表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブレーメンの聖剣 第1章胎動<中>  作者: マグネシウム・リン
14/22

13

物語tips:試八三式ライフル

サカイ工廠(こうしょう)の試作ライフル。50口径 対物ライフル。とにかく威力重視で多脚戦車の弱点である半可塑性炯素(はんかそせいけいそ)を破壊し炎上させる攻撃にも、アウトレンジから用いることができる。

次期重機関銃のトライアルで少数が試作された。しかし軍務省の評価は、長すぎる全長、ヒトでは抱えて走れない重量、携行できる弾薬の少なさ、故障の多さなど難題が付けられた。

軍の倉庫でモスボール保管されているところを、野生司(のうす)マサシが兵站部のコネを駆使して入手した。樹脂パーツへの交換、折りたたみ式ストック、ショックアブソーバーを追加して超長距離狙撃用ライフルに仕上げた。しかし、それでも選抜された強化兵のみにしか扱えない化け物ライフルが仕上がった。

 休暇中といえどあまり休んでばかりはいられなかった。テレビや新聞のニュースでは局所的な勝利や英雄的な行動で表彰された兵士の話など、耳障りの良い話ばかりだった。一方で治安は目に見えて悪くなり、難民と住人とのトラブルや自動小銃を携行する警察官も多く見た。

 ホノカやノリコさんの警護を野生司大尉の部下の強化兵に任せ、ニケはここ数日 3桁区の駐屯地に泊まっていた。

 待ち望んでいた補充兵が到着しその訓練のためだった。一般兵はラルゴ隊長とブンがしごき(・・・)、強化兵の訓練は青1&2とリンに任せ、ニケはその様子を遠くから眺めていた。

 風向きのせいか珍しく青い空が広がっていた。冬が終わり夏を感じる日差しの下でシィナはパラソルを開いて芝生の上で昼寝している。彼女を駐屯地まで誘い出すまでは良かったが、剣の稽古ではなく降下訓練を行うかどうかの隊員選抜訓練だと知っていじけてしまった。今日1日、たぶんあのまま。

 青空に巨大な影が横切って太陽が隠れた。グァルネリウスの懸架装置(けんかそうち)と浮力タンクが強化され、真四角な格納庫にグライダーが2機、ぶら下がっている。いつしか大学で日の目を見ない教授が作っていたミニチュアの、その試作品だった。野生司大尉はグァルネリウスに乗船し工兵たちとともに操作手順や修理方法を確認中だった。来週には実際に飛ばしてみるらいし。軽量化した歩兵戦闘車や重武装の兵士をそのまま降下させられたら戦術は大きく飛躍する。たぶん──“巨大な鉄球”を押し留める戦力になるかどうかまだわからない。

「姿勢を低くしろ! 頭がスイカみたいにはじけるぞ」「さっさと走れ! 犬っころがお前らのケツに噛みつくぞ」

 青1&2の檄が飛ぶ。普段は飄々(ひょうひょう)としている2人だったがいつの間にか厳しい先輩の振る舞いを会得(えとく)していた。姿勢が高い強化兵に向かって小石を投げつけている。

 駐機場(ちゅうきじょう)の横の練兵場(れんぺいじょう)の、更にその隅っこに土を盛った(つつみ)があり、射撃練習場として使っていた。そこへ一列に(さび)だらけの廃車を並べ新兵たちは車の陰に隠れるようにして走る。その頭上を先輩兵士たちが銃を撃ちさらに追い立てていた。これが午前の訓練で午後からは実践的な戦闘訓練もある。ここでの選抜を終えたら降下兵の訓練が始まる。

 体力的に成熟している強化兵と違い、一般兵はさらに体力錬成もあった。あてがわれた新兵は開戦後に召集された100人で、士気もさまざま練度は最悪だった。ラルゴ隊長いわく、良いモノからいちばん良いモノを選ぶのが強化兵で、悪いモノからいちばんマシなモノを選ぶのが一般兵らしい。

