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4、投資

 私はいつも通り、劇場帰りのエリックを自宅前で張ることにした。これから、ファンを装って突撃する。セルジュは陰で見守っているはずだ。


 蹄の音がして顔を向けると、馬車がやってきた。いつもの時間だ。今夜はバルトロ男爵との食事はなかったらしい。

 自宅前に馬車が止まる。扉が開いてエリックが出てきたところを見計らって、彼に近付いた。


「──エリックさん! ファンです! サインしてください!」


 そう叫んで、手元のスケッチブックを差し出した。一緒にペンを添える。

 こんなことには慣れっこなのだろう。彼はふっと口の端を上げると、私の手からスケッチブックを受け取った。


「待っててくれたの、ありがとね」


 そう言ってペンを握る。すかさず問いかけた。


「あの、先日友達が、レストランでエリックさんを見かけて感激していました。バルトロ男爵とご一緒だったと」


 私の言葉に、彼は初めてこちらをちらりと見る。だが、不快といったような表情ではない。綺麗に整った顔は涼しげに笑みを浮かべている。


「よく知っているね」

「あそこのレストランは私もよく行くんです。エリックさんとバルトロ男爵はご友人なのですか?」

「友人……というとちょっと違うかも。僕の支援者ってわけでもないんだけど。むしろ事業の相談をしてるの。あ、そうだ」


 スケッチブックにサインを書き終え、ペンと一緒に返された。

 彼はなにかを思いついたような笑顔で、私の腕に触れた。近付いた距離に、甘い香水の香りが鼻をくすぐる。


「もしそれに興味あれば紹介するけど。中にどうぞ」


 腕から背中に手を回され、いたくスマートに家に招き入れられそうになり、一瞬迷った。

 何を紹介してくれるのか、気になる。バルトロ男爵との関係性、事業とは何なのだろう。

 だが、中に入ればそれだけで済まない気がする。


「ええと──」


 迷ったものの、やはり断ろうとしたところで、反対側から腕が引かれた。


「サインはもらえた? 良かったね、待っていたかいがあったじゃない」


 顔を向けると、変装なのか帽子を深くかぶったセルジュが立っていた。私の腕を強く引いたまま、エリックに対して会釈する。


「待ち伏せなんてしてすみませんでした。姉がどうしてもサインが欲しいというもので。ありがとうございました。ほら、行こう」


 ぐいぐいと腕を引っ張られて、よたよたとその場を後にする。去り際にエリックに会釈すると、彼は苦笑して手を振ってくれた。



 そのまま少し離れた路地まで連れて行かれ、ようやく腕が解かれた。怒ったような顔のセルジュが帽子を外し、ため息をつく。


「ニーナさんを連れ込むのは簡単そうですね、記者だっていうのに」

「ちゃんと断るつもりだったわよ。詳しく教えてくれそうだったから聞こうとしていたの」


 皮肉気な口調にムッとして返すと、頭をぽんぽんと撫でられた。本気で怒っていたわけではなさそうだ。背の高い彼が少しかがみ、目線を合わせてくる。


「俺たちは記者ですけど、別に無理してスキャンダルなんて取らなくてもいいんですよ。危ないことはしなくていいんです。ね、ニーナさん」


 子どもを諭すようなセルジュの言い方に、若干腹が立った。

 私だってちゃんと情報を取れるんだぞとか、余計なお世話だとか、言いたいことはいろいろある。けれど心配してくれたのは事実のようなので、言葉を呑み込んでそっぽを向いた。


「……分かったわよ」

「それで、どうでした?」


 私はエリックに聞いた話をセルジュに聞かせた。バルトロ男爵と会っていることは間違いなさそうであること。ただし、友人やパトロンではなく、事業の相談をしていると言っていたこと。

