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ブレーメンの聖剣 第1章胎動<中>  作者: マグネシウム・リン
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物語tips:パル

いわゆるポケベルのこと。正式名は個別無線電波受信機。商品名はパル。ここ10年ほどで中流層にも手が届く価格帯まで値段が下がり普及し始めた。

固定回線(公衆電話など)から任意の数字列を送ることができる。数字256字を送り受信側が文字に変換できる機種もある。これを利用して事前に示し合わせた数字の符牒(ふちょう)であったり軍用の電信符号を送りコミュニケーションを図る。

通信会社は国営企業ただひとつだがパルの製造元は複数あり派閥に分かれる。メッセージの送信はそこまでお金がかからない。よほどの荒野の僻地に行かない限りはサービスの提供範囲。通話用の磁気カードは数枚持ち歩くのが普通。偽造カードの製造や密売は底辺ギャングのしのぎで取締対象。

通信事業は公社が担っており、連邦電気電線通信公社が正式名。

リンは訓練が休みの今日、スカイウォークという新名所にやってきていた。ライバル同士の百貨店同士が協力して大きな交差点の上に円周状の歩道橋を作った。そのおかげで交通事故も減ったし渋滞も少しマシになった。今は美術学校の生徒たちが作った色鮮やかな彫刻が並んでいる。インショーハという芸術らしかったが、理解できない分野だった。

 赤、青、黄色、紫──色の名前は知っている。負傷兵の優先順位(トリアージ)の際に額に色ペンでマークを書く。その色だ。一般兵が最優先で、強化兵はたとえ重傷でも輸血パックの管を腕に突き刺してあとは順番が来るまで自分で輸血パックを持っていなくちゃいけない。両手が無いときは足も使う。

 目の前、1時方向を歩くホノカも、芸術作品を目で追っているようだったが大して気に留める様子もなかった。百貨店でだって見て歩くばかりで何かを買うとかそういう行動はなかった。アイスクリームを買ってあげたときはちょっと笑顔を見せてくれたけど、気分は沈んだままのようだった。

 せっかくおしゃれして来たのに。いつだったかニケといっしょにお出かけしたときに買った私服一式。歳相応な──見た目の歳相応な、快活な少女を演じる外装。へそが丸出しのシャツに腿から下が露わのホットパンツという出で立ちで、冬が終わり夏を迎えんという気持ちの現われだった。ニット帽で耳の認識タグを隠す必要は無い、と思ったがでもホノカちゃんと並んで歩くならなるべくは“普通”を演じなきゃいけない。

「ホノカちゃんがあたしとお出かけしたいって、めずらしいね」

「うん、たまにはね」

「でもちょっと浮かない顔をしてるね。やっぱりニケと一緒のほうが良かった」

「ううん、そんな事無いから。気にしないで」

 あ、嘘だ。こういうのを女の勘というらしい。ノリコさんに教えてもらった。なんだかんだニケのことが好きなんだな、ホノカちゃんも。

 ニケと言えば、セーターの下に隠しているリボルバー拳銃──ニケと一緒に買いに行ったボア25がホルスターに収まっている。ニケが言うには最近は物騒だからホノカちゃんといっしょのときは武器を携行したほうがいい、らしい。でもよくわからない。獣人(テウヘル)のいない、ヒトとヒトとちょっぴりのブレーメンが住むオーランドのどこが危ないのだろうか。

 スカイウォークは外側の半分に(ひさし)があって程よく真昼の日差しを遮ってくれる。そこのベンチに2人は腰掛けた。リンは何かおしゃべりした方がいいと思ったがホノカが口をぎゅっと結んだままだったので話題が見つからなかった。頭の中では明日からの訓練をどうしようか、と考えていた。やっぱりニケの歩兵隊との連携を高めたい。狙撃隊の練度は日に日に高まっている。

 ちらり。ホノカちゃんと目があった。

「あ、わかった。恋の悩みでしょ! テレビで見たことがある」

「しーっ、リンちゃん、声が大きい」

「へへへ、大正解。やっぱりニケのこと、好きなんだ」

「ちがっ、そんなわけないじゃん」

「エー好きじゃないの? あたしは好きだよ」

 ホノカの顔は真っ赤だった。ぎゅっと唇を結んでいる。

「わたしだって、嫌いじゃないけどさ。でも……」

「ニケの目付きが悪い?」

「うん、うんそれもそうだけど、彼、ブレーメンじゃん」

「ブレーメンでも好きになっていいでしょ? あたしはね、ニケを守ってあげたいの。この前の戦い……コホン。お仕事のときとか、あまりいっしょにいられなかった。だから次は隣り合ってお仕事したいなーって」

