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物語rips:強化兵の真相
強化兵とは、一部知識層が理解するクローン兵ではなく炯素基体の有機機械だとネネは説明した。しかし説明した本人もそれが意味するところは知らない旧人類由来の技術。
強化兵の製造は、連邦中西部のラーヤタイ州で一括製造されている。炯素基体の素体が用意され、そこにDNAサンプルをコピーする。すると肉体に個性と自我が出現する。この工場は、ニケが初配属された街で、分離主義者たちの襲撃から守った重要拠点のひとつ。
強化兵第1世代は素体のままの肉人形で単純な命令しか実行できなかった。第2世代は優秀な兵士のコピーだったがDNAサンプルは数種類のみでは長所も短所も同じであり諸刃の剣だった。
そのため多様な個性を組み合わせた軍団を作るため市民に広くDNAサンプルの提供を依頼している。ヒトと同じ食物を消化し炯素の駆動エネルギーに転換できる臓器がある。身体構造は炭素基体のヒトと同じだが、意図的に体力などがヒトより優れていたり、生殖能力が無いように調整されている。
20歳前後で成長が止まる。外見上、歳を取らないが前線で消耗される使い捨て兵士のため長寿な個体は少ない。感情の起伏が乏しく自己保存(命を守ろうとする)は少ないため異様に見える。そうした自我の希薄さはあくまでそう教育されているからであり、一部個体は死への恐怖から軍からの脱走もしばしば起きている。
やっぱり足が速い。先を行く少女の足取りは一般人ではない。しかし強化兵にしては遅かった。すぐにスタミナが切れて何度もつまづきそうになっている。
2ブロックほど走った所でリンは拳銃を引き抜いた。
「止まって! 両手を高く上へ!」
そして空への威嚇発砲。リボルバーらしい強い反動を制御して銃口を少女に向けた。少女も危険を感じたらしく立ち止まって両手を上げた。体を覆うようなぶかぶかの雨合羽を着ている。どんな武器を他に隠し持っているかわからない。
狭い通りのど真ん中でリンと少女は対峙した。左手には背の高いホテル、右手には小さな商店やバーが軒を連ねていた。爆発騒ぎで呑気に野次馬見物していた市民たちも、リンの持つ銃を見て一目散に逃げ出してしまった。
「あなた、強化兵よね? もしかしてあの爆発、あなたがやったの?」
パーカーのフードの中で、少女の息は荒かった。手が震えて瞳もせわしなく動いてる。それでもニヤリと薄気味悪い笑みを浮かべた。
「そう、強化兵。あんたも強化兵でしょ。その耳のタグ、まだつけてんだ。バカじゃないの」
「あたしの質問に答えて!」
語気を強めた。それにあわせて少女の唇もわなわなと震えた。様子がおかしい。薬物でも使ってるのかな。
「そう、私がした。だから何?」
「あのヒトたちは罪のない一般市民なのよ」
「ほんとバカね。ヒト全部に罪があるのよ」
罪を認めた。じゃあ、撃つ? でも無抵抗の強化兵を撃つなんて、できない。リボルバーの引き金が今まで感じたことがないくらい重い。テウヘル相手ならこんな躊躇しないのに。
足音──逃げる市民のじゃない。靴底の硬い、戦闘用のもの。そして銃声。
リンは反射的に身をよじって、雑居ビルの入り口に隠れた。めちゃくちゃに銃弾が飛び交い、頭上からエアコンの室外機も落下してきた。武装ギャングの手下?
銃弾の嵐が収まり、外をうかがうように銃口を向けた。さっきの少女はギャングたちと一緒になって逃げていく。
「動くな! 警察だ!」
背後から野太い声が威嚇するようにかけられた。リンはゆっくりと銃を地面に置き両手を上げた。
バタバタとした足取りで軍警察の武装警官たちがやってきた。手には軍用の三三式ライフルを構えている。身のこなしは軍人と変わらない。さっきのギャング集団を追っていたのは彼らか。
「ちょっ、待って。あたし味方だから。身分証は首から下げてる……服の下から出すけど撃たないでね」
服の下の薄いポーチから軍人証を出した。警官隊のうち、小隊長らしい大柄な男がそれをまじまじと見る。
「第2師団の独立中隊?」
「そ。アレンブルグに空中降下してきた。認識番号1213、えっと個体番号は」
「わかったわかった、もういい。第2師団の強化兵がこんなところで何してる?」
「休暇中ではぐれた友人を探してたら爆弾犯を見つけました」
リンはすらすらと簡潔に報告した。その応答に、小隊長の男は眉間にシワを寄せながらも軍人証を返してくれた。
「強化兵ならとっとと原隊に復帰することだ。人探しなら警察に任せろ」
「でも、あたしはホノカちゃんんを守らなきゃいけないんです」
リンはすっと地面においた拳銃を拾い上げた。空の薬莢を捨て、1発だけ追加で装填する。
小隊長の男はリンのことを気にかけず、無線機を持った部下からの報告を受け、ハンドサインで小隊全体に指示を出した。
