足にも鈍い痣がいくつもある。

「ほら、肩を貸してやるから」

「あたしよりさ、ホノカちゃんの方を見てやって」

 ホノカは──外見的な怪我はなさそうだった。しかし椅子の上から動かずうずくまり、涙で顔をグシャグシャに濡らしていた。

 漏れて聞こえる声は、ごめんなさい。その連続だった。

「無事でよかった。ひとまず周囲の安全を確保してくる。2人はここに残っていてくれ」

 ニケはリンに拾った彼女の銃を返してやり、足元に落ちていたライフルを借りて工場の周りを見た。ガンマが再び襲ってくる気配はない。生き残ったギャングたちも尻尾を巻いて逃げたようで、虫の足音ひとつさえ聞こえない。

 ひとまずリンもホノカも無事だ。ガンマは慌てて逃げた。3枚おろし程度で逃げ出すなんて、アレンブルグ研究所の所長よりは体の継ぎ接ぎが得意ではないらしい。それならまだ勝機はある。

 しかし──ざわつく。(ア・メン)との対話。今度は意識がはっきりした中で行われた。神は、救うのは2度目だと言っていた。ラーヤタイでの戦いのとき、見たのは本当に(ア・メン)だった。そしてあのとき、本来なら砲撃に巻き込まれて死んでいた。

 もしもの世界を想像するとぞっとした。(ア・メン)は面白半分で自分を生かしてくれた。その目的は──わからない。言葉は理解できてもその概念まではわからない。世界線の収斂? いったい何のことだ。そして不死ではないが自我は永遠に宇宙に囚われる。意味がわからない。

 それならいっそ、ネネのような力と不死性だけを望めばよかった。くそったれな神だが今のこの瞬間だけは感謝するしか無い。

物語tips:(ア・メン)

ブレーメンたちの信仰の対象。宇宙の創造者、と自称する存在。宇宙に誕生した最初の7種族を直接創造し、そのうち7番目がブレーメン。ゆえにブレ・ア・メン(神に愛されし人)という自称を持つ(連邦(コモンウェルス)の共通語風の発音をすればブレーメン)

ヒトには“宗教”という概念が存在しないため、特殊な風習あるいはアミニズムだと思われている。

 ネネやニケの前に現れて“契約”という名で、理不尽かつ横暴な要求をする。人生を翻弄し彼女なりに“面白い変数”を世界線に組み込む、と語る。透き通った金髪の幼女の姿で現れるが、これには因縁があるようで……。

気持ちが高ぶると頭が巨大化する。

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