6、事実
「──……な、んだこれ……」
バルトロ男爵領。
私たちの目当ては、そこにはなかった。
パンフレットに記された地図の場所。
なにも、ないのだ。
馬車で目的地に近付くにつれ、おや、とは思い始めていた。醸造所があるくらいだから、それなりに人が暮らす地域にブドウ畑があるだろうと思っていたのだ。
しかし、一向に建物も何も見えてこない。歩いている人すらおらず、なにもない、ぼうぼうと草の生えた原っぱが続くだけ。
二人でおかしいなと首を捻りながらも目的の住所に着いてみれば、そこは草すら生えていない、土と砂利が広がった土地だった。
私たちは呆然と、その場に立ち尽くした。
「……住所が間違っているのかもしれないわ、もう少し他の場所も探してみましょう」
馬車に戻り、辺りを走ってもらう。
しばらく行くと小さな民家がひとつだけ見えたので、訪ねてみることにした。
扉を叩き、しばらく待って出てきたのは老婆だった。私は出来るだけ明るい声で尋ねた。
「すみません、このあたりでブドウ栽培とワインの醸造所があると聞いてきたんですが、どこだか教えて頂けますか?」
薄く開いた扉からこちらを睨んでいた老婆は、疑問の表情を浮かべる。
「醸造所……?」
初めて聞いたといったような反応に、セルジュがさらに問うた。
「ここはバルトロ男爵領ですよね? このあたりにお住いの方は? どういったお仕事をしていらっしゃるんですか?」
「ああ……、まあ男爵領だけどね。このあたりにはもうほとんど誰も住んでいないよ。作物は育ちにくいし気候が荒いし。皆、外に出て行ったね」
そう言うと、話はおしまいとばかりにしっしと追い払われ、扉は閉められた。
唖然として、セルジュと顔を見合わせる。
彼も呆然としていたが、すぐに真顔になって私の手を引っ張った。
「急いで帰りましょう。早く記事にしなければ」
馬車に戻り、来た道を今すぐ戻ることを御者に伝えると、御者はぎょっとしながらも馬の方向を変えた。私も急いで馬車に乗り込む。動き出してすぐ、セルジュに尋ねた。
「ブドウ畑もワインも、投資話も全部嘘だったってこと?」
「……そういうことになりますね」
「でも、実際に見に来る人がいたらすぐにばれるわ」
「実際に見に来る人なんていません。バルトロ男爵領は馬車で三日もかかります。わざわざブドウ畑を見に行くなんて人は、きっと俺たちくらいです」
「どういうことかしら、配当金だって分配しているのに」
「ブドウ畑への出資として金を集め、それを他のことに使っているんでしょう。新規出資者の金を配当金としていれば、格好は付きます。でも自転車操業になるでしょうから早晩破綻しますね」
私に説明すると、セルジュは難しい顔をして黙り込んでしまった。馬車の中では酔ってしまって記事を書けないから、頭の中で考えているのだろう。
私もどのような挿絵にしようか、悩む。
なにもないものを描くのは難しい。いかんせん、あの場所には土と砂利しかなかったのだ。それを描いたところで意味不明だ。
描くなら、風刺的に描かなければ読者に伝わりづらいだろう。バルトロ男爵、ワイン、ブドウ畑、投資事業。それらを組み合わせてデザインしなければならない。
急いで帰るよう御者に依頼したため、往路よりも速いスピードで馬車は進んだ。
途中の街に一泊した次の日、セルジュの目の下には黒い隈ができていた。馬車の中で書けない分、宿で寝ないで記事を作っているのだろう。
「寝てないんでしょう、移動中に寝た方がいいわ。酷い顔色」
私が自分で使っていたひざ掛けをかけてやると、「すみません」と素直に包まった。
急いで戻っても次号の締め切りまで、私の方はギリギリ。ロイドさんに怒られそうだ。
記事の版を作る方が銅板を作るよりも時間がかからないので、セルジュの方はもう少し余裕があるだろう。それでも裏取りを色々するだろうから、結局時間はない。
この記事が無事に表に出た後、どうなるだろう、とふと考える。
「……ミリア嬢はどうなってしまうかしら」
「え?」
独り言のつもりが聞こえていたようで、セルジュが横の扉にもたれていた頭を起こした。
「あ、えっと、もしバルトロ男爵が詐欺師だとして、この記事が話題になったらミリア嬢はどうなるかなって」
第二王子との今後については国王預かりになっている。