 俯きながら話を聞いていたセルジュはなにかを考え込んでいた。


「……事業って何でしょうね」

「それを教えてもらおうとしたところであなたが割り込んできたのよ」

「それはどうも」


 悪びれずに肩を竦めるセルジュを小突くと、くっくっと忍び笑いをした。そのまま会社の方向へ足を向けたので、私も着いて行く。


「エリックのスキャンダルを追っていたのに、どうするの?」

「エリックの方は大した話が出てこなさそうなのでやめましょう。それよりもバルトロ男爵の方を追いたいですね」

「ネタになりそうなものが出てくるかしら? ただの仕事の話かも」

「うーん……なんというか、勘ですけど、気になるんです」


 記者の勘だというなら、本職が挿絵画家の私からは何も言えない。

 バルトロ男爵の事業についてはセルジュが調べてみるというので、私はそれを待つことにした。



 ♢



 セルジュはすぐに情報を集めてきた。

 ロイドさんのところで銅板彫りを手伝っていた私を呼び出し、机の上に一枚のパンフレットを置く。


「これなに?」

「バルトロ男爵の仕事です」


 パンフレットの表紙はブドウ畑の絵。そのブドウ畑の横にはワイン瓶の図が載っている。


「バルトロ男爵、ワイン生産しているの?」

「ただワイン生産をしているわけじゃなくて、貴族向けの投資事業をしているようなんです」

「投資?」

「それが、詳しくは情報を得られなかったので、直接、投資家を装って聞きに行きませんか?」

「えっ、いまから?」

「実はもう約束を」


 貴族向け、ということは貴族を装っていくということになる。


 無理だ。私はエリザベス嬢のような優雅なふるまいは出来ないし、そもそも服がない。

 今なんて、作業用のオーバーオールを着ているのだ。田舎の農家の嫁だってもう少しましなものを着ている。


「大丈夫、ここをどこだと思っているんですか。『スキャンダル』編集部ですよ?」


 悪い笑顔のセルジュに連れられ、私は編集部の隅にある『衣裳部屋』へと放り込まれた。



 数十分後、編集部の他の女性記者たちや職員により、私は見た目だけ貴族女性に変身した。

 最近多い、小ぶりなパニエで膨らんだスカート、胸元はレースで飾られていて、袖も同様のレースで覆われている。

 普段はささやかな化粧も、女性記者の手によって丁寧に施された。

 手伝ってくれた女性たちは満足げに頷いている。


「なんでこんなものが会社に……!」

「ゴシップ誌記者ですからね、どこでも潜り込めないといけないですから。似合いますよ、ニーナさん」


 着替えだけでくたびれて壁にもたれた私に対して、セルジュは爽やかに手を出した。

 いつものくしゃくしゃの頭ではなく、きっちり撫でつけられた髪、普段は着ないであろう蔦模様の入ったコート。貴族然とした青年姿だ。


 この間は、無理してスキャンダルなんて追わなくていいって言ったくせに! と文句を言いたいが、ぎゅうぎゅうに絞められたコルセットで息も絶え絶え。

 貴族女性はすごい。これからはもっと、敬って描きます。その素晴らしい腰のラインを強調するようにします、と私は誓った。



 よろよろとセルジュの手を取り、馬車に乗って着いた先は、貴族ご用達として有名なサロンだった。

 そこは喫茶室を併設しており、貴族たちのコミュニティが集まって歓談できるスペースが設けられているのだ。


「バルトロ男爵の商社の担当者と待ち合わせをしているんです。ニーナさんは私の妻ということで」

「は、はあ!?」

「不服かもしれないですけど、姉と弟で投資話を聞くのもおかしいじゃないですか」


 この間、エリックに自宅に連れ込まれそうになった時には、姉だと偽ってセルジュに回収された。姉と弟というのも確かに腹立たしいが、夫婦というのもなんだか嫌だ。

 むしゃくしゃして周りから見えないようにヒールで足を踏んでやると、セルジュは低く呻いたので留飲を下げた。



 待ち合わせの席にいたのは、若い青年だった。貴族ではないのだろう。

 彼はバルトロ男爵の会社の人間で、ジョージだと名乗った。席を勧められて私が先に座り、それからジョージと握手したセルジュが隣に座る。セルジュは自分たちを『ロック男爵』だと騙った。


「今日はありがとうございます、ロック男爵。俳優のエリック・ブラッド様のご紹介でご興味を持って頂いたそうですね」

「ああ、そうなんだ」


 驚きの声を上げそうになったが、かろうじて耐える。

 エリックの紹介など、大嘘だ。


「うちの妻がエリックさんの大ファンでね、良い事業があると紹介してもらったんだ。詳しく説明してもらえる?」


 詐欺師のセルジュは嘘などひとつもついていないといったような涼しげな顔で、ジョージに説明を促した。

 怖い。こうやって、この男は特ダネを掴んできたのか。


 目の前の男がゴシップ記者だとは夢にも思わないであろうジョージは、促されて事業の説明をした。


 彼の話はこうだ。

 バルトロ男爵は商社を経営しており様々な商品を扱っているが、その中の一つに領地で生産しているワインがある。

 そのブドウ畑は非常に質が良く、量も採れる。いま、ワインは高騰しており需要が多い状態だ。


 そこで今回の投資話。

 ブドウ畑に出資すれば、それがワインとなって高値で売れた時に出資者に配当金を分配するという投資事業を行っているという。


「ブドウ畑のエリアを区切って、それぞれ出資者の方のタグを付けているんです。ですので出資はシーズンごとですけどね。人気で、どんどん埋まっています」

「へえ……」


 ジョージが見せたパンフレットは、以前セルジュに見せられたものと同様、ブドウ畑の絵が載っている。

 出資金に対する配当金の割合も記されていた。確かに、割が良いように私でも思える。


「それは出資者としてはいい話だけれど、バルトロ男爵はなぜこのような投資事業を? バルトロ男爵の利益は減ってしまうよね」

「そうなんですが、それでも利益としては十分なんです。特にこのワインは他国へ輸出することがほとんどで、国内では出回らなくて。なので男爵はせめてこの利益をお世話になっている皆さんに還元したいとお思いなんです。これからもブドウ畑を広げたいと考えていますしね」


 説明しながら、ジョージは笑って肩を竦めてみせる。


「もちろん、試飲分はありますよ。良かったら?」

「もらおうか」


 用意していたのであろう、彼が取り出してきたワイン瓶は一般的な形状のもので、小さなワイングラス二つに少しだけ注いでくれた。

 勧められてそれを口にする。セルジュは香りを確かめた後、ゆっくりワインを口に含んだ。


「なるほど、いいものだね」

「ありがとうございます。ほとんどは輸出で、隣国では賞も受賞しています。出資者の方には一部お譲りもできますよ」


 にこにこと話す男の手元のワイン瓶をまじまじと見つめた。隣のセルジュは「うーん」と考えている。正確には、考えているフリだろう。


「エリックさんにも勧められたことだし、ちょっと考えてみようかな。このパンフレットもらって帰ってもいいかい? 資金のめどが付いたらまた連絡したいのだけど」

「もちろんです。ですが出資したいとお考えの方は大勢いらっしゃいますし、出資枠にも限界がありますので。早めのご決断をお勧めいたします」


 この場で決断を、と言われるかと思ったが、引き留められることはなかった。


 セルジュはにっこり笑って、すでに入手済みのパンフレットを手にして席を立つ。私もエスコートされて会釈し、その場を後にした。



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