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5、出張

「どう思いました? ニーナさん」


 サロンを後にしてそのまま会社に戻り、ようやくコルセットから解放された私は、もとの作業着に戻っていた。


「それよりもあなた、あんな嘘ばかりついて! 大丈夫なの?」


 詰め寄る私に、セルジュは軽く手をひらひらと振ってみせる。全然気にしていない様子だ。


「大丈夫ですよ。エリックは客ですから彼に確認が行くことはないでしょうし、確認が行ったとしてもロック男爵は架空。男爵位の人物なんて山ほどいますし、実際調べても出てきません。それよりワインはどうでした?」


 こちらは肝を冷やしたのに。飄々と言ってのける目の前の男に悔しさを感じる。

 だが、確かにこれまで事件を追い、修羅場をくぐってきた経験はセルジュの方が上だ。こんなことはこれまでも何度もしてきたのだろう。


 私はため息をついて、ワインについて思い出す。


「正直、ワインの味はよく分からなくて。でも、」

「でも?」

「ラベルが変かなって」


 ワインの味はさっぱりだ。美味しいのか不味いのか。それよりも、私が気になったのはラベルだった。


「なんていうか、ちゃちかなあ、と思ったの」

「どういうことです」

「手広くやってる商社でしょ? なら、ワインラベルもそれなりのものを貼るんじゃないかと思って。大量に製造してるなら、ラベルを印刷すると思うのよ。あのラベルがどういう刷り方か分からなかったけど、絵柄とその文字が商業的じゃないというか……」

「チープだった?」


 私は頷いた。

 出資者を募って手広くやっているのであれば、それなりの量を製造しているだろう。それなのに、ジョージが手にしていたワイン瓶のラベルに描かれた絵と文字は、どうにも違和感があった。

 細かいところまでは見えなかったが、デザインは悪くブドウの線はいびつで文字はがたがた、陰影もないし滑らかさに欠ける。よっぽど下手な彫版担当ではなかろうか。


 セルジュは私の話を聞いて、うーんと首を傾げている。


「……見に行きましょうか」

「なにを?」

「ワイン蔵を」

「ええ? バルトロ男爵領は片道三日はかかるわよ?」


 さらりとした発言に目を剥いたが、セルジュは早速編集長へ話に行ってしまった。

 当然、ダメと言われるだろう。バルトロ男爵領に行くのに、往復一週間近くはかかる。次号に間に合うか分からない。

 しかし、編集長は大して驚いた様子もなく、「いいぞー」とゆるい声を返した。


「編集長、いいんですか! 一週間近くは不在にしてしまうんですよ!?」

「いいよー、なにか気になることがあるんだろう? セルジュはどう予想しているんだ」


 セルジュはもらってきたパンフレットを編集長の机に滑らせた。


「俺はワイン自体がそんなに質の良いものじゃないように思ったんです。輸出して賞を取っているというのも、どこまで本当の話か。輸出前のワインは醸造所に行けばあるはずなので、行ってみて実物を入手し、第三者に評価してもらいたいと思っています」

「うん、分かった」


「で、でももし全然空振りだったらどうするんですか!? 紙面が空いちゃいますよ」


 このままなし崩し的に出張が決まりそうだったので、慌てて止める。

 それに、一週間も不在にしたら次号の締め切りぎりぎりだ。帰ってきて別のネタを探そうとしたって難しいだろう。


「もし空振りだったらワイン醸造所の見学レポートでも書いてよ。それか、道中の散策レポートでもいいよ。挿絵付きで」

「えええ」


 なんてことだ。もともとはエリックの熱愛を追っていたのに、なぜかセルジュと一週間出張でワイン蔵見学することになってしまった。

 いずれにせよ今回の記事で綺麗な女の子は描けない。


 私が肩を落とすと、その肩を編集長がぽんと叩く。


「まあ、事件を追っていて脱線したり、空振りすることなんて普通だから」


 じとりと睨むと、編集長はへへへと笑った。



 ♢



 ガタゴトと進む馬車の中、私はぼんやりと外を眺めていた。

 隣には同じくぼんやりと外を眺めるセルジュ。


 そうなのだ。よく考えたら、往復丸一週間、この男とずっと一緒に馬車に揺られないといけないのだ。そのことに馬車に乗ってようやく気付いた私は、なんだか途端に気まずくなって外を眺めている。