「どこ行くんです?」
「お前には関係ない。自分の指揮官のところへ戻れ」
「でも、彼女は、あの強化兵の子になにか事情があるはずなんです。あたし、気になって」
「……勝手にしろ。だが前に出るな。ここは俺たちの仕事場だ。小隊前進」
リンはそれ以上食い下がること無く、銃口を下げたまま武装した警官隊に続いた。さらに3ブロック西へ進んで、小隊は地下鉄の駅へ潜った。
隊列の先頭付近では銃声が響く。地下なせいで耳に余計に響いた。地下鉄の利用客が地上へ逃げようとパニック気味にすれ違う。通路の両側には負傷した市民が警官に応急手当を受けている。倒れて動かない武装ギャング、血を流しながらも警官に羽交い締めされているギャングたち……みんな守るべきヒトだったのに互いに争いながら傷ついていく。こんな世界を守るために戦ってきたのか、とリンは気分が悪くなった。
警官隊の動きが止まった。小隊の最前列だけが膝立ちで銃を構え、他の警官は市民の避難誘導にあたっている。
リンも背中の大きな警官たちの間から前の様子を見た。さっきの少女だ。フードが取れて色素の薄い緑がかった髪が彼女の呼吸に合わせて上下している。手には、何かかのスイッチが握られている。電線が彼女の服の中へ伸びている。嫌な予感。警官隊も下手には動けなかった。
「待って、落ち着いて。話をしましょ」
リンが一歩前に出た。それ以上刺激しないよう、拳銃は警官隊の小隊長に押し付けるようにして預けた。
「あたし、名前はリンっていうの。強化兵だけどね。大切な仲間に名前をつけてもらったの。あなた、お名前は?」
リンはニット帽を捨てた。おなじ色素の薄い髪と左右非対称の赤い髪の束がはらりと舞う。右耳には強化兵の識別タグがあった。
「名前なんて無い。0116。それが私の名前だ」
「そ。でもそれじゃ呼びにくいね。そうだ、あたしが名前を考えてあげる。部下の子たちにもたくさん名前を考えてあげたんだよ。ヒカル、ヨミコ、トウカ……」
リンは少しだけ唇を噛んだ。とっさに出てきた名前だったが3人ともアレンブルグで命を落とした“かしまし部隊”の仲間たちだ。
「ばっかじゃないの。そうやってヒトに飼いならされて」
「そんなに、そんなにヒトが憎いの?」
「知らない知らない。私は言われたとおりにやっただけだから」
起爆装置を持つ手が震えた。元・強化兵0116に向けて警官隊も狙いを定める。リンもそれを分かって、手を振って撃たないように促した。
「ガンマ? あの怪物じみたヤツのせいよね」
「怪物なんかじゃない! 私たちを救ってくれたんだ! ガンマは私たち強化兵や連邦に虐げられている人々を解放してくれるんだ」
理解できない。ガンマの目的がどれだけ崇高でもその手段は決して正当化されないのに。ホノカは、連邦への疑念を正当化していた。そしてこの子も、手段のためにたくさんのヒトを傷つけることをためらわない。
「あたしたちの役割は、人々を守ることだったはずよ」
「そう仕込まれているの、私たちは。生まれた瞬間から戦う機械だって教え込まれてきた。私もそう思っていた。でも違う。私たちはヒト。自由な自我があって自由に生きる権利もある。それなのに戦いの最中、捨て駒にされた。憎い! 憎い! ヒトが憎い!」
「そうよ。あたしたちは、ヒト。でもね、それでもあたしは連邦の人々を守りたいと思うの」
「それ以上来ないで!」
元・強化兵0116は雨合羽の前ボタンを開いた。溶接された鋼鉄製のベストを着ている。そのせいで足取りが重かったのか。
そしてそれ以上に目を引きつけたもの──鋼鉄製のベストの内側にぎっしり詰まった可塑性爆薬だった。起爆装置が解除しにくいように導線がわざと絡み合うように巻かれている。
「落ち着いて。はやまらないで」
「もう、どう生きて良いのかわかんないよ」
にこり──元・強化兵0116少女は救われたような笑みを浮かべた。その笑顔の横で起爆装置を親指で押し込む動きがひどく遅く見えた。過剰なアドレナリンのせい。あの量の爆薬、この距離じゃひとたまりもない。
爆轟と爆風の圧力──それれよりも遥かに速い影が眼前をよぎり、柱の陰に引き込まれた。
一瞬だけ爆轟が聞こえたが聴力が回復しない。耳鳴りで頭もくらくらする。自分の体を包んでくれるのは、よく知った匂いとよく知った顔だった。
「ニケ──」
ぎゅっとその大きな体に額を押し付けて、感情いっぱいに泣いた。どれだけ泣いても自分の声は聞こえなかった。
ニケはそれでも黙ってギュッと抱きしめてくれた。暖かくて嬉しくて、ずっとそうしていてほしかった。わかった。やっとわかった。ずっとこうして欲しい。人は一人じゃない。だれかとつながっている。つながっていたい。造られた自我じゃない、それがあたしの意志なんだ。