 ホノカの反応は、ふうん、のため息と間違えそうな吐息だけだった。周りを歩く人たちの靴音の方がまだ大きい音だった。

「ねぇ、兵士として生きる、ってどういう感じなのかな?」

「どう、って言われても。訓練して、ご飯食べて、普通の人と変わらないよ」

「普通っていうのは、学校に行って友だちを作って、クラブに入って先輩と後輩がいて、彼氏とか作ってさ」

「でもホノカちゃん、彼氏、いないじゃん」

「そうじゃなくて。わたしが言いたいのは、怖くないの? 死んじゃうかもしれないんだよ」

「それは──」

 恐怖が無いといったら嘘になる。アレンブルグ急襲ではたくさんの仲間が帰ってくることができなかった。遺体はできる限り回収した。大尉の指示で強化兵のも。でも戦場の混乱の中で倒れた仲間や行方不明になった仲間は、今もあの戦場のどこかで横たわっている。そういう兵士たちは、なるべく耳の識別タグだけは回収して、今も駐屯地の談話室に飾ってある。

 死とは残念なこと。それ以上自分に課された役割が果たせないから。そう思っていた。でも今は、死とは悲しいことだ。せっかくできた他人との“関係”が(ゼロ)になるという意味だ。

「──えへへ。あまり考えたこと、無いかな」

 リンは指をもじもじさせた。せっかく平和な街で暮らしている少女に余計な心配はかけたくなかった。

「本当なの?」

「最初のときはね、ちょっぴり怖かったよ。次はあたしの番なのかなって不安にもなった。でもね、ニケと一緒にいるときはそんな不安なんてなくなるの。なんというか、ニケと一緒なら無事に帰られる気がする。一緒だと安心する。ね、そう思わない?」

 ホノカは一言も話さなかったが、コクリとうなずいてくれた。

「だからさ、ホノカちゃんも安心して。ニケはすっごく強いの。そしてあたしもニケとずっと一緒にいる。兵士だからってあまり心配しないで。むしろニケと出遭ったテウヘルのほうが不幸だよ、アハハハ」

 渾身の冗談だったけど、ホノカちゃんは笑ってくれなかった。そろそろうちに帰る頃合いかな。早くバスに乗らないと夕方は混み合って居心地が悪い。

 ふと歩道橋の下の道路に目を向けた。そこにバス停があるのだが、地上の歩道をぞろぞろと集団が歩いている。軍隊の訓練のような、駆け足でも息の揃った行進でもない。ぞろぞろとばらばらな足取りで、でも口々に叫んでいることは同じだった。

「戦闘! 停止! 要求! 戦乱は連邦(コモンウェルス)の癌! 平和的! 市民の! 嘆願!」

 先頭の一列が横断幕を広げ、隊列の中央付近の中高年の男女がプラカードを掲げたり、黄ばんだ藁半紙(わらばんし)に稚拙な文字で各々の主張を書いて両手で掲げている。他の歩行者は面倒くさそうな表情を浮かべて道を開けている。周囲では警らの警察官がトラブルが起きないよう遠巻きに監視していた。

「最近多いよねーアレ。駐屯地の外にもあーいう人たちがよくいるんだよ」

 デモ行進、っていうんだっけか。ニケが言っていた。そんな心配しなくたっていいのに。キエは貴族院をうまくコントロールしている。つまり戦争終結に向けて努力してくれている。あたしが戦地に赴くのもあと2,3度だけであっさり戦争は終わってしまうかもしれない。

「わたしも、この戦争は間違えていると思うの」

 めずらしくホノカから話し始めた。

「ふーん、どんなふうに?」

「だって、政府は隠し事ばっかりだし、軍と大企業は癒着してて、それに兵士だってたくさん亡くなってる」

「誰がそんな事言ってたの?」

「誰って、みんなよ! みんながそう言ってる」

「じゃあ、どうしたら戦争が終わるのかな。どんな戦術がいいと思う? 第1師団の遅滞戦術、第2師団の機動防御戦術、第3師団の縦深防御、どこがまずかったのかな」

 戦術は暇な時間にニケにいろいろと教えてもらった。さすがブレーメン、教科書の戦闘教義(ドクトリン)を丸暗記してた。

「それは……そんなのわかんないよ。でも戦争は私たちの暮らしを脅かしてるし」

「脅かしてるのはテウヘルの方だよ」

「皆あちこちで噂してる。連邦(コモンウェルス)には隠された真実があった。気づけなかった、ううん、気付かされなかったの。1桁区のお金持ちたちが、口減らしのために戦争をムリに長引かせてる。この戦争だって何百年も続いていて誰もその始まった理由を知らないのはおかしいでしょ。私たちの生活は苦しいまま」