 馬車は会社が一台貸切ってくれた。道中は馬の休憩と宿泊だけで、あとは本当にまっすぐに目的地を目指す予定だ。


「……暇ならなにか記事でも書けばいいのに」


 沈黙に耐えられなくなって口を開くと、思いの外朗らかな声で返事が来た。


「いやあ、実は馬車の中で作業すると、酔っちゃうんですよね。でもニーナさんは絵を描いていていいですよ、酔わないようであれば。俺のことはお気になさらず」

「ああ、そう?」


 そう言うなら、とスケッチブックを取り出して、早速描き始めた。隣で一人だけ作業しているのも悪いかと思ってじっとしていたのだ。


 馬車は王都を抜けて隣街を過ぎ、その次の街への雑木林に入ったところだ。

 暑い時期は少し前に過ぎ、林の木々も葉を落とし始めている。しばらくはこの景色が続くだろう。私は今後の資料に、と葉が落ちて寒々しい木々を描き始めた。


「……そういえば今号のエリザベス嬢の記事、好評だそうですよ」


 のんびり描いていると、隣から小さい声でセルジュが話しかけてきた。その嬉しい報告に、描き始めたばかりの手を止めてセルジュの方を向く。


「本当!?」

「ええ。売れ行きは結構良いようですし、なにより挿絵が良かったって。少しずつ縁談が来ているとも聞きました」

「良かったわ……」


 あの時のエリザベス嬢はかなり綺麗に描けたと思う。ロイドさんたちも頑張ってくれたのだ。(うら)らかで繊細で、でも彼女の凛とした強さを表現できた。

 それで彼女に縁談がやってきたというなら、上出来だ。


「……ゴシップ誌って、載って困る人ばかりなのかと正直思っていたの。でも違ったわ。こうやって誰かのためになることもあるんだと分かった」


 しみじみ漏らすと、セルジュがまじまじとこちらを見ている。


「……なによ。どうせ何も分かっちゃいないくせにとでも思ってるんでしょう」

「……いえ、なんだか、嬉しいなと思って」

「別にあなたを褒めたわけじゃないんだけど」

「そうですね」


 くすくすと笑い出したセルジュは、また外に目を向けた。


「大半は恨まれることばかりですよ、ずっと。でもニーナさんのおかげでそれだけじゃないことに今気付きました」

「あら、どういたしまして」


 オープン婚約破棄をした第二王子とミリア嬢のその後については、国王預かりとなっているということを聞いている。

 うちの会社の新聞であるライデン・ニュースレターは『スキャンダル』との兼ね合いもあり、出来るだけ事実だけを伝えるような内容になっていた。


 しかし、他の新聞社やゴシップ誌は、第二王子とミリア嬢の恋を後押し、美化するような論調が主だ。エリザベス嬢を慮るところはなかった。

 『スキャンダル』くらいはエリザベス嬢を擁護したっていいだろう。



「……ニーナさんは、絵を描くのが好きなんですね」


 絵を描くのを再開しているとまたセルジュが話しかけてきたので、今度は手を止めずに返答する。


「そうね。だから今の仕事も楽しいわ」

「なぜ絵を描くのですか?」


 いきなり哲学的な質問が投げかけられた。

 彼を見ると、まだ外を見たままだった。別に自分のことは気にしなくていいと言ったくせに、こんな抽象的な質問をしてくるなんて。セルジュは仕事のし過ぎで疲れているんだろうか。

 仕方なく、手を止める。


「私、綺麗なものが好きなんだけど、それが手に入る気がするのよ」

「はい?」

「絵に描くと、その好きなものが自分のものになったような気がして気持ちいいの」

「ほぉー……」


 曖昧な相槌で、セルジュの目線は宙を彷徨う。

 いまの説明で彼の聞きたかった答えになったんだろうか。反応が謎だ。


「セルジュは? なぜ出版社に入ったの?」

「俺ですか? うーん……」

「ペン一つで世の中の悪事を暴いてやろうと思って?」


 私の言葉を聞いたセルジュは、一瞬きょとんとした後、途端に大笑いを始めた。


「あはははは!」

「なによ、ふざけて言ったつもりじゃないんだけど?」


 しばらくの間、あまりにもヒイヒイと笑っているものだから、なんだか私も可笑しくなってつられて笑ってしまった。



 ♢



 片道三日の旅は、何事もなく進んだ。

 食事は一緒にとるが、宿の部屋はもちろん別々。

 移動中は話すこともあれば沈黙のこともある。私は絵を描いていたけれど、セルジュはおおむね寝ていた。


 セルジュの仕事ぶりに嫉妬したり、モヤモヤすることもあるけれど、今まで一緒にいる時間が長かったし、二人で仕事をしてきたのだ。

 その空間がなんだか心地良くて、思わずこの瞬間が出張中であることを忘れてしまうくらいだった。



 しかし、バルトロ男爵領に到着して、旅行気分は霧散した。


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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちは。 毎日更新を楽しみにしています。 Hkさまの作品は、実はいつもサイレントでこっそり読んでいました。 初めに「真面目系放送部女子の痛恨のミス」を読み、なんて面白いのだと嬉しくな…
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