 ニケは、ライフルの弾倉を交換中の青1に近づいた。彼の足元には空薬莢がごろごろと転がっている。

「手荒い洗礼だな。もうそのぐらいでいいんじゃないのか」

 新兵の強化兵たちは緊張のあまり死にそうな顔になっていた。

「まさか。俺たちの頃は泥の中を匍匐前進(ほふくぜんしん)させられながら銃弾を浴びせられたんですよ」

「そうっす。俺たちなりに甘い鞭っす」

 青2も調子を合わせる。

「あっちみたいにできないのか。リンの部下は順調に成長してる」

 隣の射撃訓練場は狙撃班が使っていた。標的を貼ったドラム缶にロープをくくり、それを射撃場の両側からトラックのウィンチで手繰り寄せる。それをライフルで狙撃するというものだった。

 アスレチックコースでは野生司大尉が兵站(へいたん)部のコネで取り寄せたに試作八三式ライフルをリンや選抜された女性強化兵が抱えて走り、伏せて超長距離での射撃訓練をしている。ライフルというより機関砲に近いそれは機関部の上部から50口径の弾薬が詰まった金属弾倉を差し込み半自動(セミオート)で標的へ弾丸を浴びせる。1発撃つたびに周囲で砂埃が巻き上がるが銃身を改造して取り付けたショックアブソーバーのおかげで射手の体はピクリとも動かない。スペック上はテウヘルの胴体のみならず多脚戦車(ルガー)の後方装甲を撃ち抜ける。もっとも一般兵が扱えば一発で肩の骨が抜けるだろうが。

「訓練よか戦場のほうが100倍厳しいでしょ」

 ニケがリンの動きを見ていると、後ろで青1か2のどちらかが言った。

「まあそうだな」

「だったら、訓練はできるだけ厳しくしないと」

「俺基準で訓練メニューを作ったら、2人ともバテてたじゃないか」

「それは……」「ブレーメン基準じゃムリってものですよ」

 青1&2はすぐに不満を漏らした。半年前の30時間の行軍と模擬戦闘訓練は野生司大尉の忠告もあってか1度きりで終わってしまった。

「だから、おととい渡した訓練メニューは一般兵にも配慮した形にしたんだ。だれでもできる程度の」

「加減しすぎっす。甘すぎます」

 しかし同時に同じ言葉が練兵場の反対側から轟いた。

「甘い! 甘いぞヒヨッ子ども!」

 ラルゴ隊長の率いる機関銃小隊の、無事小隊長へ昇格したブンの檄だった。さっきまでは機関銃の三脚を背負わせて腕立て伏せをさせていたが、今はナイフを片手に格闘術の真っ最中だった。

「しかし、ブン小隊長。俺たちはテウヘル相手に戦うのになぜ格闘技を」

「うるさい! 口答えするな。まずは生意気なお前からだ」

 するとブンはストリートファイトまがいの体術で新兵を投げ飛ばした。とっさのことで新兵は受け身が取れず鼻から地面に落下して盛大に流血した。

 がやがやと人が集まる。ラルゴ隊長はその群衆の後ろから眺めるだけだった。

「立て! 犬っころはコケたからって手加減をしてくれないぞ」

 ブンの言い分はまあわからなくもない。新兵も頭に血が上って、模造のナイフを片手に戦いのスイッチが入った。もはや格闘というより路地裏の喧嘩だった。新兵や先任の上等兵たちもがやがやと囃し立てた。

 体格は新兵のほうが上、殺気はブンのほうが上回っていた。どちらもヒトにしてはいい動きのナイフさばきと蹴りと打撃だった。しかし一瞬のすきを突いてブンが新兵の腕をねじ上げてナイフを奪った。

 歓声と指笛。げらげらと下品な笑い声に包まれる。ニケも見ていられず衛生班に声をかけた。

「傷を見てやれ。降下訓練の前に骨折してたら目も当てられない」

 野生司大尉に訓練を任されている以上、怪我はまずい。

「お前! そういつもいつもすまし顔しやがって。次はお前だ。勝負だ」

 ブンの次の標的は──ニケだった。群衆監視の中で決闘が申し込まれた。

「なぜ、俺?」

「そうだやめとけ」ラルゴ隊長も現れてブンの肩に手をおいたが、ブンはそれを振りほどき、

「軍に入って苦節3年。下町じゃ喧嘩負け知らず、ギャングにさえ一目置かれていたこの俺が、初めて土を付けられたのがお前だ! 俺がどんな思いで訓練してきたか。それもこれも最強の男になるため……ステゴロだ かかってこい!」