「でもホノカちゃん、ちゃんとご飯食べられてるし学校にも行けてるじゃない」

「それは──わたしは運がいいだけ。そうじゃない市民だって大勢いるのよ」

 うん、知ってる。3桁区のスラムで見たことがある。薬物依存、ギャング、アウトローの道に生きるしか知らない子どもたち。そしてガンマという化け物が率いる、キエを倒そうとしている“聖人”。

 しかしホノカの言葉はどこか薄っぺらかった。彼女が普段使わない言葉ばかりだ。本当に彼女の真意なのかな。

「何が不満なの? もしかして何か悩んでいることがあるから、そういう鬱屈した気分をなにかにぶつけたいだけなんじゃない?」

 部隊指揮のセミナーで習った心理学──こんなときに役に立つなんて。

「わたしは、別に悩みなんかないよ。でもわたしの知らないところで不正がまかり(・・・)通っているのが我慢ならないの」

「ふーん」

「ふーんって、リンちゃんの命にかかわることなの。政府を打倒しなきゃ」

「あたしはキエ……皇を信じてる」

「そう洗脳されてるから! 騙されちゃダメ」

「でも、連邦(コモンウェルス)の指導者が今更変わったところで戦争は終わらないと思うよ。その混乱に乗じてテウヘルが勢いづくだけ。テウヘルがみんなが思ってるよりずっと賢いし狡猾なんだよ。ヒトは都合のいいことしか知ろうとしない。自分が得ることばかりに執着し分け与えることを知らない。ニケが言ってた」

「ニケじゃなくてあなたはどう思うの? 絶対に間違ってるって」

 そんなの知らないし考えたって意味がない。あたしの仕事はあたしのライフルで人々を守ることなの。間違い間違い間違い──そんなのいっぱいいっぱいだよ。あたしはホノカちゃんが嫌いな戦争のおかげで生まれてこれた。戦争のために生まれてきた。

「あたしは、あたしなりに正しいと思うことをするだけだよ」

「だったら戦う相手はあっちでしょ」

 ホノカはデモ行進が向かうのと同じ方向を指さした。首都オーランドを同心円状に切り取る環状鉄道の高架がありそして1桁区とキエがいる王宮がある方向だった。

「キエは、皇はどうしようもないこの世界を変えようとしてるよ」

「リンちゃんは全然わかってない! 兵士にされたんだよ? どうして憎くないの?」

「あたしは、ヒトがヒトを憎むとかそういうのはわかんない」

 ヒトは愛すべき守るべき存在だ──

「ヒトは愛すべき守るべき、それは洗脳っていうの! そういふうに教えられて思い込まされてるの。気づいてよ」

「あたしは、あたしが考える正しいことをしてきたの。頑張ってきたの。怖くても悲しくても踏ん張ってたの。ホノカちゃんでもあまりそういうこと言うと、あたし怒るよ」

「どうして? 真実に気づいて」

 この気持ち、なんというんだっけ。イライラ──怒り──憤怒(ふんぬ)。ずいぶん久しぶりの気持ち。テウヘル以外に抱くことのない気持ち。テウヘルなら殴っていいし撃ち殺してもいい。でもこの子は違う。普通の女の子。

 ────普通。自分は普通じゃない。でもニケはあたしがヒトだって言ってくれた。ずっとそばにいてくれる。

「わたし、今日は帰らないから。ママとパパにそう伝えて」

 ホノカは踵を返すと普段見ないような身の軽さで階段を一気に駆け下りてデモ隊の群れの中に姿が消えた。


挿絵(By みてみん)


 どうにでもなれ──心の奥で闇のような深淵(しんえん)から声が聞こえた。あんな分からずや、どうにでもなれってんだ。あたしの知ったことじゃない。あのデモ隊はあちこちでトラブルを起こして逮捕者も出ている。今日もきっとどこかで警官と衝突する。

 ホノカちゃんは怪我するかな。補導されるかな。大尉には「お前が付いていながら」とか言われちゃうのかな。

 でもそれはそれで心地いいはずだ。いい気味だ。真実真実って、いちばん真実に目を向けていないのはそっちじゃん。政治とかそういう難しいことはキエみたいにはわからないけれど、でも誰からかわからない伝聞の噂を信じるのは間違いだと、それはわかる。