記事にしたとして、世間から「ゴシップ誌が変なこと言っているよ」と一笑に付される可能性もあるし、そうでなければバルトロ男爵がバッシングを受ける可能性もある。詐欺が本当であれば捕まるだろう。
「私たちが記事を書くことでミリア嬢と王子の今後にも影響するでしょう? もちろん、それでも描くけど。詐欺はいけないことだし。でも王子と純粋に思い合っているとしたら引き裂くことになるかしら」
「そうかもしれませんね……」
ふー、と息を吐いたセルジュは体勢を正し、私をまっすぐ見て、はっきり言った。
「ニーナさん、今回の件、挿絵は描かないでください」
「……は?」
私は目を丸くして見つめ返した。
「ミリア嬢のことは気になるけど、描くってば」
「そうじゃないんです。バルトロ男爵のこれは、間違いなく投資詐欺です。でも彼は王宮の内部までかなり食い込んでいる。有力貴族との関わりは深く、娘は第二王子と恋仲。力を付けています」
「分かっているわよ」
「だから俺たちがこの記事を出すと、危険な立場になります。うちがバッシングを受けるだけならまだいい。危害を加えようと狙われるかもしれません」
反論のため、描いていたスケッチブックを見せようとするとそれを押しとどめられた。
いたく真剣な表情で、セルジュは続ける。
「俺だけならまだいい。でもニーナさんはだめです。あなたはいずれ、ニュースレターで描く優秀な挿絵画家だ。ここでそんないらぬ危険と反感を買う必要はありません」
「はあ!?」
腹が立って大声が出る。御者が何事かとこちらを気にしたのが分かった。
「あのね、見くびってもらっちゃ困るんだけど、少なくとも今は私だってゴシップ誌記者なのよ、なめないでよ! 見て! もう大体描いちゃってるし!」
先ほど押しとどめられたスケッチブックを開く。
端的に事件のことを描いた風刺画を見せると、セルジュは眉を寄せてそれをじっと見つめた。
「……じゃあ、言い方を変えます。詐欺師の娘の恋愛に同情するようななまっちょろい考えの記者、いらないんですよ」
「は!?」
「ゴシップ誌なんだから、全部を大団円にさせるような記事、不可能なんです。それなのに、ニーナさん全然分かっていない。甘いんだ」
「はあーーー!? なんなの!!??」
わざとこちらを刺激して馬鹿にするような物言いに、猛烈に腹が立ち、お互い怒鳴り合う。
気付くと馬車が止まり、御者が恐る恐るこちらを覗き込んでいた。
「……あの、大丈夫ですか……?」
「大丈夫よ!」
「大丈夫です!」
セルジュと私の声が重なり、怒鳴り合いは止まった。御者はおずおずと頷いて元に戻る。
しかし、セルジュとはその後、会社に戻るまで言葉を交わすことはなかった。
一度も、だ。
♢
会話のないまま出張を終え、王都に戻った。
出発時と同じように、馬車は会社前で止まった。そのまま編集長席に二人で向かう。
「おう、おかえりい」
のんびりとした声の編集長は私たちの様子を見て目を丸くする。
「どうした、浮かない顔だな。完全な空振りだったのか?」
セルジュは首を横に振り、丸一日ぶりくらいに口を開いた。バルトロ男爵領で見てきた結果を報告する。
編集長は黙って聞いていたが、最後まで聞き終えると低く呻いて黙り込んだ。
「編集長、ニーナさんを挿絵担当から外してください。記事が出ると危険が生じます」
こいつ、まだ言うのか。
隣に立つ男をじろりと横目で睨む。
「私は大丈夫です。ちゃんと描いてきましたし、記事が出たら身の回りには気をつけます」
「領地には何もなかった。ニーナさん、ないものを描く必要ありません」
「まだ言うの、なんなのよ!」
また口論になりかけるが、編集長がまあまあ、と止める。
「話は分かったが、ニーナは今は『スキャンダル』の記者だ。こいつの挿絵が重要だってお前も分かってるだろ? セルジュ、お前が引け」
編集長に言われて、セルジュは黙り込んだ。
「記事は出そう。上は調整する。セルジュは裏取り。ニーナはもう時間がギリギリだ。彫版作業に早く入れ」
セルジュは小さく了承すると、小さな声で「絶対気をつけてくださいね」と呟き、ぷいっと踵を返して出て行ってしまった。
「なんなのよ、あいつ! 過保護か!」
私はセルジュが出て行った方を向いて、思わず悪態をついた。