 前口上というより恨み節を込めた演説だった。ブンは、普段から喧嘩っ早いところがあるが今日はいつも以上に煮えたぎっていた。

「……オレとオマエで勝負だ!」

 ブンが振り返った先──まずいことに、顔の向きがニケのいる位置より少しずれていた。

「ん? 勝負? 格闘術でいいの?」

 昼寝が終わり寝ぼけ眼のシィナが立っていた。ブンよりも背が高く大きな落ち影にブンが包まれている。まずい──とニケの口が動いた。

「いやいや、俺は、あんたじゃなくて」

「ショーブショーブ!」

 シィナの瞳が黄色に輝いた。そしてほんの瞬きの間でブンは胸ぐらを掴まれていた。そして次の瞬きが終わったと同時に地面に叩きつけられていた。わずか1秒と10分の1の時間の戦いだった。

「衛生班! こっちもだ」

 ニケがブンのもとに駆け寄って叫んだ。肩の関節が上下でずれている。

「いたく、痛くねぇ──ああぁっ!」

 衛生班が3人がかりでブンの関節を元の位置に戻す。無事なようだったがうずくまったまま動かない。

「シィナ、手加減を」

「したでしょ? 私だって分かってるわよ。ヒト相手に本気出したってかっこ悪いでしょ」

 まあ、いいか。


挿絵(By みてみん)


 しかし新兵の一般兵たちはシィナの強さに畏れたじろいでいた。士気を削ぐのも悪いので格闘術の訓練はしばらく止めにしよう。

 昼食を挟んでからは、青1&2による閉所での射撃術の訓練と座学での戦術授業に切り替えた。ニケはそれらを見ながら降下訓練に進めそうな兵士を選んだ。3分の1ほどは高所からの落下訓練、残りはグライダー降下部隊に回すことになった。

 (くさび)部隊の結成当初は戦闘経験のある強化兵や一般兵をかき集めたが、この補充兵はどれも戦闘未経験の新兵ばかりだった。勢いづくテウヘルの侵略にどこまで戦えるのか、不安ばかりだった。

「まあそう暗い顔をするなって」

 野生司大尉への報告を終えたラルゴ隊長が、大尉のオフィスから出てきた。そしてニケの鼻先で紙の束をちらつかせた。

「外出許可証?」

「そうだ。いいか、飴と鞭だ。厳しい先任兵としてのふるまいと頼りがいある先輩の背中もどちらも見せねばならん」

「でもこの外出許可証、強化兵の分も」

「あいつらだってたまにはハメを外すべきだ。お前んとこの青×(かける)2だってしょっちゅう女を引っ掛けては遊んでんだぞ」

「知らなかった。ちょっと緩みすぎてるから説教を」

「まあまあまあ」ラルゴ隊長らしからぬ猫なで声だった。「この許可証、ニケ同伴って条件で許可が出たんだ」

「俺?」

「野生司大尉も俺たちに問題を起こしてほしくないんだろう。ブレーメンと一緒なら問題なし、っていうことだ。な、な?」

 ニケ──ため息。外出許可証のうち半分の束──自分の部隊の分を受け取ってひとつひとつに走り書きのサインをしていく。

「わかりました。着替えたら行くんで正面門のところで待っていてください」

「さすがだ、ニケの旦那。ところで銃は無しだ。倉庫に預けとくんだ」

「どこに行く気です?」

「そう遠くない。リバーサイドの繁華街のクラブだ。マフィアのフロント企業で持ち物検査が厳しいからな」

「酒の店ですよ」

 ラルゴ隊長はまだアルコール依存症の克服中だったはず。

「飲まなきゃ良いんだよ。精神科医(ドク)にも許可をもらってる。俺は雰囲気が好きなんだ」

 ニケも他人の嗜好にとやかく言うつもりはなかった。早足で仮住まいの宿舎に戻ると、シャワーを浴びぱっと見軍人には見えない服装に着替えた。

 そういえば──ラルゴ隊長との待ち合わせ場所に向かいながら思い出した。最近めっきり野生司大尉に会わなくなった。たまに帰る自宅では仕事の話はしないし駐屯地に来たら事務所に(こも)もるか、どこかの軍需企業や大学へ顔を出しているかのどちらかだった。

 それが大尉の仕事といえばそうだし、(くさび)部隊の訓練を任せてもらえてるのは誇らしかったが、大尉の本心がどこにあるのか気がかりだった。

 リバーサイドの繁華街へは兵士たちがずらずらと並び立って歩いた。訓練のときのような整った歩調ではなく締まりのない男の集団だった。一方のリンを筆頭に女性隊員は“女子会”という名目で宿舎を貸し切っている。華やかなパーティーかとも思ったが、出入りの業者がケースいっぱいの酒を宿舎へ運び入れるのを見てしまった。

 日はすでに落ち、夕闇にネオンが眩しく輝いていた。寂れた3桁街にありながら工場の群れと軍の駐屯地のおかげでまあまあ賑わっていた。健全なブレーメン料理から禁制品をカウンターの裏に隠している酒屋まで様々だった。路地では娼婦や男娼がくらがりに手招きをし街のブロックごとに“シノギ”を守るため強面のマフィアが立っている。

 いかがわしいことこの上ない──しかし懐かしかった。軍警察の頃、よく先輩にこういいかがわしいエリアに連れ出された。酔いつぶれた先輩の介抱や半グレとのトラブル解決などそういう役回りばかりだったがそれでも、違う自分になれるようで楽しんでいたと思う。

 ラルゴ隊長を筆頭に一行はそろってダンスクラブに入った。外見はマジックミラーで外から中を見ることは難しい。しかし大音量のダンスミュージックでガラス窓がガタガタと揺れ、入口のドアが開くたびに音圧で空気が揺れるのを感じた。

 入り口には2人、巨漢のガードマンが立っていた。向こうも、こちらが軍人だとわかっているらしくIDのチェックもなく通してくれた。ここでは金さえ払えば、マフィアも軍人も強化兵でさえ平等だった。

「おい、こら。酒で我慢しろ」

 ニケは一般兵の襟首を掴んで、その力で強引に売人から引き離した。禁制品の薬なんて買わせる訳にはいかない。先輩兵士たちは新入りの強化兵に“ヒト並”のクラブの遊び方を教えている。最初は戸惑っていた強化兵たちも次第に空気に慣れ、酒を飲み踊り始めた。

 (しょう)に合わないな──ニケはカウンターでソーダだけを注文し壁際のソファに腰掛けた。ブレーメンだから、というわけじゃない。現にシィナもリンの女子会より喧騒にまみれたダンスフロアの方が好きだと思う。里にだって音楽はあるし、篝火(かがりび)の周囲で一晩中踊り騒ぐ祭りもある。その時もニケは遠巻きに見るだけだった。剣技の継承家族は参加が必須だったが季節ごとに訪れるその催しが心底嫌いだった。途中寝でもしたら刀の鞘で殴られた。

 ぬるいソーダを、時間をつぶすように飲む。

「お隣、いいかしら」

 ニケはふと顔を上げた。胸元が緩い黒のワンピースを着た女性だった。歳は20より少し上くらい。しかしそれ以上に仕草が大人びていた。黒髪のベリーショートの髪型で右目が隠れるようにして前髪が垂れているので表情がつかみにくい。

 どこに座ろうと自由だしそれを拒否する権利もない。騒音の中、手を差し出す仕草で座ってもいいと伝えた。

「タバコはお嫌い?」

「いや、別に」

 ニケは肩をすくめた。塹壕でも基地でも、だいたいのヒトはタバコを吸っている。ブレーメンは嗅覚が鋭い分、ニオイの刺激は強いが死体が焼けるニオイに比べたら全然マシだった。

 しかし隣から漂うニオイは知っているタバコではなかった。ついそちらを見ると、細い指でもっと細いタバコを挟んだ女はニコリと笑った。

「まさか、警察に突き出す、とかじゃないわよね」

「だが禁制品になるだけの理由がある。健康に悪いだろ」

「まじめなのね、あなた。私の好みだわ」

「どうも」

 女のスモーキィな声がまとわりつく。

「真面目な軍人さんなのにどうしてワルイコばかりの遊び場に来たのかしら」

「子守だ」

 どうやらその返事が女のツボにはまったらしく、白い煙を吐き出しながらけらけらと笑った。

「良いユーモアね。あなたブレーメンでしょ。その瞳、きれいだわ。私の好み」

「食べても美味しくない」

「あら食べたりしないわよ」

 女の細い指が影のように伸びてくる──それをソーダを飲むことでさり気なくかわす。

「お堅いのね」女は灰皿で細い巻きたばこの火を消した。「もしかして想いの相手がいるのかしら?」

「いや、いない」

「安心して。私は商売女とかじゃないの。ただの遊び。なんとなくね、あなた、面白そうだから絡んでみたの。私の■■■がそう囁くの」

 疑問──ニケは眉に皺を寄せて女を見た。

「ヒトは■■■の意志で繁殖相手を決めるのか?」

「フフ、嘘よ。まじめなのね、あなた。ますます私の好み」

「どうも」

 ニケはソーダを飲み干した。

「あなた、お酒は飲まないの? ここにもブレーメンはたまにくるのだけど、店で一番強いお酒を飲んでるわよ」

「子守役だから」

「そうね。そう言ってたわね」

 すると女の手が再びスルスルと伸びた。まるで堂々巡りの会話に飽き飽きしたというふうだ。しかし窓の外をまるで外敵を警戒する狐のように素早く一瞥すると、

「はいこれ、私のパルの番号。夜遊びしたかったら連絡して。じゃ、またね」

 女は名刺をニケに渡すとかかとが高いサンダルをパカパカと鳴らして店の裏口から姿を消した。

 借金取りに来たマフィアか別れた男か。ニケはそう想像してクラブの入口の方を見た。強面のセキュリティが3人がかりで店に押し入ろうとしている男たちを押さえている。店内の騒音のせいで何を話しているかまではわからない。

 すると1人の小柄な男がセキュリティの腕の隙間からするりと抜け出ると舞台の上へ登ってDJを追い出した。マイクを掴みそして店内の音楽の電源を落とした。

 とたんにシンと静まり返った。何事かと客たちが騒ぎ出す。それを皮切りに店の入口で押し問答していた群衆が一挙に押し入ってきた。セキュリティの巨漢もなすすべなく道を開けた。

「戦乱は連邦の癌。停戦要求!」 

 舞台の上の男はマイクを握りそう叫んだ。叫ぶようなシュプレヒコールはマイクがハウリングしたせいもあって途中途中が音飛びしてよく聞き取れない。後から突入してきた群衆は手に手にプラカードや横断幕を掲げて馬鹿の一つ覚えのように同じシュプレヒコールを繰り返した。相対するのは軍服姿の兵士たちだった。きっとクラブの半分を軍人が占め遊んでいたのを見られたのだろう。そのせいでこんな場末のクラブに反戦グループが押し入ってきた。

 その横断幕によく見知った言葉があった──聖人。

 裏で手を引いているのはあのガンマか。彼が言うには必要な者に必要な物を届けるだけだ。彼が直接は関わっていないのだろうがこのちぐはぐした集団も彼の手の上で踊らされている。

 反戦グループたちの構成員はその身なりから3桁区に住む一般労働者だとすぐにわかった。小綺麗な服装で収入はある程度あるけれど、その言葉遣いから低層階級出身だとすぐにわかるし、長時間労働のせいで目の下にクマを浮かべ、肌質も煤塵(ばいじん)のせいでくすんでいる。

 強化兵たちは、市民の反戦グループにどう反論していいかわからずおどおどしていたが、元ヤンキーのブンは先頭に立って反戦グループと対峙した。

「おうおう、なんだてめーら偉そうに。文句があんならはっきり言ったらどうなんだ、あん?」

 ブンは部隊の中では小柄な方だったが一般市民から見ればいかつい鉄砲玉に違いなかった。プラカードを持った中年男性がブンにガンをつけられておずおずと引き下がる。

「わ、わたしたちは、平和を願う市民を代表して、社会を正そうとしているの。邪魔しないで」

 3,40代と思われる女性がブンの前に一歩出た。ぎゅっとプラカードを握り真正面からブンを見据えた。

「正す? 正すねぇ? どうやってやんだ?」

「お、お、お給料の半分は税金に取られるし徴兵のせいで人手が足りなくてシフトが倍になるし、給料も変わらないし」

「それが俺たちのせいだ、っていいたいのか? てめぇんとこの工場長に文句垂れろよ!」

 虚勢と威勢で下街の抗争を生き抜いたブンにとってこのくらいなんてことないのだろう。喧嘩のときだけはよく頭が回る。

 しかし──まずい。殴り合いともなれば兵士たちが勝つ。強化兵は市民相手に強気には出られないよう教育されているが、いまここにいる半分は屈強な一般兵だ。しかも酒も入っている。

 ニケはすっと立ち上がると、トイレ横の掃除道具入れにあったバケツに水を満たした。

 喧嘩会場に戻ると両者の間合いが腕一本くらいの幅になっていた。先頭で気張っているのはブン。その拳に力が込められた。

 ばしゃ

 バケツの水は放物線を描きブンの真上からかかった。突然横から入った邪魔に両者とも唖然となった。濡れた床を踏みブーツを鳴らしながらニケは両グループの境界線の真上に立った。

「まずお前ら、一歩下がれ。じゃないと2度と外出許可証にサインしないからな」

 子守係の本領発揮。ブレーメン相手では腕っぷしでは完全にかなわない、という本能的な意識が大男の兵士たちを一歩下がらせる。

「そして、あんたらだが……」

「ブレーメンは好戦的だからこの戦争を助長している!」

 反戦グループのうちの誰かが叫んだ。ニケは声が聞こえた方を睨んだ。一瞬だけ瞳が黄色に光ったせいで、群衆がおずおずと1歩下がった。

「あんたたち、臓物の(にお)いって知ってるか? ひどく、におう。だがヒト同士なら(くさ)いってだけじゃない。危機感とか恐怖とか、そういうのが直感的にあるんだ。ここにいる兵士たちはそんな恐怖を乗り越えて行きてきた。あんたらの生活が厳しいってのは理解している。だがシュプレヒコール(そんなの)じゃ生活も社会も何も変わらない。あんたたちが無意味な“達成感”を感じて終わりだ。テウヘルに打ち勝つ方法は、俺は知らない。だが戦えば誰かを救える。それだけ命が助かる。だから戦っている。(おう)は停戦に向けて努力している。今は苦しいかもしれないが一致団結して協力できないだろうか。それがヒトの強みだ」

 何か言いたいことはないか──反戦グループを見渡してみたが目が合うたびに視線をそらされる。口を尖らせているオジサン&オバサンも思考が追いついていないらしく言葉を失ってる。

 反戦グループは1人また1人と店を後にした。

 店内に残されたのは、バツの悪そうにしてる兵士たちと全進びしょ濡れのブン、ちらかった床に、水のせいでインクが滲んで判読できない名刺だった。

「すまない。興が冷めてしまった」ニケは財布の中身の紙幣を全部出した。「これで自由に飲み食いしてくれ。俺は外で待ってるから」

 ニケは紙幣をぐしょ濡れのブンに預けた。

 外の空気は乾燥していて冷たかった。もう冬が終わったはずなのに、乾ききった空気が喉の奥の水分まで奪ってしまう。

 道行く酔客も騒ぎのあったクラブに興味を示さずに素通りしていく。通りの端では先程のグループがまだ何やら騒ぎながら歩いて行く。その横で物乞いは逆さの帽子を振って小銭を求めている。

 連邦(コモンウェルス)を守るために戦ってきたが、守る中身がこれではたとえ勝利を掴んだとしても残っているものはあるのか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