 ──ホノカを頼んだぞ。

 今朝のニケの言葉だ。ネネに呼ばれて王宮に転送されちゃった。眼の前でフワッと消えるのに驚いたせいで今の今まで忘れていた。腰のホルスターの拳銃がずしりと重い。

 途端にリンは弾けるようにベンチから立ち上がっていた。そして強化兵の脚力で歩道橋の階段を一気に飛び降り、デモ隊の群衆を押しのけながら進んだ。

 ホノカちゃんを止めないと。力ずくでも。これは、なんだか危ない。戦場帰りの直感でそうだとわかる。ホノカちゃんの言葉にいらいらしたけど、でもあたしたちは友達なんだ。

 周りの人たちは質素な服装の人たちで、2桁区の中下層(ミドルローワー)あるいは3桁区の労働者のようだった。一般人だけど怒りに満ちている。その矛先はキエだった。

 キエはそんな悪いヒトじゃない。あたしのお姉ちゃんみたいなヒト。でもあたしの声は小さすぎてきっと誰にも届かない。

 群衆の数は、さっき飛び込んだときよりも次第に増えている。どんどんホノカちゃんと離されている気がする。もう夕暮れ時でビルの陰で夕日は見えない。だんだんと薄暗くなる中で群衆の目の輝きは逆に増していった。

 リンは、走った。デモ隊の人混みを強化兵の健脚で走り抜ける。すれ違う人々は耳の認識タグをちらりと見ては強化兵だ、と口にしていた。

 目の敵にされる、そう思った。しかしその視線はさっきのホノカちゃんと同じく憐れみに満ちていた。ちがう、そうじゃない。あたしは哀れじゃない、かわいそうなんかじゃない。精一杯生きてる。幸せなんだ。

 デモ隊の流れが滞り始めた。群衆は道路にまで流れ出し、ロータリーの広場を占拠した。すぐ北側に環状鉄道の駅がありその向こうは1桁区だ。

 デモ隊と対峙しているのは、所轄の警官じゃない。最前列には防刃服と盾を装備した警官隊、その後ろは硬質ゴム製の警棒を持った警官隊、その更に後ろには催涙弾を装備した擲弾発射器とそして小銃を装備した武装警官隊も控えていた。どうしても1桁区へは行かせたくないらしい。デモ隊のボルテージもさらに高まってきた。

 見えた。ホノカちゃんの特徴的な三つ編みがちらりと揺れるのが見えた。しかし一歩を踏み出そうとしたとき、肩をがっしりと掴まれた。

 リンはその手を振りほどきながら体をさばき、身構えた。そこにいたのは初老の女性だった。白髪交じりでもう若くないと見えるのに、口だけはよく回っていた。まわりの騒音のせいであまり聞き取れなかったが、

「あなた、兵士でしょ。強化兵の。ああ、かわいそうに。あなたに自由な生き方を叶えてあげるからね」

 余計なお世話だ──もう自由に生きている。幸せなんだ、あたしは。

 リンはホノカを追いかけようとしたが方々から手が伸びてきてリンを捕らえた。まるでこの戦乱の一番の被害者だというふうに、人々は口々に哀悼の言葉を並べた。

 リンは一気にその手を振りほどくと、

「あたしは、かわいそうなんかじゃないの!」 

 その怒気にぎょっとした群衆は一歩身を引いた。そのスキにリンは走った。

「あれ、おかしいな。さっきホノカちゃんはここにいたはずなのに」

 もうデモ隊の先頭付近まで来てしまった。さっきここでホノカちゃんの後ろ姿が見えはずなのにもう見失ってしまった。

 デモ隊の先頭では顔を隠すようなフードをかぶった血の気が多い若者が警官隊に捕まり、それを助けようとした周囲と揉めている。

 まずい、こんなところにいちゃいけない。踵を返すとさっきのおばさんがまたそこにいた。

「大丈夫よ。安心して。私たちはあなたの味方だから」

「あんたたち、何もわかってない! いいからどいてよ。ホノカちゃんを探さなきゃいけないの」

 おばさんの細い腕を振りほどくことなんてワケない。でも筋肉にぴりりとした刺激を感じる。これがホノカちゃんの言っていた洗脳、なのかな。

 その時、空が光った。というよりロータリーがまばゆい閃光に照らされた。途端に突風と爆轟が襲いかかった。さっきまで警官隊とデモ隊が揉めていた所からモウモウと黒煙が立ち上っている。

 この光、臭い、知っている。軍が使う可塑性(プラスチック)爆薬だ。

 続いて再び閃光と爆轟が襲いかかった。道端のごみ箱が炸裂した。ヒトやヒトのモノらしいちぎれた四肢が宙を舞う。

 周囲はパニック状態だった。自分の声も聞こえないくらい、あちこちで誰も彼もが叫んでいる。雑踏で踏みつけられるヒト、呆然と動けないヒト──。

 そしてリンは横を見た。ごみ箱だ。雑多なゴミが異様に多く詰まっている。

 一歩でも遠く走った。狭い路地がある。そこに飛び込めば助かるかも。

 閃光と共に地面に伏せた。というより爆風で地面に叩きつけられた。熱と振動が伝わり、空気が消えて息ができない。1秒と間を置かずに逆方向へ空気が吸い込まれる。ここだけじゃない。通りのあちこちで仕掛けられた即席爆弾が警官隊とデモ隊を問わず吹き飛ばしている。

 生暖かい血の感覚──降ってきたからたぶん自分のじゃない。顔をあげるとさっきまで後ろにいたはずのおばさんのうつろな視線があった。顔だけ(・・)のおばさんがそこにあった(・・・)

 気を保つため数を数えた。50を超え、60を超え、そして静かになった。リンはゆっくりと頭を上げた。耳鳴りがして頭がグラグラする。たぶん酸欠のせい。脳震盪じゃない。体についた血や肉片も自分のじゃない。申し訳ないとも思ったが指先で肉片を弾いて捨てた。

 内臓は問題なし、視力も問題なし。手足の腱もつながっている。怪我は、たぶん軽傷。こんなときに痛覚は役に立たないと座学で学んだ。

 青々とした街路樹の並ぶ瀟洒(しょうしゃ)な通りは、化学物質のすえた臭いの黒煙が立ち込め、地面がめくれ上がったクレーターがあちこちにあった。倒れて動けないヒト、血を流しながら息絶えるヒト、死体、手足のない胴体や散らばった誰のものとも知らない指────戦場でもここまでの惨状はそうそうない。訓練経験のない一般市民を狙った爆弾攻撃。

 ぞっとした。あの死体の中にホノカちゃんがいるんじゃないのか。爆弾は破砕タイプで焼け焦げた死体はない。それなら、いやあまり考えたくないけど、ここにホノカちゃんらしい遺体がなければきっと生きているはず。

 リンは兵士らしい癖で身をかがめたまま移動した。銃のホルスターの留め金は外してある。聖人に(くみ)するギャングがいたらすぐ対応できる。

 もう動かない死体の一方で血まみれで言葉にならないうめき声を挙げている人がいる。たぶん、鼓膜が破れてる。視力ももしかしたらダメかも。警官隊も負傷した同僚の救護ばかりでこちらに手が回っていない。

 これも“聖人”のやり方なの? 意味がわからない。どうして罪のない市民を狙うの。

 リンは瓦礫を蹴飛ばしながらロータリーをぐるりと歩いたがホノカらしい遺体はなく、服の一部や髪の毛さえ見つからずとりあえず一安心だった。

 どうしようか。ホノカちゃんは見つかっていない。自分一人ではどうにもできない。ひとまずニケのパルに連絡を入れれないと。とするとどこか公衆電話を探さなきゃ。

 リンは警官隊から逃げるようにロータリーを後にした。そしてガラスの割れた喫茶店の店先にあった公衆電話にコインを投げ込んで暗記しているニケのパルの番号を早打ちした。内容は決まっている。1通目はここの住所。文字に変換するための数列が丁寧にも公衆電話に貼り付けてあった。もう1通は簡潔なメッセージにした。

 店を出て、郵便ポストの陰から爆発現場を伺う少女がいた。一瞬だけホノカかと思って心が踊ったが、その少女の色素の薄い風貌に目を奪われた。

「あの子も強化兵?」

 しかし耳に識別タグは無かった。それ自体が違法だ。そして何よりも彼女の震える手には戦場でよく見たモノが握られていた。

 無線で爆薬の信管を作動させるコントローラー。自転車のブレーキレバーのようなそれは、保護カバーを開き2回素早く握れば作動、5秒以内にもう3回握れば解除というシンプルな構造で電池2本で作動する。アレンブルグ強襲作戦で工兵たちが爆薬を扱うときに使っていたのと全く同じ軍用品だった。

 その少女とリンの目が合った。数秒の間を置いて、少女は起爆装置を捨てると薄暗い路地に逃げた。

 爆破の犯人? 識別タグのない強化兵? でもホノカちゃんも探さないと。

 リンは地団駄を踏んだが──迷ってはいられない。リンは強化兵の健脚を生かして逃げた少女の後を追った。